ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 11〉メディアスクラムという名の人災

About the Author: 畑仲哲雄

はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
Published On: 2017/1/10By

 
マスメディアをめぐる問題の筆頭にもあげられる「メディアスクラム」。今回は、被取材者の視点をかりて、メディアスクラム、さらにその先にあるものを考えてみたいと思います。[編集部]
 
 
 取材をめぐるジレンマに直面したとき、なにを考え、なにを優先するのか? あなたならどうするだろう。

1:: 思考実験

「迷惑だ、帰ってくれ」
 そんな怒号が避難所の出入り口から聞こえてきた。なにごとかと町会長が駆けつけたところ、取材陣が避難所に入ろうとしているのを、地元の若者たちが腕組みをして食い止めていた。狭い玄関口は数十人の記者であふれている。
 町会長は取材陣と若者たちのあいだに割って入った。
 記者たちの態度はおしなべて丁寧で、取材に際しては被災者の心情やプライバシーに配慮すると頭を下げる。対する若者たちは、「見世物じゃない」と声をあげた。
 町会長は、若者たちが乱暴な者たちではないことを知っていた。この町で生まれ育ち、お祭りや盆踊りなど地域活動に参加する真面目な青年たちだ。彼らの怒りは、昨夜のことを思えば、町会長にも理解できた。
 災害で混乱の極みにあった小さな町に、取材陣がやってきたのは、昨夜7時をすこし回ったころだった。急ごしらえの避難所に、一眼カメラを手にした新聞記者がひとり、またひとりとやってきた。
 当初は町会長がひとりずつ応対して避難所内を案内したが、そのうち記者が相次ぎ、避難所で勝手に取材しはじめた。気がつけば、テレビの中継車が3台ほど避難所に横付けされ、映像カメラを肩に担いだテレビ局のクルーたちも避難所内を動き回っていた。
 町会長は、気が気でなかった。家を失ったばかりの人や、家族と連絡が取れずにいる人もいる。けが人や高齢者の介助の邪魔にもなる。元気に見えても、被災のショックが大きい人もいるだろう。
 案の定、毛布にくるまって放心状態になったお年寄りや、配給のおにぎりを震えながらほおばる子供たちに取材が殺到し、マイクやカメラがいっせいに向けられた。どの取材者もていねいに取材しているのだろうが、これだけ数が多いと圧迫感がある。
 地元の若者たちの目には、断ることを知らず求められるまま取材に応じる町民が、メディアの餌食になったように映っていたのだろう。口が重い人にしつこくマイクを向ける記者に、若者たちが抗議する一幕があった。
「町会長さんにお願いします」
 取材陣の最前列にいた記者が町会長に名刺を差し出した。大手テレビ局だった。避難所の中に入るのはあきらめる代わりに、入り口から中のようすを望遠で30秒ほど撮らせてくださいという。
「それくらいなら」と言いそうになった次の瞬間、何人もの記者たちが口々に言った。うちはモザイクをかけます。昨夜取材した人は今日来ていいと言いました。活字メディアは迷惑の度合いが低い。携帯電話を手渡す約束をした人がいます……。
 新聞・テレビ・雑誌・ネットメディアなど十数社の記者たちの群れは、それぞれに取材したいことが違うのかもしれない。特定の社だけを特別扱いもできないだろう。避難所の実情を報道してもらいたい気持ちもあるが、若者たちが危惧するような混乱を未然に避けるのが賢明にも思える。

 そのとき、取材陣のひとりが抗議した。「地元新聞の記者が先刻、中に入れてもらっていました」
 町会長は耳を疑った。若者たちは地元メディアを特別扱いしていたのである。
「あの記者は、何年も前からの知り合いで、地元民だ」若者が反論した。「あんたら東京のマスゴミとは違って、タダで新聞届けてくれたよ」
 ↓ ↓ ↓
つづきは、単行本『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』でごらんください。

 
取材先でセクハラに遭ったら?
被害者が匿名報道を望んだら?
取材で“ギャラ”を求められたら?
被災地に記者が殺到してきたら?
原発事故で記者は逃げていい?
 etc.
 
