憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第34回 例外事態について決定する者

 
「憲法学の散歩道」書籍化第2弾『歴史と理性と憲法と』が2023年5月1日に発売となりました。第32回までの連載分に書き下ろし2章分が加わり、長谷部さんならではの散歩道を進むと意外かつ奥深い世界が開けてきます。単行本のあとがきはこちらでご覧いただけます。⇒【あとがきたちよみ:『歴史と理性と憲法と』】 ぜひお立ち寄りくださいませ。
 
 
 カール・シュミットは『政治神学』の冒頭で、「主権者とは、例外事態(Ausnahmezustand)について決定する者である」と断言する*1。Ausnahmezustandは、非常事態と訳されることもある。
 
 引き続いてシュミットは、主権概念は限界概念(Grenzbegriff)であるとする。限界概念とは、比喩的に言えば、遠近法の消失点である。われわれが暮らす、この世界だけが実在する世界だと思われている日常的な世界と、そんなものが存在するとは思ってもみなかった、尋常ではない外側の世界とを連絡する概念である。
 
 シュミットの言う主権者は、その決断によって全法秩序を停止する。
 
 法秩序は日常的な状態が妥当していることを暗黙の適用条件とする。主権者は、日常的な状態が妥当しているか否かを決定する。妥当していないと判断されれば、法秩序は停止される。
 
 そうした主権者は、ブルジョワ的な法治国思想やリベラルな法の支配の観念からすれば、あり得べからざる存在である。だからこそ、通常の法律学ではこの主権概念は存在しないものとされ、普段は消失している。しかし、法によって主権者の存在を否定することはできない。実定法秩序がたとえシュミット的な主権者を無視し、それに一切触れていないとしても、主権者が事実上、出現する事態を抑え込むことはできない*2
 
 全法秩序を停止する主権者の権限は、前もって存在する法規範が与えるものではない。主権者が決断を下すべき例外事態にあたるか否かは、主権者自身が決定する。だからこそ彼(彼ら)は、主権者である。
 
 ハンス・ケルゼンの純粋法学とは異なり、シュミットにとっての国家は法秩序そのものではなく、法秩序が停止されても、国家が活動を停止することはない。国家の生存と自己保存のために主権者は活動し続ける。マックス・ウェーバーの指摘とは異なり、主権の本質は強制力の独占ではなく、決断の独占である*3。この特殊な意味における決断の。
 
 『政治神学』の冒頭にあらわれる決断主義的なシュミットの見方からすれば、憲法典に修正を加えて非常時における権限行使に法的制限を加えようとする試みが、幼稚園のおままごとの類にすぎないことがよく分かる。およそ憲法学において、主権という概念を安易に使うべきではない。使うには、よほどの覚悟と慎慮が必要である。
 
 法治国思想に代表される規範主義は、法をすべて規範に、典型的には議会制定法へと還元しようとする。規範主義は、法はすべてその内容ではなく、法のとる形式──憲法か、法律か、判決か──のゆえに妥当すると考える。
 
 これに対してシュミットは『政治神学』において、あらゆる法の根源には決定があるとの決断主義思想を打ち出した。例外事態における主権者の決定にしろ、平常時における司法や行政の決定にしろ、規範は決定の内容を隅から隅まで支配することはできない*4。非常事態や紛争を解決し、社会生活を日常的な状態に回復するのは、究極的には規範ではなく決定である。
 

 
 ところがシュミットは、1934年に刊行された『政治神学』の第2版に寄せた序文で、「私は現在、法学思考の種類を2つではなく3つに分類したいと考えている。すなわち規範主義・決断主義のほかに制度的な型を付け加えるべきだと考えている」と宣言した*5
 
 制度的思考とは何かを、シュミットは同じ1934年に刊行された『法学的思惟の三類型について』*6で展開した。そこでは、制度的思考に代えて具体的秩序思考という名称があてられている。ドイツ人にとっては、Institution(制度)ということばは、外来語の持つあらゆる短所を備えているが、長所はほとんど備えていないからというのがその理由である*7
 
 具体的秩序思考は、あらゆる法の根源には何らかの具体的秩序があると考える。規範主義からすれば、あらゆる法の根源には規範がある。犯罪は法規範が定める構成要件に該当する行為であり、契約や決定もすべて、法規範の適用の結果にほかならない。
 
 規範主義思考は、人間の行為は予め定められた一般的規範の単なる関数だとするが、こうした思考様式は、人間の行動が列車の時刻表のように、すべて非個人的・客観的で予測可能な機能主義的秩序によって支配されることを前提としている*8
 
