ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた ー人生の欠片、音と食のレシピー 連載・読み物

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた――人生の欠片、音と食のレシピ〈番外編1〉

5月 27日, 2020 仲野麻紀

 

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈番外編1〉旅する小麦
――買う時間、作る時間、あなたとわたしの距離――

 
 

 
友人で、今はパン職人であるやまちゃんは、大学終了卒業旅行で訪れたフォンテンヌブローの森からの帰路、その運命を変えた。
 
午前中の森の中に差し込む春の光。パリへ戻る電車を待つ3月夕暮れ。駅舎は閉まっている。短日つづくプラットホームにあるのは底冷え。
駅近く、唯一開いていたパン屋で買った焼きたてのバゲットをかじる。
東洋哲学を専門とし、就職先も決まっていた彼は、その瞬間パン屋になろうと決心したそうだ。
 

 
この連載をはじめてすでに2年目を迎えます。音楽家から教わった、あるいは音楽がある空間で知ったレシピを綴ってきました。連載トップバッターはわたくし自身の出自を元にした鰯の寿司でした。最後にとってあるレシピも同様の主旨となることでしょう。
 
連載を続ける今日、多くの人が自宅で長い時間を過ごすこの時世の中にあって、ある特定の人から教えていただいたレシピを紹介するより、ひとつの素材の存在に着目することで見えてくる世界を探ってみようと思いました。よって、連載途中閑話として、程度の差こそあれ今この蟄居状況を生きる全世界のわたしたちにとって命を支える食材、小麦粉を使ったレシピをご紹介しようと思います。
 
連載を始めたのは、食べるということへの執着より、何をどのように食べるか、あるいは人類がどのように食べ生き存えてきたかに焦点を当て、またその足跡はどうやら音楽のあり方と密な関係にあると考えたのがきっかけでした。
 
食べることができなくなった時、生きとし生けるものは死に至るーーこのことを、連載がはじまる直前、一滴また一滴と死へしたたり落ちていった大事な人の死によって痛感しました。
 
辰巳芳子さんという料理研究家は、「いのちのスープ」という著書の中で、玄米スープを紹介しています。
病床に臥す彼女の父親へ、ひと匙のいのちを口に含ませる。透き通った、玄米の栄養を凝縮したそれは、愛情の塊といえましょう。
喉をこっくりと通り、胃を経由し細胞に沁みこむ。
この沁み込むという感覚は、音楽でも同様の現象が生まれます。
ギターの、ピアノの、笛が放つ一音が心身奥深くに沁み入る、という経験をされた方はいると思います。
 

 
さっそく小麦粉を使ったレシピをご紹介したいところですが、その前に私たちが小麦粉を手にする過程はお話する価値があると思います。それは、まるで原材料となる素材が人の手を介し楽器として形成され、調弦され、音楽家の元にたどり着くまでの過程ともいえましょうか。
海底が山となる大地の歴史。人々の移動により地の起伏は平になり、作物が育つ時間。
わたしにとって麦という存在の印象は、マンガ、「はだしのゲン」の一巻で、戦時中ゲンが青麦を踏むシーンにあります。
 
小麦と人間の歴史は古く、人類最古の穀物のひとつとされています。多くの古代遺跡から麦の穂や粒が見つかっており、1万年以上前から人類が麦を食していたことは確かなようです。日本には弥生時代に大陸から伝わり、江戸時代には製粉加工したものを、うどんやすいとんのように食していたとあります。そして現在は、武蔵、讃岐……全国津々浦々実に小麦粉を使った料理のまあ多きこと。
 
曲芸師である友人ヴィクトールはこんなことを言っていました。「僕の祖父は小麦の製粉を生業としていてね、と同時に治癒者でもあったんだ」。フランスの田舎の村々には二世代前までは収穫した小麦を製粉することを生業とする人がいました。これらの人々は同時に医者という職業、あるいは病院がなかった地域で、治癒をする人=Guérisseurでもあったのです。おそらくそれは、粉をひくという行為、そして小麦粉を運ぶという身体の使い方を知らなければ体自体が壊れてしまうような重労働により、人間の身体構造を熟知した者たちの副業でもあったのでしょう。
 
