憲法学の散歩道
第50回 リアルでない法学とは何か?

About the Author: 勁草書房編集部

Published On: 2026/10/6By

 
 
 ロンドン大学ユニヴァーシティ・コレッジ(University College London: UCL)で法哲学の教授を務めたウィリアム・トワイニング(1934−2025)は、オクスフォードの学生時代、H. L. A. ハートの法哲学の講義に魅了されて法律学の勉強に打ち込み、第一級の成績を修めた*1。
 
 しかし、彼は卒業後の進路を決めかねていた。1950年代当時、イングランドのアカデミックな法律学は高く評価されてはいなかった。ハートの法哲学はともかく、一般的には、授業の内容も学生の質もいま一つだった*2。
 
 両親に実務への道を勧められたトワイニングは、司法試験(Bar exam)の予備校Gibson and Weldonの面接試験を受けた。試験官は、オクスフォードの第一級の成績は、試験勉強には不利に働くと言う。ここでは、独立した思索は不要だし、批判や理論化といったアカデミックなたわごとはもっと始末が悪い。条文や先例をはしから頭に詰め込めというわけである*3。トワイニングは、バリスタになるのをあきらめた。
 
 次に彼が向かったのは、人身損害を専門とするソリシタの事務所である。学生時代、Salmond on Tortsという不法行為の教科書が好きだったと彼が言うと、パートナーのソリシタは、教科書で学んだことはすべて忘れろと言う。その事務所は保険会社を代理しており、事件はすべて裁判外の和解で処理していた。
 
 ソリシタ事務所での経験はトワイニングに強い印象を与えた。本に書かれた法(law in books)と実際に機能する法(law in action)は違う。大事なのは後者である*4。
 
 両親は彼に、役人になってはどうかと言ったが、彼自身はアフリカの大学で教育に携わる可能性を考え始めた。オクスフォードに戻った彼は、学生相手のチューターを務めながら、オール・ソールズ・コレッジとモードリアン・コレッジのフェロウシップの試験準備を始めた。結果は両方とも落第だった*5。
 
 彼は、アメリカの大学院で研究する可能性を考えた。オクスフォードのF. H. ローソン教授が、見込みのある学生のアメリカ留学を指南していると聞いて会いに行くと、どの大学を選ぶかより、どの学者の下で研究したいかを考えろと言われる。トワイニングは図書館でアメリカの学者の著作を読んで、ハーバードのロン・フラーとシカゴのカール・ルウェリンに惹かれた。
 
 ハーバードに手紙を送ったところ、学位取得を目指す学生についてしか奨学金の用意はないと言われる。シカゴとコンタクトをとったところ、1957年9月からのCommonwealth Fellowshipを受給する目処がついた。新婚早々のトワイニングは、シカゴに向かった*6。
 

*

 
 カール・ルウェリン(1893−1962)は、リアリズム法学の潮流を代表する法学者である。リアリズム法学が何かについては、今に至るまで論争が続いている。とはいえ、リアリズムと呼ばれ、あるいはそう自称するからには、何かがリアルでない(unreal)との想定があったはずである。unrealな法学者として真っ先に想定されていたのは、ケースメソッドの創始者とされるクリストファー・コロンバス・ラングデル(1826−1906)である。
 
 ラングデルは1870年、ハーバード・ロースクールのディーン(研究科長)となった。彼が創始した、判例を素材とし教員と学生の問答を通じて教育するケースメソッドは、全米から優秀な学生を惹きつけ、他のエリート・ロースクールへも普及した*7。ケースメソッドが立脚する前提につき、ラングデルは次のように述べる*8。

