ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈7皿め〉

12月 07日, 2018 仲野麻紀

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈7皿め〉移動の先にある人々の生
――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――

 
 

 

ギリシャ人の父、フランス人の母を持つピアニスト、ステファン・ツァピス Stéphane Tsapis と共に演奏を始めてかれこれ16年ほど経つ。音楽の在る場での出会いが今まで続いているのは彼の出自を色眼鏡でみて興味をもったからではなく、単に彼の演奏に魅了されたから。
 
しかし最近、その魅力の理由を“Mataroa”という彼のアルバムの中から見出せるようになった。それは、ジャズという得体のしれない魅力的な音楽を、この名称に閉じ込めて聴いていたわたし自身が、演奏者それぞれの人生や彼らが奏でる音そのものがどこから生まれるのか、という興味を持ちはじめたからかもしれない。
 

 
ギリシャ内戦は1946年から始まり、イギリスやアメリカの支援を受けた中道右派政府、右派民兵と、ナチス・ドイツ占領下のレジスタンス組織であり、共産党の指導下にあったギリシャ人民解放軍との戦いであると言われる。しかしその発端を辿れば、イギリス、ロシア、はたまた黒海、エーゲ、地中海沿岸のあの独特な地勢が経験してきた歴史から紐解くことができる。

オスマン帝国の解体、パルチザン、ギリシャ・トルコの住民交換、イギリスによる統治……。
 
ステファンの祖父は内戦から逃れるため、1945年にマタロア号という船に乗り、ローマ、ボローニャ、バーゼルを経由し、パリにたどり着いた。実のところ、船に乗れたのは国民教育省から選ばれた若い知識人、芸術家が多かったという。
この船はギリシャからの難民をフランスへ運ぶ前、同年8月にはギリシャにいるユダヤ人孤児をパレスチナに運んでいる。
 
そこでみえてくるギリシャとドイツの関係。船は誰かの運命をどこかに連れていく。
 

 
この船に乗っていた作家アンドレ・ケドロス André Kedros(本名はAndré Massepain)が自身の体験を題材にして書いた小説からインスピレーションを受け、ステファンは祖父もまた体験したこの物語を、音楽物語に仕立てた。“Mataroa”という名の全編オリジナル楽曲によるアルバムだ。

音楽と共に録音されたのは、ギリシャ語なまりのフランス語で話す声。それは彼の父上で、ナレーションとしてこの音楽物語の旅先案内人を担っている。
 
揺曳する船の煙。亡命する人々の移動中の詳細な描写。女性の振る舞い、人々の表情、空腹、チーズにパン。ユーモアと切なさ。ピアノ、サックスの奏でる旋律が、それらの空気をわたしたちに伝えてくれる。
 

 
この原稿を書いている今も彼のアルバムを聴いているのだが、ピアノソロから始まるプロローグ、そして「1945年12月にコンコルド広場に着いた」という語りと音楽が鳴る瞬間、震える。
 
語りに合わせた、完璧なまでの楽曲、そして構成。例えば「Mais しかし…」という言葉が、楽曲を盛り上げるドラムのスティックが休符を示す時、ちゃんと音として鳴っている。この場合、休符=無音は「しかし」という音になる。
 
後半はギリシャ人女性による完璧なフランス語の発音へと語り手がかわる。
ケドロスの文章によって喚起されたギリシャへの哀愁は旋律となり、近くて遠い祖国への郷愁は物語の終盤、「Πριν Το Χάραᾥμα / Prin To Harama」というギリシャの民にとってだれでも知っているあの歌によってエピローグを迎える。この歌の、ステファンの編曲のセンスには唸るしかない。
 

 
ところで、ステファンは“Charlie and Edna”というアルバムも作っている。彼のアイドル、チャップリンへ捧げた楽曲を中心にしたこの作品は傑作だ。
 
何年か前、「移動―移民」をテーマにしたチャップリンの無声映画『移民』にオーケストレーションをつけ、映画上映にあわせてステファンが教鞭をとる音楽院の生徒たちが演奏する会があった。
 
私自身はオーケストラとの演奏は初めてで、それはそれは緊張したことを覚えている。
演奏会場となったのは立派なコンサートホールではなく、Maison de métallo (金属の館)という元金属加工職人の組合の建物。その目の前には、ミナレットはないが、この地域で一番大きなモスクがある。
 
メトロを降りれば移民街の空気を必然的に浴び、演奏会場に着く。
高級ブティック、エリゼ宮殿(フランス大統領官邸)もあるパリ8区に通うコンセルバトワール(音楽院)の生徒たちは、きっとこの界隈に足を踏み入れたことはないだろう。彼らは移民街での演奏、あの『移民』という名の映画に音楽をつけるという経験をどのように捉えただろうか。
 

