虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第3回 ネットもスマホもなかった世界から遠く離れて

About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
Published On: 2016/6/1By

 
 

エンドレスエイト

「エンドレスエイト」は、8月の終わりの2週間が何度も反復される物語です。終わらない文化祭の前日と同様、終わらない夏休みの世界で登場人物たちはひたすら遊びつづけます。終わらない祝祭的で宙づりにされた遊技の時間。ここには明らかな「ビューティフルドリーマー」からの(意識的な)濃い反響が認められます。しかし「エンドレスエイト」の世界はすでにネットが存在する世界です。登場人物たちは、スマホではありませんがガラケーを持って互いに連絡し合います。だからここでは「ビューティフルドリーマー」のように、学校だけ、町内だけという限定は成立しません。この作品では、宇宙全体が同じ2週間を反復するという設定になります。時間の流れから切り離されたこの宇宙には過去も未来もなく、ただこの2週間だけが存在するのです。

「エンドレスエイト」は、高校の同好会のメンバー5人が、プールに行ったり、盆踊りに行ったり、バイトを経験したりするという、きわめて他愛のない、しかもとても限定された出来事を描いているだけです。しかし、それを反復させるためには、宇宙全体を改変してしまう必要があるのです。もちろんここには、ささやかな出来事と釣り合わないほどの壮大な設定という、ギャップの面白さが仕掛けられているのですが、インターネットによって、あらゆる場所が緊密につながっていて、そのどこか1カ所だけを恣意的に切り離すことはできないという感覚がこの発想に影響していることは否定できないでしょう。ネットのある世界では、完全に閉ざされた密室のなかからでも、世界が存在し、動いていることを確認できます。そこだけを他から切り離すことはできないのです。

「ビューティフルドリーマー」で反復する文化祭前日は、一つの夢としてとらえられます。夢とは現実から切り離されて宙に浮いたものです。そこで、幸福な夢から覚醒して現実へ帰らなければならないという認識が生まれます。ここには夢と現実、虚構と現実という対立構造がみられます。しかし「エンドレスエイト」の夏休みの反復は宇宙全体を巻き込んでいるので現実の出来事です。反復するのも現実なら、反復から脱出するのも現実です。登場人物たちは夢をみているのではなく現実の反復を生きているので、そこからの脱出に必要なのはたんなる覚醒ではなく、反復の原因の究明とその取り除きとなります。「現実に戻れ」という主張ではなく、脱出のための具体的方法が必要です。
 

15532回繰り返す

ささやかさと壮大さとのギャップは、反復回数にも現れます。「エンドレスエイト」は、8月17日から31日までの2週間が15532回も繰り返されるという設定です。31日が終わると、人々の記憶を含めた宇宙のすべてがリセットされて17日に戻ります。登場人物たちは2週間の途中で反復の事実に気づき脱出の方法を模索しますが、有効な手だてのないまま31日を迎え、またはじめからやり直し、15532回目にようやくその方法を見つけ出すのです。夢と現実という二元論ではなく、反復発覚前の夢のような楽しい毎日が、反復の発覚によってそれがそのまま途方もない無限地獄に移行するのです。

「ビューティフルドリーマー」の反復世界は夢邪気という怪異の妖術によって成り立っているので、そもそも条理の世界ではありません。つまり世界そのものをいくら詳細に読み込んでもそこに答えはなく、合理性によってでは解決法は得られません。霊能者の能力に頼るしかないのです。しかし「エンドレスエイト」の世界は設定としては条理のうちにあることになっています。舞台はあくまで現実です。だからこそ、世界のなかに潜在しているはずの答えを探さなければならないのです。

31日が終わると登場人物たちはそれまでの経験や試行錯誤の蓄積である記憶の一切を失い、はじめからやり直さなければいけません。この世界が反復しているという事実を発見するところから、何度もやり直す必要があります。反復を繰り返すうちに、登場人物たちは強いデジャブに見舞われるようになります。このデジャブは消えてしまった経験や試行錯誤の残滓であり、デジャブの強さは反復という現実に切迫性を与えるでしょう。

繰り返される脱出の試みは15532回目に成功し、ようやく9月1日がやって来ます。過去から未来へつづく時間がループせず1本の流れとなります。この時に、15532回目の8月17日から31日のみが「現実」となるのです。この1回のみが、過去から未来へとつながる正統な現実であり、それ以前の15531回の出来事は宇宙の歴史の外に、現実の外に消えてしまうことになります。無数の経験、無数の試行錯誤、無数の可能性のうち、成功したたった一つだけが現実と認定され、それ以外はなかったことになるのです。

これは、幸福な夢の時間の持続があり、夢と現実との単純な対立があり、現実へ帰れというメッセージがある「ビューティフルドリーマー」とは、かなり違った事態だと考えられます。虚構と現実という異なる世界が予め分離されているのではなく、成功した試みのみが、事後的に現実という位置を得るということになります。この時に虚構(夢)とは、15532回目を可能にした、潜在性へと消えてしまった15531回の試みのことだといえるでしょう。夢(虚構)は、怪異によるたんなるまやかしではなくなります。

About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
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