 つまり、そうした標準的な具体的秩序の存在と機能が、規範主義思考の前提である。結局のところ、個々の法規範が寄り集まって秩序を構成するのではなく、特定の具体的秩序がまず存在し、その手段として法規範が適用される。
 
 決断主義思考の多くもそうである。
 
 教皇の不可謬的決定を主張するローマ教会は決断主義的要素を含んではいるが、教皇の決定がカトリック教会の秩序と制度を基礎づけるわけではなく、むしろこの秩序の存在を前提とし、その内部で教皇の決定は行われる*9
 
 もっとも、何らの秩序の存在も前提としない純粋で例外的な決断主義思考もある。万人が万人と戦う無秩序な自然状態から主権者の始源的決断によってはじめて法秩序が創設されるとするトマス・ホッブズに、そうした純粋な決断主義を見出すことができる*10
 
 シュミットによると、ドイツでは、規範主義と決断主義の結合によって産み出された長年にわたる法実証主義の時代を経て、ナチス政権が成立した今、具体的秩序思想が蘇った。規範主義も決断主義も、規範設定前の個人、決定前の個人は、何ものにも拘束されない自律的な存在であるかのように想定するが*11、実際には規範も決定も、何が標準的な行動であるかに関する具体的秩序を前提としてはじめて成り立つ。
 
 民族共同体(Volksgemeinschaft)としての国家を担う運動(ナチズム)は、総統(Führer)に対する堅固で無条件・無限定の忠誠によって支えられる。法秩序の各所に出現しつつある「信義誠実」「善良なる風俗」等の一般条項は、新たな具体的秩序思想を全法秩序にわたり隅から隅まで貫徹し、実証主義思想を克服する手段となる*12。ここでは一般条項が、規範秩序とその外側の具体的秩序を連結する消失点となる*13
 
 現代日本の憲法学においても、私人間の基本権効力に関して、私法上の一般条項を通じて憲法に定められた基本権の価値を私法秩序に浸透させるべきであるとの通説・判例があるとされることがあるが*14、発想の起源がどのあたりにあるかという論点について無関心であるわけにはいかないであろう。
 

 
 問題は、ナチス支配下のドイツにおいて、実定法に先行する具体的秩序は存在するかである。
 
 1933年1月末、クルト・フォン・シュライヒャーは首相を辞任した。ヒンデンブルク大統領はアドルフ・ヒトラーを首相に任命した。3月の議会選挙で政権基盤を固めると、ヒトラーはラント政府を解体して各ラントを中央政府の支配下に置く。3月23日には授権法が成立し、ヒトラーは立法権を含む全権を掌握した。4月7日には公務員制度復元法(Gesetz zur Wiederherstellung des Berufsbeamtentums)が成立し、大学を含めて、ユダヤ人や反ナチ派のパージが始まる。
 
 この間に、シュミットは友人のヨハネス・ポーピッツに促されてナチス立法の立案に関与し、1933年5月にナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の党員となっている。10月にはベルリン大学の教授となった。
 
 1934年にはいると、ヒトラーは軍部・官僚組織内の保守派とナチス内部の急進派の深刻な対立に直面することとなる。ナチスの準軍事組織である突撃隊(SA)のリーダー、エルンスト・レームは政権奪取の果実を配分する「第二の革命」を要求したが、ヒトラーは戦争準備のために保守派の支持を必要とした。400万人を超える突撃隊による日常的な暴力行為は、体制の攪乱要因となっていた。突撃隊を抑制し、治安を回復することができなければ、軍部は老齢のヒンデンブルクの後継者としてヒトラー以外の人物を選択し、軍事独裁体制の樹立を目指しかねない。ヒトラーは決断を迫られていた。
 
 6月30日、ヒトラーは部下を引き連れてみずからレーム等突撃隊の幹部の滞在するホテルに突入し、彼らを捕縛して殺害した。さらにこの期に乗じてシュライヒャーやエドガー・ユング*15等、ヒトラーの追い落しを画策していた保守派のリーダーたちも粛清された。100人以上が殺害されたが、突撃隊のメンバーはその約半数にとどまる。「長いナイフの夜 Nacht der langen Messer」と呼ばれる粛清事件である。
 
