大学の夏休み期間を利用したフランスでの在外研究から帰国した後、職場のポストを見ると、同僚の加治屋健司さんから献本いただいた『絵画の解放――カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』が投函されていた。この本については別の媒体で書評を記す予定である。
モーリス・ルイスやジュールズ・オリツキーのカラーフィールド絵画は、論じることが不可能であるほどに好きな芸術の一部だ。何も考えずにただじっと作品の前に座して見つめていたいと思う。隣にいる人と「やはりいいね、気持ちがいい」などと呟き合うのもよい。だが作品を目の前にして、「この絵画の良さを教えてほしい」と尋ねられても、「色が空や海のようできれい」であるとかいった印象的なレベルにとどまること以外に、私には決してうまく語ることはできないだろう。
DIC川村記念美術館には、幅5メートルを超えるオリツキーの作品《高み》のみが展示された贅沢な空間がある。歴史的な関心をまったく抜きにして好きか嫌いかのみを語るのであれば、オリツキーのこの作品が生み出す清々しい沈黙の空間は、幅7メートルを超えるピカソの大作《ゲルニカ》よりも、心地よさを感じる。ピカソの《ゲルニカ》は複雑な要素から構成されていて、理解しようとその前を行き来する必要がある。各々のモチーフが断片化されているために全体の図像を把握することが難しく、白黒で塗られていてあらゆる視覚的な快を感じることを禁じられているかのようだ。ともに鑑賞する同胞がいれば、作品の前を一緒に行き来しながらそのモチーフの解釈について喜んで議論を交わすだろう。だがオリツキーの《高み》は、むしろ「考える前に感じろ」と、見る者を誘っているように感じられる。気になる細部があれば近寄ることもできるが、細部の効果が果たして何を「意味」するのか考えなければならないというプレッシャーはない。この作品について評論を書かなければならないという特殊な事情がない限りは、言葉はいらない。刻々と変化する空や海の色を愛でるが如く、画布の上の色彩の心地よい効果にただ没入する時間は、かけがえのないものだ。
だがひとたび、カラーフィールド絵画について言葉を紡ぐや、そこに驚くほど多様な見解が生まれるのだということが、加治屋さんの『絵画の解放』では詳らかに論じられていた。ミニマリズムの彫刻家ロバート・モリスは1968年の論考「アンチフォーム」で、ルイスの絵画において絵の具の流動性が提示され制作のプロセスが可視化されているのだと論じた*1。だが批評家マイケル・フリードはむしろそこには制作中の手の動きの跡が認められないのだという*2。彼にとってそれは、プロジェクターによってカンヴァスに投影されたイメージのように、人の手の介入を感じさせず、絵の具の物質性も感じさせないものだった*3。それは、フリードが師事した批評家クレメント・グリーンバーグが、1960年の文章の中でカラーフィールド絵画に寄せた見解、すなわちその「脱実体化」し「純粋に視覚的な」色彩が認められるがゆえに高く評価すべきであるとする考えと*4、大きくは異ならない。ただし二人はそれぞれにこの見解を変え、オリツキーの作品のうちに、他の感覚とは無関係に一瞬で知覚される「純粋な視覚性」以外の何かを発見することになる。グリーンバーグは1966年に、オリツキーがスプレーで吹きつけて生み出す絵の具の表面に「触覚的な連想*5」を見出している。一方フリードは、同じ画家の作品から、色彩が自己生産していくプロセスを見ているかのような体験が得られるのだとした。フリードはオリツキーの作品を見ていて、「あたかもカンヴァスの上部から流れ出て染み込んでいく過程で絵が自らを作っているかのように、絵をゆっくり見ている*6」のに気づいたのだという。
グリーンバーグによるクールベ論
そう、同じ論者でも作品の触覚性や物質性への感度は変わるのである。グリーンバーグが絵画において純粋な視覚性を評価したのは、それが文学や彫刻とは区別された、自律した芸術ジャンルとして絵画の地位を堅牢なものにしうると考えたからだ。諸芸術のジャンル間の優劣比較論争(美術史の用語ではパラゴーネと呼ばれる)をモダン・アートにあてはめた1940年の「さらに新たなるラオコーンへ向かって」において、グリーンバーグは「ほかの感覚や器官により把握できるものすべてをいずれの芸術からも排除する」ことで、各々の芸術ジャンルの「純粋性」や「自己充足性」に達成できるのだと主張している*7。音楽が触覚や視覚の助けを借りずとも、聴覚(耳)を通して直接感覚に訴えかけることができるように、絵画もまた、純粋に視覚(眼)を通して鑑賞される芸術となるべきである、と彼は考えたのである。こうして彼が描く前衛絵画の歴史は、物語を描くことよりも色彩の効果を追求した印象派の絵画に始まり、抽象絵画の出現によって一つの到達点を迎える。
