ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 04〉ジャーナリストと社会運動の距離感

6月 14日, 2016 畑仲哲雄

 
 

3:: まとめと解説

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 今回の思考実験で問われていたのは、報道と市民活動との微妙な距離感である。
 報道記者にも市民的な活動に参加する権利がある。地元の草野球チームで監督を務めたり、河川敷の清掃ボランティアに参加したり、町内会報の編集長を任されたり……。こんな活動なら、会社も世間も目くじらをたてはしないだろう。
 しかし、政治的な目的を掲げる団体の一員としてデモ行進したり、ソーシャルメディアで特定の政治家への支援を表明したりすれば、どうだろうか。
 2011年以降は大規模な反原発デモがおこなわれ、2015年には安保法制や憲法改正に「ノー」を突きつける集会が幾度も開かれた。醜悪なヘイトスピーチや、それに抗議するデモもあった。ひとりの市民として政治的な活動に参加したり、ネットで意見表明をしたりしたいと思う記者や編集者がいたとしても不思議ではない。だが、ニュース取材にかかわる記者で、公然と政治デモに参加し、マイクを手に演説している人はほとんどいないのではないか。
 戦後日本のジャーナリズム関係者が「お手本」としてきたアメリカ新聞界では、記者はあらゆる結社や団体から距離を取るべきだとする考え方が根強い。ひとつの典型はワシントンポスト元編集主幹のレナード・ダウニーだ。彼は現役の政治記者時代、じぶんの記事が偏向しないよう投票を棄権していた(1)。いくらなんでも、それはやりすぎだが、CNNでは中東担当のベテラン記者が、イスラム教シーア派組織ヒズボラの指導者の死去した際、「尊敬していた」とツイッターでつぶやき、職場を追われた。イスラエル支持者から「バイアス(偏向)の証拠だ」と抗議の声が上がったためだ(2)(3)。
 偏向を疑われないように振る舞うべきという意識は、日本の主流メディアにある。朝日新聞記者行動基準は「独立性や中立性に疑問を持たれるような行動」や「報道の公正さに疑念を持たれる恐れ」を避けるよう命じる(4)。朝日に限らず、日本の代表的な新聞社ならどこでも、特定の立場を擁護したり(アドボカシー)、世論を誘導したりしていると疑われないよう記者たちを戒めている。

