ジャーナリズムの道徳的ジレンマ 連載・読み物

ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE06〉組織ジャーナリストに「表現の自由」はあるか

8月 09日, 2016 畑仲哲雄

 
 

3:: まとめと解説

相反する考え方がにらみ合う場面を離れ、一歩引いて冷静に見下ろし、この事例をすこし学問的に考察してみたい。
 
 差別表現やヘイトスピーチについて考えたくなるケースである。だが今回は、「市長」が最後に言い放った「言論の自由を守るジャーナリストが、言論の自由を新聞社から制限されているのか」という問いに絞って考えてみたい。わたし自身、かつて勤務した新聞社・雑誌社・通信社で、この問題を十分消化できていなかったし、現在も現役ジャーナリストと雑談する際に話題になるからだ。
 新聞社や放送局、雑誌社の名刺を使って取材をするジャーナリストは組織人とみなされる。日本の大手メディアでは、会社を渡り歩く記者も増えてきたが、新卒一括採用が一般的だ。新入社員研修やOJT(On-the-Job Training)を通じて一人前の記者になる。
 好きで入社した会社であれば、企業の社風に染まりやすい。入社した企業が「大手」「一流」なら、その一員になったことを誇らしく思い、入社式の翌日から勤務先を「うちの社」「わが社」と言ったりすることもある。ライバル新聞社に対抗心を燃やすのは時間の問題で、身も心も組織に一体化する社員記者が作り出されることがある。そういうジャーナリストにとって勤務先は運命共同体であり、内部の汚点や宿痾を喜んで口外することはない。

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言う?言わない? 言える?言えない?
Photo credit: yoshiffles via VisualHunt.com / CC BY-ND
 だが実際のところ、組織ジャーナリストは多様だ。自社やメディアのあり方に問題意識を抱いていたり、自社の社説や論説に批判的だったりすることは珍しくない。今回の思考実験のように、組織と個人の間で股裂きになることは、程度の差こそあれ、だれにも起こりうる。そんな事態を考えるうえで、キーワードとなるのは、「異論対論」にあった「良心」だろう。
 信仰上の理由や思想的信条から兵役に就いたり戦闘に参加したりするのを拒むことを「良心的兵役拒否」という。徴兵に応じることが国民の義務とされる国で、これが問題になる。フランスでは1935年3月29日法でジャーナリストの権利として「良心条項(良識条項)」が定められた[1]。
 現在も「良心条項」をジャーナリズム倫理のなかに位置づけようとするジャーナリストは多い。ドイツでは1960年代終わりから70年代にかけ、企業内部のジャーナリストたちが所有者に「内部的自由」を求める闘争を起こした。彼らが要求した自由のなかには「ジャーナリストの良心・信条の自由の保護」が含まれていた[2]。
 日本では、毎日新聞社が1977年に策定した「編集綱領」で「記者の良心」という、日本版の良心条項を設けた[3]。その2年前、毎日新聞社は事実上倒産しており、そんな危機感が組織ジャーナリストたちに理論面での深まりを促したのではないかと思われる。
 思考実験に立ち返ろう。組織ジャーナリストが外部でうかつな発言をしてしまえば、たとえば劇場型政治家たちに利用される危険性もあり、一定の警戒は必要だろう。だが、ジャーナリストの「良心」を認めないメディア企業があるとすれば、その組織内のジャーナリストはロボット化する。
 元共同通信記者の辺見庸は『朝日新聞』のインタビューに以下のように答えている。
「2001年のアフガン空爆のとき、朝日は社説で『限定ならやむを得ない』と書いた。それに抗議の声を上げた記者がいたことを、ぼくは知っています。あれは別に全社挙げての民主的な討論を経て書かれるわけじゃないですよね。しかし、それは違うんじゃないかって執拗に言い張ると『困ったちゃん』みたいに扱われる。[……]そうしたことを冷笑し、馬鹿扱いすることが、時とともに組織や社会をどれだけ悪くしていくことでしょうか。[……]自分がそういうことに直面したときに、果たしてどれだけ誠実でいられるかという問題だと思うんです」(2016年1月21日付朝日新聞)。
 わたしたちはだれの命令に忠実であるべきか。その葛藤は組織ジャーナリストに限った話ではなく、すべての会社員、公務員、団体職員も直面する難問だ。職場の就業規則か、地域社会のしきたりか、業界の職業倫理か、宗教的な戒律か、あるいは自らの信条か……。
 

4:: 実際の事例

橋下徹大阪市長(当時)が会見の場で朝日新聞記者に、ひとりのジャーナリストとしての見解を執拗に求める場面があった[4][5][6]。
 発端は、『週刊朝日』2012年10月26日号に「ハシシタ:奴の本性」と題する佐野眞一の連載初回記事が掲載されたことだった[7]。出自をめぐる差別的内容が書かれており、橋下は2012年10月17日の囲み取材で「血脈主義、ないしは身分制に通じる恐ろしい考え方」と批判した。さらに橋下は翌18日の記者会見で朝日新聞記者を質問責めにした(そのもようはYouTubeで閲覧可能。「橋下」「2012年10月18日」「会見」などのキーワードで検索すればいくつかの動画が公開されている)。
 佐野は、橋下の父親が被差別部落の出身で犯罪にかかわっていたと記し、そうした「DNA」を受け継ぐ者として橋下徹の「本性」を描こうとした。当時の橋下は「飛ぶ鳥を落とす勢い」という言葉が似合う存在で、歯に衣着せぬ物言いで労働組合や学者・文化人らをこき下ろし、大衆から圧倒的な支持を得ていた。佐野の記事は、そんな橋下を「血脈」を根拠に引きずり下ろすかのような内容だった[8][9]。
 過去に部落問題と関わりをもったことがないマスメディアは少数だろう。朝日新聞社のような巨大メディアには、差別や人権について深い見識をもつ専門記者がいるはずだ。一般的な記者教育にも部落問題は組み込まれている。これは朝日に限らない。日本新聞協会や日本民間放送連盟に加盟する企業なら、どこも同じではないか。
 会見の場で橋下からつるし上げられた朝日新聞記者が部落差別に賛成しているとは考えにくい。それどころか、佐野の記事に批判的であった可能性は大いにある。だが、会見で橋下から見解を求められた朝日記者は、佐野の記事が『週刊朝日』という別会社(朝日新聞出版)が編集したメディアに掲載されたことと、『朝日新聞』の取材記者であるじぶんたちには会社を代表してコメントする立場にないと述べるにとどまった。それに対し、橋下は朝日新聞出版が朝日新聞社の100%子会社で、「別会社」「別メディア」という言い訳は通らないと反論し、次のようにたたみかけた。
「社としての見解は求めないが、記者としてはどうか」「会社を代表しなくても、ひとりの言論人としての意見を」
 会見場の朝日記者たちは沈黙し、橋下ひとりが長広舌を振るい続けた。
 朝日新聞出版は11月2日号で「おわび」を掲載。11月12日に神徳英雄社長が辞任、前編集長の河畠大四と佐野の特集を担当した副編集長を停職3カ月とする懲戒処分を公表した。この一件は朝日新聞を屈服させた〈橋下劇場〉という枠組みで論じられることはあっても、現場取材を命じられた組織ジャーナリストの道徳的な苦悩に光を当てられることは少なく、忘れ去られようとしている。
 他方、サイバースペースでは、組織ジャーナリストがソーシャルメディアで情報発信する例が珍しくなくなってきたのも事実だ。社員記者が業務の一環としてツイッターで会社のPRをかねて情報発信させる企業があれば、自由に述べることを認めていない企業もある。2015年には新潟日報社の報道部長がツイッターの匿名アカウントを使って新潟水俣病訴訟弁護団長の弁護士らを誹謗したことが明るみに出て、社内処分される事例も起こっている。メディア企業のガバナンスからみても、社員記者の表現や良心の問題は悩ましい。
 

5:: 思考の道具箱

 
【良心条項】 欧州ではメディア企業の買収が珍しくなく、横暴なメディア王に買収された新聞社で編集方針が180度転換されることは珍しくなかった。良心条項は、記者たちが個人としての尊厳を踏みにじられることから守る防波堤のような考え方である。その嚆矢は、第一次世界大戦の反省からジャーナリストたちの精神的自由を守ろうとしたフランスの1935年3月29日法とされる。日本では、毎日新聞社の「編集綱領」から20年後の1997年、新聞業界の労働組合(新聞労連)も「新聞人の良心宣言」を公表した[10]。
【内部的自由】 西ドイツの放送局で1969年、ジャーナリスト側が経営側に綱領の制定を求めたのがはじまり。綱領には、組織ジャーナリストが編集・編成方針の決定や人事などに参加する権利や良心条項なども含まれた。ジャーナリストの職能集団が綱領制定を求める運動は、メディア資本の集中するフランスなどにも飛び火した。考え方のルーツは、編集者の職能団体ドイツのプレス全国協会と雇用者団体のドイツ新聞産業使用者協会が結んだ労働協約(1926年協約)にある[11]。
 
[注]
[1]ミシェル・マティアン(1997)『ジャーナリストの倫理(文庫クセジュ)』(白水社)
[2]石川明(2000)「ドイツにおける『内部的プレスの自由』――ブランデンブルク州のプレス法の立法過程を中心に」『関西学院大学社会学部紀要』87: 77-87.
[3]毎日新聞社編集綱領(1977年12月制定),毎日新聞社公式ホームページ,会社案内>毎日新聞の理念(取得2016/04/10、http://www.mainichi.co.jp/corporate/vision.html
[4]産経新聞「【橋下氏VS朝日】会見詳報(1)『週刊朝日、無知の集団だと思っている』」MSN産経west 2012.10.18 17:26(取得2016/04/10、http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121018/waf12101817330030-n1.htm
[5]産経新聞「【橋下氏VS朝日】会見詳報(2)『子会社にやらせたい放題ではないか』」MSN産経west 2012.10.18 17:26(取得2016/04/10、http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121018/waf12101818280031-n1.htm
[6]産経新聞「【橋下氏VS朝日】会見詳報(3完)『全人格否定のため宣戦布告された』」MSN産経west 2012.10.18 17:26(取得2016/04/10、http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/121018/waf12101820270035-n1.htm
[7]佐野眞一(2012)「ハシシタ:奴の本性(第1回)パーティーにいた謎の人物と博徒だった父」『週刊朝日』117(50), pp.18-23
[8]上原善広(2012)「『週刊朝日』騒動 『橋下徹出自報道』のどこが問題なのか」『新潮45』31(12), pp.82-87
[9]篠田博之(2012)「橋下市長との言論戦はメディア側の完敗に 『週刊朝日』連載中止事件と差別表現をめぐる議論」『創』42(10), pp.50-59
[10]新聞労連・現代ジャーナリズム研究会編(1997)『新聞人の良心宣言 : 言論・報道の自由をまもり、市民の知る権利に応えるために』日本新聞労働組合連合
[11]第八次新聞法制研究会編著(1986)『新聞の編集権:欧米と日本にみる構造と実態』日本新聞協会
 
[その他参考文献]
上原善広(2011)「孤独なポピュリストの原点(特集 『最も危険な政治家』橋下徹研究)」『新潮45』30(11), pp.32-41
松本創(2015)『誰が「橋下徹」をつくったか:大阪都構想とメディアの迷走』140B
毎日新聞「特集ワイド:「打ち切って終了」でいいのか 週刊朝日問題 橋下市長の言い分と識者の見方」2012.10.25東京夕刊
山田健太(2013)「ジャーナリズムは本当に大丈夫か:相次いだ誤報報道とハシシタ問題から考える(書物の宇宙、編集者という磁場)」『Editorship = エディターシップ』2, pp.97-113
北畠弦太・曽根文朗・龍沢正之ほか(2012)「座談会 橋下番記者を悩ませるプロレス型政治の現実と報道の困難」『Journalism』(266), pp.4-21
 
[担当者の自由] 「取材」には慣れていても、「事実を客観的に」という御旗の下、自らの意見の表明にはそれほど慣れていないのが大半の取材者かもしれません。もちろん、それも変化しはじめていると思いますが。次回も橋下徹氏から問われた問題について考えてみます。
 
 
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