憲法学の散歩道 連載・読み物

憲法学の散歩道
第37回 価値なき世界と価値に満ちた世界

 
 
 フィリッパ・フットは、アメリカ合衆国のグラヴァー・クリーヴランド大統領の孫にあたる。オクスフォードのサマヴィル・コレッジを卒業した彼女は、同コレッジで長く哲学を教え、カリフォルニア大学をはじめとするアメリカの諸大学でも教鞭をとった。
 
 彼女が1958年に公表した論文に、「道徳的議論」がある*1。論文の冒頭で、彼女はリチャード・ヘアの指令主義(prescriptivism)を取り上げている。
 

 
 アルフレッド(フレディ)・エアが論理実証主義の強い影響下に1936年刊行した『言語・真理・論理』は、意味のある言明は、数学や論理学などのトートロジーか、または経験に即して実証可能な言明──その典型は自然科学──に限られ、形而上学の命題や道徳的言明には意味がない(nonsense)と主張した*2。善悪や正義・不正義に関する言明は、各人の主観的選好の表明にすぎず、「フレー、フレー」と喝采したり「コンチクショウ」と野次ったりするのと同じで、およそ論理的分析の対象とはなり得ない。形而上学と倫理学の存在意義は否定される。
 
 他方リチャード・ヘアは、道徳的言明が論理的分析の対象となり得ないとは考えない。善悪や正義・不正義に関する道徳的言明は、「そうしろ」とか「そうするな」という指令としての意味を持つ。一連の道徳的言明は、特定の行動を指令しているか禁止しているか、あるいは指令も禁止もしていないかを判別することで、相互に整合しているか否かを判断することができる。
 
 「すぐ出発しろ」と「まだここにいろ」とは衝突する。「オムレツを作れ」は「卵を割れ」を含意する。論理的な矛盾に陥らないためには、言明と同様、指令は一定の論理規則に従う必要がある*3
 
 個別の状況での特定人に対する指令や禁止の根拠となるのは、普遍的な指令や禁止である*4。ただ、カントの定言命法の要請についてしばしば指摘されるように、普遍的な姿形をしていても相互に衝突する指令(禁止)は無数に考えつくことができる*5。いずれの普遍的指令(禁止)にコミットするかは、本人の決断次第である。二人の個人が究極的な道徳的判断について異なる立場をとるとき、いずれが正しいかを客観的に判定することはできない。共通了解の基盤がそこには欠けている。
 
 ヘアは1937年、オクスフォードのベイリオル・コレッジに入学した。フィリッパがサマヴィル・コレッジに入学する2年前である。1939年に第二次世界大戦が勃発すると、兵役を拒否すべきか否か苦悩した挙げ句、ヘアは砲兵隊に志願し、シンガポールに派遣された。制空権を失った当地のイギリス軍は1942年2月、日本軍に降伏し、ヘアは捕虜となった。
 
 投降前のことだが、イギリス軍は日本兵を2名捕虜とした。シンガポールが陥落すると彼らは直ちに元の部隊に帰還し、指揮官に敬礼したのち、虜囚となった恥を濯ぐため切腹した。文化の多様性(cultural diversity)を目の当たりにしたヘアは、彼がオクスフォードで学んだ直観主義──人は直観を通じて普遍的かつ客観的な道徳原則を把握することができるという立場──を放棄した*6
 
 価値判断は、究極的には主観的なものである。ヘアによれば、「道徳的に成熟するということは、『……すべきだ』という道徳的言明は、自ら承認し自分のものとした規準や原理にもとづいてしかなし得ないことを理解しつつ、そうした言明を使用するようになることである」*7
 

 
 フィリッパは、エアやヘアの議論に異議を唱える。彼らは、事実と価値との峻別を出発点とする。事実を記述する言明のみからは、価値に関する判断を論理的に導くことはできないとする、ヒュームが最初に指摘したとされる観念である*8
 
 「不作法な(rude)」ということばを例にとってみようとフィリッパは言う。これは明らかに評価にかかわることばである。このことばが使われる際は、穏やかながら非難(condemnation)が含意されている──不作法なことをすべきではない──というだけではない。
 
 ある行動が不作法だと言われるときは、その行動が他者への敬意を欠いているため、その人の気分を害したことが含意されている*9。たとえば他人の家を訪問したのに帽子をとらないとか、道で他人を力ずくでどかすとか。他方、そんなことはすべきではないが、不作法とは言えない行動もある。正式なディナー・パーティでフランネルの服を着るとか、テニスをするときディナー・ジャッケットを着るとか*10
 