大手新聞社や放送局のなかには、市民活動を外から取材するだけの記者もいるが、内部で活動している記者も増えているようだ。 Photo credit: getdarwin via Visual hunt / CC BY-NC-ND
大手新聞社や放送局のなかには、市民活動を外から取材するだけの記者もいるが、内部で活動している記者も増えているようだ。
Photo credit: getdarwin via Visual hunt / CC BY-NC-ND
 さて、思考実験にある「小児科を守るグループを作ろう」という提案は、地域住民が主体的に問題を解決する「まちづくり」に通じる。特定の政党を支援したり、排撃したりするものではない。ただ、記者が取材対象に働きかけ、行動を促せば、いたくもない腹を探られる危険性もある。
 だが、ジャーナリストの問題意識が起点となって展開されたキャンペーン報道は数多い。全国紙のものもあるが、数でいえば地方紙が圧倒している(5)。信濃毎日新聞社元副社長の猪俣征一が「地域=現場に立脚してこそ、国や世界の真実が見えやすい」と述べているが(6)、日本新聞協会が90年代以降に表彰したキャンペーンの8割以上が地方紙の報道だ。猪俣の口を借りなくとも、今回の主人公が格闘しているのは、狭い町のちっぽけな問題ではなく、日本社会が直面している困難の最前線であることは論を待たない。
 ところで、アメリカの新聞界でも、地域の問題を改善することを目指したキャンペーン報道が1990年代に数多みられた。河北新報記者の寺島英弥によれば、地元住民を招いて読書会を催した例や、キッチンカーのピザ店を繰り出して学校帰りの高校生から本音を引き出した例など、方法はさまざまだ。共通しているのは、地域メディアの記者たちによって試みられていること。これらキャンペーン報道は、シビック・ジャーナリズム、あるいはパブリック・ジャーナリズムと呼ばれる(7)。
 これに対し、「高級紙」とされるニューヨークタイムズやワシントンポストのジャーナリストたちは懐疑的で(8)、先述のダウニーなどは「完璧に間違っている」と断じている。ジャーナリストは出来事の観察者に踏みとどまるべき。当事者になればニュースが恣意的になり客観性が保てない。世論誘導はもってもほか。主権者=国民が正しい判断をするために必要なのは、客観的な事実報道だけ。アダム・スミスが「神の見えざる手」という言葉で論じた自動調整機能にも似た考えが彼らのなかに沈潜している。
 こうした考え方には批判も多い。パブリック・ジャーナリズムを理論面で支えたメディア研究者ジェイ・ローゼンは、人々が地域活動に参加してパブリック・ライフ(公共的な暮らし)を良くしていくよう手助けするのもジャーナリストの仕事ではないかと反駁した(9)(10)。ローゼンが手がかりにしたのは教育哲学者ジョン・デューイの思想だ。デューイは20世紀初頭に、デモクラシー再生のためには人々が報道を通して問題を語り合うことが重要であり、報道媒体だけでは足りないと語っているが(11)、ソーシャルメディア時代にも説得力をもつ論である。
 ジャーナリズムの営みは、もとはといえば自由主義やデモクラシーを推し進める実践であり、ジャーナリストは社会を変革していく政治的な存在だったはずだ。だが時を経るにしたがい、マスメディア企業はみずからの影響力を強め、ジャーナリストたちは公平・公正・中立・客観・不偏不党……の制約のもとでニュースを送り出す被雇用者に矮小化されたように映る。表現の自由を体現することを期待されるジャーナリスト自身が、集会・結社・言論の自由という市民的権利を制限されるのだとすれば、大いなる矛盾をはらんでいるといえる。
 

4:: 実際の事例

栗や小豆の産地として知られる兵庫県丹波市は、10年ほど前、医療崩壊の危機に瀕していた。山里にあって子どもが入院できる唯一の総合病院で、小児科の医師が次々と職場を去っていた。理由は、慢性的な人手不足と過酷な勤務。これに危機感を覚えた地域の母親たちが2007年4月、「県立柏原(かいばら)病院の小児科を守る会」を作り、活動をはじめた。
 「守る会」が最初に取り組んだのは署名集め。医師の増員を求めて5万筆超を県に提出したが、願いは聞き入れられなかった。発憤した母親たちは、自分たちの力で医師たちが働きやすい環境を整えようと、地元での啓発活動に組んだ。
 掲げたスローガンは、①コンビニ受診を控えよう、②かかりつけ医をもとう、③お医者さんに感謝の気持ちを伝えよう。子どもがいる家庭向けに、救急で受診する前に自宅でチェックできる項目をまとめた冊子を作ったり、病院の医師たちに感謝の気持ちを伝える手紙を書いたり、自分たちで勉強会を開いたり……。
 地道な活動が、全国の医療関係者の間で評判になった。会結成翌年の2008年7月には、当時厚生労働大臣だった舛添要一が視察に訪れて、母親たちを絶賛した。代表者である丹生裕子はシンポジウムや研究会、講演会に引っ張りだこになり、2009年12月にはテレビ東京の番組でドラマ化された。2012年には野田佳彦が総理大臣として丹波を訪れている。
 ここで注意しておきたいのは、「守る会」結成の前日、兵庫県丹波・篠山両市で週2回刊の地元紙『丹波新聞』の記者が子育て中の母親たちを集めて座談会を開いていたことだ。記者の足立智和は、それまで幾度も医師不足について警鐘を鳴らす記事を書いていた。
 座談会で何があったのか。「守る会」のホームページにこう記されている。

