ごはんをつくる場所には音楽が鳴っていた――人生の欠片、音と食のレシピ〈17皿め〉

About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
Published On: 2020/9/25By

フランスを拠点に、世界中で演奏する日々をおくるサックス奏者の仲野麻紀さん。すてきな演奏旅行のお話をうかがっていたある日、「ミュージシャンは料理じょうずな人が多いんですよ。演奏の合間に、そのおいしいレシピを教えてもらうこともありますよ」と。「えー、たしかに耳が繊細な人は舌も繊細そう(思い込み?)。そのレシピ、教えてもらえないでしょうか!」ということで、世界中のミュージシャンからおそわったレシピをこちらでご紹介いただきます。
料理は、その人が生まれ、育ってきた文化や環境を物語るもの、人生の欠片ともいえます。世界各地で生きる人たちの姿、人生の欠片のレシピから多様なSaveur 香りが届きますように。【編集部】

 
 

〈17皿め〉葡萄の葉の詰め物
――シリア故郷喪失 ただここに鳴る音――

 
 

 

シリア内戦10年目。現在約1100万人以上の人々が国内外で難民になっている。内戦前の人口の半分以上の数だ。途方にくれる数字を前に、何を想像できるだろうか。ニュースで流れる映像に、物語は語られない。
 
連載6皿目に登場したシリア難民のヤシール。アラビア語歌詞の発音を教えてもらった彼との出会いはフランス西部に位置する半島、ブルターニュ。800人が住む村に難民として迎えられた彼とその家族。
 
彼らの新たな生活に日々接して受けた印象は、「みんなで手分けして」だった。小学生になる二人の子を連れて、住民と片言のフランス語でやりとりするヤシールの奥さんムスキン。子供を介した関係性は、より容易に、より親密になる。村の行事に率先して協力するヤシール。
 
彼らがここにたどり着く前、村は La maison de réfugiés「難民の家」という一軒家の改装を始めた。元々は週に3日だけ開く郵便局だったが、2011年以降難民を受け入れるために、村民が塗装や修理を施し、それぞれが生活道具を提供した。電気屋さんは中古の洗濯機や冷蔵庫を無償で運び、彼らの来訪を待った。皆で力を合わせ、個々ができることをすることで難民の助けになれば、という扶助行為、それに伴う達成感は、港の近くにある、もう少し大きめのバラック小屋も改装する動きとなった。
 
ところがある日の夜、なんとその小屋が燃えたのだ。間違いなく放火だった。
住民たちで決めた難民受け入れに対し、ある団体がこともあろうにこの小さなコミュニティーまで来て、家を燃やすとは。
翌日にはテレビクルーや新聞記者たちが訪れ、難民受け入れに反対する別の地域に住む人々とこの村の住民との一悶着があった。
 
この小さな港町に押し寄せるレイシズムの軋みをみた。世界の縮図なのだろうか。
落胆の中、それでもようやくシリア人家族を迎え、ささやかなカミングパーティーを行った時、この村に住む人々の連帯を肌で感じた。
 

 
ヤシールたちは、ある支援団体を通じて、イラクとトルコに囲まれたシリア北東部の主要都市であるハサカ Al Hasakahからフランスに辿り着いたという。
 
「僕らは、運がよかったんです。」
道程のことなど聞くことができない。何を見て、何を纏い、何を食べて眠りにつき……etc. ここまでの時間を今、彼らに聞くことはできない。ただただ、日常の生活というものを取り戻すための一歩に寄り添うことしかできない。
 
前述した通り、ご近所さんとしてのお近づきに、アラビア語の歌詞の発音を教えてもらおうと、彼らが住む家の扉を叩いた。
ようやく手に入れた日常生活という安定の中、無垢な子供達はすでに達者なフランス語でわたしを迎えてくれる。少しずつ、彼らがどのような生活をシリアで営んでいたか、知ることとなった。
 
経済的には決して裕福ではないのに、家を訪ねれば、手作りのお菓子やちょっとしたシリアのごはんを振舞ってくれた。台所に立つのはムスキンなのだが、ヤシールはハサカのレストランで働いていたという。二人とも家でのごはんをとても大切にしている。
 
