連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈10皿め〉

在りし日のレバノン、ベイルート。 1990年に内戦が終結した今も、通りには銃撃の傷を残した建物と壁が連なる。今を生きる人々のユーモアと混沌。今は銀行が連立する界隈にはかつて市場があり、街の中心で食材を買うことができたと、内戦中この街で生き抜いた友人が教えてくれた。

「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol.8 Sentient activityは(どのように)分けられるのか――構造、自己、信頼の3題噺/平山亮

「名前のない家事」をめぐって始まった平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載。前回からSAを社会的に分有する可能性をめぐり、議論が展開しています。今回は平山さんから山根さんへの応答です。

めんどうな自由、お仕着せの幸福
第4回:80年代パターナリズム論の光と影のなかで《瀬戸山晃一さんとの対話》

那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって語り合う対話連載、今回は京都府立医科大学の瀬戸山晃一さんがご登場です。「三つ子の魂百まで」といいますが、「高校生の悩み、研究者まで」なのでしょうか。瀬戸山さんがじっくりと向きあってきた問いをお話しいただきました。【編集部】

コヨーテ歩き撮り#81

春のイスタンブル。肌寒い小雨の中、丘を登りつめるころには青空に変わり、そこにアヤソフィア(ハギア・ソフィア)が聳えたっていました。輝く建築。東方正教会、カトリック、モスク、そして世俗化。この場所を流れていった千数百年が、たちどころに甦ってくる思いです。

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈9皿め〉

リハーサルの後、あるいは演奏の後はみな腹ペコだ。 途中バナナやもろこし、炒ったり茹でたりしたピーナッツを食べるが、演奏をするそばで女性たちが作っているごはんの香りが気になる。休憩時に彼女たちのそばに寄り、何を調理しているのか鍋の中を覗く。

めんどうな自由、お仕着せの幸福
第3回:ぼくらは100点満点を目指さなくてもいい?《若松良樹さんとの対話》

那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって語り合う対話連載、今回は学習院大学の若松良樹さんのご登場です。じつは学生時代からお付き合いのある同窓のお二人。あいまいなところへ、繊細に近づこうと、久々に差し向かいでお話しいただきました。【編集部】

「名もなき家事」の、その先へ――“気づき・思案し・調整する”労働のジェンダー不均衡
vol. 07 SAの分有に向けてーーケアの「協働」の可能性/山根純佳

「名前のない家事」をめぐる平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載、久しぶりの更新は山根さんから平山さんへ。SAを社会化する=分有の可能性から、【感知・思案】をめぐるジェンダー不均衡是正への道筋を探っていきます。

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