また様々な麦に寄生する麦角成分の研究過程の中で幻覚剤LSDを発見、人工的に製造することを可能にした、スイスの化学者A・ホフマンは、その研究由来を、精神病患者への治癒が目的であったといい、その高い効果についても報告しています。
 
麦を食べることで生命を保持し、また麦との関わりによって身体を、精神を治癒してきた人類。
麦を原料とするパンの生成に関しては、その歴史を紐解くと、それこそ人類の歴史とぴったりと重なります。ここからも、わたしたちの命が今の今まで継続しているこの奇跡における、この素材の重要性をみてとることができます。
 
大地との関係性に謙虚さを覚え、麦秋の季節を愛でた人間たちの姿は今、存在するでしょうか。パン屋になったやまちゃんは、こともあろうに小麦粉アレルギーと診断を受け、手は見るも無残なただれた皮膚になっていました。しかし、それは小麦粉自体ではなく、小麦生育に使用された農薬が原因であることは、きっとみなさんも現在の農業世界に蔓延する問題のひとつとしてご存知のことでしょう。
 

 
人は真の情報でなくとも、危機的状況を感知すると、お金を使って食べ物を買い走る傾向にあるようです。
フランスでは、外出規制令が出た直後、真っ先に商品棚から消えたのはパスタでした。そして外出規制下1週間目あたりから、加工されたパスタよりも小麦粉の買い上げが露わとなりました。棚に残っているのは栗粉、米粉。
微笑ましいほどに欧州の食文化、伝統を目の当たりにしました。欧州での小麦粉の存在は、食の底辺を支えるものでもあります。
 
いつしかパン屋さんではパンそのものより酵母(イースト)の方がよく売れる、と売り子が話していました。バゲット一本を買うために外出許可書を毎回印刷し、人との身体的距離を保ちつつパン列に並ぶ。パン屋の前に列をつくる人々の姿をみれば、酵母を買って家で焼きたてのパンを作ったほうがいい、という発想が生まれるのは当然です。
幸い酵母は冷凍庫でも保存がききます。友人は酵母を自宅で作り、それを使ってできたパンの写真を送ってくれました。あいにく彼女が作ったビール酵母で発酵したパンの香りはパソコンの画面からは届かないのですが、それでもあの独特の風味が想像の中で脳を刺激します。
 
ギリシアのアテナイオスは「食卓の賢人たち」の中でパンのことを記述しています。大麦に小麦、全粒粉で作るパン、お供えもの、菓子パン。生地の編み方、焼き方に始まり固形の酵母で焼くと白く仕上がるなど、当時のパンの描写の実に愉快なこと。
 
ご紹介するのはあるパン作りのひとつにすぎません。溢れるレシピ、所持する器械、それぞれの家庭の作り方があると思います。外出規制が始まってこの2ヶ月の間に様々なパンが生まれたことでしょう。皆それぞれの方法がありますが、ここでは簡単に、オーブンと鍋があればできるレシピを紹介します。

 

◆直径20cmパン1個
強力粉 200g 、塩 4g、水 160cc、生イースト 小1個

 
【1】小麦粉、塩、生イーストを木べらで混ぜる。

【2】少しずつ水を加える。捏ねる必要なし。

【3】布巾をかぶせ、12時間~18時間常温で寝かせる。

【4】ダッチオーブンか土鍋にキッチンペーパーを敷き、生地を入れる。

【5】250度にオーブンを予熱し、蓋をして40分焼く。最後の5分は蓋を外す。保存は布巾でくるむ。

 
焼きたてのパンの香りがある空間。
わたしの母は息子二人を連れてアメリカ旅行をするために、自宅でパンを焼き、口コミでそれを売り、手にしたお金を握りしめ1ヶ月の旅へでました。
なぜわたしは彼女たちと一緒に行けなかったのでしょうか? それは、彼女には二つの手しかなかったからです。彼女にとって初めての海外旅行となる70年代のアメリカ。母と手をつなぐことができない三人兄弟の末っ子であるわたしは自宅待機となったのです。
 