 つまり、ある行動が不作法と評価されるには、その行動が他者の気分を害したという条件を満たしている必要がある。この条件は事実に関するものである。ところで、ある行動が他者への敬意を欠いているために気分を害したという事実言明を受け入れるにもかかわらず、それが不作法であるとの評価言明を否定することは可能であろうか。そんなことは不可能であろう*11
 
 他人の気分を害したことは認めながら、なぜあなたはこの行動が不作法だと評価しないのかとの問に対して、たとえば、「私は慣例通りに行動することが不作法だと考えるのだ」と答えたとしよう。この答えは、不作法ということばの使い方と完全に齟齬をきたしている。不作法な行動に対する社会一般の反応は、慣例通りの行動に対する社会一般の反応とは全く異なる*12。ドアに向かってゆっくり歩くことを、不作法とは言わないのと同様である。
 
 一定の事実上の条件が満たされたとき、それに伴う評価を否定できないのだとすれば、事実から価値が導出されることになる。どんな評価でも個人の選択次第というわけにはいかない*13
 
 ここでフィリッパが依拠しているのは、明示的には参照していないものの、後期ウィトゲンシュタインの観察である。彼女はオクスフォードで2年先輩にあたるエリザベス・アンスコムを通じて、ウィトゲンシュタインの哲学に触れた*14
 
 アンスコムがケンブリッジでウィトゲンシュタインの講筵(こうえん)に連なったのは、1945年のことである。当時のウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』に示された、「世界の意義は世界の外になければならない。世界の中ではすべてはあるようにあり、すべては起こるように起こる。世界の中には・・・価値は存在しない」*15という立場と訣別していた。
 
 価値は、無価値な世界に人が覆い被せるものではない。価値にかかわることばを含めて、人の言語使用は、人の生活様式(form of life)、日常生活の中での複雑な行動の網の目に織り込まれている。生活様式や行動の網の目から無関係にことばを使うことはできない。そうしたことばの使用は──哲学者がしがちなことではあるが──意味をなさない*16。エアが主張したように、言語が意味を持つための必要条件を単純な規則群の形で示すことは、そもそも不可能である*17
 

 
 アイリス・マードックは、フィリッパと同じ1942年、サマヴィルを卒業した。人文学課程(Literae humaniores: Greats)*18を最優秀(First)で卒業したアイリスは、同年7月から財務省で勤務することとなる。彼女は、バッキンガム宮殿近くのシーフォース・プレイス(Seaforth Place)にだだっ広いフラットを借り、1943年の秋からは、王立国際問題研究所(Chatham House)で働くフィリッパもそこに同居した。二人は互いの恋人を交換し、フィリッパは、アイリスの恋人であったマイケル・フット*19と結婚することになる。
 
 他方、フィリッパの恋人であったトマス・バロー*20と別れたアイリスは、1945年6月、アンラ(UNRRA)*21に転職した。同年9月ブリュッセルに派遣されたアイリスは、10月に実存主義哲学の講演のためにやってきたジャン・ポール・サルトルに出会う。哲学者であるのみならず、小説家、劇作家、文芸批評家、伝記作家、ジャーナリストでもある、当時のスーパー・スターである。
 
 サルトルは、人はまず存在すると言う。人の存在は人の本質に先行する*22 。人に所与の本質はない。たとえ神が存在しないとしても、本質に先行して存在する者がいる。それが人だ*23。人は自分が何者であるかを自分で決める。人が生まれ出たこの世界に価値はない。人に定められた運命はない。人は自身の選択と行動を通じて、自らの意思を通じて、自身にとっての価値を創造する。何らの価値も本質も基準も無い中、人は自らを未来へと投げかけ、自分が何者であるかを自ら創造する責務を全人類に対して負う*24
 
 アイリスによると、サルトルは、「小柄で気さく、恐ろしいほどの斜視で、魅力あふれる話し振り」の人物であった。彼女は手に入る限りのサルトルの著作を読み、キーツやシェリーやコールリッジを初めて読んだときのように興奮した*25。形而上学や倫理学を否定する浅薄なオクスフォード哲学にうんざりしていたアイリスは、サルトルは「本物(the real thing)」だと感じた*26。アイリスには、哲学に改めて取り組む意欲が芽生えた*27
 

