エトムント・フッサールは現象学の祖である。彼は判断停止(epoché)による現象学的還元という手段を用いて意識の構造を分析した。
人の意識には志向性(Intentionalität)がある。庭の梅の木を見る、ショスタコヴィチの交響曲第5番を聴く、軽やかなピノ・ノワールを味わう、フッサールはフライブルク大学の教授だったと考える。対象を見たり、感じたり、考えたりする。そのとき人は意識している。
意識の内容は「梅の木」、「第5番」、「ピノ・ノワール」「フッサール」であり、そうした意味(Sinn)を持つ。人は意味を通じて対象を意識する。フッサールは、意識の内容をノエマ(noema)と呼んだ(複数形はnoemata)。人はノエマを通じて対象を意識する。
人は、通常、自分の意識の内容と対象とを区別することはない。単に庭の梅の木を見るのであって、「梅の木」という自分の意識内容を通じて、現に庭に生えている梅の木を見ているとは考えない。
そこで判断停止という手続が必要となる。庭に生えている梅の木が現に存在するか否かについての判断を停止する。梅の木が実在するかという問題をいわば括弧に括ることで、自分の意識の内容である「梅の木」の存在が浮かび上がる。庭の梅の木と意識の内容である「梅の木」は別物である。
しかし、括弧に括ろうとしても括ることのできないものがある。「梅の木」を意識している自分自身である。
同じことは、交響曲第5番を聴いている自分、ピノ・ノワールを味わっている自分、フッサールはフライブルク大学の教授だったと考えている自分についても当てはまる。意識している自分自身の存在は疑いを容れる余地がない。意識作用なるものが成り立つための必然的な前提である。
フッサールはこの事態を指して、必然的な前提である自我自身は超越論的だと述べることがある*1。カントの超越論的認識論にヒントを得た言い方であろう。カントが、アプリオリな認識作用がそもそも成り立つための条件が何かを考察したのと同様、フッサールは、意識作用が可能であるための条件が何かを考察した。
しかし、フッサールは、われわれにとって認識可能なのはノエマとしての「梅の木」だけであって、庭の梅の木そのものではないと考えているわけではなさそうである。カントのように現象界と本体界を区別して、前者のみが認識可能だと考えているわけではない。
彼は、庭の梅の木と意識の内容である「梅の木」とは異なると言う。庭の梅の木は、丸焼けになったり、化学的要素に解体されたりすることがある。しかし、意識された意味内容としての「梅の木」は丸焼けになったり、化学的要素に解体されたりすることはない*2。庭の梅の木は実在する。それは丸焼けになったり、化学的要素に分解されたりする。
もちろん、意識作用の必然的前提である自分自身と同等の疑いようのない実在として庭の梅の木が存在するというわけではない。フッサールは、われわれを取り巻く世界の存在の絶対的確実性を証明してくれるものはないと言う。世界をどれだけ経験し、観察したからと言って、そうした証明を考え出すことなどできない*3。それでも、梅の木は存在するとわれわれは考える。
フッサールは明証性には程度の違いがあると言う*4。自我の存在と同等の疑うべからざる明証性が庭の梅の木の存在について成り立つことはない。それでも、庭の梅の木の存在は明らかである。フッサールがフライブルク大学の教授であったことが明らかであるように。
フッサールによると、自分と異なる他の人間に直観的な感情移入(Einfühlung)を行い、そこにある身体を伴う心的生活に経験的考察を向けることで、われわれは完結的な統一体としての人間を構成し、その統一的人間像を自分自身へ転用する。統一体としての他人の構成以前に自分自身の心と身体の統一があるわけではない。他の人間と自分とは、共に構成され現前する*5。
われわれの日常世界は、木や石や動物のような自然的事物によっても、自分の意識の主体(自我)や時間に沿った意識の流れによっても、人々によって構成される大学や株式会社や国家のような文化的事物によっても成り立っている*6。明証性の程度に違いはあれ、それらは存在し、意識作用の対象となる。
法哲学者の尾高朝雄はフッサールの指導の下、フライブルクで留学生活を送った*7。帰国後の1936年に彼が公刊した『国家構造論』は、「緒論 国家の認識」において、フッサールの現象学を参照しながら議論を展開している*8。
