ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた――人生の欠片、音と食のレシピ〈20皿め〉

About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
Published On: 2026/3/6By

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈20皿め〉宇和島のさつまと麦味噌――南予のピアノ、土地から生まれる甘味――

 
 

 
羽田空港を離陸し東京上空から河川を眺めれば、山間地から海へ流れゆくその道筋に、地形という奇跡の上で人類の生活が成り立つという当たり前のことを改めて目の当たりにする。
 
西へ進み富士山を通過、琵琶湖湖面の輝きにため息をもらす。その北西には福井、年縞で有名な水月湖がある。淡水、海水、汽水の中で悠々と生きる生物たちの姿を想像したくなる。そして瀬戸内に入れば多島美の景。四国山間を抜け、交通網がなかった時代に、さて空海はこの四国の地形をどのように歩き、やがて中国へ渡り、のち高野山へとたどり着いたのか。
 
石鎚山が見える頃には四国最西愛媛県に入る。
 
アレルギー性の鼻炎を患い日本で耳鼻科にかかり、診察をしてくださった医師は私がサックス奏者であると知ると、その後何度かコンサートに出向いてくださった。そして気がつくと、その先生のご出身である宇和島で演奏するご縁をいただいていた。
 
演奏活動をしていると点が線になる感覚を覚える。ある場所での演奏をきっかけに次の地点へと線が引かれ、その線上を移動しまた次の場所へと演奏の機会を得る。愛媛には飛行機ではなく、例えば大分県の佐賀関から佐田岬へ着くフェリー。あるいは別府、臼杵から八幡浜へ、そして松山から列車で南予へ行く方法もある。どこに中心を置き、始点から目的地までのその移動を難とするか否か。宇和海と共にある、愛媛県南予という地域にたどり着くには目に見えないご縁があるとしか思えなかった。
 
初めての宇和島での演奏は、いわゆる道の駅である「きさいや広場」という場所での駐車場広場。地元の方々が集まってくださり野外の路上ライブとなった。
 
「きさいや広場」と呼ばれるその意味はこの地域の方言で「来てください」とのこと。縁もゆかりもない宇和島に私は来たわけだが、演奏をしていると、駐車場に停めたトラックから運転手がこちらに向かって歩いて来る。演奏後話をすれば、長距離搬送中の休憩で立ち寄った際、偶然私が演奏をしていたとのこと。一期一会、演奏が終わればまた次の土地へ。
 
ところが私はその後何度も宇和島を訪れることとなり、その度に地元の方が演奏会場を色々考えてくださった。その方は宇和島でピアノ教室をされており、今までに多くの生徒が音楽大学へ進学し、また音楽教師として巣立っていったという。
 
日常に音楽があるということ。聴くこと、奏でること、共に演奏すること。いわゆる現在の都市部からは遠いものの、文化的環境が篤い土地柄である宇和島にあって、彼女は吉田町の出身であると知った。
 
吉田町とは、江戸時代は御用鮮魚商人や上方と取引する豪商などがいた伊予吉田藩の陣屋跡が残る地である。裏町は職人町で鍛冶屋・桶屋・鋳掛屋などの長屋があり、現在も武家屋敷、土蔵が残っている。
 
そして何より良質な漁場でもある。宇和島で食す魚の活きの良さ。宇和海沿岸海域は海の透明度が高く、栄養に優れた水質を併せ持つため、その入江を活用した養殖漁業が盛んで、全国一の鯛生産を誇るという。その鯛を使った郷土料理である「さつま」を演奏後に食した。
 
この摩訶不思議なおいしさをどう説明したらよいものか。お世話になった彼女に、興奮気味にその感想を伝えれば、「では次回来訪される際にはさつまを一緒に作りましょう。」とあいなった。
 

 
 
さて材料となるのはもちろん起源であるとある漁師が船上で作って食べた通り、鮮魚。しかしもう一つ必須の調味料がある。それは麦味噌だ。
食べてみないとどうにも説明できないこの料理、早速作るしかない。
 

◆材料 4人分
鯛 1尾 / だし汁 1カップ / 麦みそ 200g / 砂糖 少々
[薬味]コンニャク 1/2丁 (しょうゆ、酒、砂糖少々) / ネギ 1/2束 / ミカンの皮 1個分 / キュウリ (夏はキュウリ、冬はネギ) 1/2本 / ゴマ少々 (すり鉢で前もってすっておく)

 
【1】白身の魚を焼いて、熱いうちに身をほぐす。



【2】身に味噌を混ぜ、これをすり鉢の内側に塗りつけ、直火にかぶせて表面を焼いたあと、再びすり混ぜてまた焼く。中途すったゴマを加える(かくし味として)これをきつね色になるまで2~3回繰り返す。