なるほど、家庭のごはんをつくることで維持される彼らのアイデンティティ。フランスという土地で彼らがつくるシリアのごはんとは、心と体の拠り所であるのだと思った。今ではスーパーマーケットで香辛料やタヒーニ(ゴマのクリーム)、アリッサ(唐辛子のペースト)など手に入る。足りない食材は土地にあるもので代用する。核となるのは、彼らの舌であり、胃袋だ。
 
ある日ムスキンが、葡萄の葉の料理を一緒に作りませんか、と誘ってくれた。その伝統的なごはんとは、ギリシャ、アルメニア、アゼルバイジャンなどバルカン地域、トルコにわたって、そしてある時期は地中海の東に位置するシリアからパレスチナにわたって、鉄道が走っていたという事実の上にある。その鉄道がつなぐ同系の食文化圏――地中海沿岸中東地域、湾岸アラビア半島からマグレブ地域といった広範囲で食されるものだ。
 
手作業で、具を葡萄の葉一枚一枚で包むそれは、女たちのおしゃべりと共にあり、そうした時間の中でつくられる料理だ。
 
さて、毎年5月にこの村で行われる音楽祭で演奏した、シリア人フルート奏者ナイサム・ジャラルの奏でるマカーム(アラブ音楽でいう音階)、シリアへ捧げる音楽を聴きながら、ゆったりとした時間の中で、葡萄の葉の一皿を作るとしよう。
 

ナイサム・ジャラルの演奏

 

葡萄の葉の詰めもの Warak Enab (約4人分)

葡萄の葉 50枚、米 1合、ミントの葉 数枚、レモン 1/2個、羊ひき肉 150g、骨つき肉 100g(羊、または牛、鶏)、ニンニク 1片、トマト 1個、オリーブオイル 大さじ2、オールスパイス 小さじ3、塩コショウ、水(あるいはブイヨン)

 
【1】葡萄の葉(できれば春季に摘んだもの)を熱湯で2~3分茹でる。中心にある芯の部分は取り除く。あるいはハラールショップで瓶詰めのものが入手できる。

【2】米を洗う。

【3】ひき肉、米、刻んだミントの葉、レモン半個分の汁、オリーブオイル大さじ1、オールスパイス小さじ2、塩コショウ小さじ2をボールの中で混ぜ合わせる。

【4】葡萄の葉(ツヤのある面を表とする)に中身を少量入れ、包む。米がふくらむので詰め過ぎないこと。



【5】鍋の底にぶどうの葉を2~3枚敷き、スライスしたトマトも敷く。その上に包んだ詰め物を隙間ができないようにきっちりと敷き詰め、スライスしたニンニクを散らし、骨つき羊肉(その他の骨つき肉も可)の乗せる。水カップ1に塩コショウ小さじ2、オールスパイス小さじ1、オリーブオイル大さじ1を混ぜ、鍋に注ぎ、押し蓋あるいは皿を乗せて火にかける(最初強火で沸騰しはじめたら中火以下で約45分)。

 
骨つき羊肉をいれることでコクがでるが、必須ではない。チキンブイヨンでも可能。熱々もよし、冷製の前菜としても食せる。
 

 
この村には年に一度、19世紀から1930年まで使用されていた漁師たちの帆船を保存するアソシエーション団体がオーガナイズするお祭りがあり、夏季ヴァカンスシーズンには乗船することができる。
 
祭りの目玉は、ロワール地方のワインを、海に一年間沈ませたそれのお披露目。岬にある高級ホテルレストランのソムリエがレストランでの出立ちそのままで試飲品評をする。なんでも海中圧力でワインの熟成が早まるのだとか。フジツボや海藻がびっしり付いたワインを引き上げるその瞬間、港に歓声があがる。アソシエーションのメンバーが無償で働く屋台での料理や音楽が供される。
 
ある年、なんと船の上でサックスを演奏してくれないかという依頼がわたしにおとずれた。帆船に引き上げられたワインはゴエモンと呼ばれる海藻の上に並べられるのだが、その横に立ってサックスを奏でながら港にたどり着く、という演出。伝統的なブルターニュの曲に日本の民謡など取り混ぜ、そこにヤシールに教えてもらったアラビア語の歌も加えた。彼の子供たちも歌に合わせて港で踊っている。船から降りると、ヤシールとムスキンが挨拶にきた。彼らの満面の笑顔に少しの涙を見た。
 
