掌の美術論 連載・読み物

掌の美術論
第9回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)

10月 26日, 2023 松井裕美

 
 

美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(後編)

 
 
芸術作品と四つの手の作用
 
 この連載では数回にわたり、美術史家における「触覚」をめぐる著述を紹介している。前回の記事から取り組んでいるのが次のような問いだ。すなわち、芸術理論が作品分析という実践に移されたときに、どのように特定の概念はオリジナルの意味からずらされていくのだろうか。具体例として扱っているのは、ジル・ドゥルーズの『フランシス・ベーコン 感覚の論理学』(1981年)である。
 
 ドゥルーズはアロイス・リーグルやハインリヒ・ヴェルフリンといった美術史家たちの美術史的な著述を典拠としながら、芸術作品をめぐる感覚を次の四つに分類する。
 
 第一に、純粋に視覚によってのみ把握される視覚的(optique)なものがある。これはリーグルにおいては激しい陰影表現、ヴェルフリンにおいては印象派絵画やレンブラントの素描における寸断された線描表現(第8回記事の図2を参照)に結び付けられ、遠くから眺めることで対象の自然な姿を鑑賞者に想起させるような特徴を持つ。
 
 第二に、手で触ることができそうな奥行きを感じさせる輪郭や起伏の表現により把握される触覚的(tactile)なものである。この感覚は、リーグルがいうところの「触覚的-視覚的」なものに相当するものとして『フランシス・ベーコン』では扱われている。リーグルによれば、この表現から描かれた対象を認識するためには、視覚に依拠しなければならないが、触覚も動員しなければならない。このため作品には、触覚が及ばないほど離れすぎてはいけないし、視覚が機能しなくなるほど近づきすぎてはならない。ただしドゥルーズは「触覚的-視覚的」なものの説明に多くの紙面を割きはしない。むしろ、対象の形状や空間関係を正確に伝える輪郭線に注目する点においては、ヴェルフリンの触覚論からの影響が顕著である。
 
 第三に、光学的理性を逸脱する自由な手が生み出す「手動的なもの」(manuel)がある。「眼の中のコンパス」という喩えが示すような比率や遠近法の概念を逸脱する手の運動により、暴力的な線やタッチが生まれると、それらは「手動的空間」を形成する。ドゥルーズは、ヴェルフリンが視覚的なものとしたレンブラントの寸断された線もまた、「手導的なもの」に属するものとした。
 
 最後に、「触感的」(haptique)なものがある*1。リーグルはこの感覚を、眼の導きによって奥行き表現を感じさせる「触覚的-視覚的」空間とは異なり、作品にできるだけ近づき、視覚の働きを抑制した状態でも得ることができる対象についての認識に資するものとした。リーグルにとって、古代エジプト美術は触感的感覚をもっともよく与えてくれるものの一つであり、鑑賞者はその表面を撫でるように把握することで、平面的表現に生き生きとしたものを感じることができる。ドゥルーズはそうした議論を承けつつも、次のように「触感的」なものを再定義する。すなわちそれは、眼を、光学的な機能とは切り離した感覚器官として作り変えることで得られる感覚である。このとき眼は、もはや、輪郭や光によって奥行きや具象性を把握するための器官ではない。それは手によって支配されることも、手を支配することもない。眼そのものが作品の表面を動き、触り、手とはまた異なる、固有の「触感」を得るのである。
 
 リーグルは「触感」について論じるにあたって、色彩表現については積極的に扱っていない。しかしドゥルーズにおいては、色彩もまた、眼で触れることができるものだった。この記事では、リーグルを典拠としつつヴェルフリンを新たな座標軸に加えながら作品分析を展開するドゥルーズが、どのように線の表現から色彩表現へと考察を展開し、「触感」を働かせていくのかを見ていきたい。
 
ヴェルフリンを経由してリーグルを読み直すドゥルーズ
 
 芸術家が描く線は、手で触ることができそうな奥行きを示唆することも(触覚的-視覚的)、反対に自由な手が生み出す不合理的な広がりを生み出すことも(手動的)できる。色彩もまた同様にして、その機能により眼と手とのあいだのさまざまな関係を引き起こす。
 
 ドゥルーズは、新しい二項対立に即して色彩の機能を切り分けていく。一方には、ヴェルフリン的な触覚に端を発しながらそれを破壊する純粋に視覚的なものがあり、他方には、触感的なもの(haptique)がその対立項として置かれる。ドゥルーズが「tactile」というフランス語で示す前者の感覚は、色の濃淡が生み出す「色価」により事物の形状の凹凸を示す際に得られるものだ。後者は赤・青・黄といった色味から成る「色調」により構成された平面であり、作品に接近して初めて認識できるような、平面同士の前後の位置感覚の把握、リーグルが言うところの触感的な把握を可能にする*2
 
