料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】
――ブルターニュから、ガレットとキカファースを――
フランスへ発った年の4月。当時付き合っていたボーイフレンドの誕生日、最後のデートとなった場所は神楽坂。今でこそ賑やかな雰囲気だが、当時はまだひっそりとした空気感が漂っていた。
東京メトロ南北線が出来たばかりで、自宅から一本で行ける場所。水面を照らす春光まぶしいお堀沿いのカフェ。以前は東京日仏学院という名称だった、現アンスティチュ・フランセには渡仏前に何度も訪ね、併設した本屋Rive Gaucheでは仏和辞典を買った。よく通った思い出の場所だ。神楽坂上には赤城神社がある。ボーイフレンドの故郷の山を祀るこの地域の氏神。その後、赤城神社の境内にある神楽殿、地下ホールで何度か演奏をすることになったのも何かの縁だろうか。
毘沙門天前の鳥料理の店、鳥茶屋のはす向かい、なんとなくチントンシャンが聞こえてきそうな一角にガレット屋がある。フランス風にいうならば、Crêperie クレープリー。Crêpesクレープとはご存知の通り小麦粉と卵、牛乳を生地にして薄く焼いたもの。ガレットはそば粉のクレープのこと。前者は甘く、後者は塩味。
当時珍しかったガレットを提供する店は今、日本津々浦々でみかけるようになった。蕎麦の産地長野にも数軒のガレット店があり、前述した神楽坂のお店は全国展開にまで至っている。
つくるのが簡単、かつどんぶり飯のように一食のごはんになるこの料理を、ブルターニュのフェスティバルで大活躍していた、アンヌさんに伝授していただいた。彼女はフランスの美しい村の一つに選ばれているロシュフォール・アン・テールRochefort-en-Terreという村でクレープ屋を営んでいた。
入場料のない野外フェスティバルでどのように開催経費、ミュージシャンへのギャラを支払うかというと、地方自治体からのわずかな助成金をのぞき、残りの8割すべては当日販売する飲食の利益からだ。主催するアソシエーションは利益を得ることはない。運営に携わる者はすべてボランティア。
プロのクレープ屋さんであり、フェスティバルのボランティアスタッフであるアンヌさんは、このフェスティバルで一体何枚のガレットを焼いたことだろう。「焼きながら生演奏を聴けて、みんながガレットを頬張る姿をみる。最高じゃない!」と笑っていた。
後日、彼女の家のガレージで専用の焼き台2台と、ガスボンベを並べ、ガレット講習会を開いてもらった。簡単に作れるガレットをぜひ、焼いて食して、誰かとのよき時間にしていただきたい。
もちろんブルターニュの音楽を聴きながらがいいと思う。このフェスティバルの目玉は、伝統的に使われるダブルリードの楽器、ボンバード、ギター、打ち込みの三人からなるPLANTEC。
Fest-Noz (ブルターニュ語で”夜の祭り”)で観客が踊るための伝統的音楽様式に、ビートの効いたリズム、アレンジを売りにしたバンドで、ブルターニュ地方では引っ張りだこだ。
生地:そば粉 200g、卵 1個、塩 ひとつまみ、水 400ml + 適量
具:グリュイエールチーズをおろしたもの(日本であればとろけるチーズ)、卵 1個、ハム 1枚
【1】生地の材料をボールに入れて混ぜ、蓋をして冷蔵庫で一晩寝かす。
【2】生地を再びよく混ぜ、糸がひくように垂れなければ、適宜水を足す。
【3】深みのないテフランのフライパン(中火)にバターをひき、お玉1杯分の生地を素早く流し、薄く円形に延ばす。(写真は専用の焼き台)
【4】片面が焼けたら裏返す。
【5】焼きあがった生地を再びバターをひいたフライパンに乗せ、ハムを並べ、卵を割り入れチーズを散らし、端がカリっとしてきたら四方をたたみ込む。
【6】好みで胡椒、塩を振り、お皿に盛る。
フェスティバルでは焼いたソーセージをガレットで巻くガレットソシスが主流だが、クレープリーあるいは自宅で作る場合の定番はチーズ、ハム、卵を入れたガレット・コンプレである。甘くないシードルとの相性が抜群だ。
できればBillig ビリングと呼ばれるガレット用の薄いフライパン(クレピエール)があると焼きやすい。もっと欲をいえば、面の長いスパチュラという木製のフライ返し(上記写真にうつっているもの)があるとなおいい。生地が破れる確率が低くなり、かつ楽に裏返せる。
生地をフライパンに延ばす道具、クレープ用のトンボは地元では1ユーロほどで売っている。
大量に焼くときは、逐次キッチンペーパーなどでバターを伸ばすのではなく、半分に切った生のじゃがいもにフォークを刺し、器にサラダ油を入れ、焼くたびにじゃがいもの平らな面に油を吸わせてフライパンにひく。これで作業が効率的に進む。
たくさん焼いて冷蔵庫に入れておけば3日ほどはもつ。再び食べる時はバターをひいて焼きなおす。
今回のレシピではそば粉だけを使用している。人によっては小麦粉を混ぜるが、それはつなぎに役立つからだろう。