科学(science)としての法学は一定の原理(principles)ないし法理(doctrines)からなる。それらを、変転するこの世界に変わらぬ技量と確実さをもって適用できるまでに修得することで、真の法律家となることができる……そうした諸法理は徐々に、言い換えるならば何世紀にもわたって、多くの先例を通じて、現在の姿となった。この成長の過程は、先例を通じてたどることができるし、諸法理は、それらを体現する先例を通じてこそ、もっとも手っとり早く、修得することができる。もっとも、判例集に登載された先例のうち、この目的のために有益かつ必要なものは、きわめて少数である。大部分の先例は法学研究には無用であるか、無用以下である。しかも、根本的な法理は、通常想定されているより、はるかに少数である。同一の法理がさまざまな姿形で表現され、そのため教科書では同一の法理が繰り返し説かれ、それが多くの混乱を引き起こしている。これらの根本的な諸法理を、本来の場所に位置づけるよう分類し整理することで、その恐るべき数量を縮減することができる。
 
 法学は科学である。そしてこの科学が必要とする素材はすべて、印刷された書物に含まれている。もし法学が科学でないなら、大学がその尊厳を維持するために最善のことは、法学教育を放棄することであろう。科学でないならば、それは手仕事(handicraft)であり、実務家の下で修行するのが最善の修得の道であろう。科学だとすれば、それが諸科学の中でももっとも偉大で困難なものであり、もっとも啓蒙された学術が投げかける光のすべてを要するものであることに、ほとんど異論はないであろう。もう一度言うが、法学は大学において、印刷された書物によって学習し、教授することができる……印刷された書物がすべての法的知識の窮極の源泉であり、科学としての法学を修得しようとする学生がすべてこの窮極の源泉に頼らざるを得ないのであれば、そして、学生にとって唯一の補助者となるのが同じ旅程を歩んできた教師たちなのであれば、大学がそして大学のみが、法学を教え学ぶためのすべての便宜を与えることができる……図書館こそが、教師にとっても学生にとっても、適切な研究の場(workshop)であると、われわれは常に訴えてきた。化学者や物理学者にとっての実験室、博物学にとっての博物館、植物学者にとっての植物園に相当するのが、われわれにとっての図書館である。

 2004年4月から、日本でもロースクール教育が開始され、判例を素材とするソクラティック・メソッドが教育方法として推奨されるようになった*9。とはいえ、元祖のラングデルが抱いていた、「形式主義formalism」と侮蔑的に呼ばれる以上のような想定を、日本のロースクールの教員が共有しているかと言えば、はなはだ疑わしい。
 
 筆者は、法学が科学だとは全く考えていない*10。科学でないとすれば、大学でそれを教えるべきではないという観念もきわめて偏頗で、非常識としか言いようがない。
 
 科学であるかどうかはともかく、ラングデルの法学教育観の核心にあるのは、法学は印刷された判例集を研究することで、そしてそれだけを通じて、修得することができるという観念である。この観念自体、いくつかの前提に立脚している。
 
 まず、法律家の仕事場は何より裁判所である。裁判官が下した判決文を読むことで、法律家がすべき仕事が何かは分かる。それは、「有益かつ必要な」先例群を読み解き、そこから根本的な一定数の法理をつかみ取り、それを事案に適用することで論理的に結論を引き出すことである。若きトワイニングが気づいた、実務の現場で機能する法は印刷物に示された法とは違うという認識は、そこにはない。
 
 第二に、上述のラングデルのことばを素直に受け取る限り、彼は先例から引き出される一定数の法理が相互に矛盾・衝突するとは考えていない。科学である以上は内部に矛盾・衝突があってはならない。また法理は、徐々にしか変化しない。そうでなければ、法理から論理的に結論を導出して安心してはいられない。矛盾・衝突する別の法理からは別の結論が出るであろうし、今月と来月とで法理の内容や結論が変わることになりかねない。
 
 第三に、ここには、事実と規範の区別はない。先例が示す法理は事実として存在すると同時に、公平・中立な立場から妥当な結論を指し示す、あるべき法理でもある。だからこそ法律家はそれに習熟し、それをさまざまな事案に適用して結論を出すことが求められる。
 
 先例の示す法理が、あるべき規範的結論を示していないとすると、先例の検討を通じてそれを把握することに、さしたる意義はないであろう。先例にこだわることなく、むしろあるべき規範的結論を直接に探求すべきことになるはずである。事実と規範を峻別しない科学、それは一風変わった科学と言わざるを得ない。
 
