虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察 連載・読み物

虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第4回 冥界としてのインターネット 「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」と「serial experiments lain」(1)

6月 22日, 2016 古谷利裕

 
 

90年代後半に生まれた二つの作品

前回は、インターネットの普及によって、フィクション内においても虚構と現実の境界、夢と現実との境界が、空間的な仕切りだけでは充分には成立しなくなったということを書きました。ある空間のなかに人を閉じ込めたとしても、情報空間とのアクセスをもつ限り外と繋がっています。つまり、「竜宮城」のような形で、ある限定された範囲だけを夢として現実から切り離すことが困難になります。それ故に、フィクションのなかで「竜宮城」を成り立たせるやり方が変化せざるを得なくなったと考えます。

日本においてインターネットが一般化した90年代後半に、ネットを題材とした対照的とも言える二つの作品が生まれました。「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」(1995年)と、「serial experiments lain(シリアル エクスペリメンツ レイン)」(1998年)です。これはどちらも、インターネット(ネットワーク)そのものを一種の冥界(竜宮城)と見立てた作品だと言えると思います。前回、「マイクロチップの魔術師」という小説を取り上げ、80年代初頭の段階で既に、(1)ネットワークから自然発生的に意識が生じる、(2)自分の意識をネットワークにアップロードして不死を得る、というアイデアが書きこまれていたことを指摘しました。ここで取り上げる二作はともに、このアイデアの発展した形だと考えられます。
 

ネットワークの非空間性

冥界として見立てると言っても、インターネットは空間的にも時間的にもこの世界の内部にあり、歴史的な経緯をもち、物質的なインフラによって成り立っているはずです。情報はサーバに記録され、回線を通り、社会的に取り決められた一定の約束事にしたがってやり取りされています。スマホであれパソコンであれ、商品として、工業製品として販売されている端末を通じて、私たちはネットにアクセスします。そもそも、軍事利用を目的に研究されていたものでもあります。つまり、政治的、経済的な意味でも現実の中にあります。

しかし、ネットワークというものは、どこか空間をはみ出すようなイメージをもつものです。ネットワークのイメージは空間の中に網のように広がり、密に絡まり合うようなものとして描けます。それは、あくまで線(一次元)の集まりであり、決して面(二次元)にはならず、空間(三次元)を埋め尽くすこともありません。しかし、埋め尽くさないままで、どこまでも伸びてゆくことができ、結節点たちを結び付け、いくらでも密になることができるように思い描けます。ネットワークは、いくら拡張しても空間を埋め尽くすことはありませんが、そうであるが故に、埋め尽くさないままでいくらでも拡張可能だとも言えます。ネットワークとは、「ここ」という形で領域を特定できない、離散的な関係の網の目のことであり、非局在的とも言えるような性質があることが、インターネットのイメージに、空間からはみ出した、非空間的な印象(こことは指させないどこかにあるもの)を与えるでしょう。それは、この世界の内にありながら、物質とは別の層を形成している何かというイメージとなります。

さらに、インターネットと脳の間にはアナロジー(類比)が発生します。世界中にひろがり、世界中の端末やサーバをつなげる網の目の中を、多量の情報が行き来するというイメージは、容易に、無数のシナプスの間を無数のニューロンが繋ぎ、神経伝達物質がやり取りされているという脳の構造を思い出させるでしょう。この、インターネットと脳との構造的な類似は、物質としての脳から、非物質的な意識や感覚が生じるように、物質的なインフラとしてのインターネットから、非物質的な何かが生じるかもしれないという感覚を導くでしょう。そしてこの非物質的な何かは、物質的な次元での「この宇宙」とは少しズレた別の次元を構成していると考えることもできます。

ネットワークという概念のもつ現実空間からはみ出すイメージと、脳の構造との類似からくる非物質的な次元を生むかもしれないというイメージ。この二つのイメージによって、インターネットが、この世ならざる何かを胚胎する可能性を秘めた、この世ならざる領域であるというフィクションに、一定のリアリティが与えられるのだと考えます。

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