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虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察

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虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 4月 12日, 2017 古谷利裕

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第18回 フィクションのなかの現実/『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』(2)

『マイマイ新子と千年の魔法』は、大人たちへの(過剰な)信頼によって支えられていた子供たちの象徴的な宇宙における価値が、大人たちの実態(大人たちへの失望)によって失墜しかけた時、その価値を、子供たちが自らの行為を通じて再定位しようとする物語だと言えるでしょう。そして、子供たちにそのような再定位を促し、可能にしたのが新子という存在でした。自身もまた空想好きである新子は、「マイマイ新子」というフィクションの内部で、現実の中でフィクションがもつ役割や機能を担っている人物だと言えます。つまりこの物語は、現実とフィクションンとの関係を示す物語であり、フィクションが現実のなかでどう機能するかということについての物語です。

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虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 3月 22日, 2017 古谷利裕

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第17回 フィクションのなかの現実/『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』(1)

物語の流れにはほぼ無関係な、ほんの短い時間、画面の片隅を通過するだけの小さな船でさえ、資料にあたって調べられた、実際にその時、その場所を通った船の再現である、と。この逸話は、この作品における当時の再現へのこだわりが、史実に忠実というレベルをはるかに逸脱したものであることをよく表していると思います。しかし、『この世界の片隅に』という作品は、ドキュメンタリーでも実話でもなく、まぎれもなくフィクションです。

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虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 3月 01日, 2017 古谷利裕

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第16回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(2)

これから検討する『ガッチャマン クラウズ』は、事前には予測できなかったまったく新しい事態が生まれる瞬間をクライマックスにもつ物語だと考えます。その新しい事態が、人は変わり得る、社会は変わり得るという可能性を、少なくとも一瞬は垣間見せていると思います。そしてそれは、「ガンダム」における可能性の象徴であるサイコフレームの発光よりは具体的であり、技術的、現実的なレベルでも一定のリアリティをもつものだと思われます。

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虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 2月 08日, 2017 古谷利裕

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第15回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(1)

四十年近くの時を経た現在もなお、新シリーズがつくられ続けているガンダム・シリーズの第一作『機動戦士ガンダム』は、否応もなく巻き込まれてしまった戦争のなかで、少年少女たちが成長してゆく様が描かれる物語と言えます。しかし同時に、組織の腐敗や機能不全、そこから生まれる不正、対立、そしてそれらの増進が戦争へ至ってしまう、そのような社会しかつくり得ない旧世代に対する、そうではない別の可能性を秘めた新世代(ニュータイプ)の存在を示唆する物語でもあります。

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虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 1月 18日, 2017 古谷利裕

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第14回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(4)

物語は、世界のなかに何かしらの出来事が生じ、それに対して登場人物たちがどのように反応するのかという形で進むことが多いでしょう。この時、登場人物による世界への働きかけ方、能動性のあり様によって物語の進展の様々な形があるのですが、それはたんに登場人物の特質や能力によって決まるのではなく、その物語世界がどのような構造になっているのかに多くを依存します。世界の仕組みがこのようになっているからこそ、このような働きかけが有効(あるいは無効)になる、というふうに。世界観は登場人物のあり様以上に物語の性質に影響を与えます。

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