ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈4皿め〉

7月 13日, 2018 仲野麻紀

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen
――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――

 
 

 
音楽はいつも思いがけない出会いをつくってくれる。
 
言葉の躍動が旋律にのる。一本調子なのに、理解できないアラビア語なのに、音の抑揚がやけに気持ちいい。なんだか器楽による伴奏付きコーランの詠唱のようにもきこえるそれは、人間の声がなす音の力そのもの。ヒップホップを身近な音楽に感じたことはなかったのに、言葉を理解できないのに、オスロブ Osloob が作る音楽に魅了されてしまった。フィールドレコーディングされた名もなき女の声に街の雑踏が重なり、打ち込みのベース、ビートボックスが現実を連れてくる。
 
ベイルートのパレスチナ難民キャンプに生まれたオスロブが生む音の世界の背景には、彼が生をうけた土地に翻弄される人生がある。
彼は、彼の音楽を携え、2014年、ようやくフランスに入国することとなった。
 

 
パレスチナを語るとき、国と自治政府というキーワードがまとわりつく。ある場所が、自治政府として存在を認められるも、国とは認められない事実。
 
では国とはなんだろうか。国に所属するという同一性に何の疑いも持っていなかったわたしのパスポートは生まれた時から赤い。では国と認められぬ地に出自をもつ者に、パスポートの色は存在するのだろうか? そもそもパスポートという制度を享受できるだろうか?
 
だれかが決めたパスポートというシステムは、オスロブにはしばらくの間、適用されなかった。彼の父上は、書類上ではイランという国のパスポートを手に入れ、その子供であるオスロブは、生きる地として選んだフランスに旅立つために、イランの赤紫色のパスポートを同一性の置き場とした。
 

 
パレスチナの民が生きる場所を国として承認している国々をみると、今この世界で何が起こっているのか、少し見えてくるのではないだろうか。先進国とは一体何なのか。画一的な街の風景。どこにいってもZARAが、KFCが、そしてスターバックスが。胃が痙攣してしまうような虚しさを感じる。そんな統一された国々が支配する現代世界。
 

 
当時レバノンで活動していた、この連載第2回目に登場したフルート奏者ナイサム・ジャラルに誘われ、フランスに着いたばかりのオスロブが住むパリ郊外サンドニ市の家を訪ねた。彼らは「Al Akhareen(他者)」というユニットを組み、自宅でデモ用レコーディングをしているという。その音源を聞かせてくれながら、彼が作ったフムス(ひよこ豆とゴマぺースト、レモン、ニンニクなどを混ぜたペースト)でアペリティフとなった。レシピは彼の母上のものだという。
 
彼の家族はベイルート市内でも、道端の車が白昼爆発するような、ダーヒヤ地区に住んでいる。水を運ぶ仕事(ベイルートでは断水は日常茶飯事)に従事しつつ音楽を作っていた思春期。ようやくフランスにたどり着き、しかし水運びの後遺症となった腰痛を抱え、言葉の問題、難民申請の書類の山……今ヨーロッパにいる自分の生活に対しての不安な気持ちを語ると同時に、歳の離れた兄上はジャーナリストとして生きている、と語る彼の少し自慢気な口調。彼の母上の料理自慢になり、「じゃあ今度モロヘイヤのソースを作るよ」という展開となった。
 

 
しばらくして、ヴァカンスも兼ねたレコーディングに、オスロブとナイサムがブルターニュに来ることになった。彼はスーツケースの他に、溢れんばかりの食料品が入った袋を持参。タヒニ(胡麻のペースト)2瓶にカルダモン風味のコーヒー、カワワ・アラビーヤを3缶。イースト菌の入っていないサージュÕÇÌとよばれる薄いパン5袋。もちろんヒヨコ豆やオリーブオイル。そして乾燥モロヘイヤの袋。日本からフランスに戻る際、荷物の半分は食料が入っているわたしのスーツケースといい勝負ではないか。
 
人はつくづく自分が普段食べているものへの習慣を手放せないのだと思う。手放せないということ。それは恐れではない。執着でもない。わたしたちは、口に入れるそのものが、体や心に与えてくれる安堵感を知っている。
 

 
何年か前、エジプトのウード奏者の演奏会を日本で企画した際、彼は滞在中、日本の食べ物をおいしいおいしいと頬張っていた。そして郷里の料理は恋しくない、とも言っていた。しかし一緒に共演した、やはりウード奏者の、「そろそろエジプト、あるいはアラブっぽいご飯を食べさせてあげたほうがいいのでは」という助言のもと、渋谷にあるトルコ料理の店に行った。すると彼は水を得た魚のように嬉々として貪り喰ったのだ。体が覚えているあの味。日々再生する細胞はそれを求めていたのだろう。
 

