ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 05〉戦場ジャーナリスト、君死にたまふことなかれ
ジャーナリストは現場で難問と向きあい、悩みながら情報を送り出しています。でも彼ら送り手だけで「報道(ジャーナリズム)」が成立するわけではありません。報道をとりかこむ場面も含めて考えてみたいと思います。
ジャーナリストは現場で難問と向きあい、悩みながら情報を送り出しています。でも彼ら送り手だけで「報道(ジャーナリズム)」が成立するわけではありません。報道をとりかこむ場面も含めて考えてみたいと思います。
取材という行為自体、対象になんらかの影響をあたえてしまいます。だからといって開き直って運動にかかわることもできません。一記者として、一市民として、目の前にある問題にどう向きあうか。自分の後頭部を見つめるもうひとりの自分がいます。
「そもそもオフレコ取材なんてするからダメだ」というのは簡単です。原則オンレコなのは当然。とはいえ原則だけで突っ走れない以上、場面にあわせて考えてみる機会が大事ではないでしょうか。
〈CASE 02〉 人質解放のため報道腕章を警察に貸すべきか 一刀両断には結論を出せない報道の現場で直面する難問を、実際にあった事例をもとに問い直していく連載の2回目です。前回に続き、人命が危険にさらされる場面で起こった問題にどう向きあうのか、従来的な視点から一歩踏み出して考えます。
瞬間的な判断を迫られ、基本原則や倫理規定も万能ではない。ジャーナリストが直面する難問を実例から考える。第1回はあの有名な写真をもとに。