掌の美術論 連載・読み物

掌の美術論
第6回 時代の眼と美術史家の手
――美術史家における触覚の系譜(後編)

6月 29日, 2023 松井裕美

 
 

時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)

 
 前回の記事ではハインリヒ・ヴェルフリンの『美術史の基礎概念』(1915年)を取り上げながら、触覚的な価値に基づくイメージ分析について紹介した。実のところそうした方法論自体は、バーナード・ベレンソンやアロイス・リーグルといった美術史家たちが19世紀末から20世紀初頭にかけて書いたものに見られたものだった。ではこうした傾向は、どのような思想的系譜のうえに位置づけられるだろうか。
 
 思想家エリオ・フランツィーニは、その論考「感覚世界を意味論的にすること」で、18世紀フランスの思想家コンディヤックの『感覚論』(1754年)やイギリスの思想家エドモンド・バークの『崇高と美の観念の起源』(1757年)における触覚をめぐる議論のうちに、19世紀以降登場する概念である「触覚価値」の思想的起源を求めている。ただし感覚一般について論じたコンディヤックと、個別の美術作品の分析方法に焦点を絞って論じた美術史家たちとのあいだには、ひらきがある。この両者を媒介する存在としてフランツィーニがあらためて注目するのが、18世紀ドイツの思想家であるヨハン・ゴットフリート・ヘルダーの1778年の著書『彫塑』である。フランツィーニによればヘルダーのこの論考は、一方では18世紀の触覚をめぐる経験論者の議論を継承するものでありながら、他方では、彫刻という特定の芸術ジャンルと触覚の関係を可視性と不可視性との関連から思想的に展開した点で革新的であった*1
 
 ただし美術史におけるヘルダーの後継者たちの議論についてフランツィーニは深くは触れず、ベレンソンやリーグルの名前を挙げるにとどめている。そこでこの記事の後半では、ヘルダーの議論を今一度確認しながら、ヴェルフィリンとベレンソンという二人の美術史家がどのようにそうした議論の後継者たり得るのか検討してみたい。なおリーグルについては次回の記事で扱う予定だ。
 
子供部屋から展示室へ――ヘルダーの彫刻論
 
 ヘルダーは『彫塑』の中で、「視覚にあるのは夢、幻で、真実は触覚のうちにこそ存在する」と述べる*2。というのも、人々が純粋に視覚だけで知覚する「現象」は、プラトンの『国家』に登場する比喩を用いて言えば、洞窟に閉じ込められた囚人が見ている「壁に映る影」と同じであるからだ*3。では、眼には見えない真実に触れるには、どうすれば良いのだろうか。囚人はどうすれば洞窟から抜け出して真実の世界に入ることができるのだろうか。
 
 洞窟から出るためにヘルダーが提案するのは、まず「子供の遊び部屋」に入ることである。子供は「視覚と触覚とをたえず結びつけ、一方を他方によって調べ、意味をひろげ、差異をきわだたせ、中身を濃くする」ことによって、「自分の最初の判断」を形成し、「操作や推論をしくじることによって真実に到達する*4」。こうして「子供の遊戯部屋こそは、数学的=物理学的教授法の最初の博物館ともいうべきもの」となる*5。それは触るかのように見ることも可能にする。赤子は最初、図形が単なる板のように見えるが、次第に「それらの像が現に生きているように見えてくる」、すなわち三次元のものとして認識できるようになると、「それらのまわりへ手をのばす」ことができると感じるようになる。つまり「夢が真実となる」のを感じるのである。このように図形を描いた人の「魔法の幻惑」によって、「盲人において触覚が視覚となったのと同様に、視覚が触覚となる*6」。
 