 さらにここにあるのは、裁判官(たち)はその思考と推論の過程をありのままに判決文に表現するはずだという、ナイーヴな前提である。そうした判決文もないとは言えない。事案も単純で法律の条文や確立した判例を機械的に当てはめれば答えが出るし、それが多くの人々が納得する妥当な結論でもあるといったイージー・ケースでは、そうであろう。しかし、控訴審や上告審まで激しく争われるハード・ケースでも同じであろうか。
 

*

 
 「有益かつ必要な」先例群から汲み取られる法理は、相互に整合し、安定し、多様な紛争に対して確定的な答えを論理的に与える。形式主義は、そう主張する。カリカチュアライズされてはいるが、リアリズム法学が標的としたのは、この現実離れした想定である。
 
 先例群からどのような法理を汲み取るかは、人によって異なる。大方の見方が一致する法理でさえ、始終変化にさらされる。法理は多様な紛争に対してすべて確定的な答えを与えるとは限らず、裁判官に裁量の余地を残す。さらに、裁判外で処理される紛争は、裁判所で解決される紛争よりはるかに多い。
 
 イージー・ケースはともかく、ハード・ケースにおいて法は根本的に不確定(indeterminate)である。裁判官は所与の法理から結論を導くわけではなく、まず面前の関連する事実に着目し*11──なにが「関連する事実」かは裁判官によって異なる──あるべき結論をまず決めてから、次にそれを正当化できる先例や法理の探索に取り掛かる。裁判官の結論を導くのは、勘(hunch)である*12。
 
 そうだとすると、裁判の行方を占うために必要なのは、先例や法理の探索ではなく、むしろそれ以外の情報だということになる。そうした情報として役立つのは、裁判官の出身学校、出身階層の別かも知れず、裁判の結果が各当事者にどのようなリスク配分をもたらすかの経済分析かも知れず、現存する司法機構やロースクール制度がどっぷり漬かっている政治的・イデオロギー的偏向かも知れない。こうして社会学、心理学、政治学、経済学等の知見が活用されるべきだとの声が高まる*13。
 
 とはいえ、こうした「隣接諸科学」の提供する情報は、裁判の予測にどれほど役に立ってきたであろうか。本当に役立つのであれば、世の弁護士たちは法律書や先例集などかなぐり捨てて、まずはそうした「隣接諸科学」の知見を学ぶべきことになるが、そうした傾向は、少なくとも顕著に生じてはいない。それともそれは、世の法律家たちがいかに既存のイデオロギーの虜になっているかを示しているだけであろうか*14。
 

*

 
 繰り返しになるが、リアリズム法学の内容はこの通りという確定的な答えはない。それは「潮流movement」ではあっても「学派school」ではない。統一的な教理があるわけではなく、トマス主義のように、指導的理論家を指定できるわけでもない。疑いなくリアリストだと目される法学者を何人か挙げることはできるが、彼等の主張の内容はバラバラである*15。
 
 トワイニングが師事したルウェリンは、相当変わった学者である。詩作に興じ、文化人類学者とともにシャイアン族の紛争解決をテーマとする著作を刊行し*16、第一次世界大戦ではドイツ軍側で参戦して鉄十字勲章を授けられた*17。サッコ−ヴァンゼッティ事件では、助命を訴えるラジオ放送演説をした*18。統一商事法典(the Uniform Commercial Code)策定の中心人物でもある。
 
 彼が刊行した法学入門書 The Bramble Bush の謝辞冒頭で彼は、「本書の私家版で謝辞を述べ忘れた人々がいたとすれば、アダム、エウリピデス、ジンギス・カン、アルファ・ケンタウリ、そして私の猫たちだ」*19と記している。相当に変わっている。
 
 彼は、100人のための法哲学はやらないと宣言した。「カントが私の法哲学の授業と一体何の関係がある?」と学生を怒鳴りつけた*20。彼の法哲学は1万人のため──法律家および知的な一般市民のため──の、地に足のついた(down -to-earth)ものである*21。
 
