実践

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 17〉犯人の主張を報道すれば犯罪の手助けになるか

主張は耳を傾けるべき内容がある。けれど、それが人質をとってなされた主張だったら? そのまま伝えていいのか。社会の歪みが凝縮されているような場面で、人質の安否情報も重なるとき、どういう道筋で考えることができるのでしょうか。[編集部]

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 16〉経営破綻を報じる時宜と大義

金融機関の「経営危機」を伝える報道は、預金者からすれば一刻も早く知りたい情報。しかし破綻していない以上、どう転がるかはわからない。それなのに危機と書いていいのか。そんな現在進行形の事態に経済報道は向きあうべきか考えます。[編集部]

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か

もはやインターネットのない世界は、仕事でも日常生活でも考えられません。そんな時代のジャーナリズムならではの新しい問題として、「忘れられる権利」という言葉とともに考えてみます。[編集部]

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 12〉取材先からゲラのチェックを求められたら

報道する以上、記事の精度は上げたい、しかし“検閲”につながる危険性もある――。「事前チェック」は媒体によって慣行も異なる上に、最近は一方で「確認」の手間を取材先に投げる傾向も指摘され、入り組んでいます。[編集部]

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 11〉メディアスクラムという名の人災

マスメディアをめぐる問題の筆頭にもあげられる「メディアスクラム」。今回は、被取材者の視点をかりて、メディアスクラム、さらにその先にあるものを考えてみたいと思います。[編集部]

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 09〉小切手ジャーナリズムとニュースの値段

「お金」と「ジャーナリズム」の関係は、どの場面についてどういう立場から考えるかで、見立てが大きく変わりそうです。お金を介在させられるのか、させていいのか。重要だけれど語られにくい問題を、まずは「有料記者会見」の事例から掘り下げます。[編集部]

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 08〉原発事故、メディア経営者の覚悟と責任

ジャーナリズムの担い手は現場の記者だけではありません。原発が事故を起こしたとき、メディア企業の舵取りをする経営者はどのような事態に直面し、どのような判断を迫られるのか、そして現場の記者はどう考えるのかを改めて整理したいと思います。[編集部]

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