 
 しかしアイリスは間もなく、サルトルの思考に──そしてシモーヌ・ドゥ・ボーヴォワールやアルベール・カミュの小説にも──エアやヘアと共通する前提があることに気付く。われわれの生きるこの世界に予め与えられた価値はない、価値は孤独な主体がこの世界に与えるものに尽きるという前提である。
 
 サルトルの描く世界では、事物に意義はない。自己という意識にも実体はなく何の意味もない。無(néant)であること、つまり自由であることがその根本的性質である。自己はその自由を現実化せざるを得ない。自分自身の創造者となること、それがわれわれの宿命である。何の意味もない諸事物に取り囲まれ、しかもそれぞれ、自分独自の意味を与えようとする他者との闘争の中で*28
 
 私が与える価値は本当の価値なのか? この問に客観的答えはないとサルトルは言う。これは、イギリスでもおなじみの考え方である。たとえばフレディ・エアは、「自分のとった態度が正しい態度であるか否かを問うことは、自分がそれを固持できるか否かを問うことだ。それが正しい保証はない。そんな保証はないからだ」と言う*29。ウィトゲンシュタインも『論理哲学論考』では同じ考え方を述べていたことをアイリスは指摘する*30。ヘアが同様の立場をとったことはすでに説明した*31

奇妙なことに、イギリスの哲学と流行の実存主義とは声をそろえて、「われわれは選択せざるを得ない」と訴えかける。生きる上で過ちを犯し続けるわれわれ罪人にとって、慰めになる教理ではあるが*32

 この世界には何の意味もなく、あるのはわれわれが拵えた意味だけ。不完全で何の必然性もない。それを意識したとき、自身の容貌や身体を含め、われわれを取り巻くさまざまな事物の意味は根底的に消失し、不活性で甘ったるく唾棄すべき対象となる。サルトルが『嘔吐』で描いたのは──そしてカミュが『異邦人』で描いたのも──そうした生(き)のままの不条理な世界である。そして彼らの小説が反倫理的だと非難されるのも、同じ理由からである*33
 
 しかし、人の価値選択には、何の前提もないのだろうか。
 

 
 1947年10月、ケンブリッジのニューナム・コレッジで学生生活を再開したアイリスは、後期ウィトゲンシュタイン哲学に出会った。彼女が「ほとんどそこで暮らしていた」と言うほど入り浸ったトリニティ・コレッジの部屋では、ウァルシ・ヒジァブとカンティ・シャーという二人の大学院生が暮らしており、彼らの話題はもっぱらウィトゲンシュタインであった。やはりウィトゲンシュタインの弟子であったゲオルク・クライゼルもしばしばその部屋を訪れた*34
 
 ウィトゲンシュタインは1947年8月に講義をやめていたため、アイリスは彼の講義を聴くことはなかったが、一度だけ彼に面会したことがある。1947年の10月23日のことである。ウィトゲンシュタインは、「とてもハンサムで、どちらかと言うと小柄。鋭利で意思が強く用心深そうな顔立ち」で「突き刺すような眼」をしていた。
 
 「哲学の議論が何の役に立つ? それはピアノのレッスンのようなものだ」とウィトゲンシュタインは言う。「僕の庭のリンゴの木から誰もがリンゴを運び去って、そこら中で配っているようなものだ。なのに君は、僕のリンゴを下さいと言う」。アイリスは、「ええ、でも私のもらったリンゴが、本当にあなたの木のリンゴなのか分からないので」と答える。「なるほど。ただ、僕のリンゴはおいしくはないと言っておかなければ」*35
 
 アイリスは、1948年から1963年まで、オクスフォードのセント・アン・コレッジで哲学を教えるフェロウを勤めた*36。彼女が1954年に刊行した最初の小説『網の中(Under the Net)』*37で、主人公ジェイク・ドナヒューの人生行路を節目節目で方向づけるヒューゴー・ベルファウンダーのモデルは、ウィトゲンシュタインが信頼した弟子、ヨリック・スマイジーズ*38だと言われる*39。ケンブリッジでアイリスが再会したアンスコムが翻訳し、ウィトゲンシュタインの没後に刊行した『哲学探究』は、冒頭でアイリスへの謝辞を述べている*40
 

