古代美術における触覚と視覚の組み合わせ、その三つのフェーズ
美術史家による観察において、視覚が重要な感覚となることは言うまでもないが、触覚についてはどうなのだろう、と、ふと疑問に思い、この連載では第5回目の記事から19世紀末に遡って美術史家の著述における触覚についての記述を再読している。すると、「触覚」という言葉によって表される感覚の、意外なまでのヴァリエーションに、戸惑いを感じることがある。
もちろん、時代が違えば「触覚」が意味するところのものも異なるであろうことは、ある程度想像できる。だがほぼ同じ時代に書かれた美術史の学術書でも、まったく違う解釈を行なっている場合がある。前回までの記事で説明したように、ベレンソンの1896年の著書『ルネッサンスのフィレンツェ派画家たち』や、ヴェルフリンの『美術史学の基礎概念』において、触覚は対象の形を伝える線を把握する感覚だった(第5・6回記事参照)。これとは反対に、1901年に刊行されたリーグルの『末期ローマの美術工芸』では、触覚は固形物を構成する物理的な表面に対して働く。
ここではそのロジックを辿ってみよう。
リーグルによれば、物質的個体を周囲の環境から区別するのは、個体の輪郭線ではなく、表面である。私たちは個体の表面を指先で触れるかのように知覚することによってのみ、その個体が完結した統一体なのだと正確に知ることができる。リーグルはこうした、知覚によって把握可能になるような、ある個体をそれとして限定する境界的表面のことを、触覚的表面*1ないしは触覚的平面*2と呼ぶ。「かのように」というのはなぜか。それは実際に触れることが必要条件でも十分条件でもないからだ。
私たちの指先が触れることができるのは、個々の点のみだが、実際にはこの個々の点をつなぎ合わせるような思考、リーグルの言葉で言えば、「主観的な思考過程の介入を必然的に前提とする、複数の知覚の組み合わせ*3」が働いて初めて、物質は高さと幅を備え、同じ一つの表面で覆われた統一体として認識される。つまり、眼の前にある物体に触れることで、私たちがそれを独立した客体であると認識するとき、そこにはつねに、すでに思考という主体の「主観的意識」が紛れ込んでいるのだ。手で触れるだけでは十分ではないのだ。
また物理的に手で触れることは、必要不可欠の条件でもない。触覚的平面の把握を補助する「複数の知覚」のうちの一つが、視覚である。視覚もまた、個々の点として示された色を把握するのみなのだが、ふたたび思考の働きによって点と点が結びつき、面的な表象を見る者に与えるようになる。またリーグルによれば、眼は、手よりもはるかに素早くさまざまな知覚を喚起することができるので、私たちが事物の高さや幅について知覚することができるのは、もっぱら眼の働きによる。このときには、純粋な視覚だけが働いているのではない。過去に手が経験した知覚の記憶を呼び起こすことで、触覚もまた動員されることになる。ここで眼が、うまく手の記憶を喚起できれば、手で実際に触れなくても、見るだけで十分に触覚が機能するということになる。
リーグルの著述において興味深い点は、このように複数の知覚を駆使しながら事物を把握するようなあり方が、古代人において段階を踏んで変化したと考えている点である。その変化は、原初的に芸術創造のうちに存在していた客観性と主観性、外部から得られた知覚の受容と思考による複数の知覚の構成とのあいだの「内的対立*4」を解消しようとするそれぞれの試みのうちに展開した。
