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渡邊 勉 著
『調査票のなかの「戦争」 京浜工業地帯の労働者一万四千人の記録から』
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序章 過去の戦争を語ること
戦争を考える
本書のテーマは戦争だ。しかも今から八〇年以上前のアジア・太平洋戦争である。戦争と言っても戦場での戦闘や軍隊生活といった戦争そのものを取り上げるのではなく、戦争をとりまく社会、その中で生きた人びとがテーマである。人びとが戦争とどう関わり、また戦争によって人生がどう変わったのか。それを過去の社会調査データから接近してみようというのが、本書のもくろみである。
今、私の目の前にあるパソコンの中には、終戦から六年後の一九五一年に京浜工業地帯の労働者に対しておこなった調査データがある。モニターには一見意味不明な大量の数字が並んでいるが、この数字は一万四三二七人の人生の情報である。一九五一年当時一五歳から八一歳までの人びと、つまり一八七〇(明治三)年から一九三六(昭和一一)年に生まれた人びとの人生の一部が、ここに記録されている。私たちにとっては、もはや教科書や白黒の記録映像の中にしか出てこないような遠い過去の人びとだ。このデータを読み解くことで、この人びとと出会い、ほんの一部ではあるかもしれないがその人生を知ることができる。しかも全員アジア・太平洋戦争を生きた人びとなのだ。
戦争を取り上げる理由
そもそもなぜアジア・太平洋戦争を取り上げるのか。
それは、戦争がとりわけ若者に過重な負担を強いるものだからである。だから私が普段大学で教えている学生たち――若者たちにこそ、この戦争について考えてもらいたいと思っている。実際に負担を負わされる可能性があるからこそ、日本が当事者となった戦争の実態を知り、それが何をもたらしたのかを理解する必要がある。
アメリカの作家カート・ヴォネガット・Jr.は、第二次世界大戦での従軍体験をもとに小説『スローターハウス5』(一九六九年)を著した。原著の表紙には、「子ども十字軍(The Childrenʼs Crusade)」という副題が付されている(図序-1)。子ども十字軍とは、中世ヨーロッパで聖地回復を目指して出発したとされる少年たちの遠征を指す。彼らの多くが目的を果たせず悲劇的結末を迎えたという伝承は、大義名分のもとに子どもや若者が犠牲となる社会の残酷さを象徴している。ヴォネガットがこの言葉を用いたのも、戦争が本質的に若者を犠牲にする仕組みであることを示すためだった。戦場で戦い命を落とすのは、戦争を決定する指導者や年長世代ではなく、若い世代の者たちなのである。ヴォネガットは自らの体験を通じて、この理不尽さ、不公正さを告発した。若者は戦争という仕組みにおいて、最大の犠牲を負わされる存在なのだ。それは単に戦場だけではなく、戦争を支える銃後においても同様だ。だからこそ若者自身が、自分たちを危険にさらし、大きな負担を負わされうる戦争について知るべきなのである。
しかし私自身が戦争に関心を持つようになったのは、それとは別のところにある。少しだけ説明させてほしい。
アジア・太平洋戦争はほとんどの人にとっては遠い過去の出来事であり、他人事である。私も若い頃はそうだった。毎年八月にテレビで戦争の特集番組を観るくらいの関心しかなく、戦争とはまったく関係のないテーマで長年研究してきた。それがあるきっかけで、戦争を意識することになった。
きっかけは、ある調査データの分析だった。
私はこれまで社会階層研究という領域で社会階層と社会移動全国調査(SSM調査)のデータ分析をおこなってきた。SSM調査は一九五五年から一〇年おきに継続的におこなわれており、二〇二五年調査で八回目になる。この調査の最大の特徴は、一九五五年から一貫して職業経歴を尋ねているところにある。現在利用できる二〇一五年調査までの全調査を合わせると、おおよそ一九二〇年前後から二〇一〇年代までの約一〇〇年間にわたる人びとの職業経歴をたどることができる。過去のすべての調査の職歴を一枚の図にあらわしてみたらどうだろう。そんなことを考えたのだ。
このアイデアを二〇一〇年頃に思いついたので、二〇〇五年調査までのデータを使って、まずは一九一〇年代から九〇年代までの男性の転職率を求めてみた。年齢別に転職率をグラフにすると図序-2のようになった。
当初は戦前の職歴に関心があった。しかし図をつくってみると、別の箇所に目が吸い寄せられた。おそらく誰が見ても、ある一点に注目するだろう。それは終戦前後である。
過去一〇〇年の職歴全体を見渡したとき、職歴が最も不安定になるのは一九四五年前後であった。職歴が不安定になるということは、収入が不安定になり、生活が不安定になるということだ。それは日本社会そのものの不安定さを示している。この一〇〇年の日本社会を俯瞰したとき、アジア・太平洋戦争という出来事が人びとに最も影響を与えていたのだという事実が突然目の前にあらわれた。私にとっては不意打ちだった。
