掌の美術論 連載・読み物

掌の美術論
第15回 キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた

4月 25日, 2024 松井裕美

 
 

キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの葡萄の味わいかた

 
 
あらま、顔がヴァイオリンに……
 
 この春ヴェルサイユ宮殿で、19世紀に活躍したフランス人画家オラース・ヴェルネの展覧会が開催されていた。ヴェルネは、オリエンタリズムや歴史画を手がけたアカデミズムの画家として語られることの多い画家だ。しかしこの展覧会は、意外にもロマン主義と古典主義をつなぐような革新的潜在性を秘めた画家であったことを示す点で、実に発見の多い企画だった。なかでも興味深かったのが、最後の部屋にひっそりと展示されていた風刺的自画像(図1)である。ここでヴェルネは、60歳を迎えた自己の頭部を、ヴァイオリンに見立てている。
 

図1 オラース・ヴェルネ《ヴェルネ自身によるオラース・ヴェルネ》1850年ごろ、フランス国立図書館
出典:Valérie Bajou (dir.), Horace Vernet (1789-1863), cat. exp., Château de Versailles, 2024, p. 251, Cat. 180

すぐさま思い浮かんだのが、パブロ・ピカソのキュビスム期に登場するパピエ・コレ(新聞紙や壁紙などを切り貼りする技法)だった。ラスパイユ大通のピカソのアトリエの壁を写した、1912年末ごろのある写真には、中央にボール紙で制作したギターのコンストラクション(ニューヨーク近代美術館)がかけられており、その周囲をぐるりとパピエ・コレが取り囲む様子を見ることができる*1。パピエ・コレの多くはギターやボトルをモチーフにした静物画だが、その中には、新聞紙を切り抜いて作られた、ギターのような輪郭を持つ帽子を被った男の肖像も混じっている(類似作としてニューヨーク近代美術館の《帽子を被った男》 を挙げておこう)。ウィリアム・ルービンはこの写真をもとに、ギターのコンストラクションが、さまざまなパピエ・コレのイメージを生み出すある種の「発生器ジェネレーター」(の言葉)の役割を果たしていた、と解釈している。実際にそこで発動しているピカソの想像力には、ギターが人間の顔へと、生物/無生物の分類を超えて変容するような、カリカチュア的ヴィジョンと共通するものがある*2
 
 ヴェルサイユ城の展示室で偶然出会ったヴェルネのカリカチュアには、ギターという原型から頭部を生み出すピカソの、デミウルゴス的創造性と共通するものがあり、驚かされたのである。だが考えてみればカリカチュアという分野自体、何も前衛的な画家の専売特許であったわけではない。つまりは、アカデミックであれ前衛であれ、ヴェルネもピカソも、想像力豊かな画家である、ということなのだろう。
 
 それでもピカソが開始したキュビスムは、ピカソとヴェルネを大きく隔てるような、絵画史上未曾有の実験だった。ヴェルネはカリカチュア的な想像力を私的な素描で密かに花ひらかせるに留めたが、ピカソはそれを、パピエ・コレという新しい絵画ジャンルの創造のために積極的に応用した。切り抜かれた新聞紙が、顔にもヴァイオリンにもなる、ということを、作品の中で問いかけるその行為には、あるイメージから別のイメージへの変容という、カリカチュアにも通じる創造性があるだけではない。それは、ある素材が、視覚だけでなく聴覚や触覚を含む諸感覚において、まったく異なるものとして知覚され得るという現象の面白さを、追求するものだった。
 
