連載・読み物

《ジェンダー対話シリーズ》第1回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(前篇)

「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。まずは、隠岐さや香、重田園江両氏を迎えてのトークイベントを前後篇2回にわたってお送りします。

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第18回 フィクションのなかの現実/『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』(2)

『マイマイ新子と千年の魔法』は、大人たちへの(過剰な)信頼によって支えられていた子供たちの象徴的な宇宙における価値が、大人たちの実態(大人たちへの失望)によって失墜しかけた時、その価値を、子供たちが自らの行為を通じて再定位しようとする物語だと言えるでしょう。そして、子供たちにそのような再定位を促し、可能にしたのが新子という存在でした。自身もまた空想好きである新子は、「マイマイ新子」というフィクションの内部で、現実の中でフィクションがもつ役割や機能を担っている人物だと言えます。つまりこの物語は、現実とフィクションンとの関係を示す物語であり、フィクションが現実のなかでどう機能するかということについての物語です。

めいのレッスン ~さくらめぐって

いつまでも寒さがのこって衣替えがしきれずにいたから、さくらの季節だという気もあまりしていなかったのだけれど、すこし時間ができたからとサイェと散歩にでると、つぼみを見た記憶もないまま、もうかなり花が咲いていた。六分、七分、というところか。

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 15〉「忘れられる権利」か、ネット上での記事公開か

もはやインターネットのない世界は、仕事でも日常生活でも考えられません。そんな時代のジャーナリズムならではの新しい問題として、「忘れられる権利」という言葉とともに考えてみます。[編集部]

コヨーテ歩き撮り#31

まだ肌寒い春のヘント(ベルギー)の広場、小学生の女の子が声をかけてきました。授業の発表で使えるよう、日本語の挨拶を録音し、写真を撮らせてほしいとのこと。「こんにちは!日本から来ました。ヘントはとてもきれいな街ですね。」終わって先生たちと記念撮影。

虚構世界はなぜ必要か?SFアニメ「超」考察
第17回 フィクションのなかの現実/『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』(1)

物語の流れにはほぼ無関係な、ほんの短い時間、画面の片隅を通過するだけの小さな船でさえ、資料にあたって調べられた、実際にその時、その場所を通った船の再現である、と。この逸話は、この作品における当時の再現へのこだわりが、史実に忠実というレベルをはるかに逸脱したものであることをよく表していると思います。しかし、『この世界の片隅に』という作品は、ドキュメンタリーでも実話でもなく、まぎれもなくフィクションです。

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