過去一〇〇年の日本の歴史を振り返ったとき、アジア・太平洋戦争が日本社会に与えた影響は甚大だった。そして現在の日本社会の出発点が終戦であるとするならば、今の社会を知るためには、あの戦争のことを知らなければならない。
戦争そのものを知ることはもちろん大事である。戦場で何が起きていたのか、空襲の中を人びとはどう逃げまどったのか、外地に赴いた人びとが引揚時にどのような経験をしてきたのか。また戦争に向かう過程、戦争が泥沼化していく過程を政治や軍事の面から考えてみることも大事なことだ。
しかし本書ではそれらは取り上げない。私が本書でやろうとしているのは、名もなき庶民たちが戦争の中でどのように生き、戦後どのように生きてきたのかを明らかにすることだ。社会調査データでは個人は特定できない。まさに名もなき個人たちの記録である。しがない庶民である私にとってはそれこそが強い関心を抱くテーマなのだ。
戦前、戦中、戦後を生きた労働者
ここで、データに含まれる一人の人生を追ってみたい。彼の人生をたどることで、本書が扱う時代の全体像も見えてくるはずだ。
取り上げるのは、調査当時五一歳の、ある男性である。(表序-1、[ ]は関連する章)。
彼は一九〇〇(明治三三)年に福島県の商人の子として生まれた。高等小学校を一四歳(一九一四〔大正三〕年)で卒業し、農民となる。この頃の日本では農民が人口の半数以上を占めていた。第一次世界大戦の影響で日本の景気は上向いていたが、物価上昇で庶民の生活は苦しく、米騒動へとつながるような時代である。彼はしばらく農民だったが、一九二〇(大正九)年、二〇歳のときに徴兵検査を受けた後徴集され仙台の第二師団に入営する。日本は一九一八年以降極東における戦力拡大を狙ってシベリア出兵をおこなっていたが、このとき彼は出兵することなく四年間の兵役を経て、一九二四(大正一三)年に福島県に戻り再び農民となる。当時の福島県では人口の四割近くが農民であり、農業が圧倒的に主要な産業だった(福島県 1924)。
彼は福島に戻ると二四歳で結婚し、翌一九二五(大正一四)年と二八(昭和三)年には娘が生まれる。この時期の日本には次第に戦争の影が忍び寄ってきていた。二五年には普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が制定される。日本経済は昭和恐慌に陥り、米価は半値以下、生糸価格も大暴落した。農村は貧困にあえぎ、「欠食児童」や「娘の身売り」が社会問題になっていた。
彼も貧困に耐えかねたのか、一九三一(昭和六)年、満州事変の年に農民をやめ川崎に上京する。京浜工業地帯の運輸会社で倉庫夫として働き始めた[京浜工業地帯→3章]。三一年は東北・北海道地方が冷害により大凶作となった年であり、満州への農業移民が三二年から本格化した時代である[外地居住→5章]。
盧溝橋事件から日中戦争が始まる一九三七年には川崎市に居を構える。三八年に国家総動員法が制定され、翌三九年には国民徴用令が施行された。これにより政府は労働力を含む国民の人的資源を統制し、軍隊だけでなく軍需産業などへの人員配置を直接指示できる法的根拠を得ることになった(竹中 2012)。こうして本格的に戦時体制へと突入する。
日本が大きく戦争へと舵を切っていく中でも、彼の生活は相変わらずだ。日中戦争以降も倉庫夫のままだった。しかし一九四四(昭和一九)年に召集令状が届く。二回目の入営だ[徴兵→2章、5章]。このときも彼は県内の部隊に身を置き戦場に赴くことはなかった。すでに四四歳であった[戦中のライフコース→4章]。そして翌年終戦。戦死者は三一〇万人にものぼった。多くの女性たちが戦争未亡人となり、その戦後は厳しいものだった[女性たちの戦後→7章]。また外地にいた民間人や軍人が一斉に復員、引き揚げてきた。彼ら/彼女らの戦後生活もまた厳しいものであった[戦後の復員者、引揚者→6章]。
彼は復員したものの、川崎市内の自宅は被災していた[戦災被災者→5章]。おそらく会社もなくなってしまっていたのだろう。働く場を失った彼は福島に戻り、農民として家族を養うことにした。終戦直後の日本では農業人口が急増しており、いわゆる潜在的失業者の受け入れ先として農業があった[戦後の生活→6章]。
復員してから彼は慌ただしい生活を送っていた。日本もまた慌ただしかった。終戦とともにGHQが進駐し、占領下で五大改革指令が出され民主化へと進む。そして日本国憲法が制定される。経済的には深刻なインフレと物不足が続き、ヤミ市が各地につくられた。金融緊急措置(新円切換)や傾斜生産方式などを通じて、なんとか復興しようともがいていた時代であった。
こんな慌ただしい社会情勢の中、彼は終戦から二年間、福島で農民を続けていた。そしてなんとか人の伝手を頼って一九四八年から京浜工業地帯にある鈴捨工運にて倉庫夫として働き始める。家族とともに横浜市鶴見区へ引っ越した。翌年、超均衡予算の経済安定化政策であるドッジ・ラインが実施された年である。物価は安定したが、企業倒産が増え、庶民の生活は苦しくなっていた。
