コヨーテ歩き撮り#38
さあ、夏。でっかい四角い西瓜に、頭ごと潜っていきたい。台湾・花蓮の街角から。
さあ、夏。でっかい四角い西瓜に、頭ごと潜っていきたい。台湾・花蓮の街角から。
哲学的ゾンビと呼ばれる思考実験があります。オーストラリアの哲学者、デイヴィッド・チャーマーズが考案した唯物論に反対する議論です。チャーマーズは、「意識」は空間や時間と同様に宇宙の根本原理の一つであり、物理によって意識を還元する(物理的事実によって意識を説明する)ことはできないだろうと考えています。彼は、情報論的汎心論とでもいうような立場をとっており、一貫性のある情報処理系には原初的な意識の萌芽のようなものが自動的に宿ると考えます。
梅雨明けまえ、東京でも狂ったような夕焼けが見られることがあります。宇宙の火災。信号機は何かのメッセージ。
何がきっかけだったのだろう、マンガかアニメ、小説か映画、それともどこかで目にした姿やうごきからなのかもしれない、めいはサイェが何かと言えば「にゃあ語」をつかうようになったのだ。
かばんは人間という種の特徴が個体化してギャラクター化された、人間という種のシミュレーションのような存在であるはずです。人間がいなくなった世界で生まれた、人間という形象のシミュレーション。この意味でかばんは、人間のもつ愛情を模倣したプログラムを搭載し、人類絶滅の後にAIの前でそれを演じてみせた、『A.I.』のアンドロイド、デイビッドに似ています。かばんもデイビッドも、「人間でもなく、人間でもなくもない」という二重の否定で表現されると言えます。
外部制作の紙面がノーチェックで掲載されるといわれると、記者ならだれしもギョッとしそうです。でも実際にあるそういう取り組みから、何か見えてきませんか?[編集部]
アンダルシアの名物料理のひとつ、冷たいスープのサルモレーホ。パンでとろみをつけたトマトとにんにくのスープ(これに対してここではガスパーチョはとろみが少ない)。真夏には40度を超える土地、体にしみわたります。
「茎わさびがきざんでのっているおそばもおいしかったけど、 かねの音がね、よかった。
ときどき道路に雑誌や本が積みかさねてある。ゴミの収集日の朝だ。 モノがゴミになるのはいつからかな、とおもいながら、ゴミ袋を横目にみる。でも雑誌があるとついつい、立ちどまってしまう。
スペイン、アンダルシア地方の古都グラナダは、ガルシア・ロルカの街でもあります。ここの国際詩祭に招待され、自作を朗読しました。空き時間は、もっぱら街歩き。かつてユダヤ教、イスラム教、キリスト教が共存した、中世のアル・アンダルースに思いをはせながら。なぜか、すべてが美しい街。