ただ本論、とくに第5章以降においては、フッサールは後景に退く。頻繁に引用されるのはハンス・ケルゼン、ゲオルク・イェリネク等の公法学者か、マックス・ウェーバー、フェルディナント・テンニース等の社会学者である。ただ、フッサールの影響が消失したわけではない。おそらくはその証左と言い得るのが、ケルゼンの根本規範(Grundnorm)を論ずる第57節である。
本節を読んだ者は、何とも形容しがたい違和感に襲われるに違いない。議論の対象となっているのはたしかにケルゼンの根本規範論であり、その内容に対応する議論もなされてはいるが、全体としてケルゼンとは全く異なる軌道上を走っているかのような印象を受ける。なぜであろうか。
これは筆者の推測であるが、おそらく尾高は、フッサールの根本規範の概念に即してケルゼンの根本規範を理解しようとしている。フッサールを全く引用していないにもかかわらず。
日本の憲法の教科書では、ケルゼンの根本規範について、次のような説明がなされることが多い*9。
ケルゼンは、そのいわゆる「根本規範」は、それ自身は実定法ではなく、法論理のうえで、仮設的に、実定法の前提として認められるもので、実定的に定立された(gesetzt)規範ではなく、思惟のうえで前提された(vorausgesetzt)規範にすぎないという。
これでは、何のことだかよく分からない。ケルゼンが言いたいのは、次のようなことである。世の人は普通、法律、命令、条例等の実定法には従うべきものだと考えている(そうでない人もいるが)。なぜであろうか。そうした事態が成り立つための条件(超越論的前提)が存在するはずである。
たとえば新宿区の条例に従わなければならないのはなぜだろうか。条例の内容が道徳的に正しいから、という回答はできない。何が道徳的に正しいかについては、人によって見解が区々に分かれる。ケルゼンは徹底した価値相対主義者であった。
しかも、条例という規範の根拠となるのは、別の規範のはずである。事実と規範とが峻別される以上、事実から規範を導くことはできない。候補になりそうなのは、条例の上位の規範、ここでは地方自治法が新宿区に条例の制定権限を認めているからという回答である。
ではなぜ地方自治法という法律に従うべきなのかと言えば、その上位にある憲法が国会にそうした法律を制定する権限を認めているからと回答することになる。ではなぜ憲法に従うべきなのだろうか。
一つ前の憲法にもとづいて制定されたのが現在の憲法だから、つまり現在の憲法は一つ前の憲法から国会に立法権限を与えることを認められているからという答え方もあり得るが、この回答の仕方はいずれ行き詰まる。その社会の歴史的に最初の憲法まで辿り着くと、もはや一つ前の憲法から権限を与えられたからという答え方はできなくなる。
そこでケルゼンは、実定法に従うべきだと考えている世の多くの人々は、「歴史的に最初の憲法には従うべきだ」と思惟の上で前提していると考えざるを得ないと主張した。これがケルゼンの根本規範である*10。そんなことなど思ってもみなかったという人は、単に考えが足りなかっただけのことである。
ただここでケルゼンは、実定法に従うべきか否かという問題自体は括弧に括っている。それに答えるのは法の科学の任務ではない。法の科学の任務は法規範、つまりああすべきだ、こうすべきではないと名宛人に要求する法を規範として認識する人々が存在するという事態を筋の通った形で説明すること、どのような前提が成り立っていればそうした事態がそもそも可能かを説明することである。根本規範を前提とし、実定法に従うべきか否かという問題について判断停止をすることではじめて、あらゆる価値判断から自由な、つまり純粋な、法の科学が存立し得る。
いくつかのコメントを加えておくと、第一に、ケルゼンの言う根本規範は、個々の実定法の内容については何も要求していない。何でもありである。その意味でケルゼンの法秩序は動的秩序であって、静的秩序ではない*11。
もちろん、不可能なことをするよう要求したり、事後法ばかりで構成されていたり、何を命じているのかさっぱり分からないほど不明瞭な法ばかりの法秩序では、実定法としての用をなさないであろう。しかし、こうした法の支配の要請と言われる条件をそこそこ満たしている法秩序であれば、個々の実定法の内容はいかようにでもあり得る*12。どんな内容であれ実定法であれば、その実定法には従うべきだという思考様式を成り立たせるのが根本規範である。ケルゼン自身がそうした思考様式を推奨しているわけではないが。
