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ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』 連載・読み物

ウェブ連載版『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』第35回

2月 13日, 2017 松尾剛行

 
 

2.忘れられる権利概観

 
(1)はじめに
 
 近時問題とされることが多い「忘れられる権利」であるが、いったい何が問題なのだろうか。

中央大学の宮下紘准教授は、比較的平易にこの「忘れられる権利」の問題意識をまとめている。

 人は忘れる。しかし、インターネットは忘れない。

 ひとたびインターネット上に公開された個人情報は反永続的に残されてしまう。事実に反する不正確な情報や、たとえ真実であっても住所や電話番号などの個人情報が公開されてしまえば、私生活の平穏は侵害されてしまう。また、名誉を損ねるような情報がインターネット上で拡散されてしまうことで人格形成にも大きな影響を及ぼしてしまう。そこで、インターネット上の世界で「忘れる」ことを権利として保障する必要性がでた。(注4)

 「忘れられる権利」(“Droit à l’oubli”、“Recht auf Vergessen”、“right to be forgotten”)という用語が最初に使われたのは、2009年に提出されたフランスの法案と言われる(注5)。2012年に公表されたEUデータ保護規則案(注6)に「忘れられる権利」が明記されたことが注目を集めた後(注7)、2014年5月3日に欧州司法裁判所は、スペインの個人が社会保障費の滞納により自宅が競売されたとの10年以上前の情報が検索結果として表示されることが、EUデータ保護指令で保護された個人データ保護の権利を侵害するという判決を下した(注8)。

こうした世界的な状況を踏まえ、日本でも、2015年3月にYahoo! Japanが検索結果からプライバシー関連情報を削除するうえでのガイドラインを公表し(注9)、また、「忘れられる権利」に基づく検索結果の削除が認められるべきかについて、裁判所においても争われてきた。
 
(2)プライバシーと「忘れられる権利」の相違
 
 ここで、「忘れられる権利」として争われている事例は、少なくとも日本の裁判例上は、検索エンジンの検索結果として表示される前科・逮捕歴等を削除するよう求めるものがほとんどである(注10)。すると、これはプライバシーに基づく削除請求と何が違うのか、という問題がある。

後述のとおり、裁判所は、プライバシー侵害に基づく差止および削除請求権を認めており、例えば、最判平成14年9月24日集民207号243頁(石に泳ぐ魚事件)では、プライバシー侵害を念頭に「人格的価値を侵害された者は、人格権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。」としたうえで、モデル小説の差止を命じる原判決を是認した。インターネット上のプライバシー侵害についても、複数の裁判例がプライバシー侵害を理由としてインターネット上の投稿の削除を認めている。すると、検索エンジンが前科・逮捕歴等を表示することを好まないのであれば、本人のなすべきことはプライバシー侵害を理由とする削除請求であって、わざわざ「忘れられる権利」といった新しい権利に基づく請求を主張する必要はないのではないかとも思われる。

この点、「忘れられる権利」という概念がなお有用であるという立場からは、プライバシーと「忘れられる権利」の相違として主に以下の3点の相違が指摘されているように思われる。

1つ目は、削除の対象である。従来の削除請求(削除権)では、オリジナルの情報(たとえば掲示板への投稿)の削除が請求されていた。しかし、「忘れられる権利」で問題となるのは、検索結果の一部を非表示とすることの要否である(注11)。

2つ目は、請求の相手方である。従来の削除請求(削除権)では、オリジナルの情報(例えばSNSへの投稿や掲示板への投稿)に関して、投稿者(例えばSNSの利用者)やプロバイダ(例えば掲示板運営者)等が請求の対象とされていた。しかし、「忘れられる権利」では検索エンジン運営者が請求の相手方となっている(注12)。特に検索エンジンは情報の流通の媒介として情報等に接し、これを摂取する自由のため大きな役割を果たしており(注13)、例えばいわゆる「グーグル八分」を受ければ、情報をアップロードしたところで、読者はその存在を知ることができず、事実上誰にも見てもらえなくなる。さらに、検索エンジンについては、特定のアルゴリズムに基づき、機械的かつ自動的に検索結果を表示する検索エンジンの特徴をどのように評価するのかも問題となる(注14)。