むろん、抽象絵画にも触覚性を感じさせる作品があるのだと、グリーンバーグは言及している。1962年の論考「抽象表現主義以後」では、クリフォード・スティルが絵の具の質感や配置のコントラストにより表面の手触りを感じさせる作品を制作していることに言及している。そこには「指先で触れられる表面の凹凸*8」がある、と言うのだ。ただし彼が、触覚的な連想を抱かせるクリフォードの抽象絵画よりも「触覚性と線描を控える」バーネット・ニューマンとマーク・ロスコの作品を、より高く評価することに変わりない。彼らの作品はグリーンバーグにとって、「より鋭い色彩の効果」を追求するもの、つまりより純粋に視覚的な絵画だったのである*9。
ここで少し視点をずらして、グリーンバーグが19世紀の画家ギュスターヴ・クールベについて論じた1949年の文章に注目してみよう。すると、彼が目だけでなく身体全体で絵画を鑑賞し、制作中の画家の身体性にも思いを馳せていたことが明らかになるのである。パレットナイフを用いて「カンヴァスに顔料の塊を押し付ける」かのように描いたその絵画について、グリーンバーグは「自然の身体性だけでなく、絵そのものの身体性をも強調した」のだと語る*10。それは「自然の堅牢さを伝えよう」としたがゆえに生じた「三次元的なかたちの、強烈なイリュージョン」と捉えることもできるかもしれないが、しかし同時にクールベには「絵そのものを堅牢で触ることができるものにしようとする欲望」という、相反する動機が絵画制作に存在していたのだと彼は考える*11。したがって風景画や海景画において、クールベは、空の色にグラデーションを与えることで遠近を示す大気遠近法の効果を抑えて「背景の部分を前景化し、崖や山、水、空のテクスチャーを――色彩のテクスチャーに限られたものであるにせよ――際立たせることができた*12」。つまり彼は、「光や水、空」といった、「物理的に離れているがゆえに」「指でつまむことができないもの」を「もっとも巧みに扱った」のだと、グリーンバーグは述べる*13。こうした記述を通してグリーンバーグは、掴むことができないものをも手で掴もうとし、結果カンヴァスに「顔料の塊」を「押し付ける」画家の身体感覚に一体化して、最終的には絵そのものを触知可能なものにするクールベの革新性に迫ろうとしているのである。
クリストバル・F・バッリア・ビノッティは、グリーンバーグのクールベ論が持つこうした特殊性に注目し、それを美術史家バーナード・ベレンソンの記述と比較している。本連載第6回でも扱った通り、ベレンソンもまた、視覚と触覚との戯れにより絵画作品を鑑賞し、その中に「触覚価値」を見出した著述家であった。しかしビノッティは、ベレンソンが「触覚価値」を三次元的な再現性と結びつけていたのに対し、グリーンバーグがもっぱら絵の表面に塗られた物質的な顔料のレベルで触覚性について語っていることに注目する*14。そこから立ち現れてくるのは、グリーンバーグの批評における「純粋な視覚性」の追求とは一見相反するような、触覚的なイマジネーションなのだと、ビノッティは述べる*15。
クールベの絵に触れる
19世紀の作家バルザックは、その著書『知られざる傑作』で、クールベの登場を予感させるような狂気の画家フレンホーフェルを描いた。この天才画家は、理想の女性像を描こうと奮闘するのだが、アトリエで芸術家たちが見たのはカンヴァス上の絵の具の塊だった。彼らの顔に失望の色を見た天才画家は、絶望のうちに命を落とす。この狂気の画家は、絵の具の塊のうちに女性像を見ていたのだろうか。あるいはクールベ以降の前衛的な絵画が目指すように、絵の具そのものの物質性の虜になってしまったのだろうか。いずれにせよこの小説は、セザンヌやピカソら、のちに絵画的実験を繰りひろげた芸術家たちを魅了することになるのである。
クールベの作品もまた、バルザックの小説で語られる謎めいた絵画作品と同様に、後世の芸術家や批評家を魅了してやまなかった。そこには二重の魅力があった。第一に彼らは、新たな地平を絵の具の表現によってカンヴァス上に切り開いていく創造的な力に抗いがたく惹かれた。第二に彼らは、そうした表現のために未曾有の地を踏み締めることに一生を捧げる孤高の芸術家が抱えていたであろう不安に、みずからの、あるいは同時代の芸術家たちの不安を重ね合わせた。形式主義者であったグリーンバーグにとっては、第一の点こそもっとも重要なものだった。グリーンバーグが巧みに言語化しているように、クールベの絵画には絵画的虚構性と絵の具の物質性のせめぎ合いがある(図1)。雲と空は空気を感じさせ、遠浅の砂浜にできた水たまりには光が反射している。だがそれは同時に、「顔料の塊」としての存在感も強く押し出す表現なのだ。結果、とりわけ砂浜と水たまりの部分においては、グリーンバーグがクリフォード・スティルの作品に見出したような「指先で触れられる表面の凹凸」が強調された表現になっている。