そうは言っても上位の規範に反する下位の規範は無効であって、実定法ではあり得ないのではないかとの疑問があるかも知れないが、ケルゼンの法理論は懐が深い。
彼に言わせると、「違憲の法律」も法律である。法律として存在する以上、それは上位の規範である憲法の授権を受けている。つまり、国会は憲法の規定に適合した法律を制定することもできるが、憲法の規定に反する法律を制定する権限も与えられている。だからこそ、「違憲の法律」が存在し得る*13。
違憲の法律は、違憲審査機関によって違憲と判定され無効とされるまでは、有効な法律である。違憲審査機関によって違憲と判断される機会のない「違憲の法律」は、また、誰が見ても違憲のように見えるにもかかわらず、違憲審査機関が違憲と判断しなければその法律は、いつまでも有効な法律として生き延びる。そうした意味でも、根本規範を前提することで従うべきだとされる実定法秩序の内容を簡単に限界付けることはできない。
フッサールは、『純粋論理学序説』の冒頭部分で根本規範(Grundnorm)を論じている*14。彼によると、ある規範秩序の全体は、「根本的価値評定によって規定され、それ自身で完結した一群」をなしている。その規範秩序に含まれる諸規範は、根本的価値評定の要求する特質を可能な限り充足すべきである。この根本的価値評定を提示する規範が、根本規範である。たとえば、カント倫理学の描く倫理規範に関しては、定言命法が根本規範となり、功利主義者にとっては最大多数の最大幸福という原理が、根本規範にあたる*15。
根本規範は、当該規範秩序における規範化がいかなる基本価値にもとづいて行われるべきかを指し示す。それ自体が規範だというわけではない(「根本規範」という名称にもかかわらず)。ただ、ある規範が当該秩序内の規範であるためには、根本規範の規定する価値を可能な限り満たしている必要がある。
たとえば「軍人は勇敢であるべし」という規範的判断を下し得るためには、善い軍人と悪い軍人とを区別する価値評定の根本基準がなければならない*16。その根本基準に照らすことで、善い軍人と悪い軍人とを区別するより具体的な規範が成り立つ。つまり根本規範は、当該秩序を構成する規範であるための制約条件を示していることになる。
カントの定言命法に即して言うと、「万人が道徳法則となし得る道徳指針に即してのみ行為せよ」という定言命法の要請そのものは、道徳規範ではない。何が妥当な道徳規範となり得るかの基準を示しているだけである。
たとえば、「自分の便宜に沿って嘘をつくことも許される」という道徳規範は、それが万人にとっての道徳法則となり、万人がそれを心得ているとなると、自分も嘘をついて苦境を切り抜けることはできなくなる(あなたが自分の便宜に沿って嘘をつくことは万人が心得ているから)。また、「自分の便宜に沿って他人の財物を盗んでもかまわない」という道徳規範は、それが万人にとっての道徳法則となると、何が誰の財産かという区別を置くことも不可能となり、したがって、他人の財物を盗むこと自体があり得なくなる。いずれも、定言命法の要請からすれば、道徳規範とはなり得ない。
フッサールの言う根本規範が、ケルゼンの言う根本規範と全く異なっていることがお分かりいただけるであろう。ケルゼンの根本規範は、法秩序の内容について限定する役には立たないものであった。何であれ、当該社会の実定法であれば、それに従うべきだという思惟の上の前提であった。
フッサールの言う根本規範は、法秩序も含めて、規範秩序の構成要素である個々の規範が満たすべき根本的価値評価を指し示す。それ自身は規範ではないが、それでも根本規範は規範秩序の内容を限定し、枠付ける*17。
尾高はケルゼンの根本規範に関して、次のように述べる。「根本規範は、一定の国法秩序に属する一切の法規範を規範論理的に制約する」*18。ある規範が他の規範を制約する局面の一つは、社会規範が強制規範を制約することである。たとえば、他人の財物を窃取することを禁ずる社会規範があって、それが窃盗犯に懲役刑(現在では拘禁刑)を科す強制規範を制約している。
根本規範が国法秩序に属する法規範を規範論理的に制約するという場合、問題となるのは、社会規範としての根本規範による制約である。つまり、根本規範は社会規範であって強制規範ではない。