 17世紀バロック美術の陰影表現は、前者(色の濃淡から生まれる色価)を突き詰めた結果、遠隔的にしか把握できなくなったものであり、純粋に視覚的な性質のものとなる。ただしそれは、「触知しうると思えるものをかたちにしている*3」点で、現実のものを指し示すような具象性を失っているわけではない。これに対し後者は、具象性をつねに斥ける方向に働く。この色彩の効果(赤や緑などの色味が生み出す色調)はターナーやモネ、セザンヌの作品に認められるものであり、鑑賞者はそれらの画家たちの作品に近づき色彩の触感を鑑賞する中で、それらの作品が表象している具象的な対象にも物語にも気を留めなくなり、「純粋状態の絵画的『事実』に無限に接近する」ことになる*4。線から完全に解放された時、この色彩表現は、輪郭線によって枠取られた古代エジプト美術とは異なる「触感」をもたらす。リーグルによる古代エジプト美術の触覚論に着想を得つつも、色彩に重きを置く点でリーグルの触覚論を逸脱するこのような「触感」の作用について述べた後で、ドゥルーズはそれを「新しいエジプト」と名付けることになるだろう*5
 
 『フランシス・ベーコン』第15章「ベーコンの横断」で論じられているように、この性質は、19世紀のポスト印象派の画家ポール・ゴーガンやヴァン・ゴッホの作品において、二つの色彩表現を生み出すことになる。一つは日本美術(ドゥルーズは明確には述べていないがおそらくは浮世絵のことだろう)やビザンティンの美術を想起させるような、鮮やかな単色で彩られた面であり、もう一つはニュアンスに富んだ、混色で彩られた肉体の表現である。
 
 「混色」、ドゥルーズの原文ではフランス語で「ton(s) rompu(s)」と綴られるこの表現は、直訳すれば「砕けた色調」ないしは「後退した色調」となる。複数の要素が解消された中間的な色彩表現を示すこの語は、「明暗のぼかし」を意味する場合もあるが、ドゥルーズはこの言葉を、複数の色彩が混じり合い生まれる鈍色、すなわちしばしば「couleur rompue」というフランス語が示す意味で用いる。
 
 ドゥルーズはこの言葉を使用する際に、ゴッホが弟テオに宛てた書簡に引用されている、フランス語の文章を典拠としている*6。ゴッホの書簡集の中では、この文章は、フランスの画家ウジェーヌ・ドラクロワの色彩論からゴッホが引用したものと解釈されてきた。しかし実際に調べてみると、フランスの美術史家シャルル・ブランが1876年に出版した『我が時代の芸術家たち』におけるドラクロワ論からの引用文であることがわかった*7
 
 この引用箇所においてシャルル・ブランは、「二つの補色を不均等に混ぜ合わせ」た際に生じる中間色的な色彩に対して、「ton(s) rompu(s)」という表現を用いている。補色(赤と青緑のように、色相を環状に配置した色相環において正反対の位置にある色彩)を不均衡に混ぜ合わせると、それらは「部分的にしか相殺されず、灰色の変種が生まれる」のだと、ブランは述べている。すると、「鮮やかな(vif)色調」の純粋色と、「後退した(rompu)色調」という、二つの補色の並置が可能となる*8。「rompu」には「疲れ切った」という意味もあり、ゴッホの書簡の中でもドゥルーズの文章においても、一方では純粋色の「生き生きとした(vif)」様子と対比されている。
 
 だが他方では、ドゥルーズが引用するゴッホの書簡の文章(ゴッホによるブランの文章からの引用部分)でも示唆されているように、青の純色と、混色的な灰がかった青色は、隣り合わせに並べると、差異だけでなく類似をも示すために、互いの「色彩を高揚させ、調和させる*9」。ブランはそのことを、「鮮やかな色調を同じ色調の混色によって反復すること」と表現した*10。要するに混色は、単体としては生気に欠けた鈍い色なのだが、純粋色との関係の中で生き生きとした効果を発揮することができる。
 
 ドゥルーズはここで、混色の例として、ゴッホによる郵便配達夫ルーランの連作肖像画(1888〜89年)のうちの一点を挙げる。ここでは連作の中のどの作品かはわからないが、例としてクレラー・ミュラー美術館のヴァージョン(図1)を取り上げながらドゥルーズの記述を確認しておこう。