3つ目としては、「忘れられる権利」の議論においては、リンク先であるオリジナルの情報が違法か否かにかかわらず検索結果の表示を削除しうる場合があるか否か等が問題となっていることである。例えば、報道機関の犯罪報道・前科に関する報道が検索結果として表示される場合、報道機関の報道そのものの削除を求めることができるかは、まさに従来のプライバシー(および名誉毀損)の問題である(注15)。そして、その場合には、報道機関による表現の自由やこの報道記事に関する国民の知る権利が直接問題となるだろう(注16)。しかし、「忘れられる権利」の場合には、あくまでも検索エンジンの検索結果の削除の要否の問題である以上、オリジナルの報道機関の報道の削除基準とは異なる基準で判断される余地がある。例えばEUデータ保護規則第17条や欧州司法裁判所によればオリジナルの情報は適法であっても、それが「不適切」とか「過度」である場合には検索結果からの削除が認められる余地があり得る(注17)。
 
(3)実務で「忘れられる権利」(検索結果削除請求)が主張される背景
 
 ここで、なぜ実務において検索結果を削除したいと思うのかという背景事情を簡単に説明したい。

この分野で実績を持つ実務家は、「削除請求の相手とコンタクトが取れない場合」、つまり、海外サイトや海外在住者等で連絡がつかない/日本の判決等に従ってもらえない場合や、「削除対象のサイト、URLが膨大で、全ての個別サイト削除の料金で受任すると着手金が高額になってしまう」ので「記事本体は消えなくても、せめて検索結果だけは消し」たい場合があると説明する(注18)。

筆者の実務経験上も、元サイト(投稿者/プロバイダ)に対する削除請求が容易かつ現実に可能な場合であれば元サイトに対して削除請求をすることが直截であって適切であるが、事実上ないしは経済的に元サイトに対する削除請求が困難な場合が出現し、対応を迫られるという状況が生じ得る。

そのような中で、「自分の名前で検索した際、1ページ目、2ページ目に、当該2ちゃんねる掲示板が上位表示されることのほうが辛い」「検索結果に表示されていなければ、2ちゃんねる掲示板に中傷記事があっても、それほど辛いわけではない」(注19)といった被害者の立場に鑑み、検索エンジンに対する削除請求を選択したいという感覚は、特に本人の側で代理をする実務家の立場としては極めて妥当な感覚といえるだろう(注20)。

もっとも、検索エンジン側としては、経済的理由で検索エンジン側に削除負担が生じるのはたまったものではないと考えるかもしれない(注21)。

いずれにせよ、外国サイトであっても、インターネットは空間を超え、日本から普通に見ることができてしまうところ、外国サイトである等の理由で削除が事実上(ないしは経済上)困難である場合に、検索エンジンへの検索結果削除請求がいわば「最後の拠り所」となっており、それが認められなければ、プライバシー侵害による被害からの救済が現実的に極めて困難になるということは頭の片隅に入れておくべきように思われる(注22)。
 
【次ページ】前科とプライバシー

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松尾剛行

About The Author

まつお・たかゆき 弁護士(第一東京弁護士会、60期)、ニューヨーク州弁護士、情報セキュリティスペシャリスト。平成18年、東京大学法学部卒業。平成19年、司法研修所修了、桃尾・松尾・難波法律事務所入所(今に至る)。平成25年、ハーバードロースクール卒業(LL.M.)。主な著書に、『最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務』(平成28年)、『金融機関における個人情報保護の実務』(共編著)(平成28年)、『クラウド情報管理の法律実務』(平成28年)、企業情報管理実務研究会編『Q&A企業の情報管理の実務』(共著)(平成20年)ほか。