これから紹介するレシピで必要となる小麦粉を捏ねるという工程は、否応なしにこの「手」の存在抜きには語れません。
 
日本人であれば日常の食であるうどん。手で捏ねては捏ね、足で踏み、コシを作っていきます。武蔵、上州にはおっ切り込みという食べ方もあるそうです。きっと捏ねるという労働の後、女たちは生地を切っては鍋に入れるという作業にすることで、手の作業の少しの休みとしたのかもしれません。
次に紹介するのはそのうどん製作と似ているものの、伸ばした生地を1枚1枚焼いてから切るというモンゴルの麺です。なんとも言えない食感が新鮮です。
 

◆モンゴル風焼きそば(2人分)
小麦粉 150g、水 80ml、塩 小さじ1、打ち粉(強力粉適量)、菜の花や小松菜(今回は蕪、コールラビの葉を使用)、生姜 1/2片、オリーブ油 適量、オイスターソース 大さじ1、塩、レモン(好みで)

 
【1】 ボウルに小麦粉、水、塩を入れ手で捏ね、耳たぶくらいになったら全体を丸めラップをして冷蔵庫で30分寝かせる。

【2】生地を4等分にし、打ち粉をした台に一つずつ綿棒で丸く伸ばす。

【3】 中火で熱したフライパンに生地を入れ両面焼く(油はひかない)。

【4】 4枚焼きあがったら1cm幅に切り麺とする。

【5】 葉っぱ類は沸騰した鍋に塩ひとつまみ入れ湯がく。さっと湯がいたらザルにあげておく。

【6】 フライパンにオリーブ油を入れ熱し、千切りにした生姜、湯がいた葉っぱ類と麺を入れ炒める。

【7】 オイスターソースを回しかけ全体になじませる。

【8】 レモンを添えてできあがり。

 
前述した辰巳芳子さんは数多ある書著の中で繰り返します。「料理の展開」と。
調理工程には、いくつもの料理に共通している作業があります。いずれもその作業を経て、しかし別の料理に展開、応用していくのです。毎日台所に立ち、時には楽しみながら、繰り返し繰り返しごはんをつくることから生まれるアイデア。工夫を加え、レシピを増やしていく料理をする人間。
 
うどんを作るときに捏ねた生地は、その前段階で一部を別にわけておけば、別の料理に転用できます。
強力粉でつくる生地はピザになったり、いわゆるピタパンになったり、似て非なるナンらしきものにもなります。あるいはレバノンで食されるカリカリに焼き上げるファートゥーシュにも。
 
次に紹介するのは、このように一つの作業から二つの料理に展開する例です。二つとも「包む」という動作から生まれます。
言わずと知れた餃子。そしてウイグルのゴシナンもどきを紹介しましょう。
 
餃子にも、パン同様、家庭で様々な作り方があることでしょう。ここで紹介するのは、ある日わたしの父が夜の散歩をしていた際、道に迷った中国人留学生、漢(ジャ)さんと出会い、学んだものです。出会いは友情を生みました。彼の身元保証人になった父と、高校のスキー合宿をさぼって漢さんの故郷へ共に旅に出た思い出。
漢さんは時々家で餃子作りの会を開いてくれました。たれに細かく刻んだニラをたっぷり入れていたのが印象的です。ここフランスではアジア食品店に行かなければニラは手に入らないため、セロリの葉で代用しました。
 

◆漢さんの餃子 (2人分)
強力粉 1カップ半、サラダ油 小さじ1、ぬるま湯 140ml、セロリ 1本、白菜 2枚、鶏肉のミンチ 100g、生姜 1/2片、にんにく 1/2片、片栗粉 大さじ1、ごま油 大さじ1/2、塩小さじ 1/2、砂糖 ひとつまみ、醤油 少々、胡椒 少々
 