図1 ファン・ゴッホ《ジョゼフ・ルーランの肖像》1889年。カンヴァスに油彩、65×54 cm。クレラー・ミュラー美術館

服や帽子は青の純粋色で彩られているが、顔の肉の部分は黄色、緑色、菫色、薔薇色、赤色からなる混色である。それらさまざまな色が生み出す平面は、各々の色が完全には混ざり合うことのない、多色的なものポリクロミーとなっている。切れ切れの状態(「rompu」にはこの意味もある*11)となった各々の不連続な色のタッチは、まさに画家の手の動きを感じさせる手動的なものである。そこには、ヴェルフリンがレンブラントの素描のうちにみた「寸断」された線を、色彩表現に移し変えたかのような効果が表れているのだ。ゴッホがレンブラントの作品を模写し研究していたことを考えれば、こうしたアナロジーには偶然以上の必然性があるとも言えそうだ*12
 
 それぞれの色彩が完全に混じり合うことなく、ある一定の幅を持ったタッチとなるこの表現は、結果として、リーグルが末期ローマ美術のモザイクに見出した性質(第7回記事参照)に近いものとなる。切れ切れのタッチで彩られた顔は、遠くからしか連続した肉体の肌には見えない。しかしタッチの集積は小さな面を形成していて、そのことにより顔の形状を暗示する。この面を把握するためには、遠ざかりすぎてはならず、触覚を動員しながら鑑賞する必要がある。要するに、寸断されたそのタッチは近くで見るとまとまりに欠けるが、かといってタッチが気にならなくなるほどに遠くで見ると、各々の面の構成により暗示された顔の形状が把握できず、生気に欠けた彩られた平面のように見えてしまう。リーグルならばこの矛盾を頽廃的なものとしただろうが、ドゥルーズは、寸断された線の不連続性そのものに注意を向けるヴェルフリンの眼差しから学びつつ、そこに芸術の新しい価値の表出を見出すのである。
 
 ドゥルーズは20世紀イギリスの画家フランシス・ベーコンの絵画について論じる際にも、そうした感覚について述べている。ベーコンもまた、ゴッホと同様、不連続な混色を用いて肉体を描き、背景の純粋色との対話を生み出すことで絵画全体に生き生きとした効果を与えた。それはベーコンがゴッホやゴーガンの色彩主義を受け継いでいることを示唆するだけでなく、手動的であるという点でレンブラントが描く素描とも、時間の流れを超えて通じ得る。
 
 こうした議論を通してドゥルーズは、一方では、第14章「それぞれの画家が自分なりの方法で絵画史を要約する」において、リーグルの触覚論とは異質なものとして導入したヴェルフリンによるレンブラントの描写(寸断された線)を、第15章「ベーコンの横断」においては、リーグルの触感論を承けつつもそれを逸脱する中で展開された自らの色彩論(切れ切れのタッチ)に接続する。そして他方では、リーグルを典拠とすることにより古代エジプト美術の後継者の座にベーコンを据え置きながらも、それから逸脱して展開したその後の絵画史を縦横無尽に横断するものとして、ベーコンの手を描写するのである。
 
ベーコンにおける美術史の横断と撹拌
 
 さまざまな線とさまざまな色彩、それを知覚する中で獲得されるさまざまな触覚/触感/視覚。ベーコンの作品においては、そうしたあらゆる性質の感覚が凝縮されることになる。再び第8回の記事で触れた《洗面台の人物》を例に見ていこう。全体の構図としては、近接的な触覚性(「触感的なもの」haptique)を見るものに与えるような、奥行きの浅い空間がある。ドゥルーズはリーグルに倣ってこれをエジプト的なものとする*13
 
 他方でそこには、ヴェルフリンが触覚価値と呼ぶもの、あるいはリーグルが言うところの「触覚的-視覚的空間」もまた、存在する。冒頭で述べたように、ある種の輪郭として画面に導入された水道のパイプや緋色のマットは、奥行きの空間表現を与えている。さらにブラインドの存在が、単色の背景と身体との間に空間があることを示唆する*14。触覚と視覚の双方の協働の中で、私たちは描かれた虚構の空間を想像することができるようになる。
 