 1万人のための法哲学が扱うのは科学以前の常識的な事実認識であり、使用される表現は正確さより有用性に重きが置かれ、アプローチとしては、現場感覚(horse-sense)が重視される*22。主な攻撃目標はラングデルに代表される形式主義法学である*23。
 
 ルウェリンが授業で扱ったテーマの一つが、「法の仕事 law-jobs」である。いかなる集団であれ──家族、学校、会社、労働組合、政党、国家、国際NGO等──集団として生き延びてその目標を達成するには、いくつかの必要に応え、仕事(jobs)を遂行する必要がある。
 
 第一に集団内部の紛争を解決する、第二に紛争を未然に防ぐ、第三に集団の必要や期待を状況に応じて変化させる、第四に決定にいたる権限配分と手続を定める、第五に集団を統合し、方向性を示し、前進させるよう賞罰を用意する。最後に──これが法的手法(juristic method)の仕事になるが──以上の仕事を遂行するためのさまざまな技術や仕掛け、手続や慣行を発展させる*24。
 
 トワイニングは、シカゴ大学での約1年間の研究生活を終え、1958年、スーダンのハルトゥームへと旅立った。アフリカの英語の通じる圏域では、当時唯一の大学であり、法学部に教員ポストの空きがあった。彼は教員募集に応じ、講師として採用された。
 
 ルウェリンは1962年に急逝した。彼の残した膨大な文書をトワイニングが整理した上で、知的伝記 Karl Llewellyn and the Realist Movementの初版を刊行したのは、1973年である。トワイニングはハルトゥームの後、ダル・エス・サラーム、ベルファスト、ウォーリックを経て、1983年1月、UCLの教授となった。
 

*

 
 筆者は1988年から90年までの2年間、UCLのFaculty of Lawsで客員研究員として過ごした。受け入れ教員となってくれたのはトワイニングである。留学したのは、配偶者に促されてのことである。ベンサムの功利主義哲学に触れたのも、UCLでのロナルド・ドゥオーキンのセミナーに参加できたのも、また、刊行されたばかりのジョゼフ・ラズやジェラルド・ポステマの本をゆっくりと読むことができたのも、この留学のおかげである。ラズとポステマの本は*25、今でも筆者の憲法学を中核で支えている。
 
 パリ第10大学、レディング大学、ロンドン大の高等法学研究所で研究報告もした(よくも臆面もなくしたものである)。留学中には、ベルリンの壁が崩壊し(1989年11月)、イギリスで放送免許の入札制等のラディカルな規制改革が行われた。実地でそれを見聞できたことは貴重な経験であった。留学はするものだとしみじみ思う。
 
 筆者はトワイニングからどのような影響を受けただろうか。彼には、ロナルド・ドゥオーキンの華麗さも、ラズの理論的透徹さも、ポステマの古今にわたる広い学識も欠けている。理論的なラディカルさでは、ミシェル・トロペールに及ばない。
 
 彼の業績はいずれも、H. L. A. ハート以降のイギリス法哲学の本流に位置づけられるものではない。道徳、正義、権利、正当性等の法哲学の主要なテーマに関するものは少ない*26。彼のアプローチは哲学的というより実務的である。準則、原理、法理、概念で組み立てられる法理論より、現場での法の働きに関心を寄せる。
 
 とはいえ、筆者がジェレミー・ベンサムを勉強するようになったのは、彼の指導のおかげである。クェンティン・スキナーを総帥とするケンブリッジ学派の政治思想史学を勉強したのも、スタンリー・フィッシュやリチャード・ローティ等、ポスト・モダンとしてくくられる一連の思想家に手を出したのも、彼のおかげである。こうした政治思想史・政治哲学の研究はその後、比較不能な価値観・世界観の公平な共存こそが近代立憲主義の要点だという見方へとつながっていった*27。少なくとも間接的には、トワイニングから大きな影響を受けていることになる。
 
 筆者が本に書かれた憲法(constitutional law in books)に加えて、現に機能する憲法(constitutional law in action)に関心を持ち、それを描こうとしてきたのも、トワイニングの影響があったはずである。もっとも筆者は、前者にも意義はあると考えるが。
 