正解はひとつではない。でも、今、どうする?
現場経験も豊富な著者が20のケースを取り上げ、報道倫理を実例にもとづいて具体的に考える、新しいケースブック! 避難訓練していなければ緊急時に避難できない。思考訓練していなければ、一瞬の判断を求められる取材現場で向きあうジレンマで思考停止してしまう。連載未収録のケースも追加し、2018年8月末刊行。
 
〈たちよみ〉はこちらから「ねらいと使い方」「目次」「CASE:001」「あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉


【ネット書店で見る】

 
 

畑仲哲雄 著 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』
A5判並製・256頁 本体価格2300円(税込2484円)
ISBN:978-4-326-60307-7 →[書誌情報]
【内容紹介】 ニュース報道やメディアに対する批判や不満は高まる一方。だが、議論の交通整理は十分ではない。「同僚が取材先でセクハラ被害に遭ったら」「被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか」「被害者が匿名報道を望むとき」「取材謝礼を要求されたら」など、現実の取材現場で関係者を悩ませた難問を具体的なケースに沿って丁寧に検討する。
 
【ページ見本】 クリックすると拡大します。

【本書のトリセツ】
ステップ1、実際の事例をもとにした[思考実験]を読んで「自分ならどう?」と問いかける。
ステップ2、次のページを開いて[異論対論]で論点ごとに考える。対立する意見も深めてみると……?
ステップ3、事実は小説より奇なり。[実際の事例と考察]で過去の事例を振り返りつつ、支えとなる理論を探そう。
 
【目次】
ねらいと使い方 ジャーナリズム倫理を絶えず問いなおす
第1章 人命と報道
 CASE:001 最高の写真か、最低の撮影者か
 CASE:002 人質解放のために警察に協力すべきか
 CASE:003 原発事故が起きたら記者を退避させるべきか
 CASE:004 家族が戦場ジャーナリストになると言い出したら
第2章 報道による被害
 CASE:005 被災地に殺到する取材陣を追い返すべきか
 CASE:006 被害者が匿名報道を望むとき
 CASE:007 加害者家族を「世間」から守れるか
 CASE:008 企業倒産をどのタイミングで書く
第3章 取材相手との約束
 CASE:009 オフレコ取材で重大な事実が発覚したら
 CASE:010 記事の事前チェックを求められたら
 CASE:011 記者会見が有料化されたら
 CASE:012 取材謝礼を要求されたら
第4章 ルールブックの限界と課題
 CASE:013 ジャーナリストに社会運動ができるか
 CASE:014 NPOに紙面作りを任せてもいいか
 CASE:015 ネットの記事を削除してほしいと言われたら
 CASE:016 正社員の記者やディレクターに表現の自由はあるか
第5章 取材者の立場と属性
 CASE:017 同僚記者が取材先でセクハラ被害に遭ったら
 CASE:018 犯人が正当な主張を繰り広げたら
 CASE:019 宗主国の記者は植民地で取材できるか
 CASE:020 AIの指示に従って取材する是非
あとがき ジャーナリストの理想へ向けて
 
■思考の道具箱■
傍観報道/番犬ジャーナリズム/共通善/危険地取材/臨時災害放送局/CPJ/自己責任/メディアスクラム/合理的な愚か者/サツ回り/犯罪被害者支援/熟議/被疑者と容疑者/世間/特ダネ/倒産法/コンプライアンス/知る権利/取材源の秘匿/2種類の記者クラブ/地位付与の機能/ゲラ/報道の定義とは?/小切手ジャーナリズム/記者会見/「ギャラ」/キャンペーン報道/アドボカシー/黄金律/NPO(非営利組織)/地域紙と地方紙/アクセス権と自己情報コントロール権/良心条項/記者座談会/ゲリラとテロリズム/ポストコロニアリズム/倫理規定/ロボット倫理/発生もの
 
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はたなか・てつお  龍谷大学教授。博士(社会情報学)。専門はジャーナリズム。大阪市生まれ。関西大学法学部を卒業後、毎日新聞社会部、日経トレンディ、共同通信経済部などの記者を経て、東京大学大学院学際情報学府で博士号取得。修士論文を改稿した『新聞再生:コミュニティからの挑戦』(平凡社、2008)では、主流ジャーナリズムから異端とされた神奈川・滋賀・鹿児島の実践例を考察。博士論文を書籍化した『地域ジャーナリズム:コミュニティとメディアを結びなおす』(勁草書房、2014)でも、長らく無視されてきた地域紙とNPOの協働を政治哲学を援用し、地域に求められるジャーナリズムの営みであると評価した。同書は第5回内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞受賞。小林正弥・菊池理夫編著『コミュニタリアニズムのフロンティア』(勁草書房、2012)などにも執筆参加している。このほか、著作権フリー小説『スレイヴ――パソコン音痴のカメイ課長が電脳作家になる物語』(ポット出版、1998)がある。
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