「社会起業家」という言葉を聞いたことがありますか。今回は、日本ではまだまだ少ない起業家のタイプである「社会起業家」を取り上げます。利益の追求を第一に考えるのではなく、社会に対する「正」のインパクトを追求する「社会起業家」について、みなさんもぜひ知ってください。[編集部]
起業家の中に「社会起業家」と呼ばれる人たちがいます。バングラデシュの経済学者で、2006年にノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏は、その代表的な存在でしょう。彼は、一般の銀行が目を向けなかった貧困層を対象にした金融機関(グラミン銀行)を1983年に創設し、数多くの貧困層が自立した事業を営むことができる仕組みを考え、実行しました。
日本でも、病児保育を独立した事業として展開することに成功した認定NPO法人フローレンスの駒崎弘樹氏のことは知っている人も多いと思います。
社会起業家と一般の起業家の大きな違いは、利益の追求を第一の目的にするのか、社会に対する「正」のインパクトを追求するのかなどにあります。実際のところ、厳密に線引きすることは難しいのですが、ここでは社会の健全な姿の実現を第一の目的として、新しい挑戦をしている人と考えます。その中で、今回は、自然を「トンボ」を通して観察し続け、トンボの生態観察を通して、自然環境の悪化に警鐘を鳴らし、また次世代を担う子供たちへの教育に半生をかけた、高知県四万十市の杉村光俊さんを紹介します。
社会起業家の活動状況
この連載の中でも、日本の起業活動の水準が国際的に見ると、かなり低いことは何度か指摘してきました。2018年のグローバル・アントレプレナーシップ・モニター(Global Entrepreneurship Monitor: GEM)の結果は図表1のとおりです。この年は、49か国がGEM調査に参加しましたが、経済発展の異なる国も含む結果を見ても、キプロス、イタリア、ドイツ、ポーランドに次いで、下から5番目です。
一方、「あなたの国では、社会的課題を解決することを主な目的とするビジネスをしばしば目にするか」という質問に対して、「はい」と回答した割合を見ると、図表2のとおりです。この調査に回答していない国もあるので、全42か国中の順位になりますが、上から22番目、下からは20番目とほぼ中央にあります。平均値をやや下回る水準ではありますが、起業活動水準と比べると順位は改善しています。
このように、日本では、起業活動一般よりも、社会起業活動の方が、浸透している状況が見て取ることができ、これは今後の日本にとって明るい材料の一つと言えます。
杉村光俊さん(以下、杉村さん)は、小学生の時にトンボ採りに夢中になり、トンボ少年の中身は変わることなく、年齢を重ねたような人です。ただ、それを単なる趣味として続けたのではなく、トンボの生息地を守るため、土地を購入し、そこに標本観察などを通して情操教育ができるような展示場などを開設し、初心変わることなく、30年以上にわたって活動を続けています。
昨年の夏(2019年夏)にお会いした時も、「好きなことを続けるのは大変です」と笑いながら話していましたが、経済的リターンが見込めるような活動ではないのに、社会に対するインパクトを第一に行動し続ける杉村さんは、まさに日本を代表する社会起業家の一人と言えるでしょう。
四万十川学遊館(しまんとがわ がくゆうかん)
旅行に興味のない人でも、四万十川(しまんとがわ)のことはほとんどの人が知っています。本流に大規模なダムが建設されていないことから「日本最後の清流」とも呼ばれ、一度は訪ねてみたいと思わせる魅力的な川です(図表3左)。
そして、今回の主人公である杉村さんが運営する四万十川学遊館(以下、学遊館)もこの四万十川の下流の町にあります。学遊館には、とんぼ館(木造2階建、681.33㎡。世界のトンボ標本約1000種3000点が展示され、単一施設の常設展示として世界一の数)とさかな館(鉄筋コンクリート造平屋建て、689.12㎡。四万十川水系産約130種を中心に、国内外の淡水・汽水魚約300種2000尾を飼育展示。国産淡水・汽水魚約300種の飼育は、単一施設として日本一の数)が併設されています(図表3中央)。
また、学遊館が立地する池田谷に広がる50ヘクタールの里山のうち、杉村さんが役員を務める公益社団法人トンボと自然を考える会(以下、考える会)、WWF(公益財団法人世界自然保護基金)ジャパン、そして四万十市が所有する土地および借用地の合計(8.7ヘクタール)がトンボ公園として一般に開放されています。公園のほとんどは、トンボ誘致池(トンボ・ビオトープ)として、日照時間や水量などの基本的条件を踏まえて設計され、スイレン抜きだけでも毎年90回近く行うなどして整備されています(図表3右)。写真からもわかると思いますが、「公園」というよりも、自然の「湿地帯」というイメージで、トンボファーストの環境です(図表3右)。