 
 ヘアは戦地の捕虜収容所で、サルトルは占領下のフランスで、この世に与えられた意味はなく、すべての価値は本来無価値な世界に、孤独な主体が与えるものだと考えた。第一次世界大戦への従軍中に『論理哲学論考』をまとめたウィトゲンシュタインも、同様に考える。戦争を典型とする非常時の下では、すべての価値は剝奪される。あらゆる価値は主体が自ら選択し、無価値な世界に与えるしかない。
 
 しかしそれは戦地での、より一般化すれば非常時での生き方である。通常時の生き方とは異なる。人は一人きりで生きてはいない。人々が共に棲まう日常世界では、人は所与の生活様式を当然の前提とする。価値を含むことばの使い方もそうである。フィリッパが「不作法」ということばについて指摘したのもそのことである。
 
 ヘアの道徳観と共通するカントの道徳観を批判する文脈において、アイリスは自己以外の存在も現存在だと宣言する。現存在は、自己の認識枠組みを通してしか認識し得ないものではなく、現に日常的にそこにある個別具体の生活にある*41。フィリッパと同様、アイリスも、後期ウィトゲンシュタインから、実存主義哲学からだけでなく同時代のオクスフォード道徳哲学からも離脱する足掛かりを得た。
 

 
 これで十分なのだろうか。ウィトゲンシュタインが指摘するように、生活様式を共有し、それを基盤として価値観を、そしてことばの使い方を共有する人々の間では、コミュニケーションが可能である。しかしその裏返しとして、「たとえライオンに話ができるとしても、われわれは彼の言うことを理解することができない」*42。人は、四つ足で徘徊し、生肉を喰らいつつ咆哮する動物として世界を意味づけることはない*43
 
 生活様式を全く異にする者同士では、価値に関する相互了解はそもそも不可能である。英軍の捕虜となった日本軍兵士の切腹について、ヘアが指摘するのは、そのことである。
 
 革命的な社会変動によって生活様式が激変したときも、価値の比較不能性によるコミュニケーションの断絶は発生する。フランス革命によっても、また第二次世界大戦の敗戦による社会変動によっても、そうした生活様式の激変は発生した。宮沢俊義の八月革命説の妥当性についてはさまざまな議論があるが、当時発生した生活様式の根底的変動とそれに伴う価値観の劇的変動を描く上で「革命」ということばを用いることには相応の理由がある。
 
 つまるところ、後期ウィトゲンシュタインの哲学がわれわれに指し示すのは、多様でしかも相互に比較不能な価値観が(生活様式が)この世に事実として存在すること、そして、そうした多様な価値観が公平な形で共存し得る社会の枠組みを作るべきことであろう。ここでも、事実は価値を帰結する*44
 
 天皇の絶対性を表向き標榜しつつ、自分に生きる糧と生きる意味を与えてくれる組織の指令を絶対視する旧日本軍の価値観は、そうした枠組みにはなり得ない*45。多様な価値観の共存を許容する戦後日本の価値枠組みを無意識のうちに前提としながら、戦前の日本にも良いところはあったと言いがちな人々の時代錯誤性と、戦前と戦後の非対称性には、注意する必要がある。
 
 戦後の価値枠組みの下では、戦前の価値観の生存可能性も保障される。戦前の価値枠組みの下では、戦後の多くの価値観の生存可能性は保障されない。天皇機関説事件が示すのは、そのことである。生活様式が全く異なっている。同じ日本社会ではない。
 

