夢をかなえるための「アントレプレナーシップ」入門 連載・読み物

夢をかなえるための『アントレプレナーシップ』入門
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか

5月 13日, 2021 高橋徳行

 
起業は決して成功への一本道ではありません。紆余曲折があって初めて起業活動は成り立ちます。そのスタートは決して容易ではありません。多くの人はその現実に躊躇します。では、最初の第一歩をどのように踏み出すのでしょうか。今回はその事例を紹介します。[編集部]
 
 

 前回、日本の起業活動の特徴を紹介し、「起業態度を有しない」割合が先進国の中では極めて高いものの、「起業態度を有する」グループの中では、先進国の中でもトップクラスの起業化率(成人100人中の起業活動に従事している人の割合)であることをお話ししました。ただ、それでも、100人中15人前後の低い水準です。残りの8割以上の人はやはり起業という選択肢を選んでいません。それはなぜでしょうか。何かを「する」「した」理由は明快に説明できることが多い一方、「しない」「しなかった」理由の説明は困難と言われていますが、ここでは起業した人が起業した時の状況、もしくは環境空間に着目して、なぜ多くの人が起業を選択しないのか、選択できないのかを考えます。
 
能力の問題
 
 最初に触れておかなければならないのは、やはり能力の問題です。起業に必要な能力についての詳しい説明は次の次、つまり第14回に譲るとして、ここでは、それぞれの人が思うところの「能力」を思い浮かべてください。いずれにしても、起業する人は、その創業メンバーを含めて優れている、というのが筆者の持論です。
 
 例えば、学歴を見ると、第5回目に登場された村上由里子さんは聖心女子大学出身ですし、第7回の連載で紹介した、「株式会社BEARTAIL(最近社名をBearTailからBEARTAILに変更)」の4名の常勤取締役の学歴は、筑波大学2名(中退1名含む)、一橋大学、同志社大学各1名です。しかも、勤め先がないなどの理由で起業しているのではありません。
 
 この点を裏付ける資料として、図表1を用意しました。グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(Global Entrepreneurship Monitor:以下、GEM)によるものですが、起業の動機を尋ねたもので、分母は起業活動に従事している人全体です。ここからわかることは、一つには、「周りに仕事がほとんどないので、生計を確立したい」理由で起業した人は、他の理由、つまり「この世界を変えてみたい」「巨額の富を築きたい」人よりは総じて少ないこと、もう一つには、その中でも日本の場合、「周りに仕事がほとんどないので、生計を確立したい」理由で起業する人は他の理由と比べて相対的に少ないことです。
 
 学歴だけではありません。連載の第3回で紹介した「株式会社ようび」の大島正幸さんは、会社が全焼した後、従業員を解雇しないように毎月300万円を自分の働きで捻出しました。第9回の「株式会社YPP」の五味渕紀子さんは、連載ではあまり詳しく書けませんでしたが、勤務時代は、営業をテーマにした本を出版するなど、営業職でトップクラスの成績をあげていました。
 
 他にも、京都大学、住友商事、ハーバードビジネススクールを経て起業した堀義人(グロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー)、一橋大学、日本興業銀行、ハーバードビジネススクールの三木谷浩史(楽天グループの創業者)などは、典型的なケースとして、多くの人が知っているアントレプレナーです。
 
 肌感覚からも言えることですが、勤務先で「駄目な」人が起業するケースよりも、その中で輝いていた人が起業するケースが、圧倒的に多いと思います。
 

図表1 起業した理由(起業活動に従事している人を分母としたもの)

資料:Global Entrepreneurship Monitor(2020年)。

 
起業した人に対する誤解
 
 以上のことを踏まえて、改めて、起業という選択肢を選ばない、もしくは選べない人が、「起業態度を有する」グループにも8割以上存在するのかを考えてみます。
 
 それは、起業活動に対する2つの誤解です。
 
 一つは、成功した起業家は、成功した、今の状態を目標に突き進んできたと思っていることです。
 
 「株式会社ディー・エヌ・エー」は今のようにゲームで収益を上げる企業として始まったわけではありません。インターネット上にオークションサイトを提供する企業として出発しています。「株式会社サイバーエージェント」は、自らのメディアを持たないインターネット専門の広告代理店としてスタートしています。アマゾンも創業してしばらくは本だけを扱う企業でした。「ソフトバンクグループ株式会社」も文字通り、ソフトウエアの卸を主力業務としていました。1981年に創業した孫正義氏に対しては、「孫さん、あんなに在庫を抱えてしまって大丈夫かな」といった心配の声も同業者の間であったと言われています。
 