 もちろんピカソ一人が、そうした創造的な実験に参与していたわけではない。キュビスムの実験を推し進めるピカソのそばには、行き先の見えない山を登る同伴者である画家ジョルジュ・ブラックがいた。それはなかなか行き着くべき頂上が見えない危険な道行きだった。ブラックの有名な言葉を借りれば「ザイルで縛られた山中の二人*3」となったこの二人は、一人ではとても成し遂げられなかったであろう冒険に乗り出し、キュビスムの新たな造形言語の開拓を推し進めたのである。それらの作品がどのように生まれ、語られてきたのかについては、多くの研究がある*4。ここではそれらを手引きとしながら、まずはパピエ・コレ作品に導入された新聞紙の「読み方」について紹介しながら、ピカソの狙いが直感的な視覚体験を与えるのではなく、見えているもののさまざまなレベルでの解釈を導き視覚を問い直すことにあることを示す。次に、とりわけピカソがキュビスム作品において考察対象とする感覚が、視覚にとどまらず触覚や聴覚、味覚にまでおよぶものであることを示すために、楽器や楽譜と、食べ物の表象を取り上げ検討してみよう。
 
 つまりここで新たな光を当てるのは、キュビスムの楽器の奏でかた、キュビスムの食べ物の味わいかたである。そもそも、キュビスムの楽器を奏でることなどできるのか。キュビスムの食べ物を味わうことなど、できるのだろうか。それが可能であるとすれば、それはどのような意味においてなのか。こうした点について考えてみよう。
 
キュビスムの新聞紙を読む
 
 ピカソのパピエ・コレに関する研究は数多いが、そこには方法論的な不一致が認められる。とりわけ問題となるのは、パピエ・コレに貼られた新聞紙の「読み方」だ。
 
 ピカソは新聞紙を切り抜くときに、見出しの一部など、文字情報の一部のみしかわからないようにする。そこにはいくつかの明確な意図がある。一つには、イメージと同じく言葉もまた、部分的に抽出し新しい文脈に置くだけで、もともとの文脈とは異なる意味を持ちうるということを示すという意図がある。例えば「新聞紙」を意味するフランス語「Le Journal」の、頭の部分だけを切り抜くと、それは「ゲーム遊びをする人/演奏する人」という意味のフランス語「le joueur」を想起させる文字列となる。メトロポリタン美術館にある1912年の《ギターとワイングラス》などはその典型例だ。ギターを奏でるという行為と、キュビスムの実験を通して新たなゲームに参加するという行為とが、そこには暗示されている。
 
 新聞を部分的に使用するもう一つの意図は、「読む」行為と「見る」行為のあいだで鑑賞者を宙吊りにすることにある。新聞紙の文字列は、透明なボトルやグラスに入った発泡酒の気泡のように、ふわりと柔らかいものを表現する造形的な要素として用いられたかと思えば(例えばピカソの1912年のパピエ・コレ《サイフォン、グラス、ヴァイオリン》)、反対にヴァイオリンの木目の部分のように、硬質な物質の存在を示唆するのに用いられることもある(例えばピカソの1912年のパピエ・コレ《ヴァイオリン》)。この場合いずれも文字は、あらかじめ機能を固定されていない造形的な要素としてピカソの静物画の中に配置される。
 
 ピカソやブラックは、こうしたことを試みる前に、人物や静物の部分を類似に基づかない図形で置き換えていくという分析的キュビスムの実験を進めていた。文字が視覚的な要素の置き換えになりうるという二人の発見は、その延長線上にあった。分析的キュビスムに対してもパピエ・コレに対しても、鑑賞者は、文字を読むのとは別の仕方で、そうした記号の体系を視覚的に読み解く必要がある。しかし鑑賞者は、何かを表現する視覚的要素として、いわば現実の事物の「見立て」としてそこで用いられている文字列が、実際にはグラスやギターといった事物とはまったく別の情報を伝える新聞紙の一部であるということも、完全には忘れることはできない。そこで、今度は書かれた文章そのものを読み始める。すると断片的ながら、その内容が明らかになってくる。だが断片化されているために、その内容は完全に把握されるものではない。結局のところ決定的なことは何一つわからないので、書かれた内容よりもその視覚的な作用の方が重要なのではないかと思うかもしれない。こうして鑑賞者は、「読む」ことで得られた情報と、「見る」ことで得られた情報とのあいだの戯れに、参加させられることになるのである*5
 