 ヒトラーの凶悪ぶりと残虐さは、誰の目にも明らかとなった。ヒトラーは7月3日、「6月30日から7月2日にかけて反逆および重反逆を企む攻撃を鎮圧するためにとられた措置は国家の緊急の自己防衛として合法である」との1カ条からなる「国家緊急事態における措置に関する法律」を布告した。実際のところ、突撃隊が叛乱をたくらんでいた証拠はない*16
 
 シュミットも今や、自身が何者に仕えることとなったかを思い知ったはずである。
 
 しかし、彼がこの事件に対応してとった行動は、ヒトラーを正面から弁護することであった。同年8月に公表された「総統は法を護持する Der Führer schützt das Recht」*17は、ヒトラーが、「最高の法の裁定者(oberster Gerichtsherr)として法を直接に創設し」、最悪の乱行に対して法を護持したとする*18
 
 「直接に unmittelbar」ということばが鍵である。
 
 ヒトラーの行為はあからさまな組織的テロである。殺害にあたって、即決裁判の形式さえとられてはいない。しかし国家の危機にあたっては、所与の実定法秩序にもとづく間接的な行動ではなく、直接に法を実現する行動が求められる。それが最高の法の裁定者たる総統が行ったことである。「実際、総統の行為は真の裁判権の行使であった」*19
 
 党派的意図に濃く彩られた、その場凌ぎのぶざまな言い訳にしか聞こえない。政権の実情は、法の擁護と実現どころか、暴力団の内部抗争の様相を示していた。シュミットの浩瀚な伝記を著したラインハルト・メーリングは、この論稿を「予防的自衛」の戦略にもとづくものと形容している*20
 
 シュミットはハイデガーと同じく、遅れてきたナチ──いわゆる3月ナチ党員(Märzgefallene)──である。
 
 1933年1月のナチスの政権掌握にいたるまで、彼はブリューニング、パーペン、シュライヒャーの政府に参与し、ワイマール憲法48条の定める大統領緊急命令にもとづく、議会抜きの権威主義的政権運営を支えていた*21。パーペン内閣の下でのプロイセン政府の罷免と権限収奪(Preußenschlag)をシュミットは国事裁判所で弁護したが、この強制措置には、プロイセンにおけるナチス政権の成立を阻止するねらいがあった*22
 
 1933年以降、シュミットはオットー・ケルロイター、ラインハルト・ヘーン等の過激なナチス御用法学者からライバル視され、36年12月には親衛隊(SS)の機関誌からユダヤ人に好意的なカトリックであるとの非難攻撃を受けて政治的影響力を失っている。彼がベルリン大学の教授職まで失わなかったのは、ヘルマン・ゲーリングの個人的庇護のおかげである*23
 
 しかし、オリヴィエ・ジュアンジャンが指摘するように、機会主義的な手管とばかりも言い切れないところが、この論稿にはある。「長いナイフの夜」で、総統は具体的秩序に内在する法を直接的に実現した。ナチスの法思想においては、何が民族共同体の具体的秩序であるかは総統がみずから決定し、形成(Gestaltung)する。つまり総統が護持する法は、総統がこれが法だとするものである。総統による法の護持は、トートロジカルに自己実現する*24
 
 具体的秩序はある意味では実定法に先行して存在するが、その内容が何かを知るのは総統のみである。総統による融通無碍な秩序形成によってはじめて人民は何が具体的秩序であるかを知ることができる。それが指導者原理(Führerprinzip)──総統こそが秩序の源泉(Prinzip)──の意味である*25。総統は人民を代表せず、人民と一体化し人民を体現する。民族的(生物学的)同質性によって一体性は予め実質的に保障されている*26
 
 このことは、具体的秩序思考を打ち出すことで、シュミットが決断主義と訣別したわけではないことも意味している*27。何が具体的秩序であるかは、ナチス支配下では総統の決定と秩序形成によってのみ判明する。その限りでは、ホッブズの描く決断主義的主権者と同様である。
 
 結局のところ、具体的秩序思考は、純粋な決断主義へと落ち込むことになる。具体的秩序という概念は、総統に委ねられた恣意的かつ始源的な決定権限を覆い隠すカムフラージュにすぎない*28
 
 ホッブズの主権者は人民の平和な社会生活を保護するために法を設定する。そのためには、一般的・抽象的な法規範を設定することによって人々の予測可能性を保障することが肝要となる。しかし、総統による融通無碍な形成を待ってはじめてその内容が明らかとなるナチスの具体的秩序において、予測可能性の保障に意味はない。予測可能性は、支配者と被支配者の別個性を前提とするが、民族共同体では総統と人民とは不即不離の一体である。
 
