虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第18回 フィクションのなかの現実/『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』(2)

4月 12日, 2017 古谷利裕

 
 

「ここになったそこ」と「そこになったここ」

すずの方向音痴は、一方で彼女が常に夢うつつな人であることに起因しますが、他方では、見知らぬ土地にいきなり嫁いできたという理由にもよるでしょう。すずは、馴染んだ土地、馴染んだ家族から切り離され、見知らぬ土地、見知らぬ夫、見知らぬ家族のなかで暮らすのです。そんなすずが、闇市からの帰りに遊郭に迷い込むのですが、遊郭の遊女たちもまた、他所の土地から売られてきた上に、遊郭から外に出られないので、土地のことを知らず、すずに道案内をすることができないのです(リンは、遊郭の女将に聞いて、すずを案内します)。すずと遊女たちは、馴染みのない土地(そこ)を「ここ」として生きることを強いられている点でとてもよく似ています。ここには、すずとは別の事情による「別の方向音痴」があるのです。また、周作の姉である径子の娘、晴美も、生まれ育った土地を建物疎開によって奪われ、父とは死に別れ、父方の家の跡取りである兄とも別れさせられて、母とともに母の実家であるすずたちの家に身を寄せています。「そこ」を「ここ」とせざるを得ないという点で、すずと似通っていると言えるでしょう。すずとリンと晴美は、「ここになったそこ」での生活を強いられるという点で一致しているのです。

「ここになったそこ」である呉で生活するすずにとって、故郷の広島は「そこになったここ」であると言えるでしょう。たとえば、夫である周作にとって呉は、「ここであるここ(=たんなる「ここ」)」でありつづけ、広島は「そこであるそこ(=たんなる「そこ」)」でありつづけるでしょう。その意味で、二人は同じ空間を別様に感じているはずです。「ここになったそこ」は幾分かは「そこ」でありつつづけ、「そこになったここ」も幾分かは「ここ」でありつづけるでしょう。しかしそのことによって、「ここ」と「そこ」とが交叉するのです。すずか、夢うつつで空想好きであることによってフィクションと現実が交叉するのと同様に、すずが、馴染みのない土地に連れてこられたことによって、「ここになったそこ」である呉と「そこになったここ」である広島とが交叉的に関係するのです。つまり、すずという主人公をもつことによって、この物語は、フィクションと現実が交叉し、こことそことが交叉するという構造をもつことができるのです。

最初の里帰りから帰る時、すずは父からもらったお小遣いでスケッチブックを買い、広島の風景をスケッチします。そしてその同じスケッチブックに、呉の長ノ木から見える軍港の風景も描かれます。スケッチブックのなかの描かれた風景として、「ここになったそこ」と「そこになったここ」が出会い、重なり合います。夫となった周作との出会いが、語られ、描かれたものであったことと同様に、広島と呉とが描かれることで出会うのです。つまり、語ることや描くことが、向こう側(フィクションやそこ)とこちら側(現実やここ)に通路をつくるのです。

また、この物語では、物語で描かれている世界とは「別の」物事のあり様があるということが随所で強く匂わされます。たとえば、配給される物資が日々貧しくなってゆく一方で、闇市に行けば物があふれて別世界のように見えます。これは、戦時下という国家による統制がとても強い時期でさえ「別の経済」があり、それが黙認されているということを示します。あるいは、生命の危機である突然の空襲に襲われている最中に、エンジニアである義父は、日本軍の飛行機のエンジン性能の向上を目の当たりにして、しみじみと感慨にふけっているようにみえます。ここには、同じ家に住む義父が、戦時下の日常を描くこの物語の他の主要な登場人物たちとは「別の視点」から、この戦争をみていることが示されているでしょう。また、敗戦後に食べることのできたアメリカ兵の残飯スープの存在は、なけなしの貧しい食材をいろいろと工夫してしのいでいた、この物語で描かれる戦中の食生活とは「別の食生活」が、アメリカの側にはあったということを示します。

さらに、「別の」という表現には、現実にはそうではないが、そうであったかもしれないという「別の可能性」という意味もあります。たとえば、すずの幼なじみである水原の存在は、すずが周作と結婚していなかった――水原と結ばれていた――という、「別の現実」の可能性を強く匂わせます。