 大人になってもまた、私たちは「目の前に呈示された、手で触れることのできる真実のもの」を、物理的には触れずとも、触るかのように見ることができる。ここでいう「真実のもの」とは、「常にその道筋を変える美しい線、けっしてむりやり折られることはなく、けっして強引に誇張されることもなく、きらめく美しさをみせて立体を包み流れ、一度も休まず、たえずただよいつづけながら、立体のなかに型の流出を、充実を造形し、平面とか、角や尖りとはまるで無縁な、おだやかに微妙な輪郭を示す、うっとりとさせる肉体的なものを造形していく美しい線*7」である。ここで前提にされているのは、純粋な視覚により捉えられる平面ではなく、触覚により捉えられる線こそが、対象に内在する真の美しさを伝えるということだ*8
 
 そこでヘルダーは第二に、「彫像のまわりをうろつく愛好家」になることを読者に提案する。彼は視覚体験に触覚的な感覚を動員するために、それも、「あたかも暗がりのなかで手さぐりをするかのように見るために」、彫像の周りを「すべり動く」。すると「彼の目は手となり、光線は指とな」る。あたかも暗がりのなかで、という条件が示されているのは、盲人が触覚によって視覚を補うように、視覚に制限を加え、そのぶんだけ触覚を鋭くする必要があるからだ。実際には物理的に触るのではなく、触るかのように見ることをヘルダーは求めているので、視覚の働きが完全に否定されているわけではない。だが盲人のように鋭敏な触覚を呼び起こしながら見ると、「彼の心は、手と光線よりもはるかに敏感な指、像を作った人の腕と塊となって、像をおのれのなかにつかもうとする指」を持つことになる*9
 
 愛好家の「心のなかの指」とも言うべきものは、想像の中で彫刻に触れることで、最終的には彫刻家の手のパントマイムを始める。彼は彫刻家の感動的な語りを「感じ、まねて作り、彼を捉えて離さぬ大きな広がり、生命の大海の中で口ごもる*10」。翻って、彫刻家であるためには、心の指で触れることのできる鑑賞者にならなければならない。したがって純粋な視覚でのみ彫刻を愛でる人は、「たのしくおちついて、愛人を遠くから平面像として眺め、それで満足している」気の毒な「恋人」である。また「アポロやヘラクレスを彫刻した人で、アポロの美しい体の像に抱きついたことがなく、ヘラクレスの胸や背中に一度も夢のなかで触れたことのない人は気の毒だ。無からはまことに無以外の何ものも生じえない、そして触れて感じとることのない光線は、けっして暖かな創造の手とはなり得ない*11」。
 
 ここでヘルダーが「夢」に言及していることは、この論考全体のロジックとは一見矛盾するようにも思われる。というのも上記で述べたように彼は、夢や幻を見せる視覚を、真実を捉える触覚よりも低位に置いているからだ。だが次のように解釈してみれば、それは必ずしも全体の議論と矛盾しない。すなわちヘルダーは、視覚や、それが見せる夢と幻を完全に否定しているわけではない。眼に見えるもの、あるいは実在していないが想像により見ることができるものに、「心の指」で触れることができれば、それは「真実のもの」となり、その「美しい線」を私たちの目と手に触れさせてくれる。したがって「心の指」は、「目の前に呈示された、手で触れることのできる」対象だけでなく、アポロやヘラクレスのように目の前に実在しない、物理的には手で触れることができない対象にも、触れさせてくれるのである。
 
ヘルダーとヴェルフリン
 
 ヴェルフリンは『美術史の基礎概念』の中でヘルダーには触れていないが、彼らの議論には重要な共通点がある。彼らが追求しているのは、ものに触るという実体験から得た記憶や経験をもとに、見るという行為の中で触覚を呼び起こす体験である。ものを見る活動はここで、単に網膜に映った情報を処理する受動的なものではなく、記憶や経験をもとに能動的に解釈するプロセスとして理解されている。つまり彼らが芸術作品における触覚について論じるとき、触るという行為により対象から直接感覚を得ることが問題とされているのではない。彼らは触るかのように・・・・・対象を見るということに特別な意味を見出したのである。
 