とんぼ館
とんぼ館は、いくつかのスペースに分けられていて、1階は、トンボ公園の全体像が示された部屋、日本のトンボが北方系、中国大陸系、オセアニア系、東南アジア系の4つに分けられて展示されている部屋、世界のトンボが東南アジア、北米、ヨーロッパ、南米、アフリカに分けられて展示されている部屋、ビデオを見ることができ、トンボの生態(捕食、交尾、誕生など)が学べるパネルが展示されている部屋、図書館のようなフリースペースなどから成り、2階には、トンボ以外の昆虫(蝶、蛾、かぶと虫など)が世界の地域ごとの違いをテーマに展示されています。ビデオを見ることができる部屋以外は、標本の展示が中心ですが、標本ごとに、小学生でも理解できるような解説が丁寧に付けられています(図表4)。
さかな館
さかな館は、主に四万十川の下流から上流にさかのぼるように、それぞれの場所に生息する魚を展示しています。さかな館は、当初、「せっかく、中村市(現四万十市)に来たのだから、四万十川の魚も見たい」というリクエストに答える形で、現在の図書館のようなフリースペースに、水槽を並べていったのがきっかけと聞いています。水族館の場所に関しては、地元の漁業協同組合が河口近くにという案を出したりそうですが、最終的には今の場所に落ち着きました(図表5)。
トンボ少年の夢[*1]
杉村さんは、昭和30(1955)年に中村市(現在の四万十市)で生まれました。トンボとの出会いは、小学校2年生の時です。夏休みが近づいてきたある日、学校から帰ると家の窓際に吊るしてあった虫かごにオオシオカラトンボの雄が入っていて、母親に、それはオニヤンマに追われて窓から飛び込んできたものと聞いて、無性にオニヤンマを手にいれたくなったのがきっかけです。
杉村さんがどのようなきっかけにしろ、トンボ採りに夢中になったことは、当時の小学生にとってそれほど珍しいことではないでしょう。杉村さんとほぼ同い年の筆者も小学生の時の遊びといえばトンボ採りが一番でした。
しかし、杉村さんのトンボ熱は、中学生、高校生になっても冷めません。そして、就職か進学かを決めなければならない高校3年生(昭和48年、1972年)の時、ある事件が起き、そのことが、トンボ熱に拍車をかけました。その事件とは、彼がトンボの宝庫と考えていた安並(やすなみ)の湿地帯が公共事業で突然埋め立てられてしまったことです。
「いつの日か絶対に奪われないトンボの聖地を作ってやる」と思い、進学を断念し、実家の喫茶店を手伝いながら、本格的なフィールドワークを始めたのです。また、トンボ研究の第一人者である朝比奈正二博士からの励ましもあって、杉村さんのトンボ研究はますます盛んになります(図表6)。
小学生の時、あるきっかけでトンボが好きになり、大学への進学を断念してまで、トンボ研究にのめり込んでいった。この事実は杉村さんのトンボへの想いがいかに強烈であったかを示していますが、もしこれで終わってしまったら、杉村さんは、一人で黙々とトンボを追いかける、四国の個人研究家としての道を進んでいったと思います。
トンボ王国の建設に向けて
ところが、彼はそこに止まりませんでした。それがトンボ王国(今の四万十川学遊館とトンボ公園の前身)の建設です。安並の埋め立て事件を忘れることなく、自分がトンボを追いかけるだけに満足することなく、トンボの生息地を守るという活動を始めました。
お金も人脈もなかった杉村さんですが、熱意が通じたのか、土地購入のための資金集めとして、昭和58(1983)年から始めた絵はがきキャンペーンは、翌年には大手新聞社の協力を得て、1000通を超える注文が全国から殺到しました。それが引き金になり、翌年の昭和59(1984)年には、今のトンボ自然公園の土地の一部をWWFジャパンが買い上げることが決定し(図表7)、杉村さんの夢は一気に実現に向けて進みます。昭和60(1985)年の暮れには、考える会も誕生したのです。
しかし、この時点では、50ヘクタールの池田谷にわずか0.1ヘクタールの土地を確保できたに過ぎませんでした。トンボ誘致池もなければ、今のさかな館はもちろんのこと、とんぼ館の姿かたちもなかった状態です。そこで、杉村さんは市民を巻き込んでのボランティア活動によって池掘りを進め、昭和63(1988)年7月には秋篠宮殿下を招いての開園式、さらに平成2(1990)年4月には自治体の予算約2億円を投じて、今のとんぼ館(当時はトンボ自然博物館)がオープンしたのです。