ではその内実は何かというと、「純粋法学の説明は如何にしても根本規範の本質の問題に触れず、遂にこれを仮説として回避し去るのである。なぜであろうか。いうまでもない。純粋法学の体系にとってかくも重要な意義を有する根本規範は、その本質上もはや純粋の法規範ではなく、法超越的な第二次規範(社会規範─筆者注)なるが故である。根本規範の本質を明らかにすれば、実定法秩序の最高制約者は政治的道徳的規範たることが暴露するからである」。かくして尾高によれば、政治及び道徳の契機を法学的認識から完全に排除しようとする純粋法学の体系は、「致命的の破綻に到達せざるを得ない」*19。それは「いうまでもない」ことである。
ケルゼンの根本規範論として、この尾高の説明は完全な誤解である。ケルゼンの根本規範は、一国の法秩序を構成する法規範を社会規範として、つまり政治的・道徳的に制約するものではない。あらゆる政治的・道徳的立場から無関係に、実定法を規範として認識する可能性を切り拓くために行われる思惟の上の仮設である。
尾高がケルゼンの根本規範について、ここまで誤った結論に到達した原因は、「根本規範」という同一のことばが用いられていることから、ケルゼンの根本規範がフッサールの根本規範と同一の機能を果たすものだと誤解したからであろう。フッサールの根本規範であれば、それは一国の法秩序に属するあらゆる法規範の内容を特定の価値評定にもとづいて制約し、枠付ける役割を果たす。
尾高は、ケルゼンの根本規範がフッサールの根本規範と同じ機能を果たすものと決めてかかった。だからこそ、ケルゼンがその根本規範を思惟の上の仮設にすぎないと回答するのは、それが一定の政治的・道徳的規範を内容としていることを隠蔽するための、暴露を回避するためのものだと尾高は結論付けることとなった。
ケルゼンの純粋法学、とくにその根本規範論が誤解されることは少なくない。尾高もまた誤解している。残念ではあるが。
とはいえ、この尾高の議論には、単なる誤解として片づけることのできない側面がある。第二次世界大戦後の日本の憲法学において、根本規範という概念は、ケルゼンのそれとは全く異なる意味で用いられている。
清宮四郎は、根本規範は、「憲法が下位の法令の根拠となり、その内容を規律するのと同じように、憲法の根拠となり、また、その内容を規律するものである」と述べる。つまり、ケルゼンの根本規範と異なり、それは「単に前提されるばかりでなく、実定的に定立された法規範とみなすのが妥当である」。具体的に、日本国憲法における根本規範の内容としては、「国民主権主義、基本的人権尊重主義および永久平和主義の三つの原理がそれに該当する」*20。これらの根本規範は、いずれも日本国憲法の中に書き込まれているが、いずれも憲法改正権より上位にある規範であって、憲法改正手続を経ても、これらに触れることは許されない*21。
同様に芦部信喜は、根本規範は日本国憲法の中核を構成するものであって、それを支える核心的価値は、「人間の人格不可侵の原則(個人の尊厳の原理)」であるとする。この根本規範は、ケルゼンの言う根本規範とは異なり、実定法として定立された法規範である。それは「憲法が下位の法令の根拠となり、その内容を規律するのと同じように、憲法の根拠となり、またその内容を規律するものである」と、清宮の叙述を引用している*22。そして憲法改正権は、日本国憲法の中の「根本規範」ともいうべき人権宣言の基本原則──それは人権と国民主権の原理とを含む──および国際平和の原理を改変することは許されない*23。
これらの叙述をどのように理解すべきだろうか。ここで問題とされている根本規範がケルゼンのそれと全く異なることは、その通りである。
ではそれはフッサールの言う根本規範であろうか。フッサールの根本規範は、法秩序の構成要素である法規範が満たすべき基本的価値評定を指示する。清宮や芦部の言う根本規範には、そうした機能が期待されている。日本国憲法を最高法規とする法秩序に含まれる法規範は、ここで言われている根本規範の要請を満たすこと──少なくともそれに反しないこと──が要請されている。
ただ、フッサールの根本規範それ自体は規範ではない。特定の規範秩序に含まれる規範の内容を制約し、枠付けることがその役割である。これに対して、清宮も芦部も、根本規範が実定法であると言う。実定法秩序の一要素であり、実定法規範だと主張されている*24。この主張は、少々割り引いて理解すべきであろう。
清宮の言う国民主権、基本的人権の尊重、永久平和主義にしろ、芦部の言う人間の人格不可侵の原理にしろ、いずれも、それ自体が人の行動を方向づける実定法であるというよりは、実定法であるために満たすべき条件が何かを指示しているものと見るべきである。たしかに憲法の条文の中にそれに対応する文言を見出すことはできるが、だからと言って直ちにそれが実定法であることになるわけではない。むしろ実定法の内容を外側から枠付ける道徳原理として理解すべきものである*25。