 そこでは眼と手とが協働関係にあるからこそ、不可視であるはずのものもが可視的になり、触覚不可能であるはずのものが触知可能になる。視覚では捉えられないが触覚では知覚できる真実があるのだとすれば、盲人のごとく指先の感覚を鋭敏にし、その「真実のもの」を触るかのように見ることで、それは「美しい線」として可視化されるのである。また物理的には手では触れられないが、夢や幻のように見ることができるものがあるのだとすれば、そうした視覚体験の中で触覚的な記憶を呼び起こし、触った感覚を想像することで、それはやはり「真実のもの」となる。ヘルダーが問題にしているのは、最初から「真実のもの」があって、それが実在としてかたちをなし、私たちが知覚する、というようなプロセスではない。萌芽状態のイメージ(それは古代のアポロ像でも夢に現れたヘラクレスでもでもよい)を、複合的な知覚との対話関係のうちにおき、このイメージを「真実のもの」へと生成させる心的なプロセスこそ、彼の議論の核心をなしているのである。
 
 ヴェルフリンはおなじ議論を、デューラーが描くエヴァの姿にも展開した。神話的な登場人物であっても、また聖書の中の登場人物であっても、芸術家の眼と手によってそれは可視性を与えられ、鑑賞者の眼と手の協働の中で触覚可能性を与えられるのである。
 
 それは、物理的に対象に手で触れることで世界を理解していた幼少期の原体験を振り返る行為ではあるけれども、そこに実際に立ち戻るものでもない。なぜなら、ヘルダーやヴェルフリンが触知可能性・・・を見出した「美しい線」そのものは、実際の指で物理的に触れようとするやいなや、決して触れることができないその抽象性をあらわにするからだ。ヘルダーもヴェルフリンも結局のところ、成熟した大人として失われた過去を回顧する立場に満足しているのであって、事物の形状だけではなくその表面の質感や温度を楽しみ、場合によっては掌の中の事物を弄び握りつぶしてしまうような子供時代に回帰することは望んでいない。驚きを持って触覚的な視覚を発見した子供部屋を懐かしみながらも、この子供部屋の遊び手と完全に同一化することができない大人は、後ろ髪を引かれつつ子供部屋を後にして美術品の展示室に入り、過去の記憶や体験を呼び起こしながら、描かれた人物たちの線や彫像の輪郭を心の指でなぞる。すると、心の中の手の指先から美しい線が生まれ、次いで線がかたどる身体に、血が通い始めるのである。
 
 触覚に関するヴェルフリンとヘルダーの著述とのあいだに存在するこの共通点は、もしかすると直接的な影響関係によるものではなかったかもしれない。なぜなら両者には複数の相違点が存在するからだ。第一にヴェルフリンの著述は、触覚に重きをおきながらも、線による形状の把握という認識論的な記述にとどまる禁欲的なものであり、決してヘルダーのように、抱擁という、肉体的な快(相手は恋人であったりアポロであったり何らかの彫像であったりする)を喚起する表現は用いない。第二にヘルダーは、触覚と視覚の協働について論じる点にその慧眼を見せながら、結局のところ「彫刻は真実であり、絵画は夢である」と断言し、芸術ジャンルという壁で二つの感覚の関係性を断ち切ってしまうことになる。曰く、「[絵画の]光線は褪めやすい、それは輝きであり、映像であり、知的な観照であり、色だ。――いやしくも人間でありながら、この絵画と彫刻という二つの事柄をおなじひとつの基盤の上に考える理論家なるものを思い浮かべることはできない*12」。
 
 すでに前半部分(連載記事第5回)でも述べたように、ヘルダーのこの記述から一世紀半ほどが経ったヴェルフリンの時代には、絵画作品の分析の際にも、線とそれがかたちづくる形状を認識するための触覚を動員することが可能になっていた。そのことを可能にしたのが、ヴェルフリンより先に線的な表現のうちに触覚性を見出しながら絵画作品を論じたベレンソンや、ベレンソンに影響を与えた彫刻家アドルフ・フォン・ヒルデブラントの著述である。
 
