料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】
――発酵世界とわたしたち――
リハーサルの後、あるいは演奏の後はみな腹ペコだ。
途中バナナやもろこし、炒ったり茹でたりしたピーナッツを食べるが、演奏をするそばで女性たちが作っているごはんの香りが気になる。休憩時に彼女たちのそばに寄り、何を調理しているのか鍋の中を覗く。
薪の炎でぐらぐら煮立つブイヨンからは、どうにもこうにも納豆を彷彿とさせる強烈な発酵食品の匂いがただよう。生唾を呑み込み、お腹が鳴る。わたしの腹の減り具合を知っているのか彼女たちは白い歯をみせてケタケタ笑い、匂いの元であるスンバラというものを見せてくれた。
ウサギの糞を集めて丸く固めたような……。失敬、表現があまりよろしくない。日本人であればこの発酵食品を目の前に思い出すのは、浜納豆。あるいは大徳寺納豆。
ブルキナファソではカラッカラに乾いた芋虫を水で戻したソースや、虫の唐揚げを食べるわけで、このスンバラという強烈な匂いと形態の食品を前にしても驚かない。
どうしたらこのような匂いになるのだろうか。スンバラは、ネレと呼ばれるマメ科の木になる実を発酵させたものだ。さやから実を取り出し、乾燥、発酵させる。発酵が強烈な匂いの原因となるのだ。ちなみに残ったさやは粉にして家の壁に塗ることで防水材になるのだとか。
西アフリカのブルキナファソ、グワン族の音楽に、ある冬のパリで出会ってからというもの、彼らの音楽に魅了されてしまった。単に初めて聞くその音楽や、異国情緒あふれる民族楽器の音色にだけではなく、音楽というものの役割、演奏方法、あるいは聴き方などを根元から考えさせられた。
今では少なくなってしまったが、弔いの場で、楽師達は一週間にわたり亡くなった遺体のそばで演奏をする。そしてその演奏によって遺体の筋肉は緊張から解き放されるというのだから、迷信や呪術の世界で音楽の効用が信じられていたことを疑うわけにはいかない。
ある儀式的空間では、そこで焚かれるお香が人々をトランスに促すように、音の粒、たとえば鉄でできたカリヤンという高音を発する楽器の音の粒や、バラフォンとよばれるマリンバ、木琴の祖先にあたる楽器の音色が聴く者をトランスの世界へと誘う。
彼らの音楽は今では音楽フェスティバルやコンサートという形で聴くことができる。葬送儀礼の楽師と呼ばれる演奏家、ムッサ・ヘマは現在パリを拠点にしながら、兄弟、演奏家たちを集めてKaba-Ko(カバコ)というバンドをつくり、演奏の場を切り開いている。また「文化の週」と呼ばれる国が開催するコンペティションにも積極的に参加し、グワンの音楽の継承に力を入れている。
彼らの音楽をただただ聞いていたい、しかもこの音楽が生まれた土地で――パリでの共演後すぐ、あの音に触れるべくカバコたちのいる村へと向かい、録音、演奏を含めて数週間の滞在の機会を得た。
さて、わたし自身が女であるゆえか演奏者のお母さんや奥さん、姉妹たちの一日に興味がわく。
毎日の仕事としてごはんを作る彼女たちの姿からは、プリミティブと言うと大げさかもしれないが、それでも作物を収穫しゼロから作るという世界と、金を稼いで買う世界の違いを感じることとなる。今日使う分の油を買い、主食となるトウモロコシを杵で粉にする姿。赤ちゃんをおんぶし薪をおこして鍋を火にかける彼女たちの作業を見ながら、仕事=生きるということを考えてみた。
だれかのために作ることによって彼女たちの存在が浮かび上がる。作るとは無意識の仕事であり、今日を生きるための仕事=生きるということなのだ。
もちろん作る=仕事=生きることには楽しみがあり、少しの苦が伴う。ただ単に空腹を満足させるためではなく、食のある空間には誰かと共に作る楽しさ、食べられる安堵感、分ける喜びがある。そして食材を手にするため、調理するために必要な労働。ここで明らかになるのは時間のあり方だ。金で買う世界と時間をかけて自分たちで作る世界。
