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ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』

ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』第10回

4月 28日, 2016 松尾剛行

 

3.インターネット上の名誉毀損と憲法

松尾

:『憲法の地図』で、大島先生が示唆されていた内容で1つ面白いと思ったのが配信サービスの抗弁です。地方新聞は自社だけで全国のニュースを取材することは現実的ではないので、いわゆる通信社からニュースの配信を受けますよね。その場合に、通信社の配信したニュースが他人の名誉を毀損するものだった場合、地方新聞が責任を負うか、という問題があります。

大島

:最高裁判所は平成14年の判決(注10)で、「新聞社が通信社から配信を受けて自己の発行する新聞紙に掲載した記事が(略)他人の名誉を毀損する内容を有するものである場合には、当該掲載記事が上記のような通信社から配信された記事に基づくものであるとの一事をもってしては、記事を掲載した新聞社が当該配信記事に摘示された事実に確実な資料、根拠があるものと受け止め、同事実を真実と信じたことに無理からぬものがあるとまではいえない」としていますね。

松尾

:これは要するに、通信社から配信された名誉毀損に該当する内容の記事を掲載した地方紙は、たとえ自ら取材執筆したものではない記事だとしても、掲載したからには責任は問われるということですね。

大島

:そのとおりです。ただ、最高裁は平成23年の判決で(注11)、「新聞社が、通信社からの配信に基づき、自己の発行する新聞に記事を掲載した場合において、少なくとも、当該通信社と当該新聞社とが、記事の取材、作成、配信及び掲載という一連の過程において、報道主体としての一体性を有すると評価することができるときは、当該新聞社は、当該通信社を取材機関として利用し、取材を代行させたものとして、当該通信社の取材を当該新聞社の取材と同視することが相当であって、当該通信社が当該配信記事に摘示された事実を真実と信ずるについて相当の理由があるのであれば、当該新聞社が当該配信記事に摘示された事実の真実性に疑いを抱くべき事実があるにもかかわらずこれを漫然と掲載したなど特段の事情のない限り、当該新聞社が自己の発行する新聞に掲載した記事に摘示された事実を真実と信ずるについても相当の理由があるというべきである。」と判示しています。

松尾

:これはどのように理解すべきでしょうか。

大島

:まず、「十分な取材をしたのであれば、結果的に虚偽の報道で第三者の名誉を毀損してしまっても、免責される」という相当性の法理が確立しているのですが、地方新聞自身は取材してないわけです。

松尾

:全国隅々まで取材できないからこそ、通信社と契約してるわけですよね。

大島

:平成14年判決だけを読むと、通信社が十分取材していても地方新聞自身が取材しない限り、通信社は免責されない、つまりは相当性を認められないとも思われるのですが、平成23年判決はそうではなく、地方新聞が相当性の法理を適用して免責される場合があり、それは通信社と地方新聞の一体性がある場合だといっています。

松尾

:調査官解説を読むとこれは判例変更ではなく、平成23年判決は、平成14年判決を前提に、通信社の配信という「一事では免責されない」としても「一体性」があれば免責の余地があるといっているようですね。

大島

:そうですね。地方新聞社が共同で資金を出し合って通信社を作ったような、通信社と地方新聞の間に密接な関係があり、一体とみなすことができる場合には、通信社が十分に取材すれば、地方新聞社が十分に取材したのとみなして、相当性の法理を適用して免責させてあげようということです。表現の自由と名誉権の憲法的調整を相当性の法理で行うという理論構成をとると、さらに相当性の法理に加えて配信サービスの抗弁を認めて表現者の自由を拡大することが可能なのかという問題が生じてしまいます。しかしこの「一体性」論によれば、相当性の法理と整合する形で配信サービスの提供者の表現の自由を擁護できる、というわけです。松尾先生の著書263頁の中ではこれを「相当性の継承の問題」と表現されていて、この事態をうまく言い表しているなと思いました。

松尾

:この法理はどこまで拡張できるのでしょうか。たとえば、SNSの投稿でも、話題となっているニュースへの反応というのは多いですよね。そのニュースの内容にもよりますが、犯罪に関するニュースで、しかもそれが虚偽だったりすると、SNSの投稿もまた名誉毀損になりそうです。そのようなメディアの公開したニュースと、個人ユーザーの行ったSNSの投稿の関係について、興味があります。