ベレンソンと触覚価値
 
 ヘルダーやヴェルフリンと同様、ベレンソンもまた、作品を見る際の触覚的な知覚について述べるにあたり、決して取り戻せない幼児期の原体験について思いをめぐらせることから、絵画の触覚的分析を始めている。前半部分(連載記事第5回)で触れたバクサンドールの著書が参照しているベレンソンの1896年の著書『ルネッサンスのフィレンツェ派画家たち』に立ち戻ってみよう。ベレンソンはそこで、私たちが幼児期より、実際に手で物体に触れながら得る触覚と三次元的な知覚との繋がりを体得しながら、現実と非現実を認識するのに役立てていることに注目する。成長すれば人はその密な繋がりを忘れてしまい、三次元を純粋に視覚だけで認識しているように感じるかもしれないが、実際には大人もまた、現実を認識するたびに、「網膜の印象に触覚価値を与えている*13」のだという。
 
 だが画家は、三次元的な空間を二次元空間に表現するにあたり、私たちが行なっているこの無意識のプロセスに、意識的に取り組まなければならない。したがって彼曰く、「画家の最初の仕事は触覚を刺激することである。というのも、ある図を現実のものとみなし、その作用を私のうちに永遠にとどめるためには、それよりも前に、ある図に触れることができるという錯覚イリュージョン、この図の中の様々な投影=突起物プロジェクションに呼応するような、自分の掌や指の内部の筋肉の多様な諸感覚の錯覚を持たなければならないからだ。つまり、絵画芸術(彩色の技とは異なるものであり、そのことを読者にはお気づきいただきたい)の本質は、触覚価値に関する知覚を刺激することである。そのことによって絵は、少なくとも表象された対象物と同じだけの、触覚的な想像力に訴えかける力を持つようになるはずだ*14」。ここでも触覚は、何よりもまず事物の形状を知るための感覚として重要視されており、色彩により表現される視覚的な印象がそれに対置させられている。
 
 もう少し読み進めると、「触覚的な想像力」は具体的な作品分析の中でより詳細な説明を与えられることになる。例えば初期ルネサンスの画家ジョットが描く聖母は、「実際の対象を前にするよりも迅速に」、「触覚的な想像力」を掻き立てる。直ちに私たちの視覚体験に作用するこの性質をもたらしているのは、第一に「機能的」で「目的を負わされた」線によって構成される「構造上の道理(architectonic reason)」である。この道理の中では意味のない線などない。あらゆる線が、現実の対象を的確に参照するよう機能的に組み立てられ、全体的なヴィジョンの不可欠な一部をなしている。触覚価値を視覚体験にもたらすものとしては第二に、凹凸をありありと感じさせる、色の濃淡による陰影表現が挙げられる。それは鮮やかな彩りではなく色調(グラデーションから成る色の段階)によって膨らみや窪みを表現する*15

図3 ジョット・ディ・ボンドーネ《荘厳の聖母》1310年ごろ。ウフィツィ美術館

 
 ベレンソンの著述はやがて、触覚価値にもとづく鑑賞体験を、身体全体の感覚にまで拡張していくことになる。例えばフィレンツェ派の画家アントニオ・デル・ポッライオーロの作品では、確かな線と陰影による表現は、あたかも描かれた身体の運動と一体化するかのような感覚すら見る者に与えるのだと、ベレンソンは言う。そのことを示すためにベレンソンは、ウフィツィ美術館にあるこの巨匠の傑作《アンタイオスを締め殺すヘラクレス》(図4)を一例としてとりあげる。アンタイオスはギリシア神話に登場する巨人で、大地の女神ガイアの息子である。ヘラクレスが旅をしていた折に闘いを挑んだのだが、母なる大地から離れてしまえば無力になってしまうこの巨人の弱点を見抜いたヘラクレスは、自らの肉体を武器にしてアンタイオスを持ち上げ、しめ殺してしまう。ベレンソンによれば、ポライウーロがテンペラで描くこの情景を前にすると、私たちは「大地をしっかりと踏み締めるヘラクレスの吸引力、上からの圧力で膨らんだふくらはぎ、暴力的なまでに後ろに反り返った胸、締め付けられる息苦しさを実感すれば、また、片手で頭を押さえつけ、もう片方の手でヘラクレスの腕を振り解こうとするアンタイオスのこのうえない努力を実感すれば、あたかも自分の足元からエネルギーの泉が湧き上がってきて自分の血管を流れるかのように感じる*16」。運動する身体への一体化と、その表象への感情移入の体験は、なるほど錯覚には違いないのだが、見る者の現実の身体に変化をもたらすような作用を持つ錯覚なのである。