 ただし背景の単色だけに眼を向ければ、奥行きの感覚、すなわち「触覚的-視覚的空間」は完全に消滅し、純粋な「視覚的世界」が現れる*15。とはいえ作品を見るときに、実際には背景の平面や構図だけを見続けることは不可能だ。鑑賞体験の中で、私たちはこれらの矛盾する部分的要素から成る全体を見ることになる。このとき私たちは、それらの矛盾する要素を「横断し、加速し、撹拌する*16」ベーコンの手つきを見ることになる。ドゥルーズはそこに、「解き放たれた手の力」の作用、すなわち「手動的なもの」を見るのである*17
 
 それがもっとも凝縮された運動になって具現化したのが、混色で塗られた肉体である。まだ何者でもない、この肉の塊の混色は、それだけで見れば純粋色が持つ効力を打ち消され「疲れ切って」見えるが、洗面器の白さや洗面器の中の水の青と呼応することで、生き生きとした表情を見せ始める。またこの色の塊を、切れ切れのタッチの集積から成る、中途半端な混ざり具合の色として見ることもできるが、逆に、洗面器や緋色のマットといった輪郭的な要素との関係の中で見ると、空間的な奥行きの中に存在する一塊の実体のイメージになる。
 
 私たちは作品に近づいたりそれから遠かったり、眼をさまざまな速さで動かしたりしながら、同じ作品やモチーフにおけるそれらの差異が与えるさまざまな感覚を代わる代わる体験することになる。その感覚は一定せず、つねに変化の過程にある。色の塗られた平面を見ていたかと思えば、少しだけ距離をおいてみると、今度は同じ平面が奥行きを表現し始める。その逆に、奥行きの効果を与えていたはずの要素が、彩られた平面のように見え始めたりすることもあるだろう。
 
 重要なのは、体や眼を動かすことでその見え方が大きく変わるような、作品との近さである。この距離感の中では、あたかも眼で表面を撫でるように、つまり触感的ハプティックなやり方で作品を見ることも可能となる。手が、時に素早く、時にゆっくりと、力を込めたり抜いたりして指先や掌で人の肌を撫でながら、その起伏だけでなく、暖かさや冷たさ、柔らかさや硬さを確かめていくように、触覚を宿す新たな器官として作りかえられた眼は、絵の具で彩られたカンヴァスの表面を撫で、さまざまな色が示す温暖の差を感じとる。その中で喚起されるさまざまな感覚を関連づけながら、疲れ切っていたはずの色が生き生きとし始め、切れ切れだったはずのタッチが塊を形成し始めるのを感じることもあるだろう。
 
 それはリーグルが論じる「触感的」な感覚を、明らかに逸脱している。ドゥルーズの著述における「触感的なもの」(haptique)とは、最初は、リーグルが古代エジプト美術のうちに認めた浅浮き彫りのような空間を意味していたのだが、次第に、さまざまな感覚を代わる代わる喚起しながら、自身の身体もまた運動のうちに置き作品を見るという活動そのものを意味するようになる。
 
 画家にとってもまた、「自分の眼で触る*18」ことにより描くことが重要となる。線も色も、切れ切れの状態で、眼には従わない手の手動的な痕跡を残していく。画家は素早いその手の動きを眼で追い、眼で触る。ときにはそうした手動的なものに、単色の平面を並置したり、輪郭線を添えて奥行きを表現したりすることもあるだろう。こうして異なる秩序が導入されると、制作中の画家の感覚は、その複数の秩序を横断するスリリングな冒険を始める。翻って観者は、作品を触るかのように見ることで、画家の眼の動きを心の手で追い、異なる秩序をそれぞれに見極めようとしながら、それらを横断する画家の感覚と一体化しようとする。
 
 作品を触るようにして見ることを通して、さまざまな秩序や領域を横断する画家の感覚と一体化しようとするドゥルーズの批評家としての野心は、連載第6回の記事で紹介したヘルダーの触覚論を密かに引き継ぐものだ。だがその試みはヘルダーよりもはるかに挑戦的である。なぜなら彼が一体化しようとしている動きは、複数の時間の層のもとにあるからだ。第一に画家の制作の時間、第二に過去の作品から成る絵画史的な時間、第三に過去の作品を論じる美術史的な言説が織りなす時間である。ドゥルーズはベーコンが横断し攪拌し再配置しようとしていた複数の秩序と時間とをつぶさに記述しながら、自らもまた、その横断/攪拌/再構築の作業に加わろうとした。
 
 結果としてドゥルーズは、リーグルを含めた美術史的言説をも、攪拌することになった。リーグルが色彩主義を視覚的なものとしたのに対し、ドゥルーズはベーコンを通して、あるいはベーコンを媒介とした絵画史の横断を通して、またリーグルを典拠としヴェルフリンを経由しながら双方から逸脱するような美術史的言説の再構築を通して、色彩主義のうちにもまた、触感的なものを見出すことができたのである。
 