 大学卒業後に湖水地方を旅行した際、彼はR. G. コリングウッドの自伝*28を購入し、夢中になって繰り返し読んだ。彼にとってそれは天啓(epiphany)であった。この本を読んで彼が理解したのは、「歴史はすべて思考の歴史all History is the History of thought」だということである*29。後にジョン・フィニスとともにオークショットと飲んだおり、「君たちの知的成長にとってもっとも重要な意味を持った本は何かね」と問われ、二人とも、コリングウッドの自伝だと答えたそうである*30。
 

*

 
 ロースクール開設騒ぎに巻き込まれた上にその教員も務めることになって、トワイニングの著作を改めて読み返してみると、現在の日本の憲法学の状況を反省させられる。ロースクール教育が始まって、日本の憲法学者は、かつてより判例を真面目に読むようにはなった。イデオロギー的に批判するだけという判例分析は影をひそめた。しかしそれは、いまだにラングデル流の形式主義の枠内にとどまっているのではないだろうか。
 
 基本権に関する最高裁の判例は、多くの場合、チェックリスト(checklist)方式にもとづく総合衡量を判断の物差しとして示す。ただ、最後に「等」のついたチェックリストを丹念に読んで、何がリストから抜けて、何が加わった等と細かい議論をすることにどれほどの意味があるのか。そもそも、チェックリスト方式は、日常生活で誰もが行うごく一般的な実践的判断の形式である。リストを読んだからといって、最高裁がどのような判断を下すのか、方向性がつかめるものだろうか。
 
 むしろ最高裁は、個別の事案の特性に反応しているのではないか。複数の裁判官で構成される最高裁は、その判断の過程をどこまで率直に判決文に示すつもりがあるのか。判決文が何を言っているかより、むしろ最高裁が実際に何をやっているかに着目すべきではないか*31。日本の憲法学は判決の文面にこだわりすぎるあまり、いまだに「何がリアルではないのか?」というリアリズム法学の視点を捉え損なっているように思われる。
 

*

 
 さらなる問題は、リアリズムの視点にとどまったままでよいかである。裁判所が実際に何をしているのかを見るだけでは、何をすべきかという問題意識が欠落する。憲法学が問題とすべきなのは、裁判所が違憲審査を通じて、(1)既存の実定法や判例法理を事案に当てはめると非常識な結論が導かれるとき、その結論を是正して適切な解決を導いているか、そして(2)政治部門の判断と行動を理のある、良識的な範囲に収めているかである。
 
 誤解している学生が多いが、法律学は──とりわけ憲法学は──論理学ではない。確定した条文や判例法理を事案に当てはめて、論理的に結論を導く(だけの)作業ではない。数学や論理学では、公理や定義から出発し、証明された定理を次々に当てはめた結果、常識外れの結論に到達すれば、世紀の大発見だと称賛される。
 
 法律学では、確定した条文や判例法理を事案に当てはめた結果、常識外れの結論に到達したときは、前提群に立ち返って、当該条文は立法の趣旨からして限定(あるいは拡張)解釈されるべきではないか、判例法理の射程は考え直すべきではないか、さらには、条文を違憲と判断して適用を排除すべきではないか等が問われる。
 
 具体の結論と前提群とを行き来することで、最終的に、妥当な結論と前提群で構成される整合的な論理の流れを構成することが法律家の仕事である*32。それは日常生活における常識的な実践理性の働きとさほど異なるものではない。
 
 こうした視点から見ると、裁判所が、判決文においてこれが法理だと宣言するものは、具体の事案の適切な解決にとって必要な限りでの法理であって、個別の事案の解決とは独立に、予め存在する法理が裁判所の判断を厳格に拘束しているわけではない(拘束されているかのように裁判所が装うことはしばしばあるが)。手段を自己目的化すべきではない。ルウェリンの言っているのはそれである*33。大声で言うべきことではないかも知れないが*34。
 