ではなぜ、クールベは絵の具のタッチをかくも生々しく残したのだろうか。絵を写実的に見せるためならば、タッチを消して完璧な表面に仕上げたほうが、描かれた世界のヴァーチャル・リアリティに没入できるのではないか。
クールベの絵と触覚的没入
こうした問いに対して、グリーンバーグの形式主義批評を独自に展開したマイケル・フリードは次のような答えを提案した。すなわちクールベは、見る者に視覚的な没入の体験を与えるだけでなく、触覚的な没入の体験を与えようとしたのではないか、という見解だ。フリードは、1990年に出版された著書『クールベのリアリズム』の中で、その作品が見る者の没入の感覚を誘う性質を持つことを論じている。その特徴は初期の自画像にすでに認められる。1842年に描かれた《犬を連れた自画像》(図2)では、絵画平面の向こうにいるクールベ自身は、絵の前に立つ人のすぐ近くまでその肉体が迫ってくるように描かれている*18。まるで自分の姿を鏡を覗き込んでいるかのように、描かれた身体を自分の身体として見る者は感じるだろうと、フリードは言う*19。この絵画が見る者に与える没入の感覚は、手前に投げ出されたモデルの手の存在感により強調される。不自然に拡大された手が私たちを引き込む力は、マニエリズムの画家パルミジャニーノのかの有名な《凸面鏡の自画像》(ウィーン美術史美術館)と同等の強度を持つ。
自画像に描かれた手は、没入の感覚を与えるだけでなく、その手の感覚に同一化するよう、見る者を誘いもする。例えば先の作品から数年経って自らをモデルにして描かれた《 革ベルトの男 画家の肖像》(1845〜46年、オルセー美術館)では、男の左手はベルトの素材感を見る者に想起させる。フリードはこの表現のうちに、手の感覚を喚起するだけでなく、その感覚を持つ生きた肉体の「活動」や「存在」そのものをも実験的に示そうとしたのだと述べる*20。さらに、その傍らに置かれた《エコルシェ(皮を剥がれた男)》の像もまた、皮膚という媒介を失った生の肉体が世界と触れることにより生じる「痛み」の感覚を想像させる*21。
フリードはまた、こうした没入を促す「手」を描いたクールベの素描にも注目している(図3)。ここでは手は、眠り込んだ自画像を指さしている。まるで彼は、この素描を見る者に、自分の身体と一体になって、彼の姿を見るよう、促しているかのようだ*22。
では、彼の身体に没入した私たちが体験することになるものとは、どのような世界なのか。そのことを論じたのが、美術史家ポール・ガルべズの2003年の論文「クールベのタッチ」である*23。ガルベズは、クールベのタッチが、自然との一体化という彼の欲望へと私たちの身を寄り添わせるものであることを、この文章の中で論じている。描かれた対象には、それがどんなに写実的なものであっても、実際の手では触れることができない。そうであるならば、写実性とは別の角度から感覚を刺激して、触れるかのように対象を見る体験を鑑賞者に与えることができるのではないか。それこそ、クールベの問いであり、葛藤であったのだと、ガルベズは述べる。
その道筋は決して容易なものではなかった。例えばクールベの作品《裸婦》(図4)には、自然の中に溶け込むかのように、一人の裸婦の後ろ姿が描き込まれている。ガルベズはそこに、クールベの次のような考えを読み取る。すなわち、「裸婦に触るかわりに、世界に触れよう。裸婦は、彼女の身体と同じくらい原初的で触覚的な関係を、世界と有している。裸婦が触れるものに、私も触れよう*24」。裸婦の身体が溶け込もうとしているのは、荒々しいタッチで表現された水飛沫と草の茂みである。そこには、理性で把握されるような明瞭なかたちを成す前の自然世界との、最初の接触が描かれているのである。クールベは、裸婦の身体感覚に同一化して身体全体で自然に没入する感覚を、そのタッチに託した、というのである。
だが身体像の存在は、風景に没入するための障害にもなる。ここでは肉感を持った裸婦の身体の描き方と、絵の具の塊のような水飛沫や草むらの表現との間にはコントラストがある。それゆえに見る者は、描かれたこの絵がフィクションでしかないのだということをつねに意識させられることになる。
そこでクールベは、裸婦という媒介者を消し去り、自然の感覚を生のままに描こうとすることになる。ガルベズが例として挙げるのが、パレットナイフで絵の具を塗りつけた風景画(図5)である。それぞれの色は意図的に配置された「タッチ」というよりも、偶然できた「染み」のように、唐突な印象を与える。そこには、「どうすれば、現実のイリュージョンが実際に崩れそうになるほど、その光景を見る者に近くに感じさせることができるのか」という問いがあるのだと、ガルベズは述べる*25。