 こうした曖昧さに直面した鑑賞者が、もしも美術史家であったなら、次に行うべきは探偵的な捜査である。ピカソが用いた紙面を確定し、そこで実際に何が報じられていたのかを同定する。すると《シュズの酒瓶》(1912年)のように、当時勃発したバルカン戦争に言及する紙面からの切り抜きが存在するということが明らかになる。美術史家パトリシア・レイテンは、革命を支持するピカソにアナキストとしての側面があることを指摘しながら、ピカソが切り抜き作品に取り込んだ、アナキスト達による反戦デモについての記事が、反戦を主張するピカソの政治的ステートメントそのものであると解釈した。彼女の解釈は、難解で現実離れした芸術として捉えられる傾向にあるキュビスム作品の、同時代の政治との繋がりを明らかにした点で、重要なものだった*6
 
 だがそうした解釈は、文字を「読む」ことに鑑賞行為を確定してしまい、ピカソの政治的態度の歴史的証拠としての意味しか文字に与えなくなってしまう。そこから抜け落ちてしまうのは、先に触れたような、意味が確定されないことによる言葉とイメージの戯れである。ロザリンド・クラウスのような批評家にとっては、作品の解釈方法と、そこから導き出される意味を確定することよりもむしろ、キュビスムの難解な作品が差し出す「読む」行為と「見る」行為のあいだで宙吊り状態になることに耐えながら、その状態でこそ感じ取れる記号と意味とのさまざまな結びつきを、根気強く分析し記述する方がはるかに実り多いものだった。そもそも、新聞紙の中で伝えられている情報は、ピカソ自身の声としてではなく、他者が発した言葉として、ピカソの作品内に挿入されている。したがって挿入された新聞紙の文字は、ピカソ自身の考えを伝えるためというよりも、雑多な声がこだまするパリのカフェのアクチュアルな空気を伝えるためのものであった可能性もある*7
 
キュビスムの楽器を奏でる
 
 さて、以上の解釈だけでも非常に豊かな議論が展開されているのだが、それでもこれらの考察に決定的に欠けていたのが、視覚以外の諸感覚についての考察である。「ゲーム遊びをする人=演奏する人」(joueur)となったピカソは、一体どのような音楽を奏でているのだろうか。
 
 キュビスムの作品に登場する楽器については、長らく、それが奏でる音よりも、その形式が持つ幾何学的特徴に注意が向けられる傾向があった。例えばロバート・ローゼンブラムは1960年に、「弦楽器は、曲線と直線、固体と穴、線と平面とのあいだのはっきりとした対比を持つがゆえに、1910年から12年には、ほとんど、キュビスム言語のための一冊の辞典のようであった」と記している*8。ここで問題にされるのはもっぱら視覚的形式であり、聴覚を含むそのほかの身体感覚に関しては論じられていない。
 
 やがてキュビスムが大衆文化や民衆芸術と結ぶ関係についての研究が進むにつれ、ピカソの作品に登場する楽器の形式的効果だけでなく、その内容に注目が集まるようになった。それらはピカソが慣れ親しんだカタロニアの音楽家たちが奏でる民族音楽の楽器であり、高級文化としての絵画空間に、異質な要素を混在させるためのモチーフだったことが、明らかにされ始めたのである。並行して、作品に取り入れられた楽譜がどの歌曲から引用されているのかについても、明らかにされるようになった。ピカソの場合、パピエ・コレに使用されるのはもっぱらキャバレーで流行した大衆的な歌謡曲だった*9
 