 座談会の目的は「柏原病院小児科・産科の危機を子育て世代はどのように感じているか?」ということを、記者自身が知りたいというものでした。
 「そんなの困る」「何でこんなことになったの?」「これからどうしたらいいの?」母親たちからの不満めいた声が続く中、足立記者が「お医者さんの勤務がどれだけ過酷か知ってる?」と声を掛けると、その場にいた1人の母親が体験談を語り始めました。
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 喘息発作の子どもを連れて夜間救急を受診した。夜8時に病院に行くと、すでに30人ほどが待っていた。やっと診察の順番が回ってきたのが午前2時。入院が決まり病室に通されたのは明け方の4時だった。
 そのまま親子で寝てしまったが、翌朝目を覚ますと「処置しておきました」と書かれた置手紙がベッドサイドにあった。そして、翌日も普段どおりに診療を行う先生を見たとき、「先生、寝てないんだ」ということに気が付いた。
 「うちの子の病気のこと考えたら、柏原病院の小児科がなくなるんは、ほんまに困るんや……でも、先生のあんな姿見とったら『辞めんといて』とは、よう言わん……」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 最後は涙声になっていました。先生に辞められたら本当に困ってしまう、そんな母親が、そこまで言うなんて……。それほど先生方は疲弊していらっしゃるのか……。
 子どもが幸い健康で、柏原病院にかかったこともないような他の参加者にとって、この言葉は本当に衝撃的でした。
(県立柏原病院の小児科を守る会ホームページ、取得2016年6月4日http://mamorusyounika.com/aisatu.html

 活動を始めた人たちは、足立から背中を押されたという実感をもっているが、足立は運動団体を作るよう指図したり提案したりはしていない。主役はあくまでも母親。全国紙や県レベルの地方紙も、「守る会」をニュースで取り上げるさいには、足立記者や地元新聞の貢献には触れず、「母たちがおこした奇跡」のような美談に仕立てがちだ。
 地域の問題に取り組む活動を顕彰する「地域再生大賞」(共同通信社と地方新聞46紙の主催)は2011年、「守る会」に第1回準大賞を授与した。推薦したのは丹波市内を発行エリアとする神戸新聞社。患者たちの意識を変えた母たちのを褒め称えたが、足立や丹波新聞社の貢献はきれいに捨象されていた。
 「守る会」が作られた当時、柏原病院の小児科をひとりで守っていた和久祥三は、足立を「救世主」と呼び、研究会や講演会で医療者とジャーナリストとの協働の大切さを訴え続けているし、足立は「守る会」の母親たちにとっていまも相談相手だ。
 かつて足立に「報道と運動との一線をどのように引いているのか」を尋ねたことがある。足立の口から帰ってきた言葉は「そんなこと考えたこともなかった」であった。
 全国紙や地方紙は丹波の医療問題には冷淡だった。『丹波新聞』は当時「丹波医療新聞」といわれるくらい危機を知らせる記事を書いていた。だが、地域住民が動こうとしない。そんなとき座談会を思いついた。
 上司のデスクに相談することもなく、ポケットマネーを投じ、ケーキと飲み物を振る舞ってまで母親たちに集まってもらった。「運動するグループができたらいいな、そんな機会になればなあ」と期待してのことだった。
 結果的に「じゃあグループを作るか」と言ったのは参加者の側だったが、その声があがらなかったら「座談会参加者を誘って自分でグループを作るつもりだった」。
 