彼はちょうどいい時期に鈴捨工運で働き始めたのかもしれない。京浜工業地帯が空襲による壊滅的な状況からようやく復興してきたところであった。おそらく、そうした環境の中で、京浜工業地帯に多くの地方出身者が集まってきたのだろう。ここから再び世界は慌ただしくなる。一九五〇年の朝鮮戦争により日本は特需景気を迎える。京浜工業地帯も活況を呈し始めた[京浜工業地帯→3章]。
そして一九五一年を迎える。九月八日にサンフランシスコ平和条約が調印された。彼は五一歳、妻は三九歳(再婚か?)、二人の娘は二六歳と二三歳になり、この年の六月に購入した自宅(部屋は四つ、一七・五畳)に四人で暮らし始めた。月給は二万五〇〇〇円。彼の生活はようやく安定する。
京浜工業地帯調査データの中には、このような人生が一万四三二七通りもある。このデータはただの数字ではない。一人ひとりの唯一無二の人生が埋め込まれている。そしてそれらの人生は戦前、戦中、戦後の日本、世界の動きに連動しており、戦争をくぐり抜けてきたのだった。
戦争へ、戦争から
では京浜工業地帯調査データから、本書で何を明らかにしようとするのか。
私がこの本で語ろうとしているのは、誰がどのような戦争経験をし、戦争経験は戦後の生活に何をもたらしたのかという、戦争をめぐる人びとの戦中と戦後の人生である。
先ほど一人の労働者の人生を描いたように、このデータからは、一九五一年に京浜工業地帯で働いていた労働者一万四三二七人の戦中、戦後のライフコース――職歴と居住歴――をたどれる。もう少し具体的に言うと、職歴からは戦争中どのような企業(産業、企業規模など)で何の仕事をしていたのかを知ることができる。就学中なのか、徴兵されたのか、無職だったのかもわかる。そして戦後も、いつ復員しどんな仕事をしたのか、無職だった時期はどれくらいあるのかも把握できる。また居住歴からはどこに住んでいたのかを追える。都道府県、都市か地方か、外地か内地かを特定できる。外地については、満州、大陸中国、朝鮮、台湾といった地域が特定できるし、内地への引揚時期もわかる。職歴と居住歴を組み合わせれば、徴兵前後や引揚前後にどんな仕事をしていたのかを知ることもできる。
一方でこのデータからではわからないことも多い。戦場の記録はないし、空襲や引揚の体験記録もない。戦時中の具体的な生活も、そのとき何を考え感じていたのかもわからない。このデータからわかるのは、そうした経験を誰がして、その経験によりその後の人生はどう変化したのかである。
また戦死者のこともわからない。死者には戦後の人生はない。突然人生を断ち切られた悲劇があるが、戦争が何をもたらしたのかを死者から知ることはできない。一九五一年の京浜工業地帯調査データを分析する価値はそこにある。戦後を生き抜いた人びとからしかわからない戦争もあるはずなのだ。
本書の構成
本書は序章、終章を含めると九つの章で構成されている。最初に見取り図を描いておこう。
まず第1章から第3章までは概要編である。
第1章では本書の枠組みを示す。本書が取り組む問いを提示した上で、京浜工業地帯調査に含まれる人びとの人生を具体的に紹介する。人びとが戦時中と戦後混乱期をどのように生きてきたのかを描く。さらに京浜工業地帯調査の概要、データ分析の有効性、本書が依拠する分析の立場について説明する。
第2章では、京浜工業地帯調査データから見えてくる戦争経験を概観する。徴兵、外地居住(引揚)、戦災の三つの戦争経験について、その概要を把握する。
第3章では、京浜工業地帯がどのような工業地帯なのか、そこにいる労働者はどのような人びとなのかを描き出す。そこから本書が向き合う労働者の姿を浮かび上がらせる。
次に第4章、第5章は、戦時期編である。戦時中の人びとの生活、戦争経験を追う。
第4章は、一九三七年から四四年までの人びとのライフコースの特徴を、移動という観点から明らかにする。さらに戦争経験との関係を探る。
第5章は、徴兵、引揚、戦災という三つの戦争経験が、どのような人びとに集中していたのかを分析する。ここから見えてくるのは、国家総動員という平等化のレトリックとは裏腹に、戦争が特定の人びとに偏って負担を強いていた実態である。
そして第6章、第7章は、戦後編である。戦争が人びとの戦後の生活にどのような影響を与えたのかを考える。
第6章は、戦時経験が戦後の生活にどんな影を落としたのかを検証する。徴兵された人、引き揚げてきた人、戦災に遭った人。彼らは戦後、失業や転職、転居といった困難をより多く経験していたのだろうか。
第7章は、女性たちの戦後を取り上げる。戦争などで配偶者のいない女性たちの戦後の生活の困難について掘り下げていく。
終章では、本書の分析から見えてきた、戦争が不平等をつくりだす仕組みについて整理する。
(図表と注は割愛しました)