 例えばすでに取り上げた、メトロポリタン美術館の《ギターとワインのグラス》(1912年)を、再び見てほしい。壁紙を背景としながら、青と黒の色紙、そして木目模様を模した紙で、ギターが表現されている。白い丸はギターの穴だ。左下には、「戦争勃発だ(LA BATAILLE S’EST ENGAGÉ[E])」という、新聞の記事の見出しが見える。この記事そのものは、バルカン戦争の開始を告げるものである。だが同時にそれは、グレーズやメッツァンジェらのキュビスムのグループに対するある種の宣戦布告でもあると、考えられている*10。当時セクション・ドール展の開催などで世間を賑わせていたグレーズやメッツァンジェらは、ピカソやブラックとある種のライバル関係にあったのだ。ギターの右にはキュビスム風に描かれたグラスがあり、その上には楽譜が貼られている。1892年にマルセル・ルゲイが作曲しピエール・ロンサールが歌詞を書いた「ソネット」という曲の断片である。パリの芸術家の溜まり場だったラパン・アジルで19世紀末に演奏されていた大衆的な流行歌だ*11
 
 つまり一方ではここには、乱雑なカフェの情景を視覚的に模倣するイメージがあり、他方では、意味を伝える文字と音を伝える楽譜記号がある。私たちは書かれた言葉や音符や歌詞から、それを音楽として感じ取ることができる。
 
 ここで急いで、次の点を付け加えねばならない。すなわち、譜面により聴覚を刺激されるのは、楽譜記号の読み方を知っており、しかもそれがどの断片から引用されているのかを知っている、ごく限られた人だけである。キュビスム的造形言語の「読み方」を知る人しかピカソの作品を理解できない、という、まさにキュビスム特有の問題が、ここで反復されていることになる。画商カーンヴァイラーは、ピカソが挿絵を描いたマックス・ジャコブの戯曲『聖マトレル』(1911)をチェコ人のコレクターであるヴィンチェンク・クラマーシュに説明する際、次のように付記している。すなわち、「ピカソの芸術にそうとう慣れ親しんでいない限り、それらのエッチングを読み解くのは非常に困難である*12」。
 
キュビスムの鳴らない楽器
 
 ここではキュビスム作品に導入された楽器や楽譜というモチーフの特異性について考えるために、伝統的な静物画と比較してみよう。
 
 楽器や楽譜は、静物画の中でも好んで描かれるモチーフであり、とりわけ、まるで事物がそこに実際にあるかのように描く「トロンプ・ルイユ」(「目騙し」を意味するフランス語)と呼ばれるジャンルによく登場する。ピカソも学んでいたマドリードの美術アカデミー所蔵の静物画《トロンプ・ルイユ》を取り上げて見てみよう(図2)。壁に、かつらやメモ、風景のスケッチ、銃、芋の入った籠など、さまざまなものが掛けられており、その中に弦楽器が混じっている。実物がそこに存在するように描くこうした「トロンプ・ルイユ」の絵画は、見る者に、壁に掛けられた楽器を手に取り、奏でるように誘いかける。そこにはまた、壁の戸棚にある柘榴や西瓜を手で掴み、己の舌で味わいたいという欲望を掻き立てるものがある。そう、こうした絵画は、視覚だけでなく、触覚や聴覚をも刺激するような装置なのである。
 

図2 ペドロ・デ・アコスタ《トロンプ・ルイユ》1755年、マドリード、王立サン・フェルディナンド美術アカデミー
出典:https://www.academiacolecciones.com/pinturas/inventario.php?id=0162

 
 これに対し、ピカソのパピエ・コレに登場するギターや楽譜は、「トロンプ・ルイユ」とはまったく別の仕方で私たちの触覚を刺激する。それはまず、通常の意味では模倣ではない。なぜなら新聞紙や色紙によって表現されたピカソのギターは、再現的な技法を駆使してギターの外見を再現するものではなく、その形を暗示するものであるからだ。抽象的な形に切り抜かれた紙の継ぎはぎをギターとして認識するためには、鑑賞者の想像力が必要とされる。また楽譜は、形態の類似に基づく視覚的模倣とは異なるやり方で、それが意味するものを記号的に表現する。従って私たちは、ピカソの作品を見ても、すぐにその楽器に手を伸ばそうとはしない。ピカソの楽器が鳴り始めるのは、作品の前に立ち止まって、ようやくその記号の複雑な体系を読み解いた後のことだ*13
 