 いずれにしても、今の、成功した状態を見て、「私には無理」「彼らや彼女のように、先の先まで読めていない」「あのような凄いゴールは描けない」と諦めてしまうのは、とても残念なことです(図表2)。
 
 もう一つは、起業を取り巻く環境への判断に関するものです。1990年代後半に「これからインターネットコマースが爆発的に発展する」という判断は、今から考えると当たり前のように感じるかもしれませんが、当時は賛否両論ありました。
 
 事実、日本でも「楽天」が初めてインターネットコマースを手がけた企業ではありません。大手商社系の企業などがすでに挑戦していました。それらの試みが失敗に終わった状態での三木谷氏の参入でしたから、賛否両論があっても当然です。
 
 有名な話ですが、「ヤマト運輸」が宅急便を始めた時も、「荷物というものは、①いつ、②どのような荷物が、③どこから、➃どこに行くのかが事前にわかっているもの」というのが物流業界の常識でした。その中で、①いつ、②どのような荷物が、③どこから、➃どこに行くのかがわからない家庭と家庭を結ぶ物流を事業とするなど、ほとんどすべての人が反対しています(図表3)。 
 

図表2 起業家が辿るゴールまでの道筋

資料:筆者作成。

 
 実際に起業して、ある程度の実績を残した人の軌跡をたどると、ゴールに向かって一直線ということはありません。そもそも今の姿をゴールとするならば、そのゴールの姿すらイメージできていなかったケースも多いです。しかし、起業家を外から見ている人たちは、錯角しがちです。
 
 一直線にゴールに向かった人が起業に成功したのだと思ってしまうと、最初の一歩はなかなか踏み出せません。起業を取り巻く環境判断も同じです。新奇性の強い事業ほど、その事業が成り立つための環境や条件についての判断は分かれます。自分の意見や考えに賛成してくれない、同意してくれないことはむしろ正常な状態なので、そこで起業を踏みとどまる必要はありません。
 
 しかし、この2つのことが原因で、起業活動に踏み切れない人がいます。能力だけが問題ではないのです。
 

図表3 環境判断は一通りではない

資料:筆者作成。

 
目的のあいまい性
 
 アントレプレナーシップの理論に新しい視点を取り入れたサラス・サラバシーという研究者は、アントレプレナーが起業活動の過程で、到達したゴールに一直線に向かっているわけでないことを「目的のあいまい性」、企業を取り巻く環境判断が多様であることを「環境の等方性」と呼んでいます。
 
 この2点について、もう少し詳しく見てみましょう。
 
 まず、目的のあいまい性です。目的のあいまい性は、起業活動以外にもよく見られます。
 
 1968年2月にフランスのグルノーブルで開催された冬季オリンピックで、スキーの滑降、大回転、そして回転の3種目で金メダルを獲得した、ジャン・クロード・キリー(Jean-Claude Killy)の話を紹介します。冬季オリンピックのスキー部門で三冠王に輝いた選手は、キリーの他は、映画『白銀は招くよ』で主演を務めたことでも有名はトニー・ザイラー(1956年のコルチナ・ダンペッツ大会)のみです。
 
 そのキリーが、あるドキュメンタリー番組の中で、「幼少期を過ごしたフランスのヴァル=ディゼールの当時の人口は1,000人足らず、遊びと言えばスキーしかなかった」「とにかく村で一番になりたかった」と話しています。1964年のインスブルック大会(冬季オリンピック)で不本意な成績で終わった後は、次のオリンピックで勝つことに執念を燃やし続けたことは明らかですが、世界一、三冠王といった目標を最初から持っていたわけではありません(https://olympics.com/en/video/killy-un-temps-d-avance)。
 
 「株式会社ようび」の大島正幸さんのことをもう少し思い出してみましょう。2009年、⼤島さんは飛騨高山のオークヴィレッジで働いていました。その彼が、社会⼈となって4年⽬のある⽇、岡山県の⻄粟倉村を訪ね、⼀⼈の⽼⼈に出会い、その⼈の悩みを聞いたところから、起業活動が始まります。
 
 老人は、「森林に囲まれた村なのに、森の資源が⽣かせない。何とかならないか」と語りかけ、それを聞いた⼤島さんは、翌⽇会社に辞表を出して、起業します。会社に勤めながらではその⽼⼈の悩みを解決できないからです。
 
