「憲法学の散歩道」単行本化第3弾! 書き下ろし1編を加えて『思惟と対話と憲法と――憲法学の散歩道3』、2025年10月15日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部]
プラトンの対話篇の一つに「エウチュプロン」がある*1。さほど有名な対話篇とは言えないであろう。登場人物はソクラテスとエウチュプロンの二人だけ、エウチュプロンは若い預言者である。扱われているテーマは、敬虔(eusebeia; piety)とは何かであるが、確たる結論にいたることもなく、二人の対話は唐突に終わる。
対話の表面的な流れは、次の通りである。
ソクラテスは、バシレウス(basileus)の役所の前でエウチュプロンと出会う(2a)。バシレウスは祭祀を司るほか、不敬神に関する公訴と殺人に関する私訴を管轄していた*2。ソクラテスはアテナイの父祖伝来の神々を否定して新しい神を導入し、若者たちを堕落させた罪でメレトスに訴えられたため、予備審問のためにバシレウスの役所に出頭するところである*3。
他方、エウチュプロンは、自分の父親を殺人罪で訴えるためにやってきた(4a)。父親は、自家の奴隷を殺した雇人の手足を縛って溝の中に投げ込み、事件をどう処理すべきかを役所に問い合わせていたが、その間に雇人は死んでしまった。そこで父親を訴えにきたとエウチュプロンは言う。
ソクラテスは、そうした複雑な事情の事件で自分の父親を殺人罪で告訴すれば、それこそ不敬虔だということにならないのかと問う(4e)。エウチュプロンは、自分は何が敬虔で何が不敬虔かを正確に知っていると答える。何しろ、彼は預言者なのだから。つまり、神々に関する専門家である。
ソクラテスは、何が敬虔で何が不敬虔か、是非教わりたいとエウチュプロンに言う(5a)。そうすれば、自分が不敬虔の罪で訴えられる理由のないことを明らかにすることができるはずである。エウチュプロンは快諾する。
ところがエウチュプロンは、何が敬虔かについて、相互に矛盾する答えを次々に繰り出す。彼の最初の答えは、今自分がしていること、つまり不正を犯した父親を告訴することが敬虔だというものである(5d)。もっとも正しい神であるゼウスがしたこともそれである。
父祖伝来の神話によれば、ゼウスの祖父にあたるウラノスは、妻ガイアとの間にもうけた巨人たちを憎んで地底に投げ込んだため、ガイアに唆されたティタン族のクロノスが、ガイアに与えられた大鎌でウラノスの生殖器を切り取って海に投げ捨て、父の支配権を奪った*4。そのクロノスも、妻レアとの間にもうけた子らを次々飲み込んだため、怒ったレアはゼウスを密かに産み育て、成長したゼウスはクロノスの吐き出した兄弟神たちと共に戦ってついにクロノスとティタン族を大地のはるか下のタルタロス(Tartarus)に幽閉した*5。つまり、クロノスもゼウスも、不正を犯した父親に制裁を下している。
つづきは、単行本『思惟と対話と憲法と』でごらんください。
遠い昔の学説との対話を楽しみつつ、いつしか「自意識」が揺さぶられる世界に迷い込む。憲法学の本道を外れ、気の向くまま杣道へ。
2025年10月15日発売
長谷部恭男 著 『思惟と対話と憲法と』
四六判上製・216頁 本体価格3200円(税込3520円)
ISBN:978-4-326-45147-0 →[書誌情報]
【内容紹介】 書き下ろし1篇を加えて、勁草書房編集部webサイトでの好評連載エッセイ「憲法学の散歩道」の書籍化第3弾。心身の健康を保つ散歩同様、憲法学にも散歩がなにより。デカルト、シュミット、グロティウス、フィリッパ・フット、ソクラテス、マッキンタイア、フッサール、ゲルバー、イェリネク等々を対話相手の道連れにそろそろと。
「憲法学の散歩道」連載第20回までの書籍化第1弾はこちら⇒『神と自然と憲法と』
「憲法学の散歩道」連載第32回までの書籍化第2弾はこちら⇒『理性と歴史と憲法と』
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