これらは、すずという存在が可能にする、フィクションと現実の交叉、「そこ」と「ここ」の交叉とは少し異なりますが、今、ここにある現実や、見えている「この世界」がすべてではなく、描かれている「この世界」の外にも、様々な別の世界が折り重なってあるという感覚を強く惹起するという意味では、同様の意味をもつと言えます。それは、「ここ」に存在しながらも同時にいくつもの「そこ」が意識される、あるいは、「ここ」は常に多数の「そこ」たちのなかにあり、「そこ」たちとともにある、という感覚だと言えるでしょう。

(たとえば、すずにとってのすずは、「ここであるわたし」だと言えますが、すずにとってのリンや晴美は、「ここになったそこ」を共有する「そこであるわたし」と言えるのではないでしょうか。要するに、すずにとってリンや晴美は、「幾分かはわたしである別人」であり、ほんの少しだけ位置のズレた「そこの(別の)わたし」とでも言えるような存在ではないでしょうか。)
 

「そこ」が奪われていく

多数の「そこ」とともにある「ここ」、多くの「そこ」たちと排他的ではなく食い合うように交叉している「ここ」であるような、この物語の豊かな世界はしかし、戦争というあまりに強い現実(強い唯一性を主張する「ここ」)によって、次第に痩せ細っていくことになります。その最初の兆候は、すずがスケッチブックを憲兵に没収される場面に現れています。

高台にある畑から見える軍港をスケッチしていたすずは、憲兵にそれを間諜行為だと疑われ、家族とともに散々説教された上で、スケッチブックを取り上げられてしまいます。このエピソード自体は、北條家の人々にとって、すずのようなぼんやりした人間を間諜と間違えるなど、どれだけマヌケな憲兵なのかという笑い話でしかありません。このエピソードは北條家のすず以外のすべての人を爆笑させます(みんなが楽しそうに笑っているので、わけの分かっていない晴美まで笑います)。しかし、ただすず一人だけは笑えません。すずがここでどうしても笑えないのは、取り上げられたスケッチブックには、呉の風景だけでなく、「さようなら広島」という思いで描かれた広島のスケッチも含まれていたからではないでしょうか。「ここになったそこ」と「そこになったここ」とを描くことで交叉させたスケッチブックが奪われたということは、フィクションの次元として、現実の呉と食いあうように交叉して「ここ」にあった広島が奪われた、ということを意味するでしょう(この後広島は、原爆によって「現実」としても奪われてしまうのですが、このエピソードはその兆候のようにも感じられます)。

すずの幼なじみで、海軍で重巡洋艦「青葉」に乗る水原は、周作と結婚していなかったかもしれない、すずの別の可能性を感じさせる存在です。すずへの求婚者が家に来ていると連絡を受けて祖母の家から急いで帰宅する途上で、すずは宿舎から帰省した水原とばったり会い、水原が求婚者だと勘違いします。これはすずの(本人が気づいていない)願望でもあり、「波のうさぎ」の場面をみれば二人が互いに意識し合っていることは明らかでしょう。昔の知り合いに会ったら、周作とのこの結婚生活が夢だったということになってしまいそうだという不安を周作に語る前述した場面で言われている「昔の知り合い」は、明らかに水原です。すずは、水原への思いを自覚していないが故に、結婚後もその気持ちは持続していると考えられます。つまり、周作との結婚と水原への好意は、すずのなかでは排他的ではなく、可能性として(フィクションと現実とがそうであるように)両立しています。
その水原が、青葉の入湯上陸(ゆっくり風呂につかるという名目で外泊が許可される)で北條家にやってきます。周作はここで、すずの同郷の友人との親密な振る舞いをみて、見知らぬ土地へ連れてきてしまった罪悪感と、さらに、命を張って戦っている水原(すずと会うのも最後かもしれない)に対して、自分は海軍の下っ端で兵士ですらないことの罪悪感もあって、すずを一晩だけ「譲る」セッティングをします。そして、その時にすずははじめて、自分はこれこそを望んでいたのだということを自覚し、しかし同時に、それが決定的に手遅れであることも自覚するのです。つまり、ここで水原を拒否することによってはじめて、すずにとって周作との結婚生活が「現実」として確定されたのです。夢と現実の反転可能性はここで消えます。