 所持⾦はわずか28万5千円。その他、所有していたハイエース(自動車)に⼿⼯具⼀式を積んで⻄粟倉村に移住しますが、この時点で決まっていたことは、「檜や杉を使った家具を製作する」ことだけです。家具を作るために必要な⼯場(建物)と機械(約400万円)は持っていませんでした。
 
 目的があいまいであることは、マイナスのイメージで捉えられるかもしれませんが、それは、自分一人で決定できない外部環境との関わりで創られる起業活動の宿命の一つでもあり、目の前のことに全力を尽くすという積極的な意味も兼ね備えたものなのです。
 
環境の等方性
 
 1997年にグーグルが、当時の検索エンジン会社のトップグループにあったExcite(エキサイト)に買収されそうになったという話は有名です。提示金額は160万ドル(1ドル100円とすると1億6000万円)と言われています。ちなみに、2021年3月末のグーグルの企業価値(企業価値は持ち株会社であるAlphabet Inc.の時価総額である)は、13,670億ドルです(1ドル100円とすると136兆6700億円)。今の時点では信じられませんが、当時、検索ビジネスの可能性に対する判断は大きく分かれていたのです(https://logmi.jp/business/articles/17358)。
 
 環境の等方性を企業経営に組み込もうとする試みを時々みかけます。少し古い話になりますが、今でも筆者が良く覚えていることの一つに、「ドトールコーヒー」の創業者である鳥羽博道氏の次のような発言があります。2000年夏に行ったインタビューの中での発言です。
 
 正直言って、スターバックスがエスプレッソを250円で売り始めた時(1996年8月に銀座で第1号店を出店)、そのようなマーケットが存在しうるかどうかについては懐疑的でした。でも、そういった動きに対しては昨年(1999年)にすばやく対応した。すでにあった「エクセルシオール・カフェ」(当時25店舗)をエスプレッソ中心の店に切り換えました。実は、このエクセルシオールは、プロントが出てきた時に、一体これから、昼はコーヒー、夜はアルコールといった二毛作スタイルが根づくのか、コーヒー専門のドトールスタイルなのか見えなかったので、その布石として展開したものだった。いわゆる危機管理の一つです。この危機管理に数億円の出費はあったが、そうした布石を打っていたことによって、スターバックスの進出に対してすばやく手を打てたのだと思います(図表4)。
 
 喫茶店などの飲食店は出店する場所の確保が必要なので、簡単に出店数を増やすことはできません。「スターバックス」に対抗できる店舗をすでに25店舗持っていたことの時間節約効果はかなり大きかったと思われます。
 

図表4 スターバックスの進出とエクセルシオール


 
 起業活動に従事するには能力は必要です。しかし、能力以外にも、私たちが起業の世界を遠ざけている要因があることをお話ししました。起業の世界に入る前の阻害要因です。しかし、多くの人は、次のようなことが気になるかもしれません。
 
 目的はあいまいでも構わない、起業環境の判断は十人十色でも構わないということは分かったけれど、実際に起業した後のリスクや不確実性への対応はどうすれば良いのか。それがわからない限り、やはり踏み出せない。
 
 次回は、起業した後のリスクや不確実性にどのように向き合うことができるかを考えていきたいと思います。
 


 
》》》バックナンバー
①日本は起業が難しい国なのか
②起業活動のスペクトラム
③「プロセス」に焦点を当てる
④良いものは普及するか
⑤Learning by doing
⑥連続起業家
⑦学生起業家
⑧社会起業家
⑨主婦からの起業
⑩ビジネスの世界だけではない
⑪不思議の国の企業活動:「日本」
⑫なぜ第一歩を踏み出せないのか

高橋徳行

About The Author

たかはし・のりゆき  1956年北海道生まれ。1980年慶應義塾大学経済学部卒業。同年国民金融公庫(現日本政策金融公庫)入庫。1998年バブソン大学経営大学院(MBA)修了。2003年より武蔵大学経済学部教授。2015年より同大学経済学部長(2017年まで)。2022年より同大学学長。主著は、『起業学の基礎』(勁草書房)、『アントレプレナーシップ入門』(共著、有斐閣)などがあり、訳書としては『アントレプレナーシップ』(共訳、日経BP社)などがある。日本ベンチャー学会清成忠男賞審査委員長、日本中小企業学会幹事、企業家研究フォーラム理事、グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)日本チームリーダーなどを兼任。