まずは「初期の文化諸民族」の場合、とりわけ古代エジプト美術における場合である。リーグルによれば古代エジプトの人々は、物質を個体として把握する際に、できるだけ一つの知覚からのみ、それも視覚を排除した触覚によってのみ捉えようとした。その結果彼らが追求したのが、「事物からある程度離れたときに眼が欺いて我々に見せる視覚的平面ではなく、触知覚が示唆する触覚的平面*5」である。「眼が欺いて我々に見せる視覚的平面」とは、実際には存在しない主観的なものにほかならない。それをできるだけ排除することは、認識における主観性の働きを減じ、それだけ対象の「触覚的平面」についてのより客観的な認識を高めることを意味する。このことをよりわかりやすく示すために、リーグルは別の論考では、視覚的平面のことを「主観的面」、触覚的平面のことを「客観的面」と言い換えている*6。
リーグルはまた、古代エジプト美術における主観性の排除は、そうした形式面だけでなく、描かれた人物の感情表現の制限という内容面でも認められるのだと述べる。古代エジプト美術において、遠近を感じさせる短縮表現や奥行きを感じさせる陰影表現が避けられるのと同じようにして、「主観的心的生活」という「秘密」を「漏洩」させてしまう「精神的効果」もまた、そこでは「激しく忌避される*7」のだという。
ただし「触覚的平面」の知覚は、重要なので繰り返すが、実際には眼の働きの完全な否定を意味していたわけではない。それは、ある程度までは視覚的にも把握できる平面、リーグルによれば「奥行き変化を示すことのできるすべての輪郭とりわけすべての影が消滅してしまうほど事物の表面に眼が接近したときに、眼が知覚する平面*8」である。したがってこの第一段階における事物の把握法は、「触覚的把握法」であると同時に、「近接視的把握法」でもある*9。この段階においては、奥行きを持ったように空間を見せる短縮表現や影は、あまりにも視覚的な知覚(リーグルにとっては主観的な知覚)に依拠しすぎる要素であるために排除される。結果的に眼だけでエジブトの彫刻を知覚すれば、途切れることのない平面と、それを取り囲む輪郭線が前景化し、生気に欠ける印象を与えるものとなるのだが、「徐々に接近していくと、平面はだんだんと生気を増し、指先で触診しながらその表面をなぞるとき、はじめて最終的に肉付けの精緻さに完全に気づく*10」。
次いで第二段階にあたるのが、ギリシア古典美術の時代である。この時代もまた触覚が重要な位置を占めているが、視覚は第一段階に比べてより活発に働くことが許されている。そのことが端的にあらわれるのが影の表現だ。第二段階の芸術には、グラデーションにより肉付けの表現をする「半影」が登場する。影のグラデーションそのものは触覚ではなく視覚によってのみ把握できるものだが、触覚により知覚される平面的な繋がりを損なうほど激しいものではない。人々はこの影と、それがもたらす奥行きの表現を認識するために、近接視をするときよりも少し作品から遠ざからねばならないが、同時に、見ることで触覚を喚起できるよう、程よい近さもまた保たねばならない。「近接視」と「遠隔視」の中間に位置付けられるこの距離を、彼は「通常視」と名づけ、この距離からの把握を「触覚的-視覚的把握」と呼んだ*11。そこでは対象の「触覚的平面」の客観的認識が維持されているが、他方では視覚による解釈やそれがもたらす精神的な効果といった主観性もまた、否定されない。
最後に、末期ローマの帝政期の芸術に典型的にあらわれる第三段階においては、触覚はその機能を大きく減退させ、代わりに視覚の重要性が増す。そこでは一つの個体の表面が、「深い影*12」によって分断され、もはやひとまとまりの平面として近接した距離から触覚的に知覚することができないものとなる。ここで眼は、作品から遠ざかることによってこそ(「遠隔視的把握*13」)、深い影により分断されたその個体が一つの統一体なのだと把握する。そのことによって得られるのが「視覚的-色彩的平面」である。ここで「色彩的」と彼が呼んでいるのは、必ずしも眼が覚めるような鮮やかな色ではないし、色彩を重んじる印象派的な絵画表現でもない。ここで問題にされているのはむしろ、光を受けた平面の色と暗い影の色の視覚的対比、簡単に言えば劇的な明暗の対比である*14。近くから見ると深すぎる影は対象の把握を困難にするが、遠くから見ると影は三次元の孔ではなく、黒い色として機能する。近くから把握できるような物理的に存在する表面ではなく、遠くから見たときに視覚的にのみあらわれてくる表面の表現を追求するこの態度は、リーグルにとって客観性よりも主観性を重んじる姿勢を意味した。