さて、なぜガレットがブルターニュの名物かというと、フランスの最西の半島、肥沃ではない土地はその昔、小麦の栽培に適していなかったからだという。地図でみてもわかるように、ワイン醸造のための葡萄がロワール地方を最北としており、その西にあるブルターニュ地方では葡萄もあまり育たない。日照も関係するのだろう。
そのかわり、林檎の栽培にはとても適している。よって当然林檎をアルコール発酵させるシードルがこの地方での飲み物である。シードルを熟成させ最低4年かけて蒸留酒となるカルバドスもだ。この名称はノルマンディー地方のカルバドスという名前の町に由来する。しかしブルターニュ地方ではカルバドスではなく「Gnole ニョル(正式名称はlambig)」と呼ばれていて、今でも自家製ニョル(アルコール度40%を超えるので販売することは違法)を多くの人が作っている。これらは食後酒として飲む。
せっかくそば粉を使った料理を紹介したので、今回はもう一品ブルターニュ地方のポトフ、Kig ha farz キカファースも作ってみよう。やはり同じフェスティバルで演奏したNâtah Big Bandというバンドのファンで、ボランティアとして参加した料理人ジルから教わった。
キカファースはブルターニュでも半島西の最果て、ブルトン語で”地の果て”という意味をもつFinistèreフィニステール地域で食される。フランス全般でつくられるポトフをベースにしているが、肉、野菜のほかに、ファース(フランス語では”詰め物”という意味だがブルトン語では”粉”という意味)と呼ばれる、日本でいう蕎麦がきのようなものを一緒に煮込む料理だ。ちなみにブルトン語でKig キは肉のこと。
ブルトン語の綴りがKig ha Farzのため、日本語では「キ・ア・ファルツ」「キ・ガ・ファース」「キッカファー」などで表記されているが、発音をカタカナにすると、「キカファース」となる。
なぜファースを煮込むかというと、それはおそらくジャガイモがない季節の工夫、と同時に小麦が育たずパンも作れなかった時代にこの地域で生まれた工夫の産物なのではないか、とジルは言う。
蕎麦は約15世紀にアジアから伝来したといい、やせた土地で栽培ができ、短期間で発育するなどの条件が揃い、ブルターニュで食されることになった。
キカファースづくりのお供にはレシピを教えてくれたジルのお気に入りのバンドNâtah Big Bandの曲を。このバンドもトラッドを踏まえつつ、Big bandと名前にあるとおり、ジャズ的編成、アレンジとブルターニュトラッドを融合させ、人気を得ている。
リーダーでメインの演奏者である兄弟は、前述したフェスティバルに10代の頃から参加しており、村の教会でボンバードとアコーデオンを二人で演奏していたが、今やフェスティバル等の大舞台で演奏する姿が眩しい。
ファース Farz(蕎麦がきのようなもの):そば粉 125g、卵 1個、牛乳 500ml、
生クリーム 100ml、レーズン 50g
ポトフ:牛の骨つきバラ肉 250g、豚の塩漬けスネ肉 250g、ベーコン 100g、
ちりめんキャベツ 半分、にんじん 2本、玉ねぎ 1個、長ネギ 2本、セロリ 1本、
バター 50g、塩 大さじ1、粒胡椒 小さじ1、コリアンダーシード 小さじ1、タイム小さじ1、ローリエ 1枚、クローブ 3粒
【1】まず最初に作るのは、そば粉の生地を詰める袋。さらしなど白い布を使う。縦30cm、横20cmの袋状になるように端を縫う。
【2】水を張った大鍋に牛の骨つきバラ肉、ベーコン、胡椒の粒、塩、タイム、コリアンダーシード、ローリエ、クローブを刺した玉ねぎ、セロリ、長ネギの端を入れ強火にかける。沸騰しはじめたら弱火にし、灰汁を随時取り除き蓋をして2時間煮る。できればこの作業は前日に済ましておきたい。煮込み料理は一旦冷ますと驚くほどに肉が柔らかくなる。
【3】そば粉、溶いた卵、牛乳、生クリームを混ぜ、レーズンを加えたもの=生地を袋に詰める。
【4】一旦寝かした【2】の鍋の長ネギの端、ローリエ、セロリを取り出し、大きめに切ったにんじん、長ネギ(白い部分)、キャベツ、袋詰めにしたそば粉の生地を入れて1時間煮込む。この時煮立たないように火は弱火。袋はスープに全体が浸るように。
【5】その間に200度にオーブンを熱し、豚のスネ肉を耐熱皿に入れ、アルミ紙をかぶせ、180度で1時間ほど焼く。崩れるような柔らかさになったらそのまま皿に盛ってもよいし、焼き終わった後ブイヨンが入った鍋に入れてもよい。
【6】袋からファースを取り出し(この時くれぐれも火傷をしないように)、薄く切る。好みでフォークでほぐすこともある。ほぐすことでファースがブイヨンを吸い込みやすくなるからだ。
【7】小皿に溶かした塩バターを添え、器に盛る。
盛り方はさまざま。具、ファースとスープを別々の器に入れたり、一皿に一人分のスープ、具、ファースを盛ったりする場合もある。
