虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第15回 「社会を変える」というフィクション/『逆襲のシャア』『ガンダムUC(ユニコーン)』『ガッチャマンクラウズ』(1)

四十年近くの時を経た現在もなお、新シリーズがつくられ続けているガンダム・シリーズの第一作『機動戦士ガンダム』は、否応もなく巻き込まれてしまった戦争のなかで、少年少女たちが成長してゆく様が描かれる物語と言えます。しかし同時に、組織の腐敗や機能不全、そこから生まれる不正、対立、そしてそれらの増進が戦争へ至ってしまう、そのような社会しかつくり得ない旧世代に対する、そうではない別の可能性を秘めた新世代(ニュータイプ)の存在を示唆する物語でもあります。

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第14回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(4)

物語は、世界のなかに何かしらの出来事が生じ、それに対して登場人物たちがどのように反応するのかという形で進むことが多いでしょう。この時、登場人物による世界への働きかけ方、能動性のあり様によって物語の進展の様々な形があるのですが、それはたんに登場人物の特質や能力によって決まるのではなく、その物語世界がどのような構造になっているのかに多くを依存します。世界の仕組みがこのようになっているからこそ、このような働きかけが有効(あるいは無効)になる、というふうに。世界観は登場人物のあり様以上に物語の性質に影響を与えます。

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第13回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(3)

『ゼーガペイン』は、主人公のキョウにとって、世界の底が何度も抜けるという物語です。何かを決断し、それに基づいて行動するという能動性を発揮するための基盤となる、あるいは、日々の暮らしを成立させ、そこで生起する感覚や感情や愛情に実質を与えるための基盤となるはずの、世界の枠組みそのものが、何度も崩れてしまうのです。その度に、世界観が崩壊し、実が虚になり、世界への信が失われます。何が現実で何がそうでないのか、何が本当で何か嘘なのかは、キョウの選択によってではなく、世界の枠組みの崩れにより虚実の軸が移動することで決定します。そしてそれは、一度だけではなく、何度も起こるのです。

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第12回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(2)

つまり、『涼宮ハルヒの消失』という物語は、長門有希の決断やキョンの決断をめぐる物語というより、二つのあり得る世界が「現実」という唯一の座を奪い合っている物語と言えそうです(二つの世界の勝敗を判定するのは、偶然なのでしょうか、ハルヒなのでしょうか)。その時に登場人物たちは、「いま・ここ・わたし」として、出来事についての情報を単線的な順路に沿って知って行く、一つの視点にすぎないものになるでしょう。

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第11回 量子論的な多宇宙感覚/『涼宮ハルヒの消失』『ゼーガペイン』『シュタインズゲート』(1)

ここで問題として取り上げたいのは、ハードサイエンスとしての物理学そのものではなく、物理学の発展によって、私たちの世界観がどのように影響され、揺るがされているのかということについてです。リアリティの基底としての世界観とは、私たちが「何を現実として信じ得るのか(何をリアルと感じるのか)」を下支えしているフィクション(信念)の枠組みだ、と言えるでしょう。つまり私たちは、「現実」を信じるために、出来事に現実感を与える何かしらのフィクションを必要としているということです。しかしそれはあくまでフィクションとしての枠組みなので、より強く現実的なものの出現(ここでは、数学やブラックホールが観測されたこと)によって否定され、書き換えざるを得なくなることがあるのです。

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第10回 日常としての異世界・中二病 『AURA  魔竜院光牙最後の闘い』と『中二病でも恋がしたい!』(2)

「中二病」と言われる登場人物たちは三つの特徴をもっていました。一つは、オカルトやファンタジーなどで造形されるような「向こう側」の世界への強い親和性をもち、その世界と現実世界とを見立てによって重ね合わせています。もう一つは、現実と重ね合された架空の見立て世界の設定のなかで、自分自身に特別な存在であるような位置(役割)を与えていています。そして最後に、その架空の世界で特別な役割を与えられた自分の方を、リアルな自分の存在と感じています。彼らは、この現実世界のなかにいると知りつつ、見立てられた虚構世界の自分を演じ、演じている自分の方に棲んでいると言えます。

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第9回 日常としての異世界・中二病 『AURA  魔竜院光牙最後の闘い』と『中二病でも恋がしたい!』(1)

今回は、SFや科学、技術から少し離れて、フィクションのなかでフィクションが特殊な役割を演じている作品について考えたいと思います。アニメのなかで扱われる「中二病」についてです。中二病の物語は、フィクションの価値が低下する環境において、その貧しさのなかで必死に機能しようとするフィクションの姿を伝えているように思います。

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第8回 相対性理論的な感情 『ほしのこえ』と『トップをねらえ!』

かつて、相対性理論は宇宙空間のような広大なスケールを考える時にのみ意味をもつと言われましたが、現在では地表の微妙な標高差を測るというスケールでも使用できそうなところまできています。それはつまり、我々が生きている現実のスケールで、相対性理論が効いているということです。それは、我々が生きているフィクションのなかでも効いてくるということだと考えられます。

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第7回 仮想現実とフィクション 『ソードアート・オンライン』『電脳コイル』『ロボティクス・ノーツ』(2)

『電脳コイル』では、現実空間の一部に仮想のデータがプラスされるような拡張現実ではなく、現実空間とそっくり同じ仮想空間が現実と重ね合されています。虚と実という二重の層が、ぴったり重なることで一体化しているのです。そして、重なっているはずのものにズレが生じることで起こるエラーが、この物語に魅惑や深さを与えています。

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第6回 仮想現実とフィクション 『ソードアート・オンライン』『電脳コイル』『ロボティクス・ノーツ』(1)

ヴァーチャル・リアリティ(Virtual Reality)は、通常では仮想現実と訳されますが、それは本来、「実在はしていないが、効果や機能として実在していると同等とみなせるもの」を意味します。ヴァーチャル・リアリティという言葉が初めて公的な場で使われたのは1989年のテクスポ(Texpo)`89でのことでした。

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