現在は、四万十市から四万十川学遊館の管理を任されているかたちですが、学遊館、そしてトンボ自然公園は、四万十市が企画をし、土地等の手配をして、作り上げたものではありません。杉村さんの起業家的な活動がさまざまな人たちを巻き込み、ある程度かたちになったものに、四万十市(当時は中村市)が協力するかたちでできあがったものと言えます。また、現在も、必要な経費を自動的に補助してもらうかたちではなく、杉村さん自身で資金調達をしたり、標本用のトンボの採取をしたり、人材の手配をしたり、さまざまな企画を考えたりなど、かなりの部分を経営者という立場で活動しています。
何よりも、平成2年(1990年)に今のとんぼ館がオープンして以来、一度も途切れることなく、ここの運営に携わっているのです(図表8)。
保ち続ける高いクオリティ
正直に言って、学遊館の経営は厳しい状態が続いています。入館者が減っているからです。一時期は年間5万人を超えていましたが、今は1万人を達成できるかできないかという状態です。現在の入館料が、大人880円、中高生440円、小人(4歳以上)330円、3歳以下無料ですから、万単位で減少する影響の大きさは容易に想像がつくと思います。
ここでは、現在の経営については詳しく触れませんが、筆者として最後に強調しておきたいことは、杉村さんのトンボ研究に対する熱意、そしてそれが具現化している展示物や会報冊子の品質が30年間経ってもまったく変わらないことです。
筆者の大学では外部講師を招いて講演会を行ったりしますが、杉村さんに頼んで返ってくる答えは次のような感じです。
「とんぼの観察があるから」
このような事情で、残念ながら、杉村さんの講演は今も実現していません。そのため、杉村さんの考えに触れるには、一般にはなかなか手に入りませんが、考える会が年に何度か発行している「とんぼと文化」という冊子を見るのが一番良いと思います。令和2年11月号で通算167号になり、その号で、彼は「トンボを守るために」というタイトルの連載の39回目を書いています(図表9)。次はその一節です。
では、 レッドリストはどのように活用すべきでしょうか。(中略)今すぐ利用できそうなことはやはり農作物の安全確認でしょう。カトリヤンマやナツアカネ、ミヤマアカネなど、清浄度が高い水田やその周辺の水路に生息しているトンボが多い耕作地で収穫される農作物は安全性が高く、逆にこれらのトンボがレッドリスト入りしている地域のそれらは要注意と言えます。
杉村さんと話をしていると、実はトンボの話はごく一部であって、残りは四万十川やトンボ公園周辺の自然環境がいかに変わってきたのか、同じ種の昆虫であっても生息地域によってどのように姿かたちが変わっているのかなど、私たちがこれからどのように自然と向き合っていけば良いかを考える上でのヒントに溢れた話が大半を占めます。
社会起業家への期待
地球温暖化に象徴されるように、地球環境を破壊しながら、経済活動を続けることに対しては、さまざまな立場の人たちから警鐘が鳴らされています。最近の話題作『人新世の「資本論」』(集英社新書)の中で、著者の斎藤幸平氏は、資本主義の特徴のひとつとして「外部」をつくりだすことをあげています。例えば、先進国が外部の「内」にあるとすれば、低賃金労働を利用される発展途上国が外部になるでしょう。
つくりだした「外部」に負荷をかけて、外部に囲まれた場所で繁栄を得るということですが、外部が無限にあるのでしたら問題はありません。日本の経済活動にとっての外部は、戦後、韓国や台湾から始まりましたが、やがて中国、東南アジアに移り、今はアフリカが注目されています。しかし、日本経済にとっての外部はいずれなくなるでしょう。
しかも、解決したと思ったことが、実はさらに大きな問題を作り出すということも、資本主義のやっかいな性格のひとつで、典型的な例は、水力、火力、そして原子力と移り変わってきた電力産業があげられます。
そして自然です。今の自然は資本主義の反映の中で悲鳴をあげています。かつての公害問題やリゾート開発、そして最近の高層ビルや高層マンションの建設ラッシュなど、資本主義は手を変え品を変え、自然の犠牲の上で繁栄を求めています。
このような動きの中で、筆者は社会起業家に期待をしています。それは、自然環境に負荷をかける原因のひとつは、規模拡大への欲求であり、ほとんどの社会起業家にはそれがないからです。
自然はとてもデリケートです。それを知るだけでも、考え方や行動が変わるでしょう。少し遠いかもしれませんが、自然と向き合って自分と自然の未来を考えてはいかがでしょうか。少し遠いかもしれませんが、四万十市にはそのような場所があります。
[注]
*1 この部分の記述は、杉村光俊・一井弘行著(1990)『トンボ王国へようこそ』岩波ジュニア新書に拠っている。
[参考文献]
高橋徳行編著(2017)『ケーススタディ 地域活性化の理論と現実』同友館。
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家