図4 アントニオ・デル・ポッライオーロ《アンタイオスを締め殺すヘラクレス》1460〜75年ごろ。ウフィツィ美術館

 
ヒルデブラントと「作用するかたち」
 
 触覚を喚起する視覚活動をめぐる考察と、それを可能にする「構造上」(architectonic)の性質への関心、そして、表象された身体の、筋肉の運動や血液の流れを、我が物のように感じる知覚のあり方。こうしたことについてのベレンソンの言及は、彼と面識のあった彫刻家アドルフ・フォン・ヒルデブラントから直接の影響を受けたものだった。実際ヒルデブラントは、『造形芸術における形の問題』と題した理論書を出版しており、ベレンソンは1893年に世に出た初版の熱心な読者だった*17
 
 この本の中でヒルデブラントは、純粋な視覚像の知覚と、触覚を動員するような視覚体験を区別している。前者は遠くに固定された視点から一挙に全体を把握するような知覚のあり方であり、ヒルデブラントはそれを「遠隔像」と呼ぶ。この遠隔像は、最初は「純粋な視覚印象」(本文中では「視覚表象」とも言い換えられている)として与えられるので、「二次元的な広がりを表しているにすぎない*18」。
 
 これに対し、対象を近くから手で触れて、その形状を確かめようとする場合、ヒルデブラントが「運動表象」と呼ぶものを得ることになる。それは「目によって触れて確かめる*19」ことでも成立する。この場合人は「面と面との位置関係」を把握するために目を動かすのであり、その際に生じた「目の動きを図解する線」(目の動きの軌跡のこと)により、立体的な形状の認識が可能となる*20
 
 ヒルデブラントは、両者の知覚が手を結ぶことでこそ、三次元的なものをまとまりのある対象として把握できるとする。「純粋な視覚印象」も、「特定の目印の刺激」を見る者に与えることによって、その内部を「散歩」するような運動表象へと変化する*21。また運動表象は、手や目の動きによって得られたものから立体的な形を認識するために、線や面といった二次元的な視覚表象を動員する。視覚と触覚のこの対話の中で得られるのが、「存在する形」である。この形は、視覚的・主観的な幻影のあらわれではなく、世界の中に客体として存在する。したがってそれは、直径五センチの球体、といった具合に、実測値で把握できるのだと、ヒルデブラントは言う。
 
 こうした知覚間の対話は一般には無意識に行われるが、芸術作品における表現では、このやりとりを生み出すための作業が必要となる。ヒルデブラントはその作業を、手先の器用さからのみ生まれる技法ではなく、そうした手先の作用と、考え抜かれ組み立てられた知的な全体構造(「目の動きのための足場*22」)との相互的な対話の結果として説明する。後者の構造こそ、彼が構築的(architektonisch)と呼ぶ性質である。
 
