掌の美術論 第19回
顔に触れる――彼女たちの仮面を介して(前編)
好きな仮面を好きな時にかぶることができれば、とても楽だ。それは本当の感情を隠し、演じられた人格(ペルソナ)のみを人々に見せる。だが仮面が剥がれなくなってしまうことほど恐ろしいものはない。なぜなら人は、「自分とは誰か」ということを確認するとき、人の目に映った自分の姿について問わずにはいられないからだ。……
好きな仮面を好きな時にかぶることができれば、とても楽だ。それは本当の感情を隠し、演じられた人格(ペルソナ)のみを人々に見せる。だが仮面が剥がれなくなってしまうことほど恐ろしいものはない。なぜなら人は、「自分とは誰か」ということを確認するとき、人の目に映った自分の姿について問わずにはいられないからだ。……
今回は「痴呆」という言葉さえ一般的ではない時代に義母を介護していた女性のお話を通じ、介護する人・される人と周囲の人との関係を考えます。50年前と現在で、何が変わり、何が変わらないのか――そんなお話が展開します。
認知症患者の思いやその人らしさを尊重する介護――現在私たちの社会は、そうした介護を目指すべきものとして掲げている。しかしそうした理念は、突然私たちの社会に生まれてきたのではない。それは長い歴史をかけて、介護に関わる人びとが作り上げてきた、私たちの社会の一つの到達点なのだ。認知症という病名がないどころか、「ボケ」や「痴呆」といった言葉すら身近でない時代に介護を経験した人。介護保険といった制度もない時代に、介護家族が相談できる場を立ち上げ、在宅での看取りを目指した人……。介護家族の悩みの歴史を辿りながら、「治らなくても大丈夫」といえる社会のあり方を構想する、気鋭の社会学者による連載です。【編集部】