コヨーテ歩き撮り#112
三河湾の鬼あさりは、まるで秋の果実。焼いて、噛みしめれば、まるで海に潜ったような気持ち。 This giant clam is from the Bay of Mikawa. It’s some sort of autumn fruit, really. Grill it, chew it, and suddenly you find yourself plunged under the blue water.
三河湾の鬼あさりは、まるで秋の果実。焼いて、噛みしめれば、まるで海に潜ったような気持ち。 This giant clam is from the Bay of Mikawa. It’s some sort of autumn fruit, really. Grill it, chew it, and suddenly you find yourself plunged under the blue water.
映画『あたらしい野生の地 リワイルディング』の舞台となったオランダの干拓地、オーストファールデルスプラッセン。野生馬コニックと接近遭遇です。 Rewilding is taking place strongly in Holland. This is Oostvaardersplassen, the wetland where the film The New Wilderness was shot. A close encounter with a wild horse on a summer afternoon.
連載第6回の今回は「連続起業家」なるものを取り上げます。日本では極端に少ないと言われる連続起業家ですが、その本質は何でしょうか。日本でもそういった起業家が増えることを願っています。[編集部]
ジョン・メイナード・ケインズの『雇用・利子および貨幣の一般理論』は、終わり近くの第23章で「高利usury」に関するアダム・スミスとジェレミー・ベンサムの論争に触れている。 「高利」という概念は多義的であるが、いずれにせよ否定的な評価を伴っている。動産や金銭の貸借にあたって、利子を一切とるべきではないという立場からすると──後で説明するように、こうした立場は歴史上、稀ではない──あらゆる利子は「高利」であって許されない。他方、ある程度の利子をとることは許されるが、破格に高い利子をとることは借手の事業と生活を破綻させるし、そうした行為が広まると健全な事業主が資金に欠乏することになり、一国の経済にも悪影響を与えるので許すべきでないという立場もある。……
カリブ海の歴史の影とは、かつてのヨーロッパ列強による奴隷制植民地社会だ。 友人が住むサン=バルテレミー島、この島で演奏をしないかと誘ってくれた。 小アンチル諸島・リーワード諸島北部に位置する、サン・マルタン島のオランダ領からフランス領へ移動する。 一つの島が二つの国の領土として二分されている摩訶不思議な事実を前に、大西洋を横断するもここがEU圏であることの意味を探す。
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子、フランツ・フェルディナントは、6年前に同帝国に併合されたボスニアのサラエヴォで暗殺された。 彼の暗殺を企て実行に移したセルビア人たちはすべて10代で、腕利きの暗殺者ではなかった。1人が投げた爆弾は皇太子の車のトランクで跳ね返って後続の車両を破壊した。フェルディナントはしかし、視察を継続すると言い張る。彼の車両のチェコ人の運転手はサラエヴォの街並みに不慣れで、道を間違えた。戻ろうとして運転手が車両を止めたのは、ちょうどテロリストの1人の面前であった。彼は皇太子を射殺し、夫人に重傷を負わせた。……
思い切りアメリカンなダイナー。気に入って毎日行きました。 A surprisingly American diner in Lahti. I loved the place so much that I ate there every day of my sojourn.
新疆ウイグル自治区、ウルムチ、外気摂氏マイナス10度。 「後ろを振り向かないでください。わたしたちは監視されています。」
これがカレリアン・ベアー・ドッグ! フィンランドまで来た甲斐がありました。 This is the Karelian Bear Dog... sort of like the Akita of Finland. This unexpected encounter really made my day!
啓蒙思想家として知られるクリスティアン・トマジウスは1655年、ザクセン公国のライプチヒに生まれた。父のヤーコプ(1622-84)は、ライプチヒ大学の哲学教授であった。クリスティアンは、1669年、同大学に入学し、1672年に修士号を取得する。 1672年は、ザムエル・プーフェンドルフの『自然法と万民法De jure naturae et gentium』が刊行された年でもある。クリスティアンは後に、プーフェンドルフの自然法に関する著作と父親のグロティウスに関する講義とを、彼を法学の研究へと向かわせた主な要因として挙げている。……