ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた――人生の欠片、音と食のレシピ〈11皿め〉

8月 01日, 2019 仲野麻紀

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈11皿め〉風を探す人々
――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――

 
 

 
羽田空港。搭乗直前のゲートでテレビに映るサックス奏者を見た。彼は電車の中で演奏をしている。ご本人が電車という乗り物の愛好家ということで、コンサートホールではなく、念願叶って電車車両内での演奏とのことだ。微笑ましいではないか。
 
同時に頭をよぎったのは、Georges Luneau ジョルジュ・ルノーというドキュメンタリー映画監督の作品「Le chant des fous 気狂いたちの歌」のBaul バウルと呼ばれる吟遊詩人たちの姿。
 
今日生きる糧を得るために電車の中で演奏をする者と、そうでない者。
 

「気狂いたちの歌」2分あたりからパバンが登場する

 
バウルとは何者?
多くの方がその問いの返答に窮するように、説明することは非常に難しい。
神秘主義者であり、行者であり、求道者。楽士であり、狂人であり…
一弦琴のエクターラektara、ドゥブキDubkiと呼ばれる太鼓を従え、歌を歌う彼らの奏でる音楽を前に、一括りできぬ彼らの存在をどう説明しようか。
 
2005年にユネスコ無償登録された際の文章を引用しよう。
「バウルは、バングラデシュとインド、西ベンガルの農村部に暮らす神秘的な吟遊詩人たちです。(略)バウルの詩、音楽、歌、そして舞踊は、神と人間との関係を見出すことに、そして精神的な解放を獲得することに捧げられています(後略)」
http://www.accu.or.jp/masterpiece/04apa_jp.htm
 
あるいは、文化人類学者の村瀬智氏はバウルの語源をこう説明している。
「ベンガル語の「バウル」という語は、もともと「狂気」という意味である。そしてその語源は、サンスクリット語の“vâtula”(「風の熱気にあてられた」、「気が狂った」)、あるいは“vyâkula”(「無我夢中で」、「混乱した」)に由来するようである。」(村瀬智 「「もうひとつのライフスタイル」―ベンガル社会と宗教的芸能集団―」立命館大学人文科学研究所紀要81号)
 
カースト制度の外にある彼らの存在。国家や社会において彼らの存在は、わたしたちは「誰であるか?」という問いかけを呼び起こす。
 

 
ある日、わたしが演奏活動の軸に置いているKy[キィ]というユニットの相棒ヤンが「バウルの家に遊びに行こうよ、おいしいカレーが食べられるよ」と誘ってくれた。

バウルが何のことか全くの無知のまま、ただカレーという言葉に誘われいそいそと付いていった。その時点ですでにわたしの脳内ではカレーの香りが漂っていた。「楽器、忘れないでね」という電話のメッセージを危うく聞き落とすところだった。
 
そのバウルとは、Paban Das Baul、通称パバン。
わたしが彼の家に着いたころはすでに何人かのミュージシャンが音を出しており、ヤンはドタラという五弦楽器を取り出し演奏していた。
初めて聴く音楽を前にセッションに参加するのを躊躇していると。パバンからサックスを吹くように目配せがくる。彼もドタラを爪弾きながら、そして歌い始めた。なんという声だ。この声を前に、サックスに息を入れることに戸惑わないわけがない。
 
声、生まれ持った声、その響きにひたすら聴き入る。
サックスという楽器がこの声の伴奏になることはないと確信する。歌声の邪魔にしかならない。しかし、対話はできるかもしれない。パバンの声にサックスの声で応えようと試みるのだ。声の自我が、サックスの音に応えてくれる。その瞬間、音楽が生まれる。
 
一曲が終わる度に緊張の糸が切れ、いや実際のところは演奏しながらも台所から漂うカレーの香りが気になっていた。
 

 
プルーストではないが、香りが導く過去の記憶。人間の感覚とはなんと摩訶不思議なシステムによって機能しているのだろうか。その記憶とはカレーの要となるスパイスによって呼び覚まされた。
 
わたしの生まれ育った家庭は、アジア保健研修所という、アジア各地の村々で人びとの健康を守るために活動する現地の保健ワーカーを育成しているNGO団体に籍を置く研修員たちのホームステイ先となっていた。だからか外国の食べものはそんなにめずらしくはなく、その中でもカレーは日本のそれではなく、スパイスから作るものだった。
 
おたふく風邪の看病をしてくれたのは、バングラディッシュの医者、パトリックさんだった。彼のレシピで母が作った鶏肉と玉ねぎのカレー。
はたまた友人のお母さんが、パキスタン人のパートナーの家庭から受け継いだレシピでことあるごとに作ってくれた魚のカレーのうまかったこと。家中、いや家の外までその香りが放たれていた。
 