彫像と鑑賞者のあいだの距離――視覚と触覚を配分するもの
時代ごとに認められるこれらの違いは、建築や浮き彫り、肖像、絵画、工芸品など、あらゆるジャンルにわたってみられるのだとリーグルは述べる。とりわけ第二段階と第三段階の違いは、理論的な説明だけではわかりにくいので、ここでは彫像の例を挙げてみよう。第三段階を典型的にしるす彫像の例として、リーグルはローマのカピトリーノ美術館にあるコンモドゥス像(図1)を挙げている。父マルクス・アウレリウスの子として生まれ、共同でローマ皇帝を務めたのち、西暦180年からは単独でローマ帝国を治めた。この彫刻は単独の治世のあいだに制作されたものと考えられており、皇帝は頭にライオンの皮をかぶってヘラクレスに扮した姿で表現されている。歴史的には古代末期よりもやや早い時期に制作された彫像だが、リーグルによればこの像はその後の「視覚的」な彫像の特徴を先取りするものであった。
リーグルはまず、この彫刻の毛髪の表現に注目する。髪にも髭にも、それが渦を作る様子を表現するために深い孔が穿たれており、暗い影を形成している。私たちはここで、ただ眼に暗い色としてのみ映るだけの髪や髭の孔を実際に手で触って確かめることはできず、暗い孔の奥には頭皮や顎があるはずだという前提知識を働かせることによってのみ(リーグルの言葉で言えば「精神的意識の経験を経る迂回路を通って*15」)、ようやく暗い色の奥の触覚的な存在が認識できるようになる。
これに対し、それ以前の古典ギリシアの彫刻では、髪の束のあいだの窪みはそれほど深いものではないために、束と束のあいだの、あるいは束と頭皮のあいだをつなぐ表面を、最初から触るように見ることができる。リーグルは彫像における触覚的な毛髪の具体例を挙げてはいないが、例えば紀元前5世紀にアテネで制作され、現在ルーヴル美術館にある頭部像(図2)などと比べると、両者の違いは顕著である。そこにあらわれる影は、表面のつながりを分断するほど深いものではなく、リーグルが言うところの「半影」である。
彼が挙げるコンモドゥス像の第二の「視覚的」特徴は、眼の中の瞳孔を掘り抜くことで表現する点である。それは実際の肉体においては立体的には示されていないものなので、あまりにこの彫刻に近づくと、鑑賞者は現実の肉体との違いに「不満を感じるにちがいない」とリーグルは言う。だが十分に離れて見れば、丸くくり抜かれた眼の中の小さな穴はさほど気にならなくなり、代わりにこの穴が生み出す影を、虹彩を示す暗い色の表現の効果であるかのように認識することができる。またこのことによって、眼はやや上方向を見ているかのような意志的な動きを獲得する。つまり感覚器官としての眼が、主体の意思を宿した眼差しとなるのだ。こうして第三段階の芸術では、その形式が鑑賞者に要求する主観性(「視覚的平面」の知覚)だけでなく、表現された人物像の内面という精神的な意味での主観性もまた、重要な要素となるのである。それはリーグルにとって、人物像の感情表現を抑えた古代エジプト美術と対比させられるべき特徴だった。
色彩表現における触覚性
絵画の場合はどうか。リーグルはビザンツのモザイクや写本を取り上げながら、触覚的なものが失われてしまった後の視覚的側面について多くの例を挙げながら記述しているが、触覚的な色彩表現については多くの言葉を残していない。それでも『末期ローマの美術工芸』では、色彩表現にも触覚的なものと視覚的なものがあることが示唆されている。