タレの材料:セロリの葉 1/3本分、長ネギ 1/3本、醤油 大さじ3、ごま油 少々、豆板醤 小さじ1/2、黒酢 大さじ2、いりゴマ 少々

 
【1】 ボウルに小麦粉を入れ、真ん中にくぼみを作り、サラダ油を入れる。

【2】少しずつぬるま湯を入れ手で混ぜ合わせていく。全体が混ざったら手で力強く捏ねる。

【3】丸い形になり始めたら、打ち粉をした台にのせ、捏ねてはたたみ、たたんでは捏ねる。

【4】表面がなめらかになったらラップをして15分ほど寝かす。ボウルに小麦粉を入れ、真ん中にくぼみを作り、サラダ油を入れる。

【5】塩を入れ沸騰した鍋にセロリの茎の部分を入れ1分湯がき、ざるに上げ、冷めたら手で水気を絞り、細かく刻む。

【6】白菜をみじん切り、ニンニクと生姜はおろす。

【7】 ボウルに野菜、鶏肉、調味料を入れ混ぜなじませる。

【8】台に打ち粉をひき、餃子の生地を2本の棒状にする。

【9】餃子1個分になるように厚さ2cmほどに切り、ひとつずつ綿棒で伸ばす。

【10】具を生地で包み、沸騰した鍋に入れてゆでる。餃子が浮いてきてからそのまま1分ほどで火が入るが、肉が入っているので、1個試食することを勧める。

【11】セロリの葉、長ネギを細かく刻み、調味料と混ぜ、取り皿に入れる。セロリの葉は癖があるのでお好みで。また肉を使わなければ野菜餃子となります。

 
二つ目は、餃子で使った生地と具で作る、ゴシナンもどきです。
これは後日連載に登場するであろう、ウイグル人姉妹から教わったものの応用編です。
 
「包む」という作業は、その形が変わるとウイグル風になる例。ご存知の通りウイグル自治区はムスリムの方が多いです。というのも彼らの出自はトルコ系諸民族を起源としており、わたしたちが中国由来と知る餃子は、トルキスタンと呼ばれた地域の「包」=マントゥであることがわかります。このことは小麦を題材にした玉利康延さんの記事[食とアニミズム]に詳しく書いてあります。
 
餃子とゴシナンもどきを一緒に作る場合、元の材料を2倍にします。
本来は羊肉のミンチで作りますが、牛肉、豚肉(ウイグルの民はムスリムが多いので豚は食べませんが)でも代用できます。
 
◆ゴシナン風包み焼き(材料は餃子と同じ)
【1】餃子用に作った生地を1/2に分け、台に打ち粉をし、2枚に綿棒で丸く伸ばす。

【2】具を生地の中心に入れ、もうひとつの生地をかぶせ、端を閉じる。

【3】フライパンにサラダ油を敷きゴシナンを置き、蓋をして焼く。

【4】片面に焼き色がついたらひっくり返し、再び蓋をして焼く。

【5】竹串を刺し湯気が立ったら焼き具合は万全。蓋を取り、皮をパリッとさせる。

 
人類の移動により生まれた、小麦粉を使った料理の数々。その系譜を追っていくと鳥瞰的に時空を旅するような感覚を覚えます。
定着する文化、変容する文化。どちらにも生活する人間の姿があります。自然の贈物としてある小麦と私たち人類の関係。
 
今回は小麦粉レシピ1回目とし、次回2回目では音楽と食と貨幣の思索を試みます。
今あるわたしたちの生活は、パーツに分けて営むことの限界にあります。今日ある皿の中の料理、体が欲する音楽、停滞する貨幣経済。すべては循環の中に、すべては互換性と相対的関係の中で営まれる生活=文化に着目したいと思います。
レシピはあと二つ、より簡単にできるものです。どうぞお楽しみに。
 
 

仲野麻紀が演奏の母体としてきたKy [キィ] 2014年のツアートレイラー。
ドキュメンタリー映画「黒い肺、金の腹」、谷内俊文が中国新疆ウイグル自治区の今を追った写真集「Lineage 」、映画「危機的時代におけるセックストーイの使い方」とのコラボレーション。

 

2019年パリ公演はピアニスト、ステファン・ツァピスとのDUO。
 
 


 
《バックナンバー》
〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司
〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
〈11皿め〉風を探す人々――西ベンガル地方、バウルのつくる羊肉のカレー――
〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
〈13皿め〉ジョレスの鍋――マッシュルームのスープ――
〈14皿め〉国に生きる、歴史に生きる――オスマン帝国の肉団子、キョフテ――
〈番外編1〉旅する小麦――買う時間、作る時間、あなたとわたしの距離――
〈番外編2〉旅する小麦――買う時間、作る時間、あなたとわたしの距離――
 

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仲野麻紀

About The Author

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。