ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈5皿め〉

9月 10日, 2018 仲野麻紀

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ
――ビーツの冷製スープ――

 
 

 
わたしの演奏活動の、中心的音楽ユニットKy[キィ]の相棒ヤン・ピタールは、ドキュメンタリー映画の音楽を多く制作している。Kyの名義ではないが、録音の依頼をもらい、編集過程の映像をみながら、あるいはみなくても、彼が作曲した曲を他のミュージシャンと演奏する機会が多々ある。
 
時には編集スタジオへも足を運ぶ。録音された音は映画館と同様の5.5チャンネルスピーカーで聴き、音のバランス調整が行われる。映像に音の色彩が足される現場に立ち会い、またプロデューサー、監督などと接すると、ひとつの作品が様々な人、過程を経て世に送られる、この仕事の醍醐味を味わうこととなる。
 

 
フランスでの初めてのこの仕事はパリ3区の地下にあるスタジオでの録音となり、数日後やはり右岸にある11区の編集スタジオを訪れた。スペイン沖で起こったの石油タンカー転覆事故、そしてその沿岸で生きる漁師たちを追った作品だった。そこで出会ったのが、編集者のキャトリーヌさん。仕事仲間として、人生の先輩として、今や友人として、彼女は色々な経験を語ってくれる。
 
彼女が当時付き合っていたのはゴダールの作品の音響をしていたアントワーヌ・ボンファンティAntoine Bonfantiの息子フランシス。彼も同様に映画の世界で録音の仕事に従事していたそうだ。同業者との制作中という緊張感ある関係。撮影隊とは違い、一日中編集室での仕事だからこそ、誰かと共にする食事は彼女にとって何より大切な時間だという。コルシカ出身の彼らが作るごはんの思い出は、豚肉のテリーヌ、栗料理、なんとも独特な香りを放つ山羊チーズ。大切なのは、共に大いに食い、大いに語ること。
 

 
彼女の仕事の中でも興味深いのが、キャプテン・クストーことジャック・イヴ・クストーとの作業。クストーは、海を語り、海を生き、海底の真理を、映像という方法で多くの作品を残している。
 
彼との仕事を通して、そしてカメラ、画面を通じて、海の中は知り尽くしているも、キャトリーヌさん自身は海に潜ることはできないそうな。ある作品ではクストーが、当時人気絶頂の音楽家ジャン・ミッシェル・ジャールに音楽を依頼したそうだ。しかし編集作業中におきた相互の意見の違いからくる苦くも微笑ましい逸話。あるいはザッパやブーレーズを挿入曲に選んだ経緯。映像作品にとって音の効果がどのように作用し、それにより観る者の内的部分にどのように届くのか。海中の音に音楽を足す意味。音響の効果。作品に関わる者たちの経験と思考、濃密な時間を経て出来上がる映画の魅力。彼女の話はつきない。
 

 
前述した海洋環境問題をテーマにした映画のためにできた曲、ブルー。
映像に音が加わることで新たなイメージが生まれる。それは心象の方向性をかえる機能をもちうるのだと実感した。映像が導く音の世界。
そして今、この曲はコンサートで頻繁に演奏することとなった。すると、観客の方々から「音楽から映像が見えてくるようですね」という意見をいただく。こういっためぐりめぐる映像と音の世界にどうやら最近惹かれはじめている。
 

 
その後も何度か彼女が編集をするスタジオへ遊びに行き、あるいは彼女の家に呼ばれたりもし、手料理をご馳走になる機会を得た。
 
料理人だったという彼女の兄上が使っていた道具がひしとひしめく彼女のキッチン。彼はパリにレストランを構え、しかし自死を選んだという。彼女がごはんをつくり、人を家に招くことを厭わないのは、そんな兄上の、人のためにごはんを作ることの喜び、という意思を受け継いだあらわれだろうか。
 

 
彼女からは、知り合ってこのかた実に色々な料理を教えてもらった。
ブランケットには仔牛の髄を。ジビエと果物の相性。本場のアイオリにはマスタードを入れないこと。ドレッシングの材料を混ぜる順番。ブルゴーニュのカーヴを巡り、偶然みつけたレストランがその後星付きになった時の、共に味わう喜び。
 
