ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈2皿め〉

About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
Published On: 2018/5/15By

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくる
ملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi

 
 

 
2011年以降、在りし日のシリアという国の姿をわたしたちは今、想像できるだろうか。
両親をシリア人にもち、フランスで育ったフルート奏者、ナイサム・ジャラル。出自の模索、文化の根源。
西洋の音楽教育を受けた彼女は、音の根っこを探すためにダマスカスそしてカイロへ渡り、2008年、鞄一杯にナイ(アラブ音楽で使われる葦でできた楽器)を入れ、カフィエを首に巻きパリに戻ってきた。
パリ中のジャムセッションに参加し、プロジェクトを立てた演奏の毎日。時にレバノン、そしてシリアでのツアーを計画し、またパリに戻る。
しばらくして、旧知のウード奏者とNoun Yaというバンドを結成し、Aux Resistances――抵抗する人々――というアルバムを作った。そのCDの中には、彼女自身がアラビア語で語る一曲がある。
 

Emshi
人生が辛くて、
世の中が鬱陶しく不公平に感じるとき、
君はどこかへ行ってしまいたくなる。
遠くへ
新しい文化や
あらゆる人々
違う生き方との出会い…。
そんなとき、私は君に言う
行くんだ、と。

 
彼女が見たあの世界は今どこにあるのだろう。
 
幾度となくともに演奏し、新しい音世界の発見をし、幾度となく彼女の演奏を聴き、その演奏に惚れたわたしは日本でツアーをしないかと誘った。
そして2012年、彼女は自分で撮ったシリアの写真と共に来日した。遠い日本で、彼女の音は叫びになり、彼女の写真はある記憶となった。
ツアー中どんなものでも喜んで頬張っていたナイサム。
長野松代文武学校での演奏後、松代大本営=象山地下壕のなんとも奇妙な穴倉でのひとときを過ごし、静岡に向かうために南下した先で立ち寄った八ヶ岳を望む蕎麦屋。京都の鹿ヶ谷では松茸に魚料理。名古屋では手羽先を。
千秋楽和歌山では、彼女自身がフムスと呼ばれるひよこ豆のペーストを演奏前に作り、会場の皆に振舞った。演奏者がライブハウスのキッチンに入り豆を蒸す、あるいは焼いた茄子の皮をむく、はたまた春巻きの皮をもっと薄くした小麦粉でできた皮にじゃがいもやツナ、コリアンダーを包んで揚げる。料理の名はブリック。この皮はなんとパリの友人の手作りだという。会場にいる女の子たちはしきりそれらの作り方をナイサムに尋ねている。ここに、生きる空間が生まれる。
 

 
ツアーを終えパリに戻ると、日本で食べたあの日本料理を教えて欲しという。ならば私はシリア料理を。彼女のお母さんから家庭料理の一品を教わることになり、さて女三人で台所仕事となる。
 

 
 
シリアで食すこの料理は地中海沿岸アラブ地域で食べられるもの。それぞれの家庭の味がある。日本語に訳せば、ご飯とお肉のロールキャベツだろうか。しかし決定的な違いは、レモンとミント、そしてざくろのビネガーに、子羊のブイヨンを使うところではないだろうか。
Malfouf =キャベツ、mehchi=包みものの意味。
フランスには大まかに二種類のキャベツがあり、ひとつはサボイキャベツとよばれるちりめんキャベツ。ポトフなどの煮込みに使う。もうひとつは硬いかたいカタイ、キャベツ。こちらは葉が密に詰まり、葉自体も硬い。いや本当にもう歯が立たない、硬さ。
ということで、今回はやわらかいキャベツをふんだんに使いたい。
 

◆材料 4人分
子羊骨つき肉400g / 水1L / 子羊ひき肉 300g / 米(丸い米)300g / キャベツ1玉 / 濃縮トマトピューレ 140g / レモン1個 /オールスパイス大さじ1 /ドライミント 大さじ1 / にんにく一片 /ざくろビネガー大さじ2 / オリーブオイル 大さじ1杯分

 
【1】深い鍋に骨つき子羊肉をゆっくりと火にかけ、脂がでてきたら水1Lを入れ、灰汁を取りながらブイヨンにする。
 

【2】米を洗い30分水に浸す。キャベツを1枚1枚さっと湯通しし、芯を切り取り、水気を拭き取る。
 
【3】水を切った米と子羊のひき肉を混ぜ合わせ、キャベツで包む。日本にあるロールキャベツの大きさより1/3の小ぶりのサイズで細めが好ましい。
 


 

【4】ブイヨンの鍋から肉を取り出し、トマトピューレ、刻んだにんにく、オールスパイスを入れスープを作る。
 

【5】大きめの鍋に、ブイヨンで使った肉+キャベツの芯を敷き、巻いたものを隙間なく敷き詰める。
 

 
【6】敷き詰めた状態が浸るくらいにスープを加え中火にかける。
 

【7】煮立ち出したらレモン汁、ざくろのヴィネガー、ドライミントを入れ35分ほど煮込む。煮詰めてもいいが、一人分ずつ深皿に盛りブイヨンをたっぷりかけるのもよし。
 

 
 
