コヨーテ歩き撮り#80
「ハバナ色」といいたくなる組み合わせがあるみたいです。熱帯の熱を、絶妙に涼しくする感覚。ハバナ市街のまんなかで。
「ハバナ色」といいたくなる組み合わせがあるみたいです。熱帯の熱を、絶妙に涼しくする感覚。ハバナ市街のまんなかで。
リハーサルの後、あるいは演奏の後はみな腹ペコだ。 途中バナナやもろこし、炒ったり茹でたりしたピーナッツを食べるが、演奏をするそばで女性たちが作っているごはんの香りが気になる。休憩時に彼女たちのそばに寄り、何を調理しているのか鍋の中を覗く。
那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって語り合う対話連載、今回は学習院大学の若松良樹さんのご登場です。じつは学生時代からお付き合いのある同窓のお二人。あいまいなところへ、繊細に近づこうと、久々に差し向かいでお話しいただきました。【編集部】
「名前のない家事」をめぐる平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、久しぶりの更新は山根さんから平山さんへ。SAを社会化する=分有の可能性から、【感知・思案】をめぐるジェンダー不均衡是正への道筋を探っていきます。
ハバナ旧市街地のグラフィティ。「現実主義者になりなさい、不可能を求めるんだ」というシュルレアリスト/シチュアシオニスト的メッセージが効いてます。われわれに必要なもの。
新聞等でよく見かける「両論併記」の問題点を、異論対論という両論併記スタイルで議論……? 前回更新から約1年ぶりにご登場。本連載をまとめた単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』とあわせて、ふたたび一緒に悩んでみてください。[編集部]
ナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐる対話シリーズ、本格スタートはやはり慶應義塾大学の大屋雄裕さんから。レッシグにはじまり、これからの社会に求められる“規範起業家”まで、幅広い視点からの、そしてきわめてクリアな議論の刺激をどうぞご一緒に。【編集部】
光が神の徴だとしたら、突然現われた彼は神の顕現かな。神々しい人でした。汚れた街路が突然に変容する瞬間。ハバナにて。
青空を見ていると自分が帰ってゆくところがあるような気がする、みたいなことを書いた詩人がいたじゃない。その気持ちもわかるけれど、ほんとうはヒトは空には全面的に拒絶されている、閉め出されている。帰ってゆくべきところがあるとすれば、それは海。陽光がゆれ無限のパターンを生む、光の海。ハバナにて。
『熟議が壊れるとき』の編・監訳者である法哲学者の那須耕介さんが、ナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって、同時代の気になる方々と繰り広げた対話連載がスタートします。まずは、ホスト役の那須さんが、自身の「問題意識」を語りました。いま、このややこしい時代だからこそ話ししてみたいと考えたのはなぜなのか、ちょっと意味深なタイトルの意味を含めて、はじまりはじまり――。【編集部】