彼女から教えてもらった中でもスープに関する豊富なレシピには目を見張る。
ある時はレンズ豆のスープにソテーしたフォアグラを乗せ、きのこのポタージュには隠し味にアルゼンチンの香辛料チミチュリを。そら豆のスープはその風味が消えないように、牛乳はできる限り最小限で。
 

 
ある夏、キリっと冷えた真っ赤なスープが前菜としてでた。色の鮮やかさもさることながら、味の複雑さに魅了された。
 
しばらくして、彼女のパートナーが病に伏していると知った。そうか、辰巳芳子さんいうところの「いのちのスープ」。キャトリーヌさんのスープは、愛する者へ寄り添うかたちとしてあるのだ。匙でひと口ひと口運ぶその時間さえも、彼女にとってはかけがえのない命の時間であったと。
 

 
晩夏、まだまだ続く暑さの日、冷えたビーツのスープを作るとしよう。
できれば生のビーツを手にいれたい。そうすれば葉も余すことなく体内に入れることができる。生のまま薄く切ってサラダにすれば、その甘さに驚くことだろう。ビーツは植え付けから収穫まで2ヶ月程度で栽培できるという。余談になるが、ツアー中のある日、長野は伊那の駅前でビーツのコンポートの露店販売に出会ったことがある。どうやら日本でも栽培が盛んになってきているようだ。
真っ赤なビーツを扱うにはエプロン着用は必須。そしてまな板もよく濡らしてから使いたい。
 
今回のBGMは、キャトリーヌさんが編集、製作をした、Jazz à la Villette シリーズから、B.B KingとDee Dee Bridgewater の歌声を。
 

◆材料 4人分
ビーツ4個 / 玉ねぎ中1個 / チキンブイヨン1L / 鴨脂大さじ2杯(オリーブオイルでもよい) / パプリカ粉大さじ1杯 / Carvi Moulu Kerouia 大さじ1杯 / 小麦粉大さじ1杯 / 生クリーム大さじ1杯 / シードル酢大さじ3杯 / 塩・胡椒少々

 
【1】ビーツは皮をむき、適当な大きさに切り、1時間茹でる(圧力鍋の場合は20分程度。缶詰の場合は火入れの必要なし)。





【2】鍋に鴨脂と玉ねぎを入れ黄色くなるまで炒める。


【3】パプリカ、Carvi Moulu Kerouiaを入れて炒め続け、茹で上がったビーツ、チキンブイヨンを入れ15分煮込む。


 
【4】味を確かめ塩胡椒を加え、ミキサーにかける。


 
【5】別のボールで小麦粉と生クリームを混ぜ、少しずつシードル酢を入れる。


【6】ミキサーにかけたビーツと【5】を混ぜ、粗熱がとれたら冷蔵庫で冷やす。
 

 
ここで登場するスパイス Carvi Moulu Kerouiaとは、アニス、ディルの風味に似たセリ科の芳香をもつハーブ。クミンよりもややパンチが弱い。
 
なくてもいいけれど、あるとやっぱり口に含んだ時に広がる風味がたまりません。エールフランスに勤めていたという父上の仕事の関係でアルジェリアに生まれ育った彼女が、こういったスパイスの使い方に長けているのも納得するに至る。
 

 
また、病人には鴨の脂はやや重たいかもしれません。
しかし、動物性の滋養というものも、時にわたしたちは体内に入れていいと思います。
だれかのために作るごはん。今日生きるために、明日への身体のために、口にふくむ。病の中での舌で味わう快感、食べるという喜びを。
前述した辰巳芳子さんがスープ作りの体系化を試みた著書、その名はまさしく「あなたのために」というタイトルだ。
 

 
キャトリーヌさんのパートナーはその後何年かして亡くなった。
彼女とは今も時々一緒にごはんをつくる。
そら豆のさやを、あるいはルバーブの繊維をピーラーで剥きながら、彼女が訥々と話す。
パリ19時、プチ・シャブリを片手に、涙の蒸気でメガネがくもった。
しょっぱい涙がスープに滴った。
 
スープは今日もだれかのために、おいしくなるのかもしれない。
真っ赤なスープ。
生と死の間にある、だれかの口に、ひと口運ばんかな。
 


 
 
《バックナンバー》
〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司
〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
〈11皿め〉風を探す人々――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――
〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
 

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仲野麻紀

About The Author

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。