*1 Philippa Foot, ‘Moral Arguments’ in her Virtues and Vices (Clarendon Press 2002) 96−109.
*2 AJ Ayer, Language, Truth and Logic (Penguin 1971, first published in 1936) 24 and 110; 邦訳『言語・真理・論理』吉田夏彦訳(岩波書店、1955[1986]/ちくま学芸文庫、2022)。論理実証主義のテーゼ自体は、このうちのいずれに当たるのか、という周知の問題がある。トートロジーでも自然科学の言明でもないとすれば、このテーゼ自体、ナンセンスだということになる。
*3 RM Hare, The Language of Morals (Clarendon Press 1952) 24; 邦訳『道徳の言語』小泉仰・大久保正健訳(勁草書房、1982)。
*4 Ibidem 155−59.
*5 この点については、さしあたり、長谷部恭男『憲法の円環』(岩波書店、2013)第4章「カントの法理論に関する覚書」参照。カントが、客観的法秩序が各人に平等に割り当てる枠内でのみ、人はいかに行動すべきかを自由に選択すべきだと考えたのもそのためである。
*6 RM Hare, ‘A Philosophical Autobiography’ Utilitas, Vol 14, No 3 (November 2002) 281.
*7 Hare (n 3) 78.
*8 Ibidem 28. ヒュームの言う理性的判断と道徳的判断の区別を「事実と価値の峻別」として形容することがミスリーディングであることについては、長谷部恭男『歴史と理性と憲法と──憲法学の散歩道2』(勁草書房、2023)第13章「理性の役割分担──ヒュームの場合」参照。
*9 Foot (n 1) 102.
*10 Ibidem 102−03.
*11 Ibidem 103.
*12 Ibidem 103−04.
*13 Ibidem 104. 同じように、「危険な(dangerous)」ということばを脅威を与えないものについて使うことは意味をなさないし、事実として危険である以上は回避すべきだとの評価を当然伴うことになる(Philippa Foot, ‘Moral Beliefs’ in her Virtues and Vices (Clarendon Press 2002) 115)。
*14 Clare Mac Cumhaill and Rachael Wiseman, Metaphysical Animals: How Four Women Brought Philosophy Back to Life (Vintage 2023) 158−61.
*15 Ludwig Wittgenstein, Tractatus Logico-Philosophicus (Routledge 1961) 6.41; 邦訳『論理哲学論考』野矢茂樹訳(岩波文庫、2003)144頁[6.41]。
*16 Mac Cumhaill and Wiseman (n 14) 196−97.
*17 Benjamin JB Lipscomb, The Women Are up to Something: How Elizabeth Anscombe, Philippa Foot, Mary Midgley, and Iris Murdoch Revolutionized Ethics (Oxford University Press 2022) 121.
*18 オクスフォードの学部課程は通常3年で修了可能であるが、人文学課程は4年を要する。前半はギリシャ語・ラテン語の修得、後半は古代の歴史と哲学の学習にあてられる。
*19 マイケル・フット(M.R.D. Foot: 1912−2012)は歴史家。第二次世界大戦中は、イギリス軍の諜報機関で働いた。フィリッパと1945年に結婚し、1959年に離婚した。
*20 トマス・バロー(Thomas Balogh: 1905−1985)は、ハンガリー出身の経済学者。1938年にイギリス国籍を取得し、1945年、ベイリオル・コレッジのフェロウとなる。
*21 連合国救済復興機関(the United Nations Relief and Rehabilitation Administration)。第二次世界大戦による戦災の復興と避難民の本国送還等の事業にあたった。事業の一部は、現在の国連高等弁務官事務所に引き継がれている。
*22 Jean-Paul Sartre, L’existentialisme est un humanisme (Gallimard 1996, first published in 1946) 26; 邦訳『実存主義とは何か』伊吹武彦他訳(人文書院、1996)。これに対してペーパーナイフは、その用途に合わせて製造される。植物や動物はその本質以外のものにはなり得ない。本質が存在に先行している。
*23 Ibidem 29.
*24 Ibidem 30−32. ハイデガーが意識されている。
*25 ‘Letter to Hal Lidderdale, 6 November 1945’ in Iris Murdock, Living on Paper: Letters from Iris Murdoch 1934−1995 (Avril Horner and Anne Rowe eds, Princeton University Press 2016) 55.
*26 Lipscomb (n 17) 107; Mac Cumhaill and Wiseman (n 14) 151. アイリスからすれば、オクスフォードの日常言語学派を代表するギルバート・ライルの哲学は価値中立的であるどころか、クリケットをしたり、ケーキを焼いたり、簡単な意思決定をしたり、子どもの頃を思い出したり、サーカスに行ったりする人々固有の哲学であって、罪を犯したり、恋愛したり、神に祈願したり、共産党に入党したりする人々の哲学ではない(Iris Murdoch, Sartre: Romantic Rationalist (Vintage 1999, first published in 1953) 78−79)。
*27 Peter Conradi, Iris Murdoch: A Life (HarperCollins 2001) 216.
*28 Iris Murdoch, ‘The Novelist as Metaphysician’ in her Existentialists and Mystics: Writings on Philosophy and Literature (Peter Conradi ed, Penguin 1999) 104. これは1950年3月、BBC第3ラジオで放送された原稿である。
*29 Quoted in ibidem 105.
*30 Ibidem. 前注15に対応する『論理哲学論考』からの引用参照。
*31 前注7に対応する本文参照。
*32 Iris Murdoch, ‘Knowing the Void’ in her Existentialists and Mystics: Writings on Philosophy and Literature (Peter Conradi ed, Penguin 1999) 159.
*33 Murdoch (n 28) 107; Murdoch (n 26) 47.
*34 Conradi (n 27) 261−65.
*35 Ibidem 266.
*36 彼女の教え子の中には、調整問題の研究で著名なデイヴィッド・ルイスがいる。
*37 イギリスではChatto & Windusから、アメリカではViking Pressから刊行された。網(net)は、『論理哲学論考』6.341で言及される、細かい目の網を対象に覆い被せてそれぞれの目が黒か白かを記述することが世界記述の体系に対応するというアイディアに由来する(Conradi (n 27) 384)。主人公のジェイクが真摯に信じ、独自の論理で塗り固め、それを前提に波瀾万丈の大冒険を繰り広げていたはずの彼の世界像は、物語の最後になって次から次へと崩れ去り、全く見知らぬ世界が姿を現す。
*38 ヨリック・スマイジーズ(Yorick Smythies: 1917−1980)は、哲学の授業を担当することもあったが、オクスフォードの図書館司書として人生を過ごした。
*39 Conradi (n 27) 263.
*40 Ludwig Wittgenstein, Philosophical Investigations (3rd ed, GEM Anscombe trans, Blackwell 1967) v.
*41 Iris Murdoch, ‘The Sublime and the Good’ in her Existentialists and Mystics: Writings on Philosophy and Literature (Peter Conradi ed, Penguin 1999) 215.
*42 Wittgenstein (n 40) 223.
*43 この点についてはさしあたり、長谷部恭男『比較不能な価値の迷路〔増補新装版〕』(東京大学出版会、2018)第5章「理性の彼方の軽やかな希望」78頁参照。
*44 近代立憲主義が生活様式として定着していればの話ではあるが。
*45 すべての人はその属する組織の指令を絶対視すべきだという普遍的格率は、ホッブズ的戦争状態をもたらす。現実に存立し得るのは、たとえば、日本軍の軍人は天皇の名の下での日本軍の指令を絶対視すべきだが、それ以外の人間はその属する組織の指令を絶対視すべきではない──それは天皇の名の下での指令ではあり得ないので──という独善的格率である。