 それを果たして「秩序」形成と言い得るであろうか*29。ここで「秩序」が意味しているのは、混沌たる無秩序である。およそ正当化し得ないものが正当化されている*30
 
 1934年にはじめて、シュミットが決断主義から具体的秩序思考へと劇的転回を遂げたとの従来からの見方には、イェンス・マイアヘンリッヒも疑問を呈している。彼によると、シュミットの制度的思考は、1934年の『法学的思惟の三類型について』で開始されたわけではない。シュミットは法学者として出発した当初から、制度を志向するアプローチをとっていた*31
 
 マイアヘンリッヒによると、その背景には、シュミットの生きた時代状況がある。
 
 第一次世界大戦の敗戦でドイツ帝国が崩壊したとき、シュミットは30歳であった。敗戦後の革命や叛乱、ルール占領、大恐慌、政権を支える議会多数派が存在しない情勢と連動する街頭の暴力沙汰、ナチスによる政権奪取等、次から次へと襲いかかる混乱と不可測性の中で、シュミットが祈念したのは、確固たる制度が与えてくれる予測可能性と人生の意味であった*32
 
 極度の混乱はシュミットの私生活をも覆っていた。キャバレーの踊り子との最初の結婚は破綻し、二度目の結婚も夫人が重い結核に罹患していたこともあって、シュミットは複数人と婚姻外の性交渉を持っていた。裕福とは言えないにもかかわらず、金遣いの荒さもあってユダヤ人の友人から借金を重ねている*33。苦境において金を貸して助けてくれる者が彼の友であり、救済者であった。混乱と不可測性は、ある程度まで彼自身が意図的に作り出した状況でもある*34。受動的に投げ込まれただけの状況ではない。
 
 メーリングは、シュミットの人生を特色づける混乱と不可測性に別の光を当てる。
 
 人の生の不可測性は、人を宗教へといざなう。自身の能力と生きる時間の限界、存在の偶然性と不可測性を意識したとき、それを切り抜けるために人が頼るのが宗教である*35。シュミットは、自身の人生をつねに例外事態として、継続する偶然性と不可測性の状況、それを自らの決断によって切り抜けるしかない状況として捉えた。結果として救済が与えられるか否かについても、偶然性と不可測性が支配する。
 
 人は神が与えるものをそのまま受け入れるしかない。人格神と1対1で向き合う原始キリスト教の世界観である*36。こうした宗教心がシュミットの基底にあるのであれば、制度による予測可能性の確保にもおのずと限界がある。
 
 「例外事態について決定する者」という主権者の定義には、引き続く混乱と不可測性をその時々の決断によって切り抜けようとしたシュミット自身の生き方が投影されている。とはいえ、地球環境の大規模な変化が、人類の生存可能性に疑義を突きつけている現状からすれば、彼の想定した「例外事態」はまだ生ぬるいという見方もあり得るであろう。シュミットが意識していたアンチクリストの出現を押し止めるkatechonが求められているのは、まさに今の世界ではなかろうか*37
 