 だがそうした楽しみも長続きしないだろう。なぜならピカソのパピエ・コレの中の楽譜や楽器は、絵の具で没入可能な虚構として表象されたイメージではなく、どこまでも、紙という物質的側面を見る者に意識させるものだからだ。そうした、手で実際に触ることができる素材が持つ現実に引き戻されるや否や、頭の中に流れ始めるかに思われた音楽は中断され、高級文化としての絵画が持つ虚構性と、ただの紙切れが持つ日常性との間の交代劇に、戸惑わされることになる。
 
 そう、ピカソの楽器を奏でることは、人によっては可能だが、誰にとっても鳴るわけではないし、また鳴り続けることはないのである。
 
 最初に目に情報が飛び込んできてから、それを解釈するまでの時間的な差異。そして一つの解釈にとどまることを許さない記号体系の複雑さ。この二つは、ピカソのキュビスムにとって非常に重要な要素である。そこではもちろん、模倣にもとづくわかりやすい虚構性が完全に排除されているわけではない。だがピカソやブラックのキュビスム作品は、さまざまな記号と模倣的な再現性を組み合わせることで、直感的な身体感覚による知覚や、一度手に入れた知覚を享受する状態に、長くとどまることを許さない厳しさを持っている。そのことは、視覚や触覚、聴覚といった諸感覚を排除するというよりもむしろ、それについてじっくりと考察させるという効果を持つ。そのためには諸感覚を引き出すようなモチーフを示しながら、他方ではその直接的・直感的な知覚を拒むということが必要だったのである。ピカソとブラックは、こうしたキュビスム特有の厳しさを自分たち自身に突きつけながら山を登り、そこから鑑賞者である私たちにも手を差し伸べて、このように言っているのだ。「何か大事なものがこの先に見える保証などないが、それでも私の手を取り、一緒に登る勇気はあるか」と。
 
 それでも差し出された手を握り返し、ピカソとブラックが開始したゲームに参加するのか。それが私たちに投げかけられた挑戦の一つである。
 
キュビスムの葡萄を食べる
 
 同じことはキュビスム作品に登場する食べ物の表象についても言える。楽器と並び、果物は伝統的な静物画にも登場するモチーフである。なかでも、キュビスムを含む絵画史全体を通してよく見かけるのが、葡萄だ。甘酸っぱいその果実のイメージを見ただけで、私たちの口には生唾が広がる。それはプリニウスの『博物誌』において語られた、次のような逸話とも無縁ではない。卓越した腕前で知られる古代ギリシアの画家ゼウクシスが絵に描いた葡萄は、あまりに写実的であったために、本物と間違えた鳥がそれを啄みに来た、という伝説だ。後世の人々は、画家たちの模倣の技術を讃える際に、ゼウクシスのこの逸話を原型とするさまざまな芸術家伝説のヴァリエーションを生み出した*14
 
 キュビスム絵画に描かれた葡萄も、一見すれば手を伸ばして口に入れることを想像させてくれる外見を持っている。例えばブラックの《果物かご、びん、グラス》(1912年。パリ、ポンピドゥー・センター)を見てみてほしい。現在京セラ美術館で開催されているキュビスム展(2024年3月20日~7月7日)に展示されているので、ぜひ実物を目にしてほしい。この葡萄は、再現的である一方で、難解な分析的キュビスムの構図の中に埋め込まれている。しかも葡萄の粒における光の反射を表現する際に、ブラックはあえて、ざらざらとした手触りを感じさせるおがくず・・・・を混ぜた白い絵の具を用いている。そのことは、見ているものが葡萄ではなく、触覚的な絵の具の塊であるという現実へと、私たちを常に立ち戻させる。
 
 つまりここでは、見た目の類似に騙されてしまう鳥の目ではなく、フィクションをフィクションとして楽しむ人間の精神活動こそが求められているのであり、ピカソの言い方をすれば「トロンプ・エスプリ*15」(精神を騙すこと)が試みられていると言える。そこでは感覚は受け取るものであるだけではなく、能動的な考察の対象ともなり得る。視覚的感覚を受け取ったのち、味覚を刺激され、続いて大鋸屑入りの絵の具という素材が引き起こす触覚が、その味覚の享受の邪魔をし始める。
 
