虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第5回 冥界としてのインターネット 「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」と「serial experiments lain」(2)

About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
Published On: 2016/7/13By

 
 

合理的世界の非合理的深淵

少し前に、「レイン」はオカルト的想像力による生産物をホラー的に使っているのではないかと書きました。ホラーが、世界の説明としての合理主義を否定せず、しかしその隙間から合理的説明では届かない深淵を垣間見せるという指向性をもち、他方、オカルトが、世界を別の仕方で説明することで再定立させようとするのだとすれば、ホラーにとって重要なのは説明不可能な何かを露呈させることであり、一方、オカルトで重要なのは世界を(独自のオカルト的合理性により)説明し直すことだといえるでしょう。「レイン」では、オカルト的な物語が世界の説明のために使われはしますが、それはあまり重要ではありません。世界の設定がそれほど厳密になされているとも思えません。重要なのは、オカルト的想像力の形成物の発するヤバさの感触を、どのように効果的に配置するかという方にあります。日常のなかに開いた深淵を覗かせる穴を発生させるための効果が優先され、設定はむしろ場当たり的で構築性は弱いともいえます。ホラー的欲望においては、説明はそれほど重要ではないのです。
 

不連続を跨ぎ越す「ゴースト」

「攻殻」の世界は、事前と事後が成り立つ世界です。それは、事後から事前へと遡行が可能だということです。世界は、それ以前にはあり得なかった新しい出来事が生じるという意味で不連続ですが、因果関係を遡行することで事前を辿ることができるという意味では連続しています。それは、因果関係の連鎖が世界の起源にまで繋がっていることを意味します。進化の系統樹が描ける世界です。

(ここで、事前と事後との不連続を跨ぎ越して持続を担うものこそがゴーストだと考えられます。)

しかし「レイン」の世界では、因果を遡行することでは辿り着けない、因果関係から途切れてしまった別の世界の存在を否定しません。「レイン」で語られる物語の大部分が、物語が終わる時点においては遡行不能な別世界になってしまいます。「レイン」において情報世界として描かれる冥界は、因果関係(合理的説明によって辿り着ける世界)から途切れてしまった別世界のことだといえるでしょう。

レインはもともと、情報世界で自然発生的に生まれたアイコンであり、キャラクターでした。言い換えれば、「現時点での過去から未来」(妙な言い方ですが)から零れ落ちた、複数の「別の過去から未来」の存在を示すアイコンともいえます。だから、「ワイアード(情報世界)のレイン」は大勢いるのです。それは、この世界の因果系から切り離された別の世界、このわたしの連続性から切り離された別のわたし(たち)を表すものです。つまりレインとは、事後から分離してしまった無数の事前たちであり、だから事前と事後との不連続を身をもって担う(跨ぎ越す)ことで世界に連続性を与えるものとしてのゴーストを、ワイアードのレインはもっていないというべきでしょう。

しかし、そのような存在であるレインを、マッドサイエンティストであるエイリマサミは物理世界で実体化させてしまいます。物理世界とは、言い換えれば、現時点で唯一のものとして選ばれている「過去から未来(世界-因果系)」のことだといえます。つまり、物理世界のレインは、無数の「別の世界」という事前と、唯一の「この世界」という事後との、きわめて高い不連続性を跨ぎ越すゴーストであることを要請されてしまうのです。物理世界のレインは、ゴースト=連続性をもたない世界と、ゴースト=連続性をもつ世界との間の不連続を、連続させるゴーストとなるのです。

そうであるならば、物理世界と情報世界との融合とは、「唯一のものとして選ばれている世界」の否定であり、つまり世界の因果的連続性とゴーストの否定であるといえるでしょう。「レイン」という物語は、世界の唯一性とゴーストの存否を廻る戦いを描いているといえます。二つの世界の融合が実現されれば、レインはあまりに重すぎるゴーストから解放されるでしょう。しかしレインは、悩んだ末に二つの世界の融合を拒否し、唯一のものとしての世界とゴーストとを守ることを選択しました。それにより、物理世界と情報世界とが混濁し、融合しかかっていた「前の唯一の世界」は、唯一の世界である資格をはく奪され、「次の世界」が唯一の世界の座につきます。前の世界は、レイン(とそのゴースト)とともに因果関係の連鎖の外に追いやられることになります。

「レイン」の物語世界は、その終着点でレインの存在や行為を忘れます。しかし、観客は、物語を観終った後でもレインを忘れません。つまりここで観客こそが、前の唯一の世界(事前)と、物語終結時点での唯一の世界(事後)という、因果的に切り離されてしまった二つの世界を跨ぎ越すゴーストだといえます。ここで観客は、ゴーストとして物語に関与するといえるのではないでしょうか。観客のゴーストによる観測という行為がなければ、この二つの世界には決して接点が生まれないのです。
 
 
この項、了。次回8月3日(水)更新予定

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ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
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