 とりわけ芸術家が考慮する必要があるのは、生み出された形が、見る人にどのように作用するのか、という点である。客観的な物差しで測量した結果とは別に、「対象の採光状態や周囲の事情、あるいは見る人の立つ位置の変化」によって、表現された造形物は異なる様相を見せる*23。それをヒルデブラントは、「存在する形」と区別して「作用する形」と呼ぶ。彼によれば「ばらばらの知覚を寄せ集めただけ」の「存在する形」は、科学的な観察に対してのみ意味を持つ。これに対し「芸術的なものの見方」をするためには、鑑賞者の目にどのように映るのかという、「作用する形」に意識を向ける必要がある。「存在する形」に手を加えて、見ている対象(作品)がより自然に鑑賞者の目に作用するよう修正しなければならないのである。このような「作用する形」は、対象の寸法の実測値ではなく、それが目に対してどのように表れるのかという「関係値」によって定められる。「作用する形」に気を配って造形物を制作すれば、作品の全体像をより自然に、まとまりのあるものとして見せることができるようになる。例えば古代彫刻において、ある人物の全体像を自然に見せる必要から、片足だけ短くすることもまた許されるのである*24
 
 ヘルダーが、「心の手」により触覚的に見ることの鑑賞の条件として、目の前に事物として彫刻が存在していることにこだわっていたのに対し、ヒルデブラントはこうした議論において、絵画においても触覚と視覚の対話が可能であるとしている。ベレンソンがフィレンツェ派の絵画の中に見出した「触覚価値」や、ヴェルフリンが素描を分析する枠組みとして示した「視覚価値」と「触覚価値」の対立項は、ヒルデブラントのこうした議論から直接受け継いだものである。
 
 もちろんヴェルフリンは作品分析をできるだけ体系的に行うために、ヒルデブラントの議論をやや単純化するかたちで応用している点にも注意が必要である。ヒルデブラントは、視覚表象と触覚表象とが、完全には切り離せない対話的なものとして私たちの知覚に作用する、その複雑な心的メカニズムを明らかにしようとした。これに対しヴェルフリンの絵画論では、視覚的なものと触覚的なものの関係というよりも、両者の相違が強調されている。また禁欲的なまでに厳格な様式分析の方法論を樹立しようとしたヴェルフリンにとって、「触覚価値」とは形状を正確に知るための指先の感覚のみ意味した。
 
 これに対しヒルデブラントは、ベレンソンと同様に、著書の中盤から身体全体の感覚を問題にし始める。ヒルデブラントによれば、芸術家が構築したイメージは「なんらかの過去や未来あるいは永続的な作用」、つまり記憶やそれに基づく予想、あるいは恒常的に作用する推論といった、トップダウン的に知覚に作用する心的モデルを「忍び込ませて」おり、それらは「見る」という体験の中で「すぐに呼び出されてくる*25」。それはまさに、「出来事の経過」を「心の中で演じてみせる」行為、ヒルデブラントの喩えを借りれば幼児が「笑ったり泣いたりする身ぶりを、真似をして一緒にやってみることで理解するようになる」ことに通じている。そうすることで子供は、「その身ぶりが引き起こす筋肉運動の中に、愉快不愉快の内的原因をも感じることができるようになる」。同様に芸術家が事物を表象しようとするとき、その表象活動は「ちょうど俳優がそうするように、今までの経験材料をすべて寄せ集め」るのであり、このことを通して「直接の身体感触との連携の中で、生きた身振りを手に入れる*26」。
 
 芸術家が制作を通して追い求めるのは、この、鑑賞者に「生きた身振り」として作用するような形である。「動きが想定されているわけでもないのに、動いているときの形を思い出させるために、その動きの経過を表示」する形を利用すれば、「芸術家は、見る人に一定の表示を通して一定の身体感覚や心情感覚を生じさせるような典型的な形を、確実につくり上げることができる*27」。
 
 こうした形を前にして鑑賞者が行う「心のパントマイム」というべきものは、手先だけでなく全身のパフォーマンスとなる。この能力は「あらゆるものをわたしたちに結びつけ」るのであり、その結び目となるのは「わたしたちの身体感触」である*28。この感覚こそ、個人を世界へと結びつけるのである。私たちが自分とは異なる「生き物」の形に「有機的な統一感を感じ」るとき生じている事態とは、「身体感触をもつわたしたちが、目の前にある身体の形をしたもののなかに自分を完全に置き移す」という体験にほかならない*29
 