 諸感覚のこうしたせめぎ合いと忙しない交代劇は、ボードレール以降の文学や絵画において追求された諸感覚の照応コレスポンダンスや調和とは、似ても似つかない。キュビスムの作品の前に立ち、じっくりとその言語を読み解くゲームに参加すれば、その過程で、一時的に心の手で粒をつまみ、心の舌で葡萄を味わうことはできる。だがこのゲームの難点は、それに成功したとしても、味わい続けることができない点である。そしてこうした攻略不可能なゲームのからくりにこそ魅せられてしまった鑑賞者は、性懲りもなくキュビスム作品に繰り返し手を伸ばしてしまうのである。伸ばされた手の先で、甘い味覚を与えてくれるはずの葡萄のイメージが、味気ない絵の具の、ざらざらとした触覚を与える塊になりかわろうとも。
 
キュビスム以降の作品における直接的な身体性の回復
 
 第一次世界大戦後のピカソのカンヴァス画では一般に、上記のようなキュビスム的ゲーム、すなわち諸感覚の直接的な経験とは距離を置き、それらについての考察を促すような試みは、あまり認められなくなるとされている(もちろんいくつかの作品ではそうした試みは継続される)。むしろ楽器を奏でたり音楽を聴いたりする際の直接的な身体感覚を引き起こし持続させるような傾向が顕著となることが、先行研究では指摘されている。例えば、ピカソの新古典主義期に相当する時期に描かれた《牧神のフルート》(1923年)では、牧神の一人が木管に息を吹き込んでいる。頬を膨らませ腹の底から息を吹き込むその身体性が、ありありと感じられる作品だ。
 
 葡萄のモチーフについては古代の芸術家伝説を引き合いに出したが、ピカソ作品における楽器表現のこうした変化について考察する際にも、古代の神話はやはり重要な鍵となる。西洋では古来より、木管は身体性と、弦楽器は知性と結びつけられる伝統があった。ギリシア神話に登場するマルシュアスは、アウロスと呼ばれる二本管の笛使いの名人であった。この楽器はもともと、芸術の女神アテナが作ったものであったが、頬を膨らませて楽器を吹く顔を神々が揶揄したので憤慨し、拾った者に禍がふりかかるよう呪いをかけて捨て去った。この笛を拾ったマルシュアスは、やがて竪琴の名手アポロンと音楽の腕を競い合い、結局アポロンが勝利したので、マルシュアスは敗者として生きたまま皮を剥がされることになる。しかしそれは、知的な弦楽器とはまた異なる、熱狂的な楽器としての象徴性を、木管に与えることにもなる。こうしてアポロン的な知性を宿す弦楽器と、デュオニュソス的な熱狂を宿した木管という対比が定式化する。そうした伝統を踏まえた上で、キュビスム時代の静物画に登場する弦楽器にはアポロン的な知性の追求が、また《牧神のフルート》以降のピカソの作品に頻出するようになる木管にはデュオニュソス的な祝祭の追求が認められると考えられてきた*16
 
 第二次世界大戦後には、ピカソが描く神話的で牧歌的な風景において、笛を奏でるファウンやケンタウロスたちが頻繁に登場し、踊り狂うことになる(《生きる喜び》1946年)。それだけではない。南仏の街アンチーブのピカソ美術館にある、1946年の絵画作品には、ウニを頬張る青年が描かれ、アンチーブ近郊の街ヴァローリスで制作された皿の上では、ピカソの絵付けによって魚や蛸などの豊かな海産物が愉快な踊りを繰り広げた。こうして、楽器や食べ物の表象が、ユートピア的な表象の中で、より直接的に経験しうるような身体性を獲得していくこととなるのである。触覚と味覚、そして聴覚が、距離を置いた思考の対象というよりも、身体的な直感性と密接に結びついた形で、主観的に経験され得るものとなったのだ。そこにはキュビスムの過度な難解さが要求する、知覚と理解との間の時差も、また安定した解釈の持続不可能生も、存在しない。あるのは感覚的な喜びだけだ。
 