ベンガル地方の人々の作るカレーはどんなものだろう。
パバンの音楽に惹かれ、カレーに釣られ、それ以来時間があれば足繁く彼の家に通うこととなった。
 

 
あるフェスティバルの出演の際、関係者が食べるごはんをミュージシャンが作ることになり、メインミュージシャンであるパバンのレシピでカレーを作ることになった。
 
誰だかの家で出演者たちがせっせと生姜やにんにくをすりおろした。ざっと40人分くらいなので、ひたすらすったのだが、フランス人たちはその量に慄いていた。
スパイスなどは事前に演奏前日に出演者がごはん(まかない)を作ると知らされていたので、パリのインド街で入手し持参していた。予想外のスパイスの量、このスパイス各種の香りを立たせる方法というのその時学んだ。
 
それではバウルの音楽を聴きながら、うまいカレーを作ろうではないか。
 

パバン。ラジャスタン名手、Nagara(バチで叩くパーカッション)のナツジとCharkha(カルタール)のチュゲ・カーンとのスタジオ録音

 

パバン。2004年にReal World からリリースされた「Tani Tana」

 

◆材料2~3人分:
羊肉(骨つきが好ましい)300g
 
マリネ用スパイス:クローブ 3粒 / グリーンカルダモン 2粒 / ブラックカルダモン1個 / コリアンダーシード 10粒 / 黒胡椒 5粒 / すりおろしたにんにく 大さじ1 / ヨーグルト 1カップ / 塩 小さじ1
 
赤タマネギ 1個 / ジャガイモ 中3個 / ローリエ 1枚 / 乾燥唐辛子 1本 / シナモンスティック 1本 / ターメリックパウダー 大さじ1 / ガラムマサラ 大さじ1 / クミンパウダー 大さじ1 / コリアンダーパウダー 大さじ2 / クミンシード 小さじ1 / すりおろし生姜 大さじ1 / すりおろしにんにく 小さじ1 / 塩 大さじ1 / サラダ油(またはバター)大さじ3 / 水 カップ1

 
【1】 鍋かフライパンでクローブ、カルダモン各種、黒胡椒、コリアンダーシードを炒る。


【2】 炒ったスパイスとすったにんにく、塩を乳鉢でペースト状になるまで潰す。


【3】 羊肉を冷水で洗い水気を拭く。【2】のスパイスとヨーグルトを混ぜ、肉にもみこみ2~3時間冷蔵庫でマリネする。


【4】鍋に油を引き、ローリエ、乾燥唐辛子、シナモンスティック、クミンシードを炒め、香りがたってきたらスライスしたタマネギを入れる。


【5】木べらでかき混ぜながらじっくりと弱火~中火で茶色っぽくなるまで炒め、ターメリックパウダー、クミンパウダー、ガラムマサラ、コリアンダーパウダー、生姜を加え混ぜ炒める。


【6】 マリネした肉を加え炒める。


【7】 マリネ液の入ったボールに水カップ1を入れて手で拭いながら水と液を鍋に入れる。


【8】 30分ほど弱火で蓋をして煮込み、皮をむき四等分にしたジャガイモを入れる。途中、焦げないように水を加えて調整する。


【9】 引き続き30分ほど煮込む。油分が浮いてきたらできあがり。


 

 
今回も乳鉢が登場し、スパイスを炒ることで香りを立たせてから潰すという手法を用いました。
 
前出のヤンが、「カレーを作る女性たちは地面に鉢を置いて、長い時間ひたすらスパイスを潰していたなあ」と話してくれた。彼は17歳でバカロレア(大学入学資格試験)をパスしてすぐにバウルたちのいる村に旅立ったそうだ。
 
「水を汲みに行くのはいつも女性だったんだ。手伝おうとしても断られてね。今思うと井戸端会議という言葉があるように、女性たちは水を汲みに行く場所で友人や近所の人たちとの話す機会を大切な時間としていたのではないだろうか。そして彼女たちはそういった場でBetalと呼ばれる(日本ではビンロウと呼ばれるヤシ科の植物)実を噛みタバコのように噛んでいて、それは楽しそうだったよ」
 
何ヶ月かの修行中、なんと彼はバウルと名乗っていいと師匠に言われ、何百人の前でバウルデビューをしてしまったそうだ。
 

 
門付け、演奏後に自然と身銭をバウルに渡す村人たち。あるいは自発的に電車の中で小銭を渡す乗客。
 
奏でる者と聴く者との間にある関係は相互に一人称、そして複数。
演奏に対する対価を目の前で受け取ることが当たり前のこととしてある世界は今、少なくなっている。
音楽は音楽を聴くためにあらかじめ用意した場所で行われ、聴くための値段は決められている。
手を差し出す者にお金を渡す風景はどこにいってしまったのだろう。
 

