連載・読み物

コヨーテ歩き撮り#73

夢に牛が出てきました。それがいつのまにか本物じゃなくて、かわいいアニメみたいになってて。目覚めてから「どこかであんな牛の絵を見たな」としばし考えて思い出したのがこれ。ロスアンジェルスの人気エチオピア料理店の壁画です。働き者の牛たちは家族。

治らなくても大丈夫、といえる社会へ
vol.02 誰かを責めるのをやめませんか?――1960年代末、「嫁さんが悪い」と言われ続けた人

今回は「痴呆」という言葉さえ一般的ではない時代に義母を介護していた女性のお話を通じ、介護する人・される人と周囲の人との関係を考えます。50年前と現在で、何が変わり、何が変わらないのか――そんなお話が展開します。

Biblioscope 本占いと人生相談〈第2回〉レインボー金魚の選択

今回はセクシャル・マイノリティからのご相談。セクマイ、って略語はいまのところ、好きになれないので使いません。近ごろ聞くことが増えたセクシャル・オリエンテーション・ジェンダー・アイデンティティ(SOGI)が多様であることは了解、で、SOGIマイノリティのこと、なんて呼ぶ、という話。

コヨーテ歩き撮り#71

台中の街を歩いていたら、公園にこんなジャングルジムみたいなものがありました。へんな格好だな、と思いつつ歩きすぎようと思って、ある角度にくるとオヤッ? 突然正体が見えました。そう、法國闘牛犬です。つまりフレンチブル。とたんにかわいく思えてきました。

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた
――人生の欠片、音と食のレシピ〈7皿め〉

ギリシャ人の父、フランス人の母を持つピアニスト、ステファン・ツァピスStéphane Tsapisと共に演奏を始めてかれこれ16年ほど経つ。音楽の在る場での出会いが今まで続いているのは彼の出自を色眼鏡でみて興味をもったからではなく、単に彼の演奏に魅了されたから。

治らなくても大丈夫、といえる社会へ
vol.01 「安楽死」と書いてくれたあなたへ

認知症患者の思いやその人らしさを尊重する介護――現在私たちの社会は、そうした介護を目指すべきものとして掲げている。しかしそうした理念は、突然私たちの社会に生まれてきたのではない。それは長い歴史をかけて、介護に関わる人びとが作り上げてきた、私たちの社会の一つの到達点なのだ。認知症という病名がないどころか、「ボケ」や「痴呆」といった言葉すら身近でない時代に介護を経験した人。介護保険といった制度もない時代に、介護家族が相談できる場を立ち上げ、在宅での看取りを目指した人……。介護家族の悩みの歴史を辿りながら、「治らなくても大丈夫」といえる社会のあり方を構想する、気鋭の社会学者による連載です。【編集部】

ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた――人生の欠片、音と食のレシピ〈6皿め〉

パリ19区。 この区の西と北は、移民が多く住む地域とされている。 同区東の方にあるビュット・ショーモン公園を囲む地域はボボ(プチブル)が住み、早朝週末はジョギングに精を出すパリジャンの姿。 パリ生活の時間の多くはこの移民街で過ごすわけで、道端では、紋切り型な言い方になるが多言語が飛び交い、軒を連ねるハラルの店では羊の頭の丸焼きが並ぶ。母国、北アフリカやサハラ以南の地域に送るダンボール箱が積まれた運送屋や、色鮮やかな生地が積まれた仕立て屋。 これがわたしにとってのパリの日常だ。

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