 第二次世界大戦以降の作品において顕著になる、こうした身体感覚へのアクセスのしやすさは、ピカソの政治的意識へのアクセスを、見る者に誘うものでもあった。第二次世界大戦以降にピカソが熱心に取り組んだ陶器制作やポスター制作は、彼の1944年の共産党への入党とも関連して語られることが多く、「偉大な芸術家」の大衆への未だかつてない接近、大衆の労働への従事として語られてきた*17。ピカソの戦後の作品は、攻略不可能なゲームへの参与を呼びかけるキュビスムに比べれば、はるかに優しい誘いかけによって作品に近づくよう見る者を促し、そうして近づいてきた者たちと諸感覚を共有し、そのことによって戦後の大衆との、ある種の連帯を試みていた、というのである。マレーヴィチの構成主義について論じた美術史家アンジェイ・トゥロフスキーの言葉を用いるならば、絵画という虚構空間において諸感覚の交代劇のシミュレーションを繰り広げ、それについて芸術と現実の関係性についての考察を促すキュビスム作品は「現象学的なユートピア」、これに対し、諸感覚のより直接的な共有を鑑賞者と試みるピカソの第二次世界大戦後の作品は「倫理的なユートピア」が出現する場であったと言えるだろう*18
 


 
 ピカソのキュビスム期の作品も、それ以降のピカソの作品と同様、身体が受容する諸感覚を排除するものではない。しかしキュビスム以降の作品が、直接的な身体感覚の経験を誘うものであるのに対し、キュビスム期の作品は、芸術によって引き起こされる身体感覚について、単純な模倣理論から脱却した地平で考察するためのゲームの舞台となっていた。両者が与える鑑賞体験の違いは大きい。虚構空間への没入的な経験を得ることと、虚構空間が喚起する身体経験について内省することは、まったく別の体験である。
 
 ただここで示したプロットは、キュビスムを理解する際の多くの見方の一つでしかない。例えば、スペイン内戦の過酷さを公衆に訴えかける絵でありながら、キュビスム的な難解さを兼ね備えた《ゲルニカ》(1937年)についてはどうなのか。そのことについてはまた別の議論が必要になる。またキュビスムとそれ以降の作品をつなぐ要となる「おもちゃ」という概念についても、別途論じる必要がある。こうした点については、次回以降で取り上げよう。
 
 



