燃えよ本[第7回]都会のクリエイターが社会の欺瞞に耐え切れず地方に移住してDIY小屋おじさんにジョブチェンジするお話

About the Author: 小倉ヒラク

おぐら・ひらく  発酵デザイナー。下北沢『発酵デパートメント』オーナー。YBSラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』パーソナリティ。著書『手前みそのうた』(農山漁村文化協会、2014)、『発酵文化人類学』(角川文庫、2020)『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT、2019)など。写真集に『発酵する日本』(Aoyama Book Cultivation、2020)。山梨県の山の中で日々菌を育てながら暮らしています。
Published On: 2021/12/21By

 

発酵デザイナーの小倉ヒラクさんが、けいそうビブリオフィルにご登場です。書評連載なのですが、なかでも「燃えた」本についてご紹介くださる予定です。「燃えた」とはどういうことなのか? 「燃えよ」と願う本があるのか? どうぞお楽しみください。[編集部]

 
 

[第7回]都会のクリエイターが社会の欺瞞に耐え切れず
地方に移住してDIY小屋おじさんにジョブチェンジするお話

 
 
 今回取り上げるのは、日本三大随筆の一つ、鴨長明『方丈記』である。
 「燃えよ本」の連載タイトルの如く、京の都の大火(安元の大火)から始まる、日本初のルポルタージュであり、仏教の無常観を説いた自己啓発本であり、DIY小屋の指南書でもある日本文学史上屈指の怪作だ。現代でいえば短編程度の文章量にこれだけ様々な要素を盛り込んだ著者の鴨長明とは、どのような人物だったのか? そして彼の生きたのはどのような時代だったのか?
 
 21世紀の僕たちの視点で『方丈記』を読み直してみよう。まず

“行く川のながれは絶えずして、しかも元の水にあらず”

 この冒頭文は日本で育った者なら誰でも知っている。古典中の古典だ。著者は、出家した元歌人、鴨長明。この冒頭文からして、諸行無常を説いたいかにも日本的な「儚い系文学」だと僕は思い込んでいた。しかしこの記事を書くにあたって精読し直してみたら、ぜんぜん儚くなどない、むしろかなり生々しい、というか生臭い、かなり剣呑な作品だったのだ。さらに後半読み進めていくうちに、日本全国で活躍する僕の同年代の友人たちの顔が次々と浮かんできた。
 鴨長明は、剣呑なこの21世紀に、アクチュアリティを持って読み返されるべき文学なのだ。
 

          

“行く川のながれは絶えずして〜”

から始まる序文を読んでいくと、

“知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来りて、いづかたへか去る。”

とあるように、命の無常さをうたう「儚い系文学」のトーンである。しかし騙されてはいけない、これはあくまで枕であり、続くチャプターは安元の大火、つまり大火事のルポルタージュへ転調する。

“吹きまよふ風にとかく移り行くほどに、扇をひろげたるが如くすゑひろになりぬ。遠き家は煙にむせび、近きあたりはひたすらほのほを地に吹きつけたり。”

 さっきまでゴーギャンの絵のタイトルみたいな壮大なこと言っていた詩人が、突然ウルトラリアルに火事の現場をレポートするジャーナリストになってしまうのだ。
 
 話はちょっと脇にそれる。僕は仕事柄、日本や中国の古い文献にあたって料理のレシピやある土地の歴史を調べることが多い。中世(日本だと室町中期くらい)までの資料には「ディテールがわからない」という特徴がある。
 
 例えば。「この豆に塩をまぜてしばらく置くと醤になる」とだけあって、どれぐらいの比率で塩を入れ、どれくらいの期間が経つとじゅうぶん発酵するのか? できあがったその醤はどんな味わいなのか? こういう具体的なディテールがたいがい抜け落ちてしまっている。
 古代中国の歴史書『史記』でも、どこどこの武将がどこどこの城を落とした、あるいは落とせなかった、という記述はあるが、その武将がどんな性格で、どんなふうに城を攻めたのかはよくわからない(だから『キングダム』のような作品が成立したりする)。
 
 つまり、記述はあっても描写がない。しかし『方丈記』は違う。先に引用した大火のシーン一つとっても、表現が具体的で、映像としてありありとイメージできるようだ。
 
 平安後期においてこの具体性はかなり特異だと言える。堀田善衛も、鴨長明の人物列伝である『方丈記私記』において鴨長明を「ジャーナリスト的人物」と評している。なんかいいこと言ってそうな序文は目くらましで、鴨長明の本領は時事に対する観察眼と描写力の卓越なのである。
 
