コヨーテ歩き撮り#187
ボブ・ディランの街にやってきた。時代は変わる、歌は残る。 Finally finding myself in Dylan’s town! The times they are a-changing, the song remains.
ボブ・ディランの街にやってきた。時代は変わる、歌は残る。 Finally finding myself in Dylan’s town! The times they are a-changing, the song remains.
パリ生活15年目くらいだったか、ようやくアパート暮らしからの脱出となりモントルイユというパリ郊外の街で、大家さんの離れの小さな一軒家を借りることになった。 引っ越しが終わった翌朝、ものすごい音で目が覚めれば中庭挟んだ大家さんの、豪奢ではないが19世紀特有の丈夫な家半分が崩れた。家自体の問題ではなく、隣接した建設中マンションの地下駐車場の掘削作業のためだ。 それから何ヶ月も立ち入り禁止となったからにはノマッド人生再開である。
となかいと初の接近遭遇。なつくようすなし。 My first encounter with a reindeer! It doesn’t show the slightest interest in me...
今回と次回の記事では、ドゥルーズの美術論における「触覚」の議論を取りあげたい。ドゥルーズは、前回の記事で触れたリーグルの『末期ローマの美術工芸』(1901年)における触覚論の革新性に注目した人物のうちの一人である。1981年に出版された彼の『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(図1)を読むと、何よりも驚かされたのは、第14章「それぞれの画家が自分なりの方法で絵画史を要約する」以降の、アクロバティックなロジックの展開である。
夢に出てきそうな灯台。その光にみちびかれると? It’s the kind of lighthouse that only appears in a dream. Where does its light guide us to?
渓谷の底に大きな泉。透みきった冷たい水の池は信じられない美しさ。写真では伝わらない。 At the bottom of the canyon is a large spring with clear, blueish water. The water is very cold. This astonishing beauty is beyond photography.
美術史家による観察において、視覚が重要な感覚となることは言うまでもないが、触覚についてはどうなのだろう、と、ふと疑問に思い、この連載では第5回目の記事から19世紀末に遡って美術史家の著述における触覚についての記述を再読している。すると、「触覚」が意味する感覚の、意外なまでのヴァリエーションに、戸惑いを感じることがある。
滝は時間を止める。こんなに不思議な装置は他にない。アイダホ州ツインフォールズにて。 Waterfalls are miraculous. There, water runs and time stops. I can look at them for hours! At Shoshone Falls of Snake River.
カール・シュミットは『政治神学』の冒頭で、「主権者とは、例外事態(Ausnahmezustand)について決定する者である」と断言する。Ausnahmezustandは、非常事態と訳されることもある。 引き続いてシュミットは、主権概念は限界概念(Grenzbegriff)であるとする。限界概念とは、比喩的に言えば、遠近法の消失点である。われわれが暮らす、この世界だけが実在する世界だと思われている日常的な世界と、そんなものが存在するとは思ってもみなかった、尋常ではない外側の世界とを連絡する概念である。……
直接金融の中でも新株発行による資金調達には、それに伴う落とし穴があります。それは発行済み株式の希薄化(dilution)です。今回は実話をもとに「希薄化」の実際に迫ります。