ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈1皿め〉

About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
Published On: 2018/4/27By

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司

 
 

 
フランスを拠点に演奏活動をはじめてかれこれ十数年。
様々な演奏の機会に訪れる土地土地での食の発見。
共演する、あるいは演奏の場を支える人々が作るごはんをともに食べる時間。
――そこには音と食の交通があり、交歓がありました。
 
戸井田道三が『食べることの思想』という本の中でレヴィ・ストロースのフレーズを引用しました。
「ある社会の料理が、その社会の構造を無意識のうちに翻訳する一つの言葉である」
ここに、この連載にとって大事なキーワードがあるように感じます。
それは、ごはんをこしらえてきたわたしたちの食世界は、人類が持つ、食に対する好奇心というものに支えられているということ。
“一つの言葉”とは、わたしにとっては演奏を介して出会った、ごはんを作る人々のレシピです。そのレシピから見えてくる人々の人生。
 
社会とはわたしたち一人一人が食べるものを認知することからはじまるのではないでしょうか。その認知をレシピという形で記しておきたいと思いました。
 
命を所有しているという無意識。
大げさかもしれませんが、ともに演奏をする他者の命も、今日喰らうごはんの中にあるはずなのです。
 
堅苦しい言い回しになってしまいましたが、実のところ本音は私自身が食いしん坊であり、演奏者たちと食べた旨いごはんを自分でも作ってみたい、そんな単純な動機です。
そしていつか、それらを誰かと共有して食べたい、ともに作りたい、ただそれだけなのです。
 

 
口上はさておき、まずは自己紹介としてわたしのレシピからご紹介したいと思います。
伊勢志摩にある鵜方小学校での演奏となった晩夏あるいは夏休み明け。
生徒たちはリコーダーを携え体育館に集まる。わたしたちの演奏鑑賞会はもちろん、校歌、そして彼らのリクエストである歌謡曲。みんなでの即興的演奏では、奏でる音がどこに行くのかドキドキしながらの演奏。
 
音の抑揚がピークに達し、フェイドアウトに向かう。
真剣な眼差し(耳差し!?)で消えゆく音に注意をはらう彼らの唇からリコーダーが離れた時、体育館で演奏を聞く先生たちもホッと胸をなでおろす。
合奏会が終われば、教室での昼ごはん。彼らと食した給食はといえば、筑前煮、鯵の干物、ご飯、牛乳、ヨーグルト。
なんとまあカルシウム豊富な献立であること。
 
給食を小学生みんなと食べれば、フランス人演奏家だって彼らにとっては摩訶不思議な食べ物を前に微笑みながらの完食と相成る。
 

 
伊勢志摩といえばなんといっても伊勢海老やアワビや的矢牡蠣といった海鮮トップスターのオンパレードで、舌鼓を打つしかない。
しかしこの地に生きる人々には、片口鰯が旨くなる9月、ハレの日だからこそ作るごはんがある。
 
リアス式海岸英虞湾の北に、伊勢湾に突き出る安乗という岬があり、国分寺がこの岬の手前3kmにあるからには、おそらくこの“国”の人々ではない人々が海から漂流し住み着いたのだろう。この岬唯一の神社で行われるデコ芝居、それは安乗人形芝居であり、安乗文楽と呼ばれている。中秋のお月さんの下で行われるこの人形芝居に、村はもちろん志摩の人々があちこちから寄り集まり、ハレの日として鰯の寿司を作る。御重にぎっしりと詰められたそれは、上品とは無縁。デコ芝居本番前、前座の小中学生が奏でる三味線、声変わり前の太夫、おひねりのはずむ音が神社の境内に鳴る。
 

 
話は飛ぶが、かれこれ10年ほど前から、パリにあるエスパスジャポンという文化センターで日本の家庭料理を教えている。授業に参加する生徒の大半は一度は家でMaki =巻き寿司を作ったことがあるという。
しかしながら寿司をいっとう左右するのは酢飯、という要点である酢飯の重要さを、どうやら彼らは感知していないことが往々にしてわかる。いくら新鮮な魚介を手に入れたとしても、寿司というからには酢飯の存在に目をつぶることはできない。
そこで、言葉の綾からこの問題を彼らに提示することにした。それは、米を“研ぐ”、炊いたご飯を酢とともに“切る”という動詞がフランス語には見当たらない事実。だから授業では動作で説明することになる。そうすれば一目瞭然、酢飯は誰の手にかかってもうまさを帯びていく。
それにしても昨今の欧州での日本料理の手法、食材の伝播には目を見張る。
 
鰯の寿司の手順を。
指で鱗、頭を取り、丁寧に骨から身を剥がし鰯を開く。背びれも取り除く。片口鰯であるからには手開きが好ましい。
開いたそれをざるに並べ塩を振り30分強。バットに入れた酢に鰯を浸し5分。
酢に浸した後の方が尾は切りやすい。
酢飯には刻んだ生姜、炒った胡麻をまぶし、握る。
開いた鰯は握るというより乗せるように。皿に盛ってもいいが、ここではやはり御重に詰めたい。
獲れたての鰯を酢に〆、酢飯に乗せるだけの簡易な食べ物だけれど、熊野灘-遠州灘沿岸から伊勢・三河湾伊勢湾に滞留するこの時期に食べられる魚。
という、季節を味わうものとして捉えるとそこに自然との交通が在ることに気づく。
 
人形芝居も野趣に富んでいるがこの鰯寿司も、村の母さんたちが作ることで野趣溢れるごはんとなる。
 
一昔前は、内陸である、伊勢神宮の裏手にあたる山に住む人々のところへ、ハレの祝いにこの寿司を届けたのだという。
御重を開ければ光る鰯寿司に子供達だって唾を飲む。
旦那衆はこれで一盃、となるだろう。
そして山の人々からは炭を、米を土産にもらい、岬への帰路へ。これは、山の者と海の者の交換の中に生まれる美味。
そう、このレシピは伊勢志摩に生まれ育ったわたしの母からの伝言なのだ。
 

 
鰯といえば、モロッコはエッサウィラの港で、漁師たちが引き揚げたばかりの鰯を市場に運ぶ姿を思い出す。
あの暑さの中ではともかく炭焼きに限る。
煙は大西洋の海の空へ、酒もなければ醤油もないが、山盛りになった鰯にレモンを絞って平らげた、あの海、土地の味。
屋台近くで演奏するベルベルのミュージシャン奏でる弦の音に、遠くアザーンが鳴り響く。
 

 
小さな、あるいはローカルな土地で、食べ物の交換の中に生きる人々がいる。
今日、わたしたちの目の前にある魚に季節を感じ取るだけで、ごはんの席はグローカルな趣となるだろう。
 
もう一つ、ぜひとも紹介したいとっておきのレシピ”鯖の塩辛”は、連載最後にとっておくとしよう。
 

 
どんな労働、生活、あるいは病の中でも、わたしたちは食べることで生き存えています。旅をしながら演奏活動をする日々にとって、食べものは生の基層であり、教わるレシピは教えてくださる方の人生の欠片だと感じます。
 
演奏する地でレシピを教えてくださった方々の生きる姿、レシピから多様なSaveur 香りが届きますように。
 


 
仲野麻紀さんから人生の欠片のお裾分け、いかがでしたか? 月に一度の更新予定です。次回をお楽しみに――。
 
 
《バックナンバー》
〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司
〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
〈11皿め〉風を探す人々――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――
〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
 

》》バックナンバー一覧《《

About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
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