【3】 身をほぐしたあとの鯛の骨でダシを取る。

【4】だし汁が冷えたら、すり鉢に魚、味噌を入れ、どろりとさせ味を整える。

 
【5】 コンニャクを細切りか千切りにし、あくぬきをした後空炒りしてしょうゆ、酒、砂糖少々で味をつける。

【6】 キュウリは小口切りにする(塩揉みの必要はない)。

【7】 汁、洗いねぎ、ミカンの皮のみじん切り、コンニャクをそれぞれの器に入れて、好みに応じて温かいご飯にかけて食べる。

驚きの連続だった。出汁となるのは焼いた鯛の骨。鯛丸ごとを使うというシンプルさと豪快さ。私はフランスで日本の家庭料理を教えているが、その中心となるのは出汁の引き方の実践。昆布と鰹、あるいは椎茸出汁。グルタミン酸やイノシン酸が登場する「UMAMI」の説明は、この焼鯛の骨でとる出汁の前ではなんとも上品すぎる。
 
そして薬味にあるミカンの皮。高知ならば柚子になったのだろうか。いや、ミカンの皮の風味は清涼感というより甘味の要素が鯛の香ばしさと絶妙に合う。何よりも「麦味噌」の存在なくしてこの料理は成り立たないことを知った。赤味噌で育った私にとって、この麦味噌体験はまさにカルチャーショック。裸麦の麹から醸される甘味という発見。
 

 
ちょうど世間では麦と塩のみで作られた麦味噌は「味噌」と名乗ってはいけないという行政指導が行われたことが話題になっていた。食品表示法の「麦味噌」とは「大豆を蒸煮したものに大麦またははだか麦を蒸煮して麹菌を培養したものと塩を加えて発酵させたもの」という規定。大豆を原料に含まないものは味噌と名乗れないとする杓子定規な行政の言い分は、地域の人々にとって日常の食材その名称を脅かすものとなった。
 
同業の作り手達と行政に嘆願書がだされることになり、この問題じたいは名称維持の解決へとおさまった。しかし、本来伝統風土を受け継ぐ加工食品が商品化されることにより、食品成分委員会、保健所、消費者庁などが定義する規格と合わないことから名称表記が脅かされる事例が散見される。地域の自立性と自主性を奨めながらも2023年には農林水産省から発酵食品の基本的認識共有ともいえる冊子が作成されており、その背景には海外における日本食への関心の高まりがあると察する(参考サイト:https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/files/user/pdf/japanese_hakko.pdf)。
 
日本の食文化の分母といえる発酵食品を規格化しようとする現在の動きは、我々一般家庭での食文化とミスマッチを起こしているといえるのではないか。ちなみに我が家では味噌や梅干し、漬物は買うものではなく家庭で作るものだった。
 
後日宇和島で麦味噌を製造している井伊味噌店を訪ねる機会があった。まさに地元の食文化を支えているという佇まい。全国、いや今では海外からの発注もあるそうだ。
 

 
 
さて、さつまになぜ麦味噌が使われるかというと、漁業が盛んな地域にあって、魚独特の臭みを消すには麹の割合が高い味噌がいいからだそうだ。実際に麦味噌は大豆味噌より麹の割合が高く、ゆえに短期熟成で甘味と旨味が立っている。確かに長期熟成の味噌だと魚の風味自体も味噌に負けてしまうと思う。また、麦味噌に使う裸麦の栽培は温暖少雨の気候が適していて収穫量のトップが愛媛県だそうだ。
 
まだまだ謎は続く。なぜ「さつま」と呼ばれるのか。
 
味噌を擦るときに、夫が妻を助けることで「佐妻」と呼ばれるようになったという説や、汁がよくしみ込むよう、椀のご飯に箸で十字を書くことが、薩摩藩主・島津家の紋どころに似ているため、「さつま」と呼んだという説(土井中照著『愛媛たべものの秘密』アトラス出版を参照)。いわゆる冷や汁であるものの、名称は南予独自のものだ。
 
このレシピを教えてくださった、ピアノと声楽の先生である方に、彼女の音楽体験を伺った。宇和島には伊達藩(注:宇和島藩初代藩主は仙台藩祖伊達政宗の庶長子 伊達秀宗)の影響から鹿踊りをはじめ南予独特の祭礼文化がある。どちらかといえば「西洋音楽」との関わりは日常的にはなさそうだが、学校の音楽の授業ではピアノに触れる機会があり、生徒の中でもとりわけ少女は小学校の先生に才能を見込まれ、その先生は授業後もピアノを教えてくださったという。そして東京の音楽大学へ進学したそうだ。
 

