あとがきたちよみ
『ネット分断への処方箋』
「はじめに ネットの分断は解決できるか」「第1章 1-3 相手を倒すための議論」「第3章 3-4 ネットで表明される意見の偏り/3-5 強すぎる情報発信力/3-6 中庸な議論の撤退」「第4章 4-2 基本アイディア──受診と発信の分離」「第5章 5-2 本書の提案する炎上対策──フォーラムによる防御」を公開しました。
「はじめに ネットの分断は解決できるか」「第1章 1-3 相手を倒すための議論」「第3章 3-4 ネットで表明される意見の偏り/3-5 強すぎる情報発信力/3-6 中庸な議論の撤退」「第4章 4-2 基本アイディア──受診と発信の分離」「第5章 5-2 本書の提案する炎上対策──フォーラムによる防御」を公開しました。
今回取り上げるのは、日本三大随筆の一つ、鴨長明『方丈記』である。 「燃えよ本』の連載タイトルの如く、京の都の大火(安元の大火)から始まる、日本初のルポルタージュであり、仏教の無常観を説いた自己啓発本であり、DIY小屋の指南書でもある日本文学史上屈指の怪作だ。現代でいえば短編程度の文章量にこれだけ様々な要素を盛り込んだ著者の鴨長明とは、どのような人物だったのか? そして彼の生きたのはどのような時代だったのか?
19世紀、アメリカ及び世界文学の金字塔であるハーマン・メルヴィル『白鯨(モビー・ディック)』。 アメリカといえばグリーンピースはじめ鯨やイルカなどの海洋哺乳類の保護活動に熱心な「反捕鯨国」なのだが、実は20世紀初頭まで世界一の捕鯨王国だった。世界中の海でクジラを獲って獲って獲りまくった前近代の捕鯨黄金期の記憶が刻まれたのがメルヴィルの『白鯨』なのである。現代の倫理観から見るとあまりにも血生臭く、差別的。かつ文学の枠組みを大きく逸脱した怪作を僕なりに読み解いてみよう。
本は燃えやすい。社会的にも燃えやすいが、物理的にも燃えやすい。カエサルのアレクサンドリア図書館の焼き討ち、中国の秦帝国やナチス・ドイツによる焚書など、文化の抹殺の象徴は「本を燃やす」こと。つまり本は燃やしやすい物質だということだ。 実は「本を燃やす」という行為には三億年超の地球の歴史が宿っている。地上にどのように生物が上陸し、どのように現在のような生態圏ができあがり、さらに人類がなぜ産業革命を起こすことができたのか? 鍵を握るのは陸上植物と菌類の関係性だ。
「われわれがすでに一度体験されたことが何もかももう一度繰り返される」というニーチェの永劫回帰の概念の引用からこの物語は始まる。もしすべてのことが永久に繰りかえされるとしたら、自分のひとつの行動の責任の重さは限りなく重くなる。つまり永劫回帰を生きるのはすべてが意味を持つ「重い」人生だ。反対に自分の人生が一回限りであるならばどんなに悲しみや喜びを感じたとしても、それはすぐに立ち消えてしまう。どんなに重大に感じることでもそれは一回限りの意味がない「軽い」人生だ。
ダーウィンが発表した『種の起源』は、キリスト教世界の根幹を揺るがした。しかし時代は19世紀後半、まだ遺伝子はじめ分子学的な生命の仕組みが解明されていなかったため、ダーウィンの進化論はさまざまな曲解を生んだ。中でも20世紀中盤まで炎上し続けたのが、進化論を人間社会に適用した「社会進化論」、人間個体に適用した「優生学」だ。
「あなたはすべての生物をつくった創造神について考えたことがありますか?」 ある日、山梨の山の中の小さな集落にある僕の家までわざわざ訪ねてきた、キリスト教系新興宗教の勧誘のお姉さんが玄関でこんなことを僕に問いかけた。 「それはいろんな生物学者が考えてきたことで、そんなものはいない!というのがここ150年くらいに蓄積された定説です。僕はそれを支持します。」 と間髪入れずに返事をしたらお姉さんは「あ、ヘンなのに当たっちゃったな」という顔で、冊子だけ置いて足早に立ち去ってしまった。
古今東西の、時代の先端を切り取り物議を醸してきた本とその周辺を掘り下げる連載『燃えよ本』。第一回のトピックスは「書店」。文化の尖兵が集うアンダーグラウンド基地としての書店を紹介します。
本は燃えてきた。 書く者は、燃えたぎる想いを一冊の本に託し、読む者の心を燃え立たせ、その火は社会を煽り、民衆は立ち上がり権力者は怒り、本は焼き払われ、ときには書いた者、読んだ者すら焼き殺された。