 他方、政治部門の判断と行動を理のある、良識ある範囲に収めているかという視点から問題となるのは、この違憲審査の役割を果たす上で、チェックリスト方式は適切な判断の方式なのかである。個別具体の事案に適切な解決をもたらす道具としては、チェックリスト方式は不適切とは言えない。もともとそれは、日常生活で誰もが行うごく一般的な実践的判断の形式なのだから。
 
 しかし、アメリカ流の審査基準論や、その他の国々で違憲審査機関が用いる構造化された比例原則と異なり、政治部門の判断を効果的に「縛る」枠組みになっていないのではとの疑いがある。政治部門に対して判断の指針を与えていないのではなかろうか。憲法学は論理学ではない。しかし、判断の手掛かりとなる論理が全くなくてよいのかという問題である。
 
 違憲審査権限を与えられた裁判所としては、政治部門との正面衝突は避けたいと思うものであろう。となると、いかにも一定の結論を論理的に導出するかのように見える審査基準論や構造化された比例原則を使うことにはリスクが伴う。とはいえ、チェックリスト方式は、政治部門との正面衝突を避ける手立てとして役立っているだろうか。
 
 チェックリスト方式は裁判官たちの本音を隠蔽する手段としては、役に立ちそうにない。チェックリストだけで、裁判の方向性を判定することはできないが、出来上がった判決文の中では、総合衡量の具体的な中身を説明する必要がある。そうなると、政治部門に判断を委ねた事件では、あたかも結論を丸投げしているかのように見えるし、裁判所自身が政治部門と独立に判断するときは、具体の事案に即した裁判所のその場限りの価値判断が表に出すぎるきらいがある。審査基準論や比例原則は、司法裁量を縛る「桎梏」のように感じられるかも知れないが、裁判官はこの「桎梏」の陰に、自分たちの生の価値判断を隠すことが可能となる。
 
 人間の知的活動は、人間が環境に適応し生き残っていくための活動(の一つ)である。人は目的達成のために有用であれば、確実性や明確性や安定性や真実性の点で欠陥がある理論でも使うものである。理論は、自己展開はしない。人の生きる必要に応じて変化する。
 
 判例の発展過程を分析する意義もそこにある。裁判官も人間である。必要に応じて行動する。その時々で何が役に立つと考えたかは、おのずと判例の変転にあらわれる。法学は、真理を探求する「科学」であるかのように・・・・・判例を分析すべきではない。
 
 


