コヨーテ歩き撮り#85
イスタンブルは猫の街。カフェに行くと、テーブルごとに、「何かちょうだい」的猫ちゃんが待ってます。かわいい。
イスタンブルは猫の街。カフェに行くと、テーブルごとに、「何かちょうだい」的猫ちゃんが待ってます。かわいい。
アーモンドも、ピーナツも、ひまわりの種も。植物の命のエッセンスを、感謝とともにいただきましょう。イスタンブルの市場にて。
那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって語り合う対話連載、今回は名古屋大学の田村哲樹さんがご登場です。政治学者として、ずーっと「熟議」を研究してきた田村さんは、じつはその熟議と食い合わせがあんまりよくないナッジも射程に入れて議論なさってきました。「政治」をめぐる初歩的な話から、ミニ・パブリックスなどなど、どうぞお楽しみください。【編集部】
ざくろといえばペルシャを思い出しますが、中東一帯の代表的果実。トルコでもたくさんたくさん使われます。一粒ごとに、宝石のような美しさ。抗酸化の味わいが、体にしみわたる。
昨年夏、本連載をまとめた『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』が単行本になりました。その後、ゼミやワークショップで使っていただく機会も増えたようです。著者の畑仲哲雄さんから、「こんなふうに使っていますよ」という使い方の紹介記事が届きました。今回は具体的なケースではありませんが、番外編の使い方事例をお届けします。[編集部]
在りし日のレバノン、ベイルート。 1990年に内戦が終結した今も、通りには銃撃の傷を残した建物と壁が連なる。今を生きる人々のユーモアと混沌。今は銀行が連立する界隈にはかつて市場があり、街の中心で食材を買うことができたと、内戦中この街で生き抜いた友人が教えてくれた。
「名前のない家事」をめぐって始まった平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載。前回からSAを社会的に分有する可能性をめぐり、議論が展開しています。今回は平山さんから山根さんへの応答です。
ボスポルス海峡はヨーロッパとアジアを隔てつつむすぶ海。フェリーの甲板から群れ飛ぶかもめたちを見ながら、disjunctive conjunction というフレーズを思い浮かべていました。
那須耕介さんがナッジやリバタリアン・パターナリズムをめぐって語り合う対話連載、今回は京都府立医科大学の瀬戸山晃一さんがご登場です。「三つ子の魂百まで」といいますが、「高校生の悩み、研究者まで」なのでしょうか。瀬戸山さんがじっくりと向きあってきた問いをお話しいただきました。【編集部】
春のイスタンブル。肌寒い小雨の中、丘を登りつめるころには青空に変わり、そこにアヤソフィア(ハギア・ソフィア)が聳えたっていました。輝く建築。東方正教会、カトリック、モスク、そして世俗化。この場所を流れていった千数百年が、たちどころに甦ってくる思いです。