美しく仕上げられた絵画が、視覚的な没入を促すのだとすれば、クールベの絵画に認められるような、パレットナイフで擦り付けられた色の「染み」は、触覚的な没入を私たちに促すべく導入されたものなのだ。クールベが描く風景の多くが、彼の生まれ育った故郷であるオルナン近郊であることも重要である。それは、生まれ故郷の自然へと一体化しようとする画家の身体の感覚そのものに、絵の鑑賞者が同一化するよう、誘う効果を持つのである。少なくともクールベは、そのような効果を期待していたのである。
このようなガルベズの議論を踏まえると、クールベによるパレットナイフの使用は、カラーフィールド・ペインティングの抽象表現とは次の2点において性質がまったく異なるものであると言えそうだ。まずクールベは、絵の具の顔料という物質的側面そのもののみを感じることではなく、それを通して自然の生々しさを想起することを見る者に期待する。顔料が生み出す効果が、純粋な視覚性を逸脱した物質的な触覚性を強く喚起するものではあれ、それが結局は現実の事物の(視覚的かつ触覚的な)代理表象となることを、クールベは期待しているのである。パレットナイフで「押し付けられた」顔料が、風景全体の構図の中で再現的な一部として機能するよう熟慮された上で配置されていることからも、そのことは明らかだ。次に、誰もがさまざまなイメージを投影できる抽象性と普遍性を探究する20世紀の抽象絵画とは異なり、クールベの風景画は、個人のローカルな場での体験を伝えるべく描かれたものである。
ただしクールベを抽象絵画とわかつこの二つの点にも、実のところ両者の境界を打ち崩すようなある危険性が潜んでいる。もしもクールベがローカルな自然を表現しようとしていたのだとしても、触覚的な没入を見る者に許すや、個々人の身体感覚によりローカルなイメージは翻案され、クールベが感じていたオリジナルの感覚とは別の表象が見る者のうちに生じるはずだ。それはもはやローカルなものではなくなっていくだろう。また全体の構図が把握できないほどに絵画に近づくと、具体的な事物を示していたはずの顔料は途端に再現性を失う。草木の茂みは緑の染みに、岩肌は黄土色の染みに、水は青色の絵の具の広がりに見えてくる。それはもはや個別特殊なものを指し示す記号ではなく、極度に一般化され抽象化されたヴィジョンとなる。
絵画に顔料の物質性を残し、見る者に触覚的な没入を呼びかけるということは、みずからの作品が見る者にもたらす体験を画家が完全にはコントロールできないという事態をも生み出す。この呼びかけに、はじめは素直に答えながら、画家の身体に一体化するグリーンバーグとフリードのテキストは、次第にその呼びかけが持つ危険性を最大限に押し広げて、画家の意図によるコントロールとその身体のローカル性を振り切る力を持っているのであり、私が彼らの著述に否応なく魅了されるのも、その力ゆえである。
心地よい抽象絵画について語ることの難しさについて、記事の冒頭で私は触れた。だがそれは、抽象絵画の鑑賞に言葉はいらない、ということを意味してはいない。絵画そのものと一体化するかのように書かれた批評家たちの言葉は、私と絵画との関係の中に入り込み、作品との新しい対話を駆動し始める。作品について語られる言葉とは、そうした新たな対話を生み出すためにこそ、あると言ってもいいかもしれない。
注
*1 加治屋健司『絵画の解放――カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』東京大学出版会、2023年、178頁。
*2 前掲書、20頁。
*3 前掲書、202頁。
*4 前掲書、19頁。ただしフリードはルイスの絵画を象徴主義の詩との類比的に語る点において、グリーンバーグの1960年のルイス論を逸脱していることを、加治屋さんは強調している。前掲書、20頁。
なおこの連載の第8回目の記事では、フランスの思想家ジル・ドゥルーズが「ジャクソン・ポロックの線」と「モーリス・ルイスの色の染み」の双方に、手導的なもの(manuel)を見出したことについて触れた。ドゥルーズが語る手導的なものは、視覚的な知性が介入していない線の運動や色の広がりのことを意味する。ルイスの作品についてのドゥルーズの理解は、ロバート・モリスの理解と部分的には重なる。他方ルイスの絵画とプロジェクター映像とを類比させるフリードの言説については、ドゥルーズやフーコーによる1970年代〜80年代のジェラール・フロマンジェ論(フロマンジェは写真をカンヴァスに投影し絵を描いた)と交差する部分もあるように思われる。
*5 前掲書、31頁。
*6 前掲書、30頁。