 
ステファンと演奏をした様々な場所の中でも特に印象に残っているのは、コルネリウス・カストリアディス(ギリシャ出身の哲学者、経済学者、精神分析学者)の家でのホームコンサートだ。
 
ここぞとばかり、パリにいるギリシャ人ネットワーク大集合。それぞれに料理を持ってくる人多々。ぶどうの葉で米や肉を巻いて煮込む料理ドルマには、乳製品にレモンをまぜた、ぽったりとしたソースをかける。並ぶのはズッキーニの花にご飯を詰めたファルシ。数々あるメゼ(前菜に食べる小皿に盛られる料理)の中でも、ステファンのお得意料理のひとつがこのタラマ。
 
メゼという食文化がトルコ、シリア、レバノンなどでみられるように、タラマという料理も上述した国々の料理世界に同様に存在する。
 

 
年末年始、何かと人と食べる機会が増える時期。この冷製の前菜を作るのはどうだろうか。
ナナ・ムスクーリnana ˈmusxuri、アフロディテス・チャイルドAphrodite’s Childを聞きながらでもいいが、ここはやはりステファンのピアノを聞きながら作りたい。
 

◆材料 4人分
鱈の子(生または燻製、明太子でも可) 150g / 食パンの白い部分 200g / レモン汁 2個分 / ブドウオイル 適量(オリーブオイルでも可) / 牛乳あるいは水 200cc / 塩胡椒 少々

 
【1】生の鱈子の皮をはぐ。牛乳または水につけ、ふやかしておいたパンを軽く絞って水気を取り、鱈子と一緒にミキサーにかける。
日本では明太子を使うことができるだろう。


【2】【1】をボールに取り出し、レモン汁を加え、マヨネーズをつくる要領で油を足してゆく。
オリーブオイルを使う場合は濃厚な味になるので、半分はサラダ油にする。
もったりし始めたら油を入れるのをやめる。

【3】塩胡椒を少々足しできあがり。冷蔵庫で冷やしてから、ブリニやバゲットにつけて食す。


鱈は古代ギリシャ語では「ロバウオ=驢馬魚」というそうだ。アテナイオスによる『食卓の賢人たち』は、ギリシャの民がどれだけ魚好きなのかを語っている。調理法から魚介類それぞれの話、はたまた魚と健康なんて項目さえあるのだから、日本人の魚好きと比べると愉快な限り。
 
ある時訪れたギリシャにあるティノス島という島ではおおいに潜り、その時は雲丹を発見。ホクホク顔で沖にあがると、近くにいる男二人は雲丹などに興味なさげであっという間に蛸2杯を捕らえ、それを手づかみのまま家路へと向かった。なんと簡潔な仕事だろう。野性味あふれる彼らの後ろ姿にあっけにとられた。彼らはどうみても観光客ではない。
 
南米インディアンたちが狩猟で獲物を捕るがごとく、これはまさしく経済の元々のあり方、オイコノミア(=家を維持していくための活動)ではないか。
きっと捕らえた蛸は奥さんたちが調理するのだから、今日の仕事が終わればあとは食べるだけ、ということか。
 

 
冒頭お話したマタロアという船には、なんとカストリアディス自身も乗っていたという。
ステファンの祖父とカストリアディスはきっと船上で出会っていたのだろう。
 
ある時、京都のアンスティチュフランセ(フランス大使館管轄の語学・文化活動をするフランス政府の公式機関)で演奏をした。一緒に演奏したのはステファンとやはりギリシャ人であるシベル・カストリアディスという歌手。舞台の上でシベルはこういった。
 
「あの内戦勃発の中、アンスティチュフランセの尽力によってわたしの父はフランスにたどり着くことができました。わたしの生が今ここにあり、また今この会場で歌っているのは何かのめぐり合わせでしょう。この場でお礼を申し上げます」と。
 

 
パリでのホームコンサートの帰り際、哲学者のほうのカストリアディスの家は、先ごろ亡くなった映画監督ベルトリッチの代表作である『ラストタンゴ・イン・パリ』の舞台となった建物であると知った。
 
パリとは、生活の中に映画があり、その中に流れる音楽があり、文学が、食があり、政治、そして“Étranger”(外国人)が……生活の中にある街なのだ。
パリを目指す者たち。たどり着く者たち。
 
演奏を終え、高架の橋を渡る6番線のメトロから見えるのは、セーヌ河。流れがたどり着く場所とはどこだろう。移動の先にある生。そこに行き着くには様々な理由がある。移動しなければならないということもその一つだ。
 
そして、船には乗れなかった人々の生も、あるということだ。


 
 
《バックナンバー》
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〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
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〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
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仲野麻紀

About The Author

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。