ジャーナリズムの道徳的ジレンマ
〈CASE 23〉捜査幹部から賭けマージャンの誘いを受けたら
自粛期間中に飛び込んできた超弩級のスクープ。1週間も経たないうちに辞任と謝罪で幕が下ろされた感がありますが、過去の話にしていいものではありません。取材先との関係をあらためて考えてみます。[編集部]
自粛期間中に飛び込んできた超弩級のスクープ。1週間も経たないうちに辞任と謝罪で幕が下ろされた感がありますが、過去の話にしていいものではありません。取材先との関係をあらためて考えてみます。[編集部]
フィンランドの神様。 When you say Finland you are invoking this nice little boy. He is God around here and all over the world!
人類生まれてこのかた、移動とともに、たべものと音楽も広範に移ろい、現在に至ります。 移動という行為のもとにあるのは生きるということであり、移動の中にも定着の中にも生活があります。その生活において、人々は食べ、働き、語り、眠り、信仰を内に秘め、生きる空間に響く音を毎日の支えとする。こうして音楽が絵が文学が、何かが生まれる。 今日食べる皿の中に、今日聞く音楽の中に、育てる作物の中に、手の仕事の中に……生活の中に文化があるのだと思います。
友人で、今はパン職人であるやまちゃんは、大学終了卒業旅行で訪れたフォンテンヌブローの森からの帰路、その運命を変えた。 午前中の森の中に差し込む春の光。パリへ戻る電車を待つ3月夕暮れ。駅舎は閉まっている。短日つづくプラットホームにあるのは底冷え。 駅近く、唯一開いていたパン屋で買った焼きたてのバゲットをかじる。 東洋哲学を専門とし、就職先も決まっていた彼は、その瞬間パン屋になろうと決心したそうだ。
BD風のグラフィティ。ラハティの街角で。 A graffiti in the French BD style. On the street in Lahti.
A. P. ダントレーヴは1902年、ヘクトール・パセリン・ダントレーヴ伯爵の四男として、スイス、フランスとの国境に近いピエモンテ州のアオスタに生まれた。トリノ大学で法学を修めた後、ロックフェラー財団の支援を得てオクスフォードのベルリオール・コレッジで学んだ。彼がオクスフォードで研究対象としたのは、神学者リチャード・フッカーである。1929年、イタリアに帰ったダントレーヴはトリノ大学の講師となり、メッシーナ、パヴィアでの教歴を経て、1938年にはトリノ大学教授となる。しかし、彼は教職を退き、故郷に帰ってレジスタンス運動に身を投じた。解放後の短期間、彼はアオスタの市長を務めている。……
高橋徳行先生の連載第4回です。今回は、ほとんどのアントレプレナーが経験すること、絶対の自信をもって開発した商品やサービスを周りの人になかなか認められないことに着目します。そして、誰もが経験する危機を克服するための多くのヒントを提供してくれる事例を紹介します。[編集部]
フィンランド、森と湖の地帯にある町ラハティのギャラリーで、小島ケイタニーラブの生演奏。「東京のかもめ」! At a gallery in Lahti, a beautiful town among the woods and lakes, my friend Keitaney gave his little solo concert. Seagulls are called "lokki" in Finish. The audience immensely loved one of Keitaney's songs called "Tokion Lokki"!
「名もなきケア責任」のジェンダー不均衡をめぐって始まった平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡。長きにわたった連載もついに最終回、今回は前回の対談を受け、お二人による対談後記をお届けします。 新型ウイルス感染拡大に伴う世界的「緊急事態」のなかで、要介護者や子どもの生(life)を支えるケアが「家庭内」に求められる現在。このケアの危機を乗り越えるためにすべきこととは。 日々の実践を通じて不平等な構造は変えられるし、私たちは協働のパートナーになれる。この危機のなかで、よりよい社会に向け歩みだすために。[編集部]
「名もなきケア責任」のジェンダー不均衡をめぐって始まった平山亮さんと山根純佳さんの往復書簡連載。ここまで11回にわたり続けられてきた応答の最後を飾る対談を、本編・後記の2回に分けてお届けします。 新型ウイルス感染拡大に伴う世界的「緊急事態」のなかで、生(life)を支えるケアという営みの重さを、私たちは改めて噛みしめています。同時に、切迫した状況でそのケアを担う人びと・担わざるをえない人びとをどのように支えるべきなのか、また、不安と不調に直面し、ケアを待ち望む人びとのニーズにどのように応えていくべきなのかという問いもまた、この上もない喫緊の課題として私たちの眼前に突きつけられています。 社会はケアをどのように分有し、支えるべきなのか。現実を注意深く観察し、よりよい社会を構想するために。[編集部]