スケッチブックの没収とは違って、これは必ずしもネガティブな出来事ではありません。二人はここでようやく夫婦になれたのであり、この場面の直後に二人ははじめて本格的な喧嘩をします。ただ、ここでまた一つ、「ここ」と交叉的に絡み合った「そこ」が消えたことは確かです。世界の豊かさが一つ消える度に、現実が確定的になっていきます。

そして、昭和20年3月19日の空襲以降、すずたちの世界は多くの「そこ」を失っていくことになります。最も大きな出来事が6月に起こります。次第に空襲が頻繁になるなか、径子は娘の晴美を夫の実家のある下関に疎開させることを決意します。しかし汽車の切符売り場は長蛇の列で、径子は自分が列に並んでいるから、その間に晴美を連れて海軍病院へ行ってくれとすずに頼みます。海軍病院には義父が入院しています。見舞いの後、二人は大規模な空襲にあい、病院から坂を上がった宮原地区の防空壕に避難します。空襲は無事にやり過ごせたのですが、その後、不発弾を装った時限爆弾の爆発によって、晴美と、すずの右腕が失われてしまいます。

(この場面に至るまで、義父が二度死んだと疑われ、しかし二度とも間違いでした。義父は二度生き返るのです。このようなひっかけがあった後、最も若い晴美があっさりと死んでしまうのです。)

すずにとっても晴美にとっても、北條の家は「ここになったそこ」です(二人以外の家族にとって家は「ここであるここ」です)。互いに似た境遇であることを察しているからこそ、すずと晴美はすぐに打ち解けることができました。二人は、北條の家における姉妹のような存在であり、いつも笑いあっていたという印象があります。すずにとって「そこの(別の)わたし」とも言える晴美が失われてしまうのです。

ここで重要なのは、時限爆弾で晴美が死んだのは偶然であったということです。晴美が右側にいてすずが左側にいたので、晴美が死んだ。もし逆に並んでいたら、すずが死んで晴美が助かったかもしれない。つまりここには「ここ」と「そこ」の交換可能性があります。しかし現実は排他的であり、「そこ」は直ちに奪われて、晴美だけが死ぬのです。そして、すずではなく晴美が死ぬという排他的決定に根拠はありませんし、選択肢もありません。戦争という強力な現実は、「そこ」と「ここ」の、フィクションと現実の、交叉的な絡み合いを引きちぎり、唯一の現実だけを有無を言わせず強引に押しつけてくるのです。この時、描くことを通じて虚実の交叉的な絡み合いを紡ぎ出す力をもつすずの右腕は無意味なものとなり、だからこそ戦争=唯一の現実は彼女の右腕を吹き飛ばすのです。

つづく空襲で、すずはもう一人の「そこの(別の)わたし」であるリンも失い、原爆によって「そこになったここ」である広島も失います。すずは、広島へ帰ることを決意していたのですが、それを先延ばしにしたことで生き残ります。彼女はまたも偶然に生き残るのですが、生き残る度に、大切な「そこ」たちを失っていくのです。それによりすずは、唯一の「現実(ここ)」としての戦争を肯定せざるを得なくなります。物語の終盤ですずは、「これもわたしらの戦いですから」と言ったり、敗戦に際して「最後の一人まで戦う」ということを言ったりします。多くの「そこ」たちを奪われ、すずはいつの間にか戦争という現実と同一化してしまったかのようです。

(しかしここで辛うじて、すずには妹のすみが残されています。絶望的な状況でも、すずとすみが二人でいる場面はとても明るいです。それは姉妹であることによって、すみがすずにとって最後に残された「ここ(わたし)」と交叉的に絡みあう「そこ(そこのわたし)」だからではないでしょうか。原爆の後、すみと会ったすずは、右腕を失くしてもなお妹に向かってならば「鬼イチャン」の物語を語ることができるのです。この二人の間でだけフィクションは機能しています。しかし、そのすみも被ばくして病気になっています。)
 

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