 
戦後日本における西洋音楽と楽器の時代的流れが見えてくる。ヤマハピアノの製造開始が明治33年(1900年)。1954年、ヤマハ音楽教室の前身となる「実験教室」が立ち上がった。東京オリンピック後の1965年には量産アップライトの工場が始動する。79年には国内のピアノ市場は最盛期を迎え、生産台数は31万台を数えた。全国に点在するピアノ教室は、子供同士、遊びの延長として音楽を楽しみ、社会性を育むという効果を持ち、子供の心身の成長に合わせて組み上げる「適期教育」と呼ぶ独自のカリキュラムで、小中学校外にあって教育の場となった。80年代にかけて一般家庭へのアップライトの普及率はマックスとなり、ピアノを習うことが一つの情操教育でもあった。現在世界で実践されているスズキヴァイオリンメソードも、その発端に同様の方針がみられるだろう。
 
日本の音楽教育と楽器製造の関係性も興味深い。
公立の小学校ではリコーダーに鍵盤ハーモニカ、小学校の音楽室には足踏みオルガンがあった。機会の平等――部活動としての器楽・ブラスバンド部など、実は楽器に触れる機会は日本の学校空間では平等に与えられていたといえるかもしれない。
 
というのも、フランスで私が教えている私立の中・高等学校では企業メセナ、家庭などから寄付により楽器が購入されるものの、公立学校での楽器の貸し出しは聞いたことがない。そして音楽に触れる機会=授業とは、習い事として個人的なレッスンを受けるか、学外にある公立音楽学校に申請し、週一回程度のレッスンを受けるしかない。すなわち子どもが楽器に触れる機会はレッスン代を支払えるか否かという家庭の家計事情次第、ということでもある。地域にもよるが学外授業として音楽鑑賞の機会はあるにせよ。

明治5年(1872)「学制頒布」によって、「学校」が設立され、音楽がその新しい施設において、「唱歌」という名目によって、教育されることになった。この「唱歌教育」こそ、 わが国の学校教育の場における音楽教育の始まりであり、「音楽科教育」の誕生といえよう。小学校では「唱歌」、中学校では「奏楽」という名で、制度上立派に誕生した。――古田庄平「わが国における音楽教育の歴史的変遷」『長崎大学教育学部人文科学研究報告』通号24(1974.3)参照

軍楽と教育の分野で始まった日本の西洋音楽の歴史。
 
現在世界で活躍する日本人音楽家のルーツを辿ると、このような教育背景の存在が確固として見えてくる。
 

 
3回目の宇和島でのコンサートには、この土地に魅了された話を幾度となくした母も同行した。演奏翌日、宇和海を見下ろすミカン畑から、駘蕩としたその美しさとこの土地の自然の豊かさに改めて感動した。母はこういった。「麻紀のおじいさんはミカン栽培を学ぶために、ここ宇和島を戦後訪れたのよ」と。
 
戦中、いつか生きて祖国に帰った日には、ミカンを山で栽培することを夢見ていた、と祖父が話していたのを耳にしたことがあった。その山とは三重県志摩半島である。
 
真珠の養殖、漁業、そしてミカン栽培。まるで瓜二つなリアス式海岸という地形である二つの土地。食べものもどことなく似ていると思いきや、私にとっては想像もできなかった”さつま”という料理の発想とおいしさに改めて驚くこととなった。
 
なにより土地にある食材から生まれる甘味の生成に感動した。
 

 
今ではフランスをはじめ欧州で味噌を作る人も増えてきた。
 
大豆の普及はまだ少なく、よく聞くのはひよこ豆で作るものだ。そして麹も日本食材店で見かけるようになった。数年前には発酵デザイナーである小倉ヒラクさんが来欧し、味噌講座、そして麹講座もされ、大変な人気であった。
 
私はといえば、ブルターニュ、南仏での味噌作りは思い出深い。子供たちは味噌を指につけて舐め、そして二世代上の方々も一緒になって作り、出来上がった味噌のおいしさを後日語ってくれた。
 

 
食材に触れ、手を使って作り、舌で味わう食の経験は、今を生きる各々の伝統となりうる。西洋音楽はその伝統の系譜にあって、現代を生きる人々に垣根なく奏でられる。
 
すなわち交換する食と音楽は、その地域地域にあって、それぞれの生活や身体に基礎づけられるものであると思う。
 
“さつま”は現在では加工品として売られているものもあるが、味噌作りと同様、家庭で作る手間が楽しみになる、そんな料理だった。
 
 


 
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About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
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