それでとくに、彼らの言う根本規範の価値が低下するわけではない。憲法を超える道徳原理であれば、それを憲法改正手続を経て変更することが不可能であることは、さらに明確になる。変えようと思っても変えられないことも、世の中にはある。それだけのことである。
結局のところ、日本国憲法に関して根本規範と言われてきたものは、フッサールの言う根本規範であったことになる。尾高が明示的に参照することなく、ケルゼンの根本規範論の批判に際して暗黙のうちに前提としていたフッサールの理論が、現代の日本の憲法学に引き継がれているわけである*26。
もう一つ気になる論点が残っている。根本規範の変動という論点である。ケルゼンは彼の言う根本規範が変動することがあると言う。それが革命である。革命の前後では、人々が思惟の上で前提する根本規範が異なっている。尾高もこの論点に触れている*27。
これはケルゼンの根本規範論について微妙な問題を提起する。もし根本規範が「歴史的に最初の憲法に従うべし」と叙述されるものであり、それによって従うべきだとされる実定法群の内容について何らの制約を行わないのであれば、根本規範が変動するなどいうことが果たして起こりうるものであろうか。
ケルゼン自身、絶対君主制の憲法が議会制共和国の憲法へと変更されたとき、そこでは根本規範が変動し、革命が生起しているのだとする*28。
しかし、ケルゼンの根本規範が法秩序の内容に関して何らの要請もしないのであれば、絶対君主制の憲法にもとづいて共和制の憲法が制定されることもあり得るように思われる。なぜケルゼンは革命が生起すると言ったのであろうか。ここには、いくつかの解釈の仕方が控えているように思われる。
第一に、どのような根本規範を前提するかは、窮極的には各個人による判断の問題なのだという答え方があり得る。したがって、絶対君主制の前憲法と議会制共和国の現憲法とでは、根本規範が異なっていると考える人がいれば、その人にとっては革命が生起したことになる。ケルゼンはそうした人の思惟において何が生起したかについて語っているわけである*29。
第二に、これはあまり筋の良い答え方ではないが、ケルゼン自身、すべての法秩序が完全・純粋に動的秩序──つまり上位規範に授権されていさえすればどんな内容の法規範も妥当し得る秩序──だとは考えておらず、法秩序の中には、部分的には静的秩序としての色彩を持つものもあると考えていたという解釈があり得る。問題となっている法秩序では、絶対君主制という法原理自体は変更不能なものであって、それは変えようにも変えられないものであり、そうした法秩序が共和制国家に変革されれば、そこでは根本規範が変更されたと考えざるを得なくなるという答え方である*30。
つまり、ケルゼンの根本規範は、部分的にはフッサール流の根本規範でもあり得るというわけである。こうした解釈からすれば、革命が生起するのは、絶対君主制が議会制共和国に変動した場合には限定されない。清宮の言う根本規範を否定するような新たな憲法が制定されれば、やはり革命が生起したということになりそうである。
第三に、根本規範が変動するのは、絶対君主制が議会制共和国に変動する場合(あるいはその逆の場合)に限られるという解釈があり得る。なぜこのような場合にのみ根本規範が変動するかと言えば、統治権を総攬する主権者が変動するからである。全能の主権者といえども、自身の権限を否定するような権限行使を行うことは論理的な理由でできない*31。こうした場合に、そしてこうした場合にのみ、根本規範は変動する。
どの解釈が妥当であろうか。答えは不確定であるように思われる。
*1 エトムント・フッサール『デカルト的省察』浜渦辰二訳(岩波文庫、2001)第11節。
*2 エトムント・フッサール『イデーンⅠ-Ⅱ』渡辺二郎訳(みすず書房、1984)第89節。
*3 エトムント・フッサール『イデーンⅠ-Ⅰ』渡辺二郎訳(みすず書房、1979)第46節。
*4 フッサール(n 1)第6節。
*5 エトムント・フッサール『イデーンⅡ-Ⅰ』立松弘孝・別所良美訳(みすず書房、2001)第46節。フッサール(n 1)第50~52節。
*6 David Woodruff Smith, Husserl (2nd edn, Routledge 2013) 160.