 
パバンは9歳から父の手ほどきのもとバウルとして音楽を生業としてきた。彼が生まれもった驚愕するほどのあの声は、80年代、パリのthéâtre du Soleil 太陽劇場で披露される機会を得、フランスに旅立つ。
 
天性の声は海を渡り、パバンはその地で出会う人々との演奏によって新たな音世界の発見、融合を試み、90年代にはPeter Gabriel ピーター・ガブリエル(Genesis ジェネシスの初代ボーカリスト)率いるReal WorldレーベルからCDという形で、バウルの音楽世界の在り方をわたしたちに提示してくれた。
その後も、彼はフランスとインドを行き来し、演奏活動を行っている。
 

 
バウル、彼らは歴史を語り歌うのでなく、人間が決めた時間という概念とは別の、今あるこの空間の真実を語る。
月を、川を、花びらを、身体を……、五大(地、水、火、風、空の五つの要素)を語る。
彼らを美化したいのではない。社会や国家が、彼らの存在、周縁にある存在を肯定していることに慄くのだ。
 
周縁。Michel de Certeau ミシェル・ド・セルトーは言う。
「すべての社会の定義は、その社会が排除するものによって明らかにされる。社会は、差異を作り出すことによって為り立っている」
 
彼らの生きる姿は一人称である誰かに問う。あるいは彼らと違って自分の存在が当たり前であることを提示する。バウルの生きる姿は、先進国という国々にありうるだろうか。
 

 
パリのメトロでは、駅構内で演奏する人々は地下鉄公団が主催するオーディションを受けなければならない。それにパスした方々がバッジをもらい、演奏をする。車両内で演奏する人々はそのオーディションを受けていない。
 
なぜか。国家に所属しないロマたちだからだ。オーディションの際に必要な身分証明書を彼らはもっていない。しかし、彼らが誰かに、地下鉄公団に、不法演奏という理由で検挙されるところを見たことがない。
市民の寛容さとはある空間にMarge – 余白をつくることなのだ。
 
カラオケ版ベサムムーチョを歌う人や、超絶技巧でアコーデオンを奏でる者。明らかに音程が狂ったクラリネットで有名曲のメドレー。車内では時に辟易し、時にメロディーに心奪われ、彼らが演奏後乞う紙コップにお金を入れる時もあれば入れない時もある。
 
身分証明書を持つことで同一性を国家に委ねる存在、持たないため委ねられない存在は、ただ在るという事実の前では区別されないはずだ。それは、市民、国民、生きる者がすべて相互にもつ人権という言葉で表せるかもしれない。
 

 
バウルを定義するとき最初にお話ししたように彼らを一言で称して伝えることは難しい。
ある人はいう。「バウルとは風を探す人、という意味でもあるのです」
風はどこからくるのか、そしてどこへ消えてゆくのか。
 
バウルを囲む幾人かの人々、あるいはその近くにある木々や雲のために、そして何十万人の人々の前で、彼らの声、音楽は風になるのだ。
小さな太鼓ドゥギを手でたたき、軽妙にステップを踏む姿。 一瞬の音で聴く者たちに風を送ってくれる。
 
今日得た収入は今日使い切る彼ら。
大きな会での演奏であれば一日では使い切れない金を手にすることだろう。
一概には言えないが、そういった機会を得た時、彼らは鶏を買い、米を買う、そしてみなと分け合う。
 
今日を、今日ある命を蕩尽として生きるバウルたち自身が、どこから現れ、どこへ行くのかわからない。
また会うであろう一会は訪れるだろうか。
 

 
バウルの影響を受けた詩人のひとり、Rabindranath Tagore ビンドラナート・タゴールの作品の中にはこんな一節がある。
 
大空に浪立ちて
  風 吹き渡る
四方に 歌声あがる
四方に 生命踊りたつ
虚天に光 この風情
 身に染み渡る
 
この生命の海に 沈み
胸に満つ生命を 採り来む
度多く われ廻りて
 風吹き渡る
 
音楽が、電車の速度とともにある風と一体となり、音は生まれては消えるのか、音楽が風の気配をさえぎることになるのか。
今日、日本という世界では糧を得るための演奏は電車の中では行われない。
パバンは電車の中ではもう演奏をしないだろう。しかしあの地に吹く風を常に音とともに携えているはずだ。
 
Paban パバンという名は、ベンガル語で「風」を意味する。
 

パリでのコンサート録音

 

バングラデシュのダッカFolk Festivalでの演奏

 

仲野麻紀によるopenradioでのパバン特集

 


 
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仲野麻紀

About The Author

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。