ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた――人生の欠片、音と食のレシピ〈6皿め〉

10月 25日, 2018 仲野麻紀

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う
――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――

 
 

 
パリ19区。
この区の西と北は、移民が多く住む地域とされている。
同区東の方にあるビュット・ショーモン公園を囲む地域はボボ(プチブル)が住み、早朝週末はジョギングに精を出すパリジャンの姿。
パリ生活の時間の多くはこの移民街で過ごすわけで、道端では、紋切り型な言い方になるが多言語が飛び交い、軒を連ねるハラルの店では羊の頭の丸焼きが並ぶ。母国、北アフリカやサハラ以南の地域に送るダンボール箱が積まれた運送屋や、色鮮やかな生地が積まれた仕立て屋。
これがわたしにとってのパリの日常だ。
 
ある時、パリ生活が長い先輩にどこに住んでいるのかと聞かれた。
「スターリングラッド駅とジョレス駅の間です」
返ってきた応えは、
「パリのあんなゴミ箱の地域に住んでいるの?」
 

 
2015年11月13日。パリ右岸のバタクラン劇場で起こった連続襲撃事件。パリ中を震撼させた。
翌日、郊外での録音のためにわたしはメトロと、郊外電車に乗った。語弊が生じるかもしれないが、ものの見事に白人は一人も車両にいない。同乗者は、ブーブーを着た西アフリカの母さん達。ヒジャブを被った女性とつれそう男性。あるいは中国系のおじさん達。
 
バタクラン劇場。そこは何年か前、今年急逝したラシッド・タハのコンサートに行った場所だ。
スポットライトの中にはナイ(葦笛)奏者が一人。彼の吹く音がアルジェリアの風を運び、舞台後方ダラブッカ(太鼓)の音の重なりが躍動を促す。そして小柄な男がステージ下手から登場すれば会場の歓声は絶頂を極める。
 
Ach Adani、きっとアルジェリアを出自にもる者なら誰でも知っているこの曲が始まれば、ユーユー(女性達が喉の奥で鳴らす甲音の叫び声)が飛び交う。音が導き観客の間に唸りを生み、会場は時空を越えてアルジェリア第2の都市オランに変容する。
 
同じステージには数年後に Perfum の三人が立ち、彼女たちのファンであるわたしは当然客として参戦した。今や日本なら東京ドームほどのキャパシティをもつ会場でしか聴くことができないだろう。この小屋で奏でられる多種多様な音楽世界、そしてほどよい収容人数、ステージと客席が一体になる空間は唯一無二の存在だ。
 

 
19区の話に戻ろう。ある日、共に演奏する Ky のヤン・ピタールとのリハーサルが終わり、彼の生徒であるナディアがやってきた。
わたしが楽器を片付ける横で彼女はウードの調弦を始める。すると、19区に来るまでのメトロの中でウードケースの中を調べられた、とポツリと呟いた。テロというひとくくりの言葉は使いたくない。バタクランでの事件後のしばらくは、パリでは様々な形で持ち物の検査が強化された時期だ。
 
アルジェリア移民2世であるナディアは、事件を起こした同胞への怒りを抑えられないという。一方で、マグレブ、イスラム、IS……。西洋の眼で個人の同一性を一緒くたにし、押し付ける現状への憤り。所属するこれらキーワードと共に生きる彼女の現実世界とはいったいどのようなものなのだろう。
 

 
しばらくして、多くのシリア難民をパリ北部で見かけるようになった。アパートの目の前のメトロ高架線の下には、テントを張り、ダンボールを敷いて生活をしている人々がいる。もちろんシリアからだけなく、さまざまな地域からの難民がいる。難民たちはパリ市から住居を供給されるが、家族連れと女性が優先されるため、一人ものの男達は路上にしか寝床がない。
 
ある朝の8時30分。けたたましい音と共に目を覚まし、窓の外を見れば、消防車数台から吹きかけられる水、警察官、人集り。
 
ゴミ箱の一掃ということか。
驚きと怒りで地階に降りれば、同じ建物1階のパン屋の旦那が怒鳴っている。彼は高架下に寝ることしかできない人々に、毎日残ったパンを渡していた。叫ぶ人、冷ややかに見過ごす人、無表情の警察官。パン屋の旦那もまた、アルジェリアの移民2世だ。
ある空間、場所に様々な人が集まり、同じひと時を過ごしている。パリのゴミ箱とは何を指しているのだろうか。
 