*7 フッサール現象学と尾高の関係については、尾高朝雄『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫、2019)に付された石川健治解説参照。
*8 尾高朝雄『国家構造論』(岩波書店、1936)。筆者が参看したのは、1945年に発行された第10刷である。ただし、漢字は新字体に直した。
*9 清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』(有斐閣、1979)32頁。芦部信喜『憲法〔第8版〕』高橋和之補訂(岩波書店、2023)10頁も同旨。
*10 法秩序の強制秩序としての特質に即して叙述すると、根本規範は、「強制行為は、歴史上最初の憲法及びそれに従って設定された諸規範の定める要件下で、それが定めるように設定されるべし」と叙述される。簡略化すれば、「憲法の定めるように行動すべし」となる(ハンス・ケルゼン『純粋法学〔第2版〕』長尾龍一訳(岩波書店、2014)194頁[34(c)])。
*11 ケルゼン(n 10)188頁[34(b)]。
*12 法の支配の要請については、さしあたり、長谷部恭男『法とは何か──法思想史入門〔新装版〕』(河出書房新社、2024)第9章「法が法として機能するための条件」参照。
*13 ケルゼン(n 10)260−66頁[35(j)(β)]。
*14 エトムント・フッサール『論理学研究Ⅰ』立松弘孝訳(みすず書房、1968)第14~16節。
*15 同上64頁[14節]。ケルゼンもこうした「根本規範」が存在することを認めている。それは静的な規範秩序の根本規範である(ケルゼン(n 10)188頁[34(b)])。
*16 フッサール(n 14)62頁[14節]。
*17 Smith (n 6) 348−50.
*18 尾高(n 8)469頁[57節]。同書497頁[61節]も参照。
*19 同上475−76頁[57節]。
*20 清宮(n 9) 33頁。清宮は京城帝国大学法文学部で尾高の同僚であった。
*21 同上410頁。
*22 芦部(n 9)10頁。芦部信喜『憲法学Ⅰ』(有斐閣、1992)47頁も参照。
*23 芦部(n 9)424頁。芦部(n 22)77頁も参照。
*24 尾高は、ケルゼンの根本規範について、「一つの実定的規範であり、従ってこれを条定することは可能であり、また現に多くの国家が何等かの形式で条定表明して居るところである」と述べる(尾高(n 8)468頁[注4])。ここでは、ケルゼンではなくフッサールの根本規範について語っているように思われるが、フッサールの根本規範論としても、十分に説得的ではない。フッサールの根本規範は秩序内の規範を外側から枠付けるものであって、それ自体は実定規範ではない。
*25 ここで筆者は、排除的実証主義の立場からの叙述を行っている。排除的実証主義については、さしあたり、長谷部(n 12)145−46頁の説明を参照。
*26 フッサールの根本規範概念が、尾高のノモス主権論といかなる関係にあるかは、別個の論点を構成する。宮沢との論争において、尾高は彼の言う「ノモス」、つまり「主権者」とされる国民、天皇のいずれもが目指すべき「ノモス」の内容が何かについて明らかにしなかった。後に、彼は『法哲学概論』で、法の究極の理念は「人間平等の福祉」であり、「最大多数の最大幸福」もそれに帰着すると述べている(尾高朝雄『改訂法哲学概論』(學生社、1953)284頁)。功利主義の基本原理が大日本帝国憲法下における「ノモス」であるとすれば意外の感に打たれるが、前述したように(前注15に対応する本文参照)、フッサールは、「最大多数の最大幸福」が彼の言う根本規範たり得ることを認めている。
*27 尾高(n 8)479頁[57節]。
*28 ケルゼン(n 10)202頁[34(f)]。宮沢俊義も、ポツダム宣言の受諾によって天皇主権から国民主権への革命的変動(八月革命)が生起したと考えた。
*29 筆者はかつて、八月革命説についてこうした理解を提唱したことがある。長谷部恭男『権力への懐疑──憲法学のメタ理論』(日本評論社、1991)162頁参照。See also Yasuo Hasebe, Towards a Normal Constitutional State: The Trajectory of Japanese Constitutionalism (Waseda University Press 2021) 46−47.
*30 ケルゼン(n 10)202−03頁の記述は、こうした解釈に対応しているように見える。
*31 全能のパラドックスの一事例である。この論点については、長谷部恭男『神と自然と憲法と──憲法学の散歩道』(勁草書房、2021)第15章「plenitudo potestatis について」で触れた。
》》》バックナンバー
第33回 わたしは考える
第34回 例外事態について決定する者
第35回 フーゴー・グロティウスの正戦論
第36回 刑法230条の2の事実と真実
第37回 価値なき世界と価値に満ちた世界
第38回 ソクラテスの問答法について
第39回 アラステア・マッキンタイアの理念と実践
第40回 エウチュプロン──敬虔について
第41回 グローバル立憲主義の可能性
《全バックナンバーリスト》はこちら⇒【憲法学の散歩道】
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