 この点を受け継いだベレンソンは、作品によって喚起される身体全体の感覚もまた、「触覚価値」と関連づけることになる。彼は絵の中のヘラクレスにもアンタイオスにも「自分を置き移す」。ベレンソンはまた、ヘラクレスの身体を通じて、彼の足元の大地が英雄の足裏に注ぎ込むエネルギーをも感じ取る。
 
心のパントマイム
 
 さて、ここで試みに私もまた、前述のポッライオーロの作品をめぐるベレンソンの記述に我が身を浸してみよう。すると古代の英雄の身体だけでなく、その周囲の表現にもまた、「自分を置き移」したくなる欲望に駆られる。ヘラクレスの足元の大地からは水が湧き、それが蒸発して雲となる。大地はまた山へと連なり、植物と動物を養う。これらの循環するエネルギーこそが、ヘラクレスの足裏を通してその血管に伝えられたものなのだろう。逆にそこから切り離されたアンタイオスは、自らの無力感に苛まれることになる。
 
 大地から吸い上げられたエネルギーによって力強く脈打つヘラクレスの血流を感じることができるというなら、その源流となる自然のエネルギーの循環をも、自らの脈動のうちに感じることができるのではないか。こうして私の呼吸は水から蒸発した水蒸気となって空気を潤し、私の血流は地動のエネルギーとなり山脈を形成することになる。
 
 だがそうした拡張された身体感覚は、ベレンソンの記述に触発されたものであっても、どうもそれと完全に同一のものであるというわけではなさそうだ。ポッライオーロが同じ感覚を有していたに違いない、などと、およそ歴史家らしくない希望を抱くこともできない。結局のところ、どのような表象に、どこまで身体感覚を拡張できるのかという点は、「どの」身体が体験するのかということに関わってくるのではないか、と最終的には思えてくる。
 もう少し一般的な結論を導き出してみよう。
 
 触覚を手がかりにしながら作品の「味わい方」を教えてくれる初期の美術史家たちの著述は、一方では理解するのにやや時間を要するが、他方では私たち読者に不思議な心地よさを与えてくれもする。なぜなら私たちは、そうした著述を読むことにより、彼らの手引きによりその「時代の眼」や「時代の身体」を想像しながらも、ほかならぬおのれ自身の心の手で、表現された事物をゆっくりと知覚し始めるからだ。そのとき得る経験は、時代や地域を超えて芸術の真髄を理解することが可能なのだという甘い期待をも、私たち現代の読者に抱かせることになるかもしれない。
 
 だが私たちがおのれの「心の指」で過去の造形物を鑑賞し、その指を先人のものと重ね合わせようとするとき、そこには二重のずれ・・が生じている。第一に、この「心のパントマイム」とでも言うべきものは、その都度、過去の触覚的な記憶を再生するというプロセスを媒介するものである以上、原体験としての「直接の身体感触」との差異を含むものであることは否めない。視覚の中で喚起される触覚は、喚起されるその度に、私たち自身の手が実際に有している触覚の原体験と、否応なしにずれ・・ていく。
 
 それだけではない。現代の私たちがヴェルフリンの語る「触覚価値」に多少の違和感を覚えざるを得ないように、ジョットやポッライオーロ、レンブラントやデューラーらの時代において議論に登場する「触覚」が、ヴェルフリンの「触覚」や私たちが議論の対象とする「触覚」とまったく同一であるという保証などどこにもない。したがって第二に、過去の人々の作品体験の再現に厳密さを求めれば求めるほど、つまり先人たちの手引きにより「時代の眼」や「時代の身体」をおのれの眼や身体によって正確に感じとろうとすればするほど、その再現不可能性に直面せざるを得なくなる。スクリーンに映るデジタル画像や複製図版ではなく、実物の作品を前にしていたとしても、このことは根本的には変わらない。それは再現というよりは、再構築なのである。そのことに一度思い至るや、私たちは、時代や地域、文化的相違を超越して芸術作品の本質を見定め捉えるような普遍的な人間性の存在を信じようとする素朴な期待、ベレンソンからヴェルフリンまでを貫く初期の美術史家が有していた素朴な普遍主義を、一旦手放さざるを得なくなる。
 