大島

:イメージされているのは、たとえば、ある被疑者が殺人をしたということで新聞社がニュースを流し、それを受けて、ある人がツイッター上で、その新聞社のニュースのURLと一緒に「殺人鬼の●●は極悪非道だ」とかと投稿したといった場合などでしょうか。

松尾

:そうですね。そういう場合、新聞社のニュースが虚偽で、被疑者が完全な冤罪だったとかになると、新聞社が名誉毀損として責任を負うリスクがあるだけではなく、インターネットユーザーもそういうリスクがあるのではないかということです。実際には、すべてのユーザーに対して訴訟を起こすということはあまり考えられませんが、その中でも影響力が高い人、たとえば大島先生のような有名人の場合には、狙われるかもしれませんね(笑)。

大島

:私は投稿には気をつけているので大丈夫です(笑)。そうすると、問題は、新聞社については「これだけ取材しました」といって相当性の法理で免責を受けることができるけれども、インターネットユーザーは別に自分自身が取材したのではなく、新聞社の記事に乗っかっただけなので、相当性の法理では免責されないのではないか、ということですね。

松尾

:まさにそういう問題です。東大の宍戸先生が、インターネット上の表現の相当部分は、マスメディアがネット上で配信した一次情報を子引き、孫引きした上で、そういうマスメディアの報道等の一次ソースに乗っかり論評をするという程度のものが多いところ、第一次発信者たるマスメディアが責任を負う範囲と、それを拡散したユーザーが責任を負う範囲の線引きが問題となるという問題意識を示されていました(注12)。

大島

:宍戸先生の論文は、私も読んで、面白い問題意識だなと思っていました。

松尾

:ここで、配信サービスに関する最高裁の判例法理、たとえば平成23年判決の法理が使えないか、というあたりは面白そうです。新聞社のサイト等をみると、FacebookやTwitterのSNSで記事のURLとコメントを投稿できる機能が準備されているなんてことがありますよね。こういう場合に、平成23年判決にいう「一体性」があるとして、投稿をしたSNSユーザーは新聞社の取材を理由に免責されるといった議論について、大島先生はどうお考えですか?

大島

:これは難しい問題ですね。まさにインターネット時代におけるネット上の表現の自由をどう構想していくべきか、ということになります。判例は「記事の取材、作成、配信及び掲載という一連の過程において、報道主体としての一体性を有すると評価することができるとき」という表現をしていることから、報道主体とは一般的にいえない単なるインターネットユーザーが「一体性」論により免責されるとまでは、現時点では明確にはいえないでしょう。ただ「相当性の法理」と「一体性」論は併せて、表現の自由と名誉権の憲法的調整の法理の働きをしているという大前提があるわけです。ネット時代におけるこの憲法的調整を今後どう機能させていくかが問題となるでしょう。

松尾

:これは私見ですが、最高裁が平成23年判決で地方新聞社をなぜ免責したかというと、そもそも地方新聞社自身で取材するのが期待できない状況があることを前提に、通信社が地方新聞社のかわりに取材をしたと言ってよいような密接な関係があった、そこで通信社が十分な取材をしていれば免責してあげよう。これが最高裁のいう「一体性」の背景にある利益衡量かなと思います。もしこの理解が正しければ、個々のインターネットユーザーに高度な取材を期待できず、少なくとも新聞社自身が一般のインターネットユーザーによる拡散やコメントを期待してSNSによるコメント機能を設けているような状況であれば、新聞社がインターネットユーザーのかわりに取材をしたといってよいような密接な関係があったと言えるのではないか、そしてそのような場合には、平成23年判決の法理を類推してインターネットユーザーを免責する余地があるのではないか。こういうことを考えています。

大島

:面白いですね。裁判所でこれが認められるかはまだ先例がないのでなんともいえませんが、1つの筋の通った考えだと思います。

 
→【次ページ】判例・調査官解説の読み方

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松尾剛行

About The Author

まつお・たかゆき 弁護士(第一東京弁護士会、60期)、ニューヨーク州弁護士、情報セキュリティスペシャリスト。平成18年、東京大学法学部卒業。平成19年、司法研修所修了、桃尾・松尾・難波法律事務所入所(今に至る)。平成25年、ハーバードロースクール卒業(LL.M.)。主な著書に、『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』(平成28年)、『金融機関における個人情報保護の実務』(共編著)(平成28年)、『クラウド情報管理の法律実務』(平成28年)、企業情報管理実務研究会編『Q&A企業の情報管理の実務』(共著)(平成20年)ほか。