 それでも最後に、次のことは付け加えなければなるまい。ドゥルーズは、ベーコンの作品に描かれた身体像が一般的に喚起する「労苦や苦痛、苦悩*19」といったものに感情移入する、その一歩手前に留まる。そのことで、なぜ目の前の肉の塊が身体に見えるのか、それが他の部位とどのような関係を結ぶのか、作品に「自分の眼で触り」ながら、根気強く分析する。作品は容易には見る者の感情移入を許さず、つねにドゥルーズの前に一つの客体として存在する。ドゥルーズはその客体についての考察を媒介にしてこそ、創造的な瞬間の最中にある画家の感覚に、あたう限り近づこうとする。その姿勢こそは、まさに、作品の表面を撫でるように見つつも、イメージへの安易な感情移入の一歩手前に留まったリーグルの語りを引き継ぐものなのであり、この意味においてやはりドゥルーズは、リーグルの後継者たり得るのではないだろうか。
 
 




*1 リーグルは『末期ローマの美術工芸』において論じた「taktisch」を、「haptisch」という言葉で置換する必要があるとしている。訳出にあたっては、次の論考を参考にした。太田純貴「Haptiqueとは何か:『感覚の論理』を中心としたドゥルーズの感覚論」『美学』59巻1号、2008年、29〜42頁。なお、前田富士男は、「haptisch」ないしは「haptik」を、リーグルと同時代の生理学や心理学議論における「眼を閉じた時の身体姿勢、あるいは盲目者の意識の身体性」と結びつけ、「内触覚」と訳している。前田富士男「カメラ・アブスルダにおける『ハプティック』:小さな宇宙、あるいはイメージの弁証法」、『Booklet(慶應義塾大学アートセンター)』vol . 22、2014年、37頁。
*2 Gilles Deleuze, Francis Bacon, logique de la sensation, La Roche-sur-Yon, Éditions de la Différence, 1981, p. 85. 訳出にあたってこの記事では次の既訳を参考にした。ジル・ドゥルーズ『フランシス・ベーコン』(新装版)宇野邦一訳、河出書房新社、2022年。
*3 Ibid.
*4 Ibid.
*5 Ibid., p. 86.
*6 Ibid., p. 89, note 4.
*7 ゴッホの書簡内で引用されているのはブランの著書における以下の箇所である。Charles Blanc, Les artistes de mon temps, Paris, F. Didot, 1876, p. 64-66, p. 69. 部分的にゴッホの判断で省略されている部分もある。Cf. Vincent Van Gogh, Verzamelde brieven van Vincent Van Gogh, vol. 2, Amsterdam-Antwerpen, Wereld bibliotheek, 1974, p. 17-18.
*8 Blanc, Les artistes de mon temps, p. 65-66.
*9 Ibid.
*10 Ibid.
*11 二見史郎は、「rompu」というフランス語における「折れた」、「破れた」、「切れ切れの」という意味を重視して「ton(s) rompu(s)」を「破調」と訳している。『ファン・ゴッホ書簡全集4』みすず書房、1984年、1155〜1156頁。
*12 ゴッホがレンブラントから受けた影響については、早くも美術批評家ウジェーヌ・タルデューや、画家エミール・ベルナールらによる、1890年代の文章の中で指摘されている。Cf. ナタリー・エニック『ゴッホはなぜゴッホになったか 芸術の社会学的考察』三浦篤訳、藤原書店、2005年、54〜55頁。
*13 Ibid., p. 87.
*14 Ibid., p. 199.
*15 Ibid., p. 87.
*16 Ibid., p. 88.
*17 Ibid.
*18 Ibid., p. 99.
*19 Ibid., p. 102.

 
 
》》》バックナンバー 《一覧》
第1回 緒言
第2回 自己言及的な手
第3回 自由な手
第4回 機械的な手と建設者の手
第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前編)
第6回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(後編)
第7回 リーグルの美術論における対象との距離と触覚的平面
第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前編)

松井裕美

About The Author

まつい・ひろみ  東京大学大学院総合文化研究科准教授。博士(美術史)。専攻は、フランスを中心とする近現代美術。著書に『キュビスム芸術史:20世紀西洋美術と新しい<現実>』(名古屋大学出版会、2019年)、翻訳にデイヴィッド・コッティントン『現代アート入門』(名古屋大学出版会、2020年)など。