*1 William Rubin (dir.), Picasso and Braque, Pioneering Cubism, exh. cat., New York, Museum of Modern Art, 1989, pp. 35-36.
*2 ピカソの創造性とカリカチュアとの関係については、次の論文を参照のこと。Adam Gopnik, “High and Low: Caricature, Primitivism, and the Cubist Portrait,” Art Journal, vol. 43, no. 4, Winter 1983, pp. 371-376.
*3 Vallier, Dora, L’Intérieur de l’art, Paris, Editions du Seuil, « Pierres vives », 1982, p. 34.
*4 とりわけ日本語で読めるものとしては、河本真理先生の研究に、私は多くを追っている。河本真理『切断の時代 20世紀におけるコラージュの美学と歴史』ブリュッケ、2007年。
*5 Françoise Will-Levaillant, « La lettre dans la peinture cubiste », dans Le Cubisme, CIEREC (travaux IV), Saint-Étienne, Université de Saint-Étienne, 1972, p. 45-61. Linda Goddard, “Mallarmé, Picasso and the aesthetic of the newspaper”, Word & Image, vol. 22, no. 4, 2006, p. 293-303. Christine Poggi, “Mallarmé, Picasso, and the Newspaper as Commodity”, Yale Journal of Criticism, vol. 1, no. 1, Automne 1987, p. 133-151.
*6 Patricia Leighten, “Picasso’s Collages and the Threat of the War, 1912-13”, The Art Bulletin, vol. 67, no. 4, 1985, p. 653-672. レイテンに先駆けて文字の読解を行なった次の研究も重要である。Robert Rosenblum, “Picasso and the Typography of Cubism”, in Roland Penrose and John Golding (ed.), Picasso in Retrospect, 1881-1873, New York, Praeger, 1973, p. 49-75.
*7 Rosalind Krauss, The Picasso Papers, Massachusetts, The MIT Press, 1999, pp. 25-85. 近年では、新聞紙の引用元をより詳細に同定する探偵的方法と、マラルメの詩との関係性を記号論的に読み解く方法論とを組み合わせた研究として、次のものがある。Trevor Stark, Total Expansion of the Letter: Avant-Garde Art and Language After Mallarmé, Massachusetts, The MIT Press, 2020.
*8 Robert Rosenblum, Cubism and Twentieth Century Art, Nez w York, 1960, p. 64.
*9 Lewis Kachur, “Picasso, popular music and collage Cubism (1911-12) ,” Burlington Magazin, vol 135, no, 1081, April 1993, pp. 252-260. Cécile Godefroy (dir.), Les Musiques de Picasso, cat. exp., Paris, Gallimard ; Musée de la musique-Philharmonie de Paris, 2020. ブラックもまた楽器や楽譜をモチーフとした静物画を多く手がけているし、ピカソに先駆けてキュビスム作品の中に楽器を描いてもいる(例えば京セラ美術館の「キュビスム」展に展示されている1908年の《楽器》)。ブラックは他方で、ドイツの音楽家バッハの名前を画中に入れるなど、どちらかというと自らが親しんでいたクラシック音楽の文化を反映した絵画を好んで描いていた(例えばブラックが1911−12年の冬に制作した作品《J・S・バッハへのオマージュ》(MoMA,Inv.544.2008))。
*10 John Richardson, A Life of Picasso. The Cubist Rebel, 1907-1917, New York, Alfred A. Knopf, 2007, p. 250.
*11 Jeffrey Weiss, The Popular Culture of Modern Art. Picasso, Duchamp, and Avant-Gardism, New Haven and London, Yale University Press, 1994, pp. 7-11.
*12 Jana Claverie [et al.], Vincenc Kramář, un théoricien et collectionneur du cubisme à Prague, cat. exp., Paris, Réunion des musées nationaux, 2002, p. 327.
*13 Simon Shaw-Miller, “Instruments of Desire. Musical Morphology in Picasso’s Cubism,” in Visible Deeds of Music: Art and Music from Wagner to Cage, Oxford University Press, 2002, pp. 106-108.
*14 Philippe Junod, « Plus vrai que nature ? les avatars de la mimesis », Chemins de traverse. Essais sur l’histoire des arts, Infolio, Gollion, 2007, pp. 101-143.
*15 Fraçois Gilot et Carlton Lake, Vivre avec Picasso, Paris, 10/18, 2006, p. 318.
*16 Cécile Godefroy, « D’une note à l’œuvre, l’imaginaire musical de Picasso », in Cécile Godefroy (dir.), Les Musiques de Picasso, cat. exp., Paris, Gallimard ; Musée de la musique-Philharmonie de Paris, 2020, p. 22.
*17 Gertje R. Utley, Picasso. The Communist Years, New Haven and London, Yale University Press, 2000, pp. 85-133.
*18 Andrzej Turowski, « Conceptualisation et matérialisation dans l’art non-objectif », Les Abstractions I. La diffusion des Abstractions. Hommage à Jean Laude, Saint-Etienne, Université de Saint-Etienne, 1986, p. 73-81.

 
 
》》》バックナンバー 《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)
第10回 クールベの絵に触れる――グリーンバーグとフリードの手を媒介して
第11回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(前編)
第12回 セザンヌの絵に触れる――ロバート・モリスを介して(後編)
第13回 握れなかった手
第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい

松井裕美

About The Author

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。