生活するこの村で歌う、ただただここに鳴る音。
どんな大きなコンサートホールで、あるいは無数の人々が視聴するテレビなどで演奏するより、インティメイトな関係の中に響く音こそが、わたしにとっての生きた音楽であると実感した瞬間だった。大切な、忘れがたきこの時間とは、音楽という宝物に抱擁されるという感覚の中にあった。
 

 
シリア内戦に限らず、あらゆる戦争の背景にあるのは武器、兵器そのもの存在だ。武器をつくっているのは誰であるか、すでにわたしたちは知っているはずだ。それによって生まれる経済の流れを知っているはずだ。
 
武器とは防護のためではなく、他者を殺すものであるという事実をこれ以上偽ってどうするというのか。防衛という言葉を前に、わたしたちは武器の存在を肯定する。その先にあるものは?
無数の死。
荒廃した街から生きるために移動する人々。
 
パレスチナの作家、ガッサーン・カナファーニーの「太陽の男たち」(『ハイファに戻って/太陽の男たち』黒田寿郎ほか訳、河出文庫)は、生きるために移動を選んだ男たちの末路を描いた作品だ。越境、難民、死は目の前にある。動かないことにより死は目の前にそびえ、動くことにより死を回避する。移動のリスクに生の継続の可能性をみる。
ここにとどまるのか、それとも二つしかない手で子等を抱えて越境するのか。
 
誰一人なろうと思って難民になるはずがない。彼らは国に放逐されたのか。祖国と呼ばれるものとは何なのだろう。国家と呼ばれるものの定義は何なのか。
「生きる」と「死ぬ」という対義的言葉と常に隣り合わせで生活する人々。毎時毎分、今日そして明日の命の存在を意識する世界。
ただそこにいる、ということが許されない社会とはどんなものなのか。
 

 
ヤシールたちはしばらくして人口13万人のヴァンヌという街に移った。村での生活は牧歌的で、生のリズムを取り戻すには適していたが、働く場所がない。シリア難民コミュニティーの中で、あるプロジェクトが生まれた。それは市や県が支援するシステムを使ってレストランを開くことだ。
 
彼らが村を去ってしばらくした頃、地方新聞にヴァンヌに新しくオープンしたレストランが紹介されていた。そこに書かれていたのは、当事者が語り、それを聞き、聞いた誰かがそれを誰かに語り……直接言葉を介することで生まれる物語だ。食が導くことによって、彼らとわたしたちの間に生まれる物語、あるいはわたしたちがあらたに誰かと生み出していく物語。
ニュースや新聞で知る情報。その情報を得たわたしたちが、その先に一歩踏み出すアクションから、そこから物語が生まれる。
 
その後、ヤシールとムスキンに3人目の子供が生まれた。祖国を後にし、たどり着いたブルターニュというローカルな土地。彼らの子供たちはやがて成長し、彼ら自らの手で、この土地に人生の物語をつくるだろう。
 
生活の中で生まれるアイデンティティは、日々アップデイトされ、確固とした根をはることになるだろうか。いや、根は場所にはるというわけではない。個の内側に、あるものなのだ。

ドゥルーズの発する問いは「今日われわれのノマドとはどのようなものか」である。肝心なのは、空間を占める者が、自分のいる「その場」を実際に境界が無効になる場所にすることのないオープンな空間にできるかということなのだ。たとえ瞬間的であったとしても、誰のものでもない「ノーマンズ・ランド」をひらき、垣根のない歓待の空間をつくること。ドゥルーズが「ノマド」と呼んでいるのは、自己固有の領土や持ち分を主張することなく、さまざまな他者を受け容れるひらかれた空間をつくろうとするすべての者のことである。
(『ドゥルーズキーワード89』芳川泰久・堀千晶、せりか書房)

 