*1 その経緯については、長谷部恭男『神と自然と憲法と──憲法学の散歩道』(勁草書房、2021)261−62頁参照。
*2 同上261頁。
*3 William Twining, Jurist in Context: A Memoir (Cambridge University Press 2019) 23−24.
*4 Ibidem 24.
*5 Ibidem 27.
*6 Ibidem 29−30.
*7 それまでのロースクールと違い、ハーバードの法学教育は、各州固有の法ではなく、「アメリカ法」なるものを教えることを標榜した(see William Twining, Blackstone’s Tower: The English Law School (Sweet & Maxwell 1994) 132)。
*8 Cited in William Twining, Karl Llewellyn and the Realist Movement (2nd edn, Cambridge University Press 2012) 11−12.
*9 本場のアメリカで、ソクラティック・メソッドがどれほど実際に励行されているかという問題もある。この点については、長谷部(n 1)267−68頁注1参照。
*10 長谷部恭男『歴史と理性と憲法と──憲法学の散歩道2』(勁草書房、2023)第10章「科学的合理性のパラドックス」参照。
*11 Brian Leiter, Naturalizing Jurisprudence: Essays on American Legal Realism and Naturalism in Legal Philosophy (Oxford University Press 2007) 21 and 76−77.
*12 オーストリア憲法裁判所の裁判官であったハンス・ケルゼンも同様の観察をしている。彼によると、「実際にはしばしば、裁判官はまず──どんな理由であれ──面前の事件について結論を出し、その後で結論を正当化するために法的な根拠づけをしようとする」(Hans Kelsen, ‘A “Realistic” Theory of Law and the Pure Theory of Law: Remarks on Alf Ross’s On Law and Justice’ in Luis Duarte d’Almeida et al (eds), Kelsen Revisited: New Essays on the Pure Theory of Law (Hart Publishing 2013) 213−14)。
*13 Frederic Schauer, ‘Foreword’ to Twining (n 8) X−XIII.
*14 ブライアン・ライターは、世の法律家たちはむしろ、裁判所や裁判官に関する素人流の心理的・政治的・社会文化的知識、つまり裁判に関する「民俗的社会科学folk social scientific theory」を使って裁判を予測しており、それこそが法律家としての実務能力と対応していると述べる(Leiter (n 11) 55)。
*15 Twining (n 8) 82.
*16 Karl Llewellyn and E Adamson Hoebel, The Cheyenne Way (University of Oklahoma Press 1941).
*17 ルウェリンはドイツ留学中、プロイセン第78歩兵連隊への入隊を志願したが、皇帝への忠誠宣誓を拒否したため、仮の身分で連隊と行動を共にした。1914年11月17日、連隊がイープル(Ypres)付近でイギリス軍と交戦した際、ルウェリンは背中を負傷した。ニュルティンゲン(Nürtingen)の病院での療養中に、宣誓を拒否したままの入隊は認められないと決定されて除隊となったが、同時に第二級鉄十字勲章が授与され、軍曹に昇進した(Twining (n 8) 535−37)。
*18 Twining (n 8) 345.
*19 Karl Llewellyn, The Bramble Bush: On Our Law and Its Study (Oceana 1960 (1930)) ix.
*20 Twining (n 3) 35. 筆者自身はおそらく100人向けの憲法学者である。
*21 Twining (n 8) 173.
*22 Twining (n 3) 35.
*23 Ibidem 36.
*24 Ibidem 36−37; Twining (n 8) 175−84.
*25 Joseph Raz, The Morality of Freedom (Clarendon Press 1986); Gerald J Postema, Bentham and the Common Law Tradition (2nd edn Oxford University Press 2019 (first edition was published by Clarendon Press in 1986)).
*26 これは彼自身が述懐するように、彼が人権や正義を含めた価値判断について懐疑的な立場をとり、信仰については不可知論をとっていたからであろう(Twining (n 3) 105−06)。
*27 この見方を最初に打ち出した論稿の一つでは、リチャード・タックの論文を参照している(Yasuo Hasebe, Towards a Normal Constitutional State: The Trajectory of Japanese Constitutionalism (Waseda University Press 2021) 99, note 58)。
*28 RG Collingwood, An Autobiography (Clarendon Press 2002 (first published in 1939)). トワイニングは、彼自身の自伝を執筆したおり、想起したのはコリングウッド自伝であったと言う(Twining (n 3) xv)。筆者もこの自伝を夢中になって読んだ覚えがある。
*29 Twining (n 3) 117.
*30 Ibidem 23.トワイニングは、質問した「オークショット」は保守的な政治理論家のWalter Oakeshottだと言うが、おそらくMichael Oakeshottのことであろう。
*31 Llewellyn (n 19) 5. ホームズ判事がthe Bad Manの視点で裁判所の行動を予測せよと弁護士を志すボストン・ロースクールの学生に呼びかけたのも(Oliver Wendell Holmes, ‘The Path of the Law’ 10 Harvard Law Review 457 (1897))、当事者にとっては判例・条文等の知識やことの善悪より、裁判官の出す結論が肝心であることを指摘したものである(Twining (n 3) 121)。
*32 長谷部恭男「憲法は法なのか──『憲法講話』を振り返る」書斎の窓700号(2025年7月号)参照。ライターは、判決のこうした深層の構造──実際、機能しているのは何なのか──を明らかにすることこそが法学の任務だとする(Leiter (n 11) 140)。
*33 Leiter (n 11) 111.
*34 せいぜい100人の読者を相手に小声で言うべきことであろうか。

 
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『思惟と対話と憲法と 憲法学の散歩道3』
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連載書籍化第1弾『神と自然と憲法と』のたちよみはこちら。→《あとがき》
 
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