 
パリの北、ラシャペルと呼ばれる地域で路上生活をしている難民の男たち。シリアはもちろん南スーダン、マグレブの人々が列をつくる炊き出しに何度か参加した。彼らは与えられるごはんを手にする。しかし自分が食べたいものではないものを喰むその姿を見るたびに、わたしは気落ちする。彼らは諦めの中で、しかし目の前にあるものを食っているのだ。
 
ある時、列に並ぶ一人の男がわたしにむかって怒りの目を携え訴えた。「もっとソースをかけてくれ。」
 
100人強の胃袋をまかなうべく、炊き出しの参加者がそれぞれに食べものを持ってくる。ゆで卵、ご飯、バナナ、パン、菓子……できるだけ温かいものを持っていきたい。しかしスープや煮込み料理となると大きな鍋が必要であり、また運搬には車が必要だ。何もしないよりはしたほうがいい。できることをしているつもりだ。しかし食べてもらう人々の、満足感には届かぬ自分たちの行為。そんなわかりきった現実の間にある、きしきしとした感情のやりとり。知っている味を食べたい。クスクスを、羊の煮込みを、ピスタチオの入った菓子を……。
 

 
食料をたくさんいれた袋を持ってきたオスロブは、レコーディングの場所となったフランスの地方の街では、日常的に食べているものが手に入らないと思ったのだろう。とはいっても、近年10万人を超えるフランスの都市であれば、アラビア食料品店やアフリカ食料品店が必ずといっていいほど存在する。それだけ多文化によってこの国が形成されている表れでもある。
 
彼が教わったという、味わい深いモロヘイヤソースを作るとしよう。モロヘイヤはエジプトをはじめ中近東で古くから食べられてきた食材。これから夏にかけてが一番おいしくなる。日本でならばむしろ生のものが手にいれやすいだろう。乾燥ものはすでに刻んであるが、生の場合、大きめの包丁で細かく刻んでねばりを出してから煮炊きするほうがいい。余談になるが、モロヘイヤとはアラビア語で「王様の食べる野菜」という意味だとか。
 

◆材料 4人分
乾燥モロヘイヤ1袋(生の場合は200gほど) / 鶏肉(部位は問わない)200g / 玉ねぎ1個 / にんにく2片 / レモン1個 / オリーブオイル / 塩・胡椒 / コリアンダーお好みで / ローリエ1枚 / シナモンスティック1本(なくてもよい)

 
【1】一口大に切った鶏肉をローリエ、シナモンスティックを入れたお湯の中でゆっくり30分ほどゆでる。ゆで汁はとっておく。
 

【2】鍋にみじん切りにした玉ねぎ、にんにくをオリーブオイルで炒める。
 

【3】【2】の鍋に茹で上がった鶏肉を加え炒める。茹で汁を注ぎ、灰汁を取りながら20分ほど煮込む。
 

【4】乾燥モロヘイヤ、塩・胡椒を入れ煮込む。生の場合は葉を細かく刻んで入れる。煮立たせると緑色が変色するので中火で。
 


 

【5】ご飯はサフランを入れて炊く。ご飯を皿によそいソースを添える。レモン汁とコリアンダーを散らす。
 

 

 
つい先日、オスロブが新譜をくれた。タイトルはユニット名と同じく、「Al Akhareen(他者)」。
 
スタジオでの録音、フィールドレコーディング、そこにチュニジアの哲学者ユース・セディック Yousse Seddik の言葉が引用されている。あるいはパレスチナの教師、ハレッドウ・オデット Khaled Odet の講演での声がサンプリングされてもいる。
「交差する道」という曲にはこんな歌詞がある。一部になるが抜粋しよう。
 
 
 空港を振り返った、そしてぼくはもう二度と振り返らないだろう
 黄色い紙、パスポートではない
 ヴィザが印刷された
 証明写真、にやりと笑う
 役所で何度も押されたスタンプ
 落書き、そして変わった言葉
 うまく運ぶことを願う
 面倒くさいことになってきた
 彼らはいつも同じことを聞いてくる
 でもぼくは君に誓う
 ここまできたんだ
 ぼくはもう戻らない
 
 
パレスチナの問題は、過去から今に続いている。
人は過去にものごとの発端を探り、解決の有効な素材とみなす。
確かに時系列の延長線上にわたしたちは今生きている。
 
彼がラップで放つ言葉や音は、それがライブハウスだろうが、フェスティバルだろうが、例え道端であろうが、目の前にいる他者へ投げかけられている。ものごとは、常にわたしたちの目の前にあるということを、彼の音楽は教えてくれる。では、目の前にいる他者とは、だれなのだろう。
 
他者とは、わたくし自身なのだ。
 
*冒頭の出来上がりの写真はに、生のモロヘイヤを使用しています。
 


 
 
《バックナンバー》
〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司
〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
〈11皿め〉風を探す人々――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――
〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
 

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仲野麻紀

About The Author

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。