 
彼らと接することで、わたしは傍観者になれないということを教わった。
もちろん彼らとの関係性を回避することはできる。しかしこの地球に生きる者は、すべては空間的ノマドであることを、今わたしたちは身をもって知っているはずだ。
 
難民、彼らは闖入者ではない。
自らが、目の前にいる彼らになりうるという想像。
 
しかしテリトリーという概念の中で、知らず知らずのうちにわたしたちは空間に線をひいている。家とはまさにその際たるものだ。外部から守るための、家。
ごはんや音楽といった存在は、その線引きの意味を無効にするのに一役買う。空間と時間を共有するということだ。
 
生身の人間と接し、生きる空間と時間を共にするということ。共同的感覚とでもいうのだろうか。そして生活圏を共にすることを前提とするコミュニティーの中では、傍観者にはなれず、みなが当事者になる。その当事者たちの空間では、たとえ、ある落胆、超えられない差異をみることになったとしても、目の前にある世界の絶望に対して、少しだけ微笑むことができると思う。なぜならば、他者はわたくし自身であり、わたくし自身が他者であるということが、この世界の事実なのだから。
 
めぐりめぐって今あるわたしたちの命の源を想像する時、様々なローカルという土地で生きてきた人々の底力を知ることとなる。
ここでいうローカルとは、小さな、名もなき、ひっそりと生きる人々のことを指す。ひっそりと、しかし皆が当事者であるコミュニティーをつくっている。これまでも、そしてこれからも、最小単位の生きる営みへのリスペクト、意識を、わたしたちは保持しうるだろうか。
 
ヤシールとムスキンの家族は、ブルターニュという地をいつの日か故郷と呼ぶのかもしれない。
 
故郷喪失……ではなく、世界が故郷であるという転換的発想を味方にすること。それこそが、本来わたしたちが携えるべき心の武器なのではないだろうか。
 
 


 
《バックナンバー》
〈1皿め〉サックス奏者、仲野麻紀がつくる伊勢志摩の鰯寿司
〈2皿め〉シリア人フルート奏者、ナイサム・ジャラルとつくるملفوف محش マルフーフ・マハシー Malfouf mehchi
〈3皿め〉コートジボワール・セヌフォ人、同一性の解像度――Sauce aubergine 茄子のソースとアチェケ――
〈4皿め〉他者とは誰なのか Al Akhareen ――パレスチナのラッパーが作る「モロヘイヤのソース」――
〈5皿め〉しょっぱい涙と真っ赤なスープ――ビーツの冷製スープ――
〈6皿め〉同一性はどの砂漠を彷徨う――アルジェリアの菓子、ガゼルの角――
〈7皿め〉移動の先にある人々の生――ジャズピアニストが作るギリシャのタラマΤαραμάς――
〈8皿め〉エッサウィラのスーフィー楽師が作る魚のタジン――世界の片隅に鳴る音は表現を必要としない――
〈9皿め〉ブルキナファソの納豆炊き込みごはん!? ――発酵世界とわたしたち――
〈10皿め〉オーディオパフォーマー、ワエル・クデの真正レバノンのタブーレ――パセリのサラダ、水はだれのもの――
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〈12皿め〉生きるための移動、物語――アルバニアのブレクBurek――
〈13皿め〉ジョレスの鍋――マッシュルームのスープ――
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〈15皿め〉消される民、消える文化――ウイグルの肉包みパイ・ゴシュナン――
〈16皿め〉サン=バルテレミー島 干鱈の揚げものアクラ――民衆の音、贄を海辺で燃やす――
 

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About the Author: 仲野麻紀

なかの・まき  サックス奏者。2002年渡仏。自然発生的な即興、エリック・サティの楽曲を取り入れた演奏からなるユニットKy[キィ]での活動の傍ら、2009年から音楽レーベル、コンサートの企画・招聘を行うopenmusicを主宰。フランスにてアソシエーションArt et Cultures Symbiose(芸術・文化の共生)を設立。モロッコ、ブルキナファソなどの伝統音楽家たちとの演奏を綴った「旅する音楽」(せりか書房2016年)にて第4回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。さまざまな場所で演奏行脚中。ふらんす俳句会友。好きな食べ物は発酵食品。
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