 長明は、大火に続いて、辻風(台風)、飢饉、大地震と、京都周辺で次々に起こる厄災を描写していく。その逐一がリアルな地獄絵図で、読んでいるだけでゾワゾワしてくる。
 
 寺から盗み出した仏具を路上で売って糊口をしのぎ、それでも二束三文でしか売れず力尽きて路上に倒れる人々が折り重なり、通りは死臭で溢れている……
 
 『方丈記』で語られる飢餓の惨状だ。これだけ詳細な描写ができるということは、長明は実際にこの地獄絵図の現場に居合わせ、なんならその様子を観察してメモを記していたのだろう。
 
 若い頃に歩いたこの地獄の有様を、50歳をこえて出家した後にまとめる。それが『方丈記』だ。
 
 いや、正確に言えば『方丈記』の前半部である。
 前半に修羅を歩いたジャーナリストは、後半にはさらなるトランスフォームを遂げ、「DIY小屋おじさん」になってしまうのだ(DIY小屋おじさんについては後述する)。
 
 いかにも平安的な「儚い系文学」を序文で匂わせた後に、地獄絵図のルポルタージュが連打され、そのあと突然山にこもって小屋をDIYしまくる。鴨長明、謎すぎる……!
 

 
 鴨長明のバイオグラフィを見てみよう。京都の禰宜(神官)の息子として生まれたが、神職としての出世は叶わず、かわりに和歌や琵琶をたしなむ歌人として活躍する。
 
 『千載和歌集』に詠み人知らずとして自作が入選するなど、歌人としてそれなりに活躍するが、一世を風靡するほどの才能ではなかったようで、50歳半ばで世俗を捨てて出家し、京の近郊の日野の山に隠遁し生涯を終える。
 
 安元の大火から元暦の大地震まで連続する天災は、長明が20歳から30歳頃にかけて、つまり自身の歌人としてのキャリアを築く頃に起こったことだ。
 
 『方丈記』を書いた長明と、歌人として和歌を詠んだ長明。
 一方は生々しいルポを書くジャーナリストで、もう一方はあはれでエモい和歌を読む雅な文化人。
 
 地獄と天上界の両極に振れまくったのが鴨長明という人間であり、そしてこの両極は貴族の世が終わりを告げる平安後期の世界のアンバランスさを生み出したものでもあった。
 
 庶民は家を焼かれ、路上で飢えて死んでいく。そんな過酷な現実のなかで、貴族たちは歌舞に耽溺して「月がなんとか」「恋がなんとか」と、浮世離れした文化にいそしみ屋敷の外のリアルに向かい合おうとしない。やがてそこに関東の野蛮な武士たちの足音が都に響いてくる……
 
 僕の想像ではあるが、屋敷の外と内を両方知る鴨長明はそのギャップに耐えきれなくなり、都を出る決意をしたのではないか。そして山に籠り、雅を捨て、地獄のルポルタージュを世間に叩きつけた。
 
 ……そこまではまあなんとなく想像できる。しかし鴨長明はここから「DIY小屋おじさん」というさらに謎なジョブチェンジを遂げる。
 
 はて面妖な……と思ったが、
 
  ■トレンドを追いかける
  ↓ 
  ■路上のリアルを知りパンクになる
  ↓ 
  ■物言うだけでは飽き足らず、移住して自分の手で現実をDIYし始める
 
という一連の流れを見ていると、ここ数年で都市圏から地方へと活動拠点を移したクリエイター、あるいは活動家の友人たちの姿が思い浮かぶ。

“土居をくみ、うちおほひをふきて、つぎめごとにかけがねをかけたり。もし心にかなはぬことあらば、やすく外へうつさむがためなり。”
 
“積むところわづかに二両なり。車の力をむくゆるほかは、更に他の用途いらず。”

 都会でクリエイターをしていた時に住んでいた1/100ほどの広さの小屋を山のなかで手づくりする。土台を組み、そこに取り外し可能な壁をつける。建てた場所が気に入らなかったら解体して、車に載せてすぐに別の場所に運ぶことができる。
 
 現代でいえば、モバイルハウスやタイニーハウスのような小屋。これが晩年の鴨長明ことDIY小屋おじさんの代表作、「方丈庵」。平米数に直すとおよそ9.18m2、6畳弱なので建築確認申請も不要。牽引車で引いて公道を走れるレベルである。
 
 『方丈記』という名は、このモバイルハウスで執筆したところから来ているというわけだ。
 
 山のなかの小屋に籠もってひっそりと隠遁生活を送る……かのように見えて、近所の子供と遊んだり、琵琶を弾いて歌ったり、衣服や食料の調達に野山を歩いたりと、なかなかアクティブな生活を楽しんでいるDIY小屋おじさん。出家したのでいちおう仏門にも入っているくせに、

“世をのがれて山林にまじはるは、心ををさめて道を行はむがためなり。然るを汝が姿はひじりに似て、心はにごりに染めり。”