 
》》》バックナンバー
第33回 わたしは考える
第34回 例外事態について決定する者
第35回 フーゴー・グロティウスの正戦論
第36回 刑法230条の2の事実と真実
 
《全バックナンバーリスト》はこちら⇒【憲法学の散歩道】
 
 
憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。山を熟知したきこり同様、憲法学者だからこそ発見できる憲法学の新しい景色へ。
 
2023年5月1日発売
『歴史と理性と憲法と 憲法学の散歩道2』
長谷部恭男 著

3,300円(税込) 四六判 232ページ
ISBN 978-4-326-45128-9

https://www.keisoshobo.co.jp/book/b624223.html
 
【内容紹介】 勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第2弾。書下ろし2篇も収録。強烈な世界像、人間像を喚起するボシュエ、ロック、ヘーゲル、ヒューム、トクヴィル、ニーチェ、ヴェイユ、ネイミアらを取り上げ、その思想の深淵をたどり、射程を測定する。さまざまな論者の思想を入り口に憲法学の奥深さへと誘う特異な書。
 
本書のあとがきはこちらからお読みいただけます。→《あとがき》
 
 
連載書籍化第1弾『神と自然と憲法と』のたちよみはこちら。→《あとがき》
 

長谷部恭男

About The Author

はせべ・やすお  早稲田大学法学学術院教授。1956年、広島生まれ。東京大学法学部卒業、東京大学教授等を経て、2014年より現職。専門は憲法学。主な著作に『権力への懐疑』(日本評論社、1991年)、『憲法学のフロンティア 岩波人文書セレクション』(岩波書店、2013年)、『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書、2004年)、『Interactive 憲法』(有斐閣、2006年)、『比較不能な価値の迷路 増補新装版』(東京大学出版会、2018年)、『憲法 第8版』(新世社、2022年)、『法とは何か 増補新版』(河出書房新社、2015年)、『憲法学の虫眼鏡』(羽鳥書店、2019年)ほか、共著編著多数。