*7 Clement Greenberg, The collected essays and criticism, John O’Brian (ed.), vo. 1 (Perceptions and Judgements, 1939-1944), Chicago and London, The University of Chicago Press, 1986, p. 31. 次の既訳を参考にしつつ、新たに訳出した。『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄訳、勁草書房、2005年、38頁。
*8 Clement Greenberg, “After Abstract Expressionism” (Art International, 25 October 1962), in The collected essays and criticism , John O’Brian (ed.), vo. 4 (Modernism with a Vengeance, 1957-1969), Chicago and London, The University of Chicago Press, 1993, p. 130(『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄訳、157頁)。
*9 Ibid.
*10 Clement Greenberg, “Review of an Exhibition of Gustave Courbet”(The Nation, 5 February 1949), in The collected essays and criticism, John O’Brian (ed.), vo. 2 (Arrogant Purpose, 1945-1949), Chicago and London, The University of Chicago Press, 1986, p. 276
*11 Ibid.
*12 Ibid., p. 277.
*13 Ibid., p. 278.
*14 Cristóbal F. Barria Bignotti, “Clement Greenberg’s Media Differentiation and Gustave Courbet’s Tactile Appeal,” In Corso d’Opera. Richerche dei dottorandi in storia dell’arte della Sapienza, no. 3, 2019, p. 287. グリーンバーグはかねてより、ベレンソンが再現的な芸術を重んじている点に疑問を感じていたことにも、ビノッティは注目している。
*15 Ibid., p. 289.
*16 Gustave Courbet, « Lettre aux jeunes artistes de Paris », 25 décembre 1861 (Courrier du Dimanche, 29 décembre 1961), reprise dans Gustave Courbet, Peut-on enseigner l’art? , Caen, L’Épopée, 1986, n. p.
*17 Théodore Duret, Les peintres française n 1867, Paris, E. Dentu, 1867, p. 101.
*18 Michael Fried, Courbet’s Realism, Chicago and London, The University of Chicago Press, 1990, p. 64.
*19 Ibid., p. 78.
*20 Ibid., p. 75.
*21 パリ国立美術学校に所蔵されているこの彫刻のオリジナルは、長らくミケランジェロによるものだと考えられてきたが、実際には別の彫刻家の手によるものではないかという説もある。マティスやセザンヌにもインスピレーションを与えてきたこの彫刻の受容史については、また別の論考で扱う予定である。
*22 Ibid., p. 73.
*23 Paul Galvez, “Courbet’s touch,” in Soil and Stone. Impressionism, urbanism, environment (Frances Fowle and Richard Thomson, eds.), Burlington, Ashgate, 2003, p. 17-31.
*24 Ibid., p. 23.
*25 Ibid., p. 25.
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第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)