やや次元が違うが、音楽が音楽として鳴るようになるには、練習という時間が必要だ。演奏をするのにその技術を買うことはできない。あくまで自分の力で、自分の時間を使って、コツコツ練習することによって音楽という世界に居ることができる。料理も同じだ。料理ができるようになるためには、料理をするしかない。時間をかけて作るしかない。
時間をかけて音を紡ぐ、たべものを、ごはんを作る。料理するのも奏でるのも、相対する人のためでもあるが、自分たち個々の生存のためでもあり、なによりそれ自体が生きることでもある。
では個々が生存する時間の周縁にはどんな人々がいるだろう。例えば農業に従事する人、運ぶ人、楽器を作る人、メンテナンスする人 etc…。こうした人々も、それぞれがつくる時間を大切に生きている。
中庭で食事を作る彼女たちの時間、練習をするカバコたちの時間が、わたしという存在の周縁にある心地よさ。ここブルキナファソで生み出される音空間とは、そういった時間のことのだ。
滞在中は、前述したカバコのリーダー、ムッサのお母さんが住む家にお世話になった。ある日、中庭で、とうもろこしの粉にお湯を加えて練ったトーを作っていた。傍では5、6歳の女の子がお手伝いをしている。モッタリしたそばがきのような餅のような、はたまた蒸しパンのようなもの。これを手でつかみ、ソースにつけながら食べる幸せ。
コートジボワールのプラカリも同様な形態だがこちらはキャッサバの粉をつかう。
敷地内にパパをはじめ多数の奥さん、子供たちが住んでいる家に比べると、ムッサの母さんは一人で、そしてたくさんいる孫のうち二人の面倒をみている。彼女の所にはともかく子供がよく遊びにくる。女の子たちは彼女から躾もかねてご飯作りを習い、あるいは洗濯を手伝う。男の子といえばいつも彼女に怒られている。彼女がどのような経済の中で生活しているのかは今は問わずにいよう。
いや、だいたい金があることで生活が成り立つという発想自体が貧しい考えなのかもしれない。今日あるものを使いきるという潔さ。
けっして豪華な飯ではなく、日々を支えるごはんなのだが、ムッサの母さん、あるいは演奏家の家族の奥さんが作ってくれたスンバラ飯が忘れられない。
それでは、今回はカバコの演奏を聞きながら、西アフリカの風にのるスンバラの香りを感じてみるとしよう。
米 800g / 玉ねぎ 大1個 / 生姜 一片 / にんにく 一片 / 粒の胡椒 大さじ1 / 塩 大さじ2 / 鶏肉 500g(骨つきが好ましい)/ 水 1L / 唐辛子(できればスコッチ・ボンネットと呼ばれる西アフリカ特有の丸い唐辛子)/ ローリエ 2枚 / 食用油(ひまわり、菜種、オリーブなど)適量 / パセリ 少量 / ジンジャーパウダー 大さじ1 / スンバラ 1個
【1】 水1Lに鶏肉を入れ火にかける。灰汁をすくいながら最初は強火、30分ほど中火で煮込みブイヨンを取る。蓋は開けたままで。
ブイヨンに使った鶏は塩胡椒をし、オリーブオイル、刻んだパセリを入れた別の容器で漬け込んでおく。
【2】米を洗う。胡椒、にんにくを潰す。生姜は刻んでおく。
【3】 スンバラはぬるめのお湯か水に1分ほど浸し、砂や埃を取る。何度か水で洗い、潰す。
【4】 鍋で玉ねぎを油で炒める。炒めるというより油で揚げるという感覚。黄色く色づいたら潰した胡椒、にんにく、刻んだ生姜を加え炒め、鶏のブイヨンを入れる。この時にローリエ、唐辛子、スンバラを加える。
【5】 洗った米を入れ、蓋をして中火で約20分。途中鍋底が焦げないように木ベラでかき混ぜる。
【6】 米を炊いている間に、鶏肉を焼く。オーブンプレートに軽くオリーブオイルをしき、スライスした玉ねぎを散らし、その上にマリネした鶏肉をのせ、180度に温めたオーブンに入れる。