日本ツアーを終え、フランスに戻ってから原因不明の症状が彼女の身体にではじめた。指の関節は腫れ膨らみ、慢性疲労、演奏ができる状態ではなくなった。せっかく波に乗りはじめた彼女のプロジェクト。病室の天井を見ながらどんな想いでいたことだろう。彼女の遣り切れなさを想像した。もともと甲状腺を患っていることもあり、いろいろな病院での検査入院の日々。しかし原因は一向に見つからない。
 
一年後に解明されたそれはなんと食物アレルギー。何回目かの病院で、医師がアレルギー検査をしてみましょう、と提案したところ、大豆、小麦粉に反応がでたという。
生まれてこのかたの摂取過多が要因だという。その後回復の兆しの中でも塩は極力控えたほうがよい、ということで、今回のマルフーフには塩を使わなかった。
しかしながら、肉からの、野菜からの味が、滋養が、かえって味わえるものだ。
ナイサムの母さんラフィアとわたしとで作業する中、彼女といえば隣の部屋でフルートを奏でている。仲間も集い始め、演奏している曲はジャズのスタンダード Stella By Starlight。
煮立つブイヨンの香りに、音を奏でる喜びが交じり合う。
 

 
 
さて、今度はわたしが彼女たちに日本料理を教える番だ。残念ながら醤油は使えない。
この難関を前に、まずは出汁の引き方からお吸い物を。干し椎茸も持参し、ゆずの香味を武器に塩を少しだけ。香りづけに一滴だけ醤油を垂らしたいものだが、ここは我慢。
そして小麦粉を食せぬ彼女に配慮し、天ぷらは米粉で揚げた。天つゆは今回はお預けだ。演奏をする友人たちが天ぷらの匂いを嗅ぎつけ台所にやってくる。
揚げたてを頬張る彼らの顔。吸い物を口にしたラフィアがつぶやいた言葉が印象的だ。
「この味だったのね、表現できないのだけど、塩味でもスパイスでもないこの味。」
 
出汁で旨味を引き出す日本料理は、こういったシンプルなところで本領を発揮するのか。Umamiはすでにフランスでも耳にする言葉。舌の上だけでなく、味のふくよかさはしっかりと胃に収まり、体に浸み入る。
今では自然食料品などで手に入る昆布、そしてパリ中心街にある日本食品店に行けば鰹節だってある。
しかし彼女が住むパリ郊外ではそう簡単にはいかない。料理を教える時、身近なところで手に入る食材を選びたい。とはいえ、寿司、焼き鳥云々と代名詞にされる料理ではなく、日本料理の根源にある出汁の味を共有したかった。
いみじくも彼女が教えてくれたマルフーフは、肉からのブイヨン=出汁を含んだ旨味ある煮物の成果だ。
 

 
ごはんの準備が整い、まずはマルフーフの前にサラダを。
パリ郊外の有機栽培農場で収穫したレタスにたっぷりのレモンを絞り、レバノンのなんともうまいオリーブオイルをたっぷりかけ、薄切りにした新玉ねぎを散らす。ナイサムの流儀に従い塩は極力控える。
すると嬉々とした野菜の味を味わうこととなる。
今日ラフィアが教えてくれたものがマルフーフだったのは、塩分を控えなければならない娘への愛情だったのかもしれない。煮込むことによって野菜、肉からの旨味を抽出し、それだけの味を可愛らしいmehchi=包みものでお皿を飾る。
日本料理とアラブ世界の料理というてんでばらばらな世界がテーブルの上に並んだ。
 
食べる順番もお好みに、ブルゴーニュのワインとともに家に集う人々との食事。杯も進み、彼女が語るのはシリアでのコンサートツアー。演奏後、誰がレストランに招待してくれたかなどわたし達の興味の範疇ではない。
ただ、彼女が語る美味しそうなごはんの話によだれが出た。苺ソースの子羊の串焼きや、レモンがたっぷりかかったレバノンパセリサラダ=タブレ(この場合スムール=クスクスは入れない)。ごまペーストはシリア風にひよこ豆を入れて。
しかし、「その世界は、今はもうない」という通奏低音が、鳴っている。
 

 
ある本にこんな文章があった。
「今では想像できませんが、シリア・レバノン・パレスチナをつなぐ列車が走っていた時代があった」と。
土地、気象、風習。地にあるものを食する時、国や宗教を単位にしない生活が見えてくる。マルフーフ・マハシーはシリアだけではなく、例えばヨルダンでも同じ手法の料理がある。
それぞれの土地でとれるうまいオリーブオイル、それを育む地勢。今や国境でがんじがらめになったこの地域にある、たべもの。
 

 
現在ナイサムが活動の中心とするバンドにフランス人はいない。けれども彼らは皆、フランス人だ、国籍上は。
故なのか活動する場所は、限りなくフランスという国だ。
ドラムに重なるモロッコを出自とするサックス奏者の音、そしてカルカブ(モロッコ、西サハラで使用される鉄製のパーカッション)と皆の手拍子が重なり、ギターの刻むリズム音と交差する。ナイサムの掛け声とフルートが重層的な音の嵩を生む。
世界への反応のひとつとして音楽を奏でるナイサムのフルートの音は、彼女の出自と経験、想いを携え飛翔する。
 


 
 
《バックナンバー》
〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司
〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
〈11皿め〉風を探す人々――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――
〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
 

》》バックナンバー一覧《《

About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
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