 仏道を修めるために山に入ったのに心は煩悩だらけだぜ! としれっと告白してしまうのである。
 
 どうも鴨長明は隠遁するために山に入ったのではないようだ。表面上は華やかでも欺瞞に満ちた貴族の世界ではなく、自給の術のない都市の民衆の世界でもない、自分にフィットしライフスタイルを自分の手でつくりだすことのできる世界を求めた結果、ローカル移住することになったのだ。
 
 そう。鴨長明は「捨てる」ためではなく「つくる」ために山に入り、小屋をDIYし、歴史に残る随筆を残した。抽象に抽象を重ねたようなエモ和歌では、きっと鴨長明はクリエイターとしての手応えを感じることができなかったのだ。
 
 鴨長明のこの変遷を、現代に当てはめてみるとどうだろうか。
 
 加速的に腐敗と没落が進み、ショボくなっていく国家の実態に対して、メディアでは「日本スゴい! 世界に誇る伝統!」と空疎な自己喧伝ばかりが目につく。
 
 災害や疫病が頻発し、生きる手立てを失った人々が路上をさまよっている。なのに規格外の税金をつぎ込んだ国際スポーツの祭典が行われ、庶民はその会場に入ることすらできない。
 
 そんな状況に違和感を感じた、界隈ではちょっとした有名なクリエイター。社会の欺瞞に異議を申し立てるために、それまで言葉にしたことのなかった政治や社会的正義に関する情報発信を始める。しかしやがて気づく。物申すだけでは必ずしも社会はもちろん自分は救われないことに。
 
 そして望む環境、望むライフスタイルを自分の手でつくり、実践しようと思い立つ。すると今住んでいる都会では情報以外に具体的なモノを「つくる」余白がないことに気づく。ならば都会を出て、過疎化の進む土地をゲットし、そこでモバイルハウスをつくるなり、古民家を改装するなりして自分にふさわしい家をデザインしてみよう。今までただ買うだけだった衣食住にまつわる身近なものを少しずつDIYしていって、生きる手触り、つくる楽しみを味わってみようではないか……!
 
 そんな、超イマドキな20〜40代前半くらいの感受性豊かな青年たちの姿が浮かび上がってくるではないか。
 
 鴨長明は世捨て人ではなかった。激動の時代に納得できる自分の人生をDIYする道を現代の僕たちにも指し示している、眼力強めのパンクなおじさんだったのだ。
 
【追記1】『方丈記』は仮名まじり文とは言え、古典になじみのない人にはちょっと読みづらい。なので古文に不安のある人はKindleで数百円で買える古典教養文庫版をオススメしたい。青空文庫をベースにしているが、文章を章立てして簡潔な現代語訳も併記されているので誰でも最後まで読み通せると思う(この連載もここから引用した)。紙の書籍だと原文、現代語訳に加えて編者の解説が入ってきてダイレクトに鴨長明おじさんと向き合うことができない。『方丈記』自体はとても短い随筆なので、それだけだと一冊の紙の本としてはボリュームが持たないんだよね……。
 
【追記2】本文にも登場した堀田善衛『方丈記私記』は鴨長明の人物列伝とも呼べる不思議なエッセイ。『方丈記』の解説書にはならないが、鴨長明がどのような時代に生き、どんな文脈で『方丈記』を書いたのかについて様々に考察されている。比較的小品なのだが、後に続く列伝の大作『ゴヤ』に見られる独特のスタイルが萌芽していてべらぼうに面白い。
 
【追記3】小屋づくりが趣味なので「オレも方丈庵つくりてぇ……!」とネット検索したら、方丈庵を再現した小屋や、建築家隈研吾氏による方丈庵オマージュのインスタレーションなどを発見した。『方丈記』を精読した後は、方丈庵を建築する。本は青空文庫、小屋は廃材リサイクル。それこそが真の鴨長明スタイル……!
 
 


 
《バックナンバー》
[第0回]ご挨拶
[第1回]逃避としての読書、シェルターとしての書店
[第2回]「たまたま」のレトロスペクティブ ① 粘着ダーウィン、意味を破壊する
[第3回]「たまたま」のレトロスペクティブ ② スペンサーは本当に弱肉強食を唱えたのか? 粘着ダーウィン、意味を破壊する
[第4回]「たまたま」のレトロスペクティブ ③ 「人は意味なしで生きていけるか?」とクンデラは問うた
[第5回]なぜ本は燃えやすい? 石炭紀とカビ・キノコ
[第6回]エイハブの執念が滅ぼしたものとは? 白鯨と捕鯨の近代史

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おぐら・ひらく  発酵デザイナー。下北沢『発酵デパートメント』オーナー。YBSラジオ『発酵兄妹のCOZY TALK』パーソナリティ。著書『手前みそのうた』(農山漁村文化協会、2014)、『発酵文化人類学』(角川文庫、2020)『日本発酵紀行』(D&DEPARTMENT PROJECT、2019)など。写真集に『発酵する日本』(Aoyama Book Cultivation、2020)。山梨県の山の中で日々菌を育てながら暮らしています。
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