最初はアルミ箔をかぶせて10分ほど、その後アルミ箔を取り、皮がこんがりするまで焼く。すでにブイヨンをとるときに火は通っているため、パサパサになりそうならブイヨンを上からかける。
炊き上がったごはんと鶏肉を大皿に盛り、みんなで手で食べたいところ。
この料理、生姜と玉ねぎ以外の材料には「潰す」という方法が用いられる。「潰す」ことによって立ち上ってくる食材の香りをぜひ味わっていただきたい。よって乳鉢は必須的道具です。
今回フランスで再現したスンバラ飯にはもうひとつ、ある物語がある。
初めてブルキナファソに渡った際、マラリアの予防薬を持参しなかった。出発前に、さてどうしたものかと悩んでいたら、知り合いのミュージシャンがある医師の電話番号を教えてくれた。それは彼の主治医でもあり、わたしの演奏を聴いたことがある人でもあり、そして定年後、ブルキナファソでボランティアの医師として働いているルマッソン氏であった。彼に現地で入手できる薬と場所を教えてもらった。
彼の息子さんも同様に医者としてブルキナファソで働いていたが、30代、2年前に若くして感染病で現地で亡くなってしまったそうだ。
なんてことだ。残されたブルキナベ(ブルキナファソ人)の奥さん、息子さんは現在フランスに移り住んでいるという。
ルマッソン氏のもう一人の息子はサーフィンの先生であり、ドラマーでもある。兼業ミュージシャンとでも呼ぼう。元来ひとつの職業を持つことがプロフェッショナルと一般的に名称されることにわたしは疑問をもっているのだが……。
その彼が先日ブルキナファソでの演奏ツアーから戻り、スンバラをお土産にくれた。知り合いのブルキナベたちと分け合い、みなで早速スンバラ飯を作ろう、ということになったのだ。
マギーブイヨンを使う家庭もあるが、どうしても画一的な味になる。
鶏からの滋養、そしてなんといってもスンバラの風味を味わうからには市販のブイヨンを使うのはもったいない。
日本で作るのにスンバラの代用品は何があるものか、と考えても思い当たらない。
思い切って浜納豆で作ってしまおうか? その場合は鶏のブイヨンではなく厚切りの鰹節にしてみるとか? となると鶏ではなく白身の魚を焼いたものにするとか?
そういえばセネガルにはチェブとよばれる干し魚と野菜の炊き込みごはんがある。人類の祖先達がすでに考え作ってきたごはんを前に、日本にある浜納豆と魚の組み合わせを想像するわたしの発想の乏しいこと。いや発想が乏しいのではく、これは食に関する本能に、時代や地域や種族としての違いというものはなく、真理としての共通項があるということかもしれない。
発酵食品独特のコク、うまみが米に含まれる。もちろん鶏のブイヨンによるうまみもある。しかしそれだけでは生まれない口全体、そして体の細胞に浸透するようなあの発酵食品を食べた時のなんとも言えぬ安堵感。
発酵が行われる土地と、発酵するのに必要な時間。日本とブルキナファソ、われらは発酵兄弟。食べ方は違うものの、あの味の中にある、人類の知恵と好奇心、生存のための食べものという存在には、共通する何かがある。
ムッサは葬送儀礼での演奏の際、飯を食べる時と用を足す時、少しの仮眠をとる時以外はずっと演奏を続けていたという。
子供の頃はバラフォンの上に横になり、また演奏に戻ったのだとか。
こういう演奏家がいる世界と、きらびやかなステージで演奏する場。
発酵食品のどんぶり飯を食べる世界と、上品なレストランで食す時間。
どちらも音楽のある世界で、食べるという行為の時間と空間。
どちらも肯定される世界だ。
なぜならば、今日生きているということは誰も否定できないことなのだから。
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