 とはいえ、「触覚」による芸術の普遍的理解に対するこのような疑念の先にあるものは、結局のところ自分たちの慣れ親しんだものから脱することはできないのだという諦念でも、救い難い退屈でもない。ここでミッシェル・レリスが「心のパントマイム」を「模造シュミラークル」と読み換えていることを思い起こしてみよう(第3回記事)。レリスにとっての「心のパントマイム」が、詩人の意図を超えた言葉の並びに新しい生命をもたらす潜在性に満ちていたように、私たちにはまだ、私たち自身の心の手が、過去の人々の手のパントマイムを通してもたらしてくれる、おのれの意図を超えた様々なイメージや感覚と戯れる余地が残されている。この戯れは、過去を手繰り寄せる作業を続けていくにあたって、その暗い道を細々とでも照らす小さな灯りとなるに違いない。
 
 



*1 Elio Franzini, “Rendering The Sensory World Semantic,” in Francesca Bacci and David Melcher, Art and the Senses, Oxford University Press, 2011, p. 115-131.
*2 ヘルダー「彫塑」登張正実訳、『世界の名著 続7 ヘルダー ゲーテ』中央公論社、1975年、211頁。ヘルダーの触覚についての記述は下記も参照のこと。ヘルダーについては次を参照。小田部胤久「芸術のモナドロジー ヘルダー〈触覚の美学〉の意味するもの」『行為と美』岩波書店、1990年、283〜351頁。
*3 前掲書、209頁。
*4 前掲書、209頁。
*5 前掲書、210頁。
*6 前掲書、211頁。
*7 前掲書、214頁。
*8 芸術において面的なものではなく線的なものを重要視する点、また線的なものが伝える三次元の形状を把握するうえで触覚を重視する点は、同時代のドイツ人思想家であるカントにも共通している。カントにとって、触覚の感官である「指先の神経突起」は「物体の形状を探るためにある」としており、「表面が触ってみて柔らかく感じられるかそれともざらついて感じられるかとか、ましてや暖かいと感じられるか冷たいと感じられるかといった生命感覚」は議論の中で問題にされない。『カント全集15 人間学』岩波書店、2003年、64頁。彼はまた、『判断力批判』では絵画や彫刻といった造形芸術の本質を、色彩ではなく線描的輪郭のうちに見ている。
*9 前掲書、214頁。
*10 前掲書、215頁。
*11 前掲書、215〜216頁。
*12 前掲書、219〜220頁。
*13 Bernhard Berenson, The Florentine Painters of the Renaissance, G. P. Putnam’s Sons, 1909 (c.1896), p. 4.
*14 Ibid., p. 5.
*15 Ibid., p. 14-15.
*16 Ibid., p. 55-56.
*17 ベレンソンが所有していた本には、彼の書き込みが残されており、彼がいかにヒルデブラントに感銘を受けていたかがありありと示されている。Alison Brown, “Bernard Berenson and “Tactile Values” in Florence,” in Joseph Connors and Louis A. Waldman, Bernard Berenson: Formation and Heritage, Villa I Tatti, The Harvard University Center for Italian Renaissance Studies, 2014, p. 101-120.
*18 アドルフ・フォン・ヒルデブラント『造形芸術における形の問題』中央公論美術出版、1993年、15頁。
*19 前掲書、14頁。
*20 前掲書、16頁。
*21 前掲書、15頁。
*22 前掲書、33頁。
*23 前掲書、21頁。
*24 前掲書、30頁。
*25 前掲書、84頁。
*26 前掲書、83〜84頁。
*27 前掲書、85頁。
*28 前掲書、85頁。
*29 前掲書、87〜88頁。

 
 
》》》バックナンバー 《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)

松井裕美

About The Author

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。