肉類は手にはいるもので可能。例えば豚肉の塩漬けが見つからなければソーセージで代用できる。牛肉も骨つきであればどこの部位でもいい。
ただし既成のブイヨンキューブだけではやはり旨味に差異が生じる。
今回のレシピではファースの生地自体にバターは入れていない。できあがった後、ファースに各々溶かしバターをかけてもよし、あるいは予め生地に溶かしバターを加えてもよし。
肉と野菜がうまいブイヨンとなる過程で、食材の香りが部屋に漂えば、籠る冬の時間に火と共に生活する意味が加わる。
東欧あるいはヨーロッパ全土にみられる煮込み料理の多くは、冬を越すために牛脂を活用したものが目立つ。その代表は東欧、ドイツ、スイスなどを中心として食べられるグラーシュだろう。
フランスの煮込み料理の代表格の一つはポトフ。肉を2時間以上煮込んだ後一旦火を止め一晩置き、翌日ブイヨンに浮かぶ白い牛脂を取り除けばクリアなスープとなり、カロリーも低くできる。しかし本格的なものを目指すのであれば、それらはあえて取り除かないほうがいい。スープの旨味が断然違う。
固形ブイヨンや化学調味料が立ち入る余地のないほど、野菜と肉と塩、そして少しの香辛料で滋養といえる食べ物ができるのだ。肉がホロホロになる時間。『人間は料理をする』(マイケル・ポーラン/野中香方子 訳)という本の中では、煮込み料理、特に肉の柔らかさに関する話がある。結論からいえば、市場経済、分業体制の登場、台所に立つ女、料理におけるフェミニズム、食の消費社会といったテーマが食を主軸に展開されるのだが、以下に微笑ましい一節を引用しよう。
――初めてわたしがサミンに、今作っている料理はどのくらい時間をかければいいのかと尋ねたとき、彼女はいささか格言じみたことを言った。「肉がリラックスするまでよ」。(中略)「肉というのは筋肉だから、加熱するとまずこんなふうに緊張するの」――彼女は肩をすくめ、息を吸ってしかめっ面をした――「でもその後、ある時点で突然ゆるむわ」――肩の力を抜き、息を吐いた――「だから触るとリラックスしたように感じるわけ。そうなったら、完成よ」
圧力鍋を使うことも現在は有益だ。フランスの農家には今でも大きな暖炉があり、その前で冬の大方の時間を人々は過ごしてきた。洗濯物を干し、鍋をぐらつかせ、編み物をする女の姿。農具、あるいは猟具を修理する男。目下外出が規制されているコロナ禍では、どの国でもごはんを作る”時間”のあり方を再考している人々が多いのではないだろうか。
今回このポトフレシピで使ったローリエは、ブルターニュ地方では大木となったものをよく見かけた。夏に育つコリアンダーも種を採り乾燥させれば香辛料となる。タイムは冬の間も外で丈夫に育っている。そして冬の野菜。半径2km圏内にある材料で作るごはん。このレシピができた背景には、当時貧しいながらも土地にある材料で食べて生きてきたる人々の知恵がつまっている。
グラーシュ、クスクス、おでん、ポトフなど煮込み料理は同じ系統にある。
煮込み料理という共通項を生かせば、料理のさらなる展開も可能になるだろう。さすがにポトフを昆布出汁の効いたおでんに転用することはないが、残ったポトフに潰したにんにく、香辛料(Ras el Hanoutラスエルハヌート=ミックススパイスetc)、トマト缶を加えればクスクスのスープに(豚肉が入っている場合はムスリムの友人には出さないように)、クミンパウダー、ジンジャーパウダー、ガラムマサラ、あるいはカレー粉などを足せばカレー風になる。
最後に、展開というアイデアを楽器や音楽にもあてはめてみよう例えてみよう。ダブルリード楽器で中東を起源とするソルナという楽器(いわゆる日本でいうチャルメラ)は、東の果て琉球ではソイナ、マグレブ西方モロッコではライタ、大陸経由で西に行けばオーボエに、そして地中海を出て、海洋を北上しブルターニュにたどり着けばボンバードとなる。口から息を吹き入れて鳴らすというこの楽器の本質はそのままに、しかし土地土地で名称を変えて奏でられている。
わたしが参加しているフリージャズグループとハマッチャと呼ばれるモロッコのスーフィー教団のグループがブルターニュで演奏した時のことだ。
ブルターニュの伝統楽器ボンバードとマグレブの楽器ライタの競演。異なる国、言葉、音楽。しかし奏でられる同じ系統の楽器を介し、演奏する者と聞く者が一体となった。
ステージの上では皆一様に微笑み、もちろん客席はやんややんやの大騒ぎ。
もちろん演奏後にはシードル、ニョル、蕎麦でできたビールを片手に打ち上げとなった。
食も音楽も、人が生きている空間にあって、共通した何かを感知することができる。風土の中に生まれ食べるその食材と方法はそれぞれに異なるが、遠きどこかに生きる人々の生活の中にも、今日わたしたちがたべるごはんと通ずるものがある、という想像を忘れたくない。
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