5:: 思考の道具箱

 
■キャンペーン報道 キャンペーンという言葉は、NPO・NGOの活動や選挙戦、広告宣伝などで広く使われている。ジャーナリズムの文脈でいえば、特定の社会問題について社を挙げて集中的に取り上げる報道のことをいう。1990年代のアメリカで多数の地方紙が取り組んだパブリック・ジャーナリズムもカンザス州の地方紙が取り組んだ投票率向上キャンペーン報道が最初の事例だった。「偏向」「誘導」との批判を避けるため、キャンペーンを実施していることを示すとともに、事実にもとづいて報道することが前提とされる。
■アドボカシー 日本語には対応する概念がなく、英和辞典では「弁護、支持、唱道、主張」などの訳語が紹介されている。NPO・NGO、ボランティア活動の分野では、「権利擁護」や「政策提言」の意味で用いる。具体的には、問題を抱える当事者が権利を知り、権利を使い、解決に取り組むとともに制度改革や政策転換をうながす際に用いられる。ただし、ジャーナリズム論の文脈にあてはめれば、アドボカシーとは、こんにちの「客観的」なニュース報道が確立する前からあった、主義主張を展開するタイプの手法と解される。紙面編集の一部をNPOが担っている地域紙『上越タイムス』(新潟県上越市)では、記者によるジャーナリズムと市民活動家たちのアドボカシーとが共存していることで知られている。
 
[参考文献]
(1)ジェイムズ ファローズ(1998)『アメリカ人はなぜメディアを信用しないのか――拝金主義と無責任さが渦巻くアメリカ・ジャーナリズムの実態』池上千寿子訳、はまの出版
(2)Stelter, Brian, ‘CNN Fires Middle East Affairs Editor’, New York Times, July 7, 2010
(3)朝日新聞「『ヒズボラ指導者尊敬』CNN記者、ツイッター投稿で解雇」2010年07月09日朝刊
(4)朝日新聞記者行動基準(取得2016年6月5日、http://www.asahi.com/shimbun/company/platform/kisha.html
(5)花田達朗・清水真・高田昌幸(2012)『日本の現場 地方紙で読む2012』旬報社
(6)猪股征一(2006)『新聞ジャーナリズム入門』岩波書店
(7)寺島英弥(2005)『シビック・ジャーナリズムの挑戦―コミュニティとつながる米国の地方紙』日本評論社
(8)Frankel, Max “Fix-It Journalism,” The New York Times Magazine, May 21, 1995.
(9)Rosen, Jay(1999)What Are Journalists for?, New Haven : Yale University Press.
(10)Glasser, T. L. ed. (1999) The Idea of Public Journalism, New York : Guilford Press.
(11)ジョン・デューイ(2010)『公衆とその諸問題』植木豊訳、ハーベスト社.
 
[その他の参考資料]
足立智和(2006)「柏原病院パンク寸前 医師不足、1年で9人減」2006年03月19日、丹波新聞ホームページ(取得2016年6月3日、http://tanba.jp/modules/features/index.php?page=article&storyid=37)、ほか多数
足立智和(2011)「先行事例 県立柏原病院の医療再生の現状――兵庫県丹波地域の住民の取り組み」『病院』70(9): 662-666.
梶本章(2011)「柏原病院小児科の再生 お母さんたちはどうして立ち上がったのか」『社会保険旬報』 2446: 20-28.
県立柏原病院の小児科を守る会ホームページ(取得2016年6月3日、http://mamorusyounika.com/
丹生裕子(2011)「地域医療を守るのは一人ひとりの心がけ――県立柏原病院の小児科を守る会の取組み」『農業協同組合経営実務』66(13)=830: 18-25
和田努(2009)「医療:新たな胎動(第42回)崩壊寸前の小児科が再生した兵庫県立柏原病院の”奇跡” 」『健康保険』 63(10): 32-36.
――――(2009)「医療:新たな胎動(第43回)兵庫県立柏原病院崩壊を救った「小児科を守る会」の創意と優しさ」『健康保険』 63(11): 38-42.
 
[担当者の活動] 自分のなかでも、かかわる対象によっては判断が微妙になります。とすると結局は、李下に冠を正さず? もちろん、組織ジャーナリストの表現の自由やプロフェッション論とも関係してきます。これらもいずれ取り上げられる予定です。次回は、紛争地取材を考えます。
 
 
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