彼は、精緻に並べられたヘレニズム期のモザイクについては、近くに寄って見ることで初めて事物を識別することができる「近接視的な描き方」が認められる(リーグルは具体例を挙げていないが、ポンペイで出土したアレクサンドロス大王のモザイクを思い浮かべてみると良い(図3))のに対し、ローマ帝政期になると各々のタイルが粗くなり、徐々に遠くからしか鑑賞に堪えないものになってくるのだとした*16。その行き着く先として彼が挙げるのが、ローマのボルゲーゼ美術館にある《剣闘士のモザイク》(図4)である。
冒頭に挙げたリーグルの定式に従うならば、前者の近接視的なモザイクが触覚的、後者の遠隔視的なモザイクが視覚的なものとなるはずだ。だが彼は続く説明で、近接視的描写から遠隔視的描写へのこの変化について、視覚的な技法の洗練というよりも「頽廃」というべきものとして言及することになる。こうした「頽廃」的表現において、各々の色彩からなる面は、視覚体験の中で自然に融合されることなく、別々のものを意味するパーツにとどまる。
この意味でそれは、「色彩主義的」というよりも「多色彩色」というべきものだった*17。リーグルが述べる「色彩主義」とは、17世紀以降の絵画における、ゆったりとした筆遣いが生み出す色彩的な統一に宿るものであり、色同士の相互的な効果を用いて総合的に対象を把握することを可能にする。これに対する「多色彩色」は、知覚の中で各々の色彩が混ざり合うことなく独立し、雑多な色の集合という印象を与える。
リーグルによれば、個々の色彩から成る面は、古代の「触覚的把握の名残」にほかならない。末期ローマ美術のモザイクの「頽廃」の要因とは、粗雑なタイルを用いているために遠くからしか鑑賞に耐えないものでありながら、実際にはその粗雑さゆえに統一体としてモチーフを視覚的に認識することが困難であり、結果として近寄って触覚を動員しながら鑑賞しなければその効果を発揮しない表現になっているという、その矛盾のうちにあった。
彼はこの矛盾を、初期キリスト教時代のモザイク(図5)のうちにも見出している。唐草の中でブドウを収穫するプットーの体に光が当たる様子は、視覚的把握に基づいた真に迫った表現ではあるのだが、同時に全体の空間を満たす光とは無関係な、「完結した量塊内部」における「まったく固有の独立した生命」を宿してもいて、そのせいで本当の意味では現実とは思えないような表現、現実的なものを装っただけの「仮面のようなもの」として鑑賞者の眼に映るのだと、リーグルは述べる*18。
輪郭線をなぞる手、表面を撫でる手
人物像の表面を撫でるリーグルの手は、身体像の輪郭線をなぞるヴェルフリンの手(第5回記事)とも、また表現された身体の感覚と同一化しようとするヒルデブラントやベレンソンの手(第6回記事)とも異なっている。
ヴェルフリンは眼で輪郭線をたどることで、その形状に触れるようにして、表現された対象の客観的知識を得ようとする。その行為は、どれほど作品から離れていたとしても可能だ。現物に忠実な美しい線を抽出することさえできるのであれば、書物に掲載された複製図版でも、スクリーンに投影されたイメージでも、それは可能である。手が届く位置にある書物の複製図版でも、手が届かない位置にあるスクリーン上のイメージでも、そのことは変わらない。ヴェルフリンがその講義の中でスライドとスクリーンを二台ずつ用意して、イメージの体系的な比較を試みていたことはよく知られている*19。ヴェルフリンの手解きを受けた学生達は、講義室の奥に座った生徒でも、部屋の中で青白く光るスクリーン上に映されたデューラーのデッサンを、触れるかのように見ることができたに違いない。
しかしリーグルの場合はそうはいかない。イメージをスクリーン上で比較するだけでは不十分で、それぞれの実物を前にして、手が届く範囲まで近づいたり(「近接視的把握」)、届かない範囲まで離れたり(「遠隔視的把握」)しながら、適切な距離を探らなければならない。指先だけでなく、身体全体の制御を必要とするこの鑑賞は、必然的に実物の作品と極限まで近づきうる環境でなければ成り立たない。