 
ナディアにウードを習い始めたきっかけを聞いたことがある。シャイで、口籠りながら弦を爪弾く彼女からその応えは得られなかった。
ヤンの生徒はマグレブの方々ばかりだ。ウードという楽器はがアラブ世界で使われ、親しまれているが、ここでは逆転の現象が生まれる。フランス人にウードを習う彼らの姿に、彼らが彷徨う同一性の模索を見ないはずがない。
 
レッスンを始めて2、3年経っただろうか、彼女はラマダン最中にお菓子を持参してきた。
ご存知の通り、日中は断食となり、日没となれば、空っぽの胃に入れるものはヤギの乳。そしてナツメヤシの実。徐々にお腹をならし、手作りのごはんをたべる。ラマダン中のデザートに食べる菓子類も手作りのものを用意するそうだ。彼女が作ったのはガゼルの角。アーモンド粉をベースにしたパテを小麦粉の皮で包んだ焼き菓子だ。家族のために何十個もつくるという。
ガセルとはアフリカ生態の鹿の種の動物だ。
 
ラシッド・タハの歌声を聴きながら、秋の夜長に食べる菓子を作ってみよう。
 

◆材料 30個分
中身:アーモンド粉250g / 砂糖80g / バター大さじ1 / ハチミツ大さじ1 / ナツメグ、シナモン、オレンジ花水 少々
皮:小麦粉250g / バター80g / 塩大さじ1 / オレンジ花水80ml

 
【1】中身の材料を手で混ぜて大きなかたまりにする。


【2】皮をつくる。小麦粉にバターを加え指で混ぜ、塩を加え、少しずつオレンジ花水を加えてまとめる。


【3】皮を小さくちぎって丸め、平らにのばす。皮の上に中身を適量おいて包み、角の形に整える。皮のつなぎ目には卵白を塗って、しっかり閉じる。きちんと閉じないと加熱中に中身が出てしまいます。





 
【4】オーブンを15分ほど予熱し、180度で20分ほど焼くと皮がパリッとします。


 
【5】粗熱がとれたら、表面に手でハチミツを塗り、粉砂糖で化粧をしてできあがり。


 
古典楽曲を練習していたナディアが、演奏してみたいと持ってきた音源は「Bint el shalabia シャラビーアの娘」という曲。
レバノンの歌姫ファイルーズが歌い、有名になった曲だ。
その哀愁あふれる旋律に惹かれたわたしもこの曲に挑戦してみたくなった。
ということで大胆にもアラビア語で歌いはじめて2年。録音までしてしまったのだから怖いもの知らずも度が超えている。
 
この曲はまた、思い出深いものとなった。歌詞の発音を、近くに住み始めたシリア人家族に教えてもらうこととなったのだ。
支援団体を通じて、イラクとトルコに囲まれたハサカという街からフランスに辿り着いたそうだ。アラビア語の歌詞を携え、お近づきにと彼らが住む家の扉を叩けば旦那さんが出迎えてくれる。事情を手振り身振りで説明し、早速発音レッスンとなる。
ここでも奥さんがマアムールという手作りのお菓子をだしてくださったっけ。
 

 
ところで、ナディアの娘さんはアラビア語を話さないという。
母国語。生きる土地で使う言葉。言語が導く個人のアイデンティティー。日本人が歌うアラブの歌。
わたしたちが頭の中で考える言葉、あるいは他者とのコミュニケーションとして使う言葉とはどこに所属している言語だろうか。
 
音楽や、食べものが、まだ見ぬ異国の人々の生きる世界へ近づく入口になればいいなあと思う今日この頃である。
 

 
余談になるが、Sofiane Saidi & mazaldaもぜひチェックしていただきたい。
Sofiane率いる多国籍バンドには、声を大にしなくとも、これが今わたしたちが生きる音楽世界なのだと教えてくれる。
 


 
 
《バックナンバー》
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仲野麻紀

About The Author

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。