*1 Carl Schmitt, Politische Theologie (8th edn, Duncker & Humblot 2004 (1922)) 13; 邦訳「政治神学」菅野喜八郎訳・長尾龍一編『カール・シュミット著作集Ⅰ』(慈学社、2007)2頁。「政治神学」というタイトルにもかかわらず、この著作には神の存在証明も神義論もなく、神学と言い得る系統的な議論は見当たらない。あるのはせいぜい決定の前提にある法人格と人格神論の──つまり例外事態と奇蹟との──家族的類似性の指摘である。なお、他の文献についてもそうであるが、訳に忠実には従っていない。
*2 Ibidem 14; 邦訳3頁。主権は凍結されていると言われることもある。同じことである。
*3 Ibidem 18−19; 邦訳7頁。
*4 Ibidem 36−37; 邦訳24−25頁。
*5 Ibidem 8; 邦訳51頁。シュミットは、制度的思考の淵源として、モーリス・オーリウを挙げる。モーリス・オーリウの制度概念については、さしあたり、長谷部恭男『憲法の論理』(有斐閣、2017)11章:「モーリス・オーリウ国家論序説」参照。
*6 Carl Schmitt, Über die drei Arten des rechtswissenschaftlichen Denkens (Hanseatische Verlagsanstalt 1934); 邦訳「法学的思惟の三種類」加藤新平=田中成明訳・長尾龍一編『カール・シュミット著作集Ⅰ』(慈学社、2007)。厳密に言うと、「具体的な秩序と形成 konkrete Ordnung und Gestaltung」(ibidem 7; 邦訳346頁)である。
*7 Ibidem 57; 邦訳391頁。
*8 Ibidem 19;邦訳356頁。シュミットは、ユダヤ民族にとっては規範主義思考のみが唯一合理的な思考であると、婉曲語法で述べている(ibidem 9−10; 邦訳348頁)。
*9 Ibidem 26; 邦訳363頁。
*10 Ibidem 27−28; 邦訳364頁。
*11 Olivier Jouanjan, Justifier l’injustifiable : L’ordre du discours juridique nazi (PUF 2017) 221.
*12 Schmitt (n 5) 58−59; 邦訳392−93頁。
*13 Jouanjan (n 11) 220.
*14 最大判昭和48年12月12日民集27巻11号1536頁〔三菱樹脂事件〕。
*15 エドガー・ユングは、フランツ・フォン・パーペンのスピーチ・ライターであった。
*16 事件の背景と経緯については、Ian Kershaw, Hitler (Penguin 2009) 301−14参照。
*17 Carl Schmitt, ‘Der Führer schützt das Recht’ in his Positionen und Begriffe im Kampf mit Weimar – Genf – Versailles 1923−1939 (4th edn, Duncker & Humblot 2014); 邦訳「総統は法を護持する」古賀敬太訳・古賀敬太=佐野誠編『カール・シュミット時事論文集』(風行社、2000)所収。
*18 Ibidem 228; 邦訳252頁。
*19 Ibidem 228; 邦訳253頁。
*20 Reinhard Mehring, Carl Schmitt: A Biography (Daniel Steuer trans, Polity 2014) 322. 他方、シュミットの眼中にあったのはナチス体制下での立身出世のみであったとの見方もある(ibidem 329)。
*21 Reinhard Mehring, ‘A “Catholic Layman of German Nationality and Citizenship”?’ in Jens Meierhenrich and Oliver Simons (eds), The Oxford Handbook of Carl Schmitt (Oxford University Press 2016) 79.
*22 Mehring (n 20) 258−62. もう一つの狙いは、最大のラントであるプロイセンの人的・物的資源を中央政府の管理・処分下に置くことである。
*23 Ibidem 346−48. ちなみにシュミットを指して言われるKronjurist; crown juristは「桂冠学者」と訳されることがあるが、端的に「御用学者」と訳すべきであろう。Krone; crownには「政権側の」という意味合いがある。Kronzeuge; crown witnessは「検察側の証人」である。
*24 Jouanjan (n 11) 223.
*25 Ibidem 187 and 229.
*26 カトリック教会、君主制、議会主義の組織原理は代表であり、代表者と被代表者の別個性と両者をつなぐ規範主義的委任関係を前提とする。これに対してナチズムは、総統とドイツ民族の内在的一体性を基礎とする(ibidem 161−62, 179−80 and 232−33)。
*27 Ibidem 233−34 and 244.
*28 Ibidem 36.
*29 See Mehring (n 20) 329. モーリス・オーリウもこんな思考様式の淵源と名指されたのでは、おおいに迷惑であろう。
*30 Jouanjan (n 11) 152.
*31 Jens Meierhenrich, ‘Fearing the Disorder of Things: The Development of Carl Schmitt’s Institutional Theory, 1919−1942’ in Jens Meierhenrich and Oliver Simons (eds), The Oxford Handbook of Carl Schmitt (Oxford University Press 2016) 172.
*32 Ibidem 174−76.
*33 シュミットの私生活については、Mehring (n 20)が詳細に記述している。
*34 Mehring (n 21) 86−89.
*35 Ibidem 85.
*36 Ibidem 90.
*37 アンチクリストの出現を押し止めるもの(katechon)は、シュミットにとって、自身の政治との関わりを弁証する概念として重要な意味を持っていた(Mehring (n 20) 395−96)。katechonは、パウロ書簡のうち、テサロニケ人への第2の手紙にあらわれる(2:6)。

 
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第33回 わたしは考える
 
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『歴史と理性と憲法と 憲法学の散歩道2』
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3,300円(税込) 四六判 232ページ
ISBN 978-4-326-45128-9

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b624223.html
 
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
本書のあとがきはこちらからお読みいただけます。→《あとがき》
 
 
連載書籍化第1弾『神と自然と憲法と』のたちよみはこちら。→《あとがき》
 

長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。