リーグルの著述から感じられる作品とのこの「近さ」は、リーグルの美術館学芸員としての経験に密接に結びついているのだろう。コレクションを管理する立場にあった彼は、文字通り収蔵品に触れる職権を有していたのである。これに対しヴェルフリンは、一度も美術館に勤めたことはなく、大学人としてのキャリアを築いた*20。もちろんヴェルフリンもまた、展示室や資料室で作品を実見していることは疑いないが、手以外の身体的感覚が作品と持つ関係性を論じようとしないヴェルフリンの禁欲的な論調と、リーグルの身体全体を使った作品記述とは、二人の歩んだキャリアの違いを体現するものであるように思えてならない。
ただしリーグルにはリーグルなりの禁欲的な姿勢が存在する。というのも彼の触覚的把握法は、対象に近づく経験を基盤としながらも、表現された人物の身体に入り込む性質のものではないからだ。ヒルデブラントやベレンソンは、触覚を喚起するような鑑賞法によって、触れるだけでなく人物像に同一化していた。これとは反対に、リーグルが触れるように見ることで確かめる「触覚的平面」は、彼が古代エジプト美術を前にして感じたように人物像の感情の表出を拒むものであり、したがって鑑賞者による人物像への共感を不可能にする類のものだったと言える。私たちはそこに、作品を前にした者の想像力の制御をみずからに課す、リーグルの歴史家としての意識を感じざるを得ない。彼は作品を見る眼の主観と客観について論じはするのだが、主観の記述のレベルが、リーグルと、その同時代のヒルデブラントやベレンソンとでは大きく異なっているのである。作品はリーグルの前で、触れうるもの、近づきうるものとして存在するが、そのことは彼にとって、作品に描かれたイメージと一体になれるということを意味しない。作品はつねに客体(object)として、彼の前に立ち現れてくるのである。
作品イメージの投影されたスクリーンを遠くから眺める客観的な観察者の位置にとどまることなく、しかし作品に近づきすぎるあまりに表象された身体に完全に一体化してしまうということもなく、実作品との距離を確かめながら造形的特徴とダイナミックに対話するリーグルの「触覚」。『末期ローマの美術工芸』の執筆後、彼はこの感覚を表す語が、「taktisch」ではなく「haptisch」であるべきだったと認めている*21。彼がこの二つの語をどのような意味で正確に区別していたのか、彼自身の言葉では詳細には説明されていないが、リーグルが後者の語を使用することで、指先の感覚器官が受動的に受け取る以上の感覚、つまり、客体と対峙した主体の能動的な身体の動きをも統合する知覚のあり方を指そうとしていたことは疑いない。
*1 アロイス・リーグル『末期ローマの美術工芸』井面信行訳、中央公論美術出版、2007年、39頁。
*2 前掲書、42頁。
*3 前掲書、39頁。
*4 前掲書、40頁。
*5 前掲書、42頁。
*6 リーグル『造形芸術の歴史的文法』296頁。
*7 リーグル『末期ローマの美術工芸』42頁。
*8 前掲書、42頁。
*9 前掲書、42頁。
*10 前掲書、74頁。
*11 前掲書、43頁。
*12 前掲書、44頁。
*13 前掲書、43頁。
*14 前掲書、96頁。
*15 前掲書、112頁。
*16 前掲書、194頁。
*17 前掲書、195頁。
*18 前掲書、196頁。
*19 ベルリン時代の彼の授業について、次を参照のこと。加藤哲弘『美術史学の系譜』中央公論美術出版、2018年、123〜125頁。
*20 前掲書、186頁。
*21リーグル『末期ローマの美術工芸』、74頁。
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)