虚構世界はなぜ必要か? SFアニメ「超」考察
第6回 仮想現実とフィクション 『ソードアート・オンライン』『電脳コイル』『ロボティクス・ノーツ』(1)

About the Author: 古谷利裕

ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
Published On: 2016/8/3By

 
 

『電脳コイル』における、深さと循環

『電脳コイル』の大黒市には、いくつもの重ね合わせと、いくつものズレがあります。まず、現実空間と仮想空間との重ね合わせとズレ、新しい仮想空間と古い仮想空間との重ね合わせとズレ、そして、虚実一体型の開かれた古い仮想空間と、虚構没入型の閉じられた古い空間の重ね合わせとズレ、です。これらの諸空間が、基本的にはすべて現実の大黒市の地理、風景と同じ姿をもって重ね合わせられながらも、それぞれ異なる層を形成しています。

ここで、すべて同じ姿をもちながら、異なる層を形成しつつ重ね合わせられている「空間」を、その隙間をぬって移行してゆくとすると、開かれた空間から閉じられた空間へ、外的な現実から内的な記憶(心)へと、連続的な移行が可能になります。そして内的な空間も、外的な空間に繋がっています。つまり、外に向かってゆく動きがいつの間にか内へ入り込み、内に向かう動きがいつの間にか外に向かうことになります。いわば、虚実一体型から虚構没入型へ、虚構没入型から虚実一体型へと、各空間-間に(エッシャーの『滝』のような)循環的な構造が成り立っています。
この「循環的構造」はしかし、「深さ」があり、その向こう側に冥界があるという「深さのイリュージョン」と矛盾します。

「深さ」による誘惑は、魅力的であると同時に危険なものでもあります。物語の終盤になるにつけ、「大切な人との死別」という問題を抱えた子供たち(イサコ、ハラケン)は、死や冥界への傾倒を一層強くしていき、向こう側に強く引っ張られるようになります。この物語のクライマックスは、死や冥界の方へと限りなく惹かれてゆく子供たちと、それを必死に押し留めようとする主人公たちの攻防となります。

この時、深さの誘惑を押し留めるものとして主人公が依拠するものが、外から内へ、そして内から外へと、連なり反転する循環構造だといえるでしょう。あなたたちが惹かれているのは「向こう側」ではなく「心(記憶)の内」であり、そしてそれは、その外とよく似ているし、繋がっている。「深さ」の向こう側にあるのは冥界ではなく、その先には外があり、さらにその先ではまた内側へ戻ってくる。この循環の構造が、死の先にある向こう側へと傾倒する子供たちを引き留め、内側としての「向こう側」のさらにその先としてある「こちら側」に、再び引き戻すのです。

しかし、それによって「深さ」による誘惑が否定されるのではありません。深さというイリュージョンと、外と内とが反転する循環構造は、いわば物語内の空間構造のダブルスタンダードとして、物語に魅力を発生させる構造として、拮抗しつつ両立しています。この両立が、この物語を複雑で味わい深いものにしていると思います。
 
 
この項、つづく。次回8月24日(水)更新予定

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ふるや・としひろ  画家、評論家。1967年、神奈川県生まれ。1993年、東京造形大学卒業。著書に『世界へと滲み出す脳』(青土社)、『人はある日とつぜん小説